第56話 永禄の変(2)

(永禄2年(1559年)10月某日)

「若様、皆を集めて参りました」


少し遅れて千代女が京の事情を知る忍びらを集めて戻って来た。

京の話を直接に聞いた者らだ。

初老の男が俺に頭を下げて座った。

忍びの元締めだ。

帰蝶義姉上の次に詳しいと思う。

兄上(信長)と長門守が京に向けて出立しているのは想定外だった。

相談する為に速度重視で熱田に戻って来たのに意味がない。


「帰蝶義姉上から聞いた。変の夕刻に三好の兵に襲われていた覚慶かくけい様を細川-晴元ほそかわ-はるもと惟任-咲庵これとう-しょうあん細川-藤孝ほそかわ-ふじたか和田-惟政わだ-これまさの四名が助けたと聞いた。これに相違ないか」

「少し違います。また、不確かな情報でよろしければ、追加できます」

「言ってみよ」


元締めが集めた情報を話し始めた。

興福寺にあった塔頭の一つである一乗院にいた覚慶かくけいは京の変を僧侶から聞き、三好の兵が攻めて来ると聞いて寺を逃げ出した。

逃げ出してすぐに三好の旗を背負った兵に見つかった。

三好の兵が迫って来て襲い掛かる。

覚慶かくけいを守っていた僧兵が次々と打ち倒されていった。

もう駄目かと思った所に晴元はるもとが現れた。

晴元はるもとの連れてきた兵が加わると、三好の兵は勢いを無くして引いていったと言う。

そのときの事を覚慶かくけいは「九死に一生を得た」と語っているらしい。

惟任-咲庵これとう-しょうあんが兵20人を連れて合流したのは翌朝の事だ。

そこから山道を抜けて観音寺城を目指した。


咲庵しょうあん進士-晴舎しんじ-はるいえの命で駆けつけたと聞いている」

「その通りでございます」

和田-惟政わだ-これまさが先導して山を越えた。しかし、慣れない山越えで時間が掛かった。道なき道を大太刀で切り開いたのが牛のような巨体の細川-藤孝ほそかわ-ふじたかだった」

「苦難の末に観音寺城に到着されたと某も聞いております」

「何故だ?」

「何がでございましょうか?」

「山越えは確かに大変だ。しかし、その先は甲賀の里だ。左程、大変とは思わぬぞ」

「甲賀、特に望月家に知られたくなかったのでしょう。出雲守に知れれば、晴元はるもとは直ちに捕らえられたでしょう」


なるほど、甲賀の忍びに悟られずに観音寺城に入ろうと思えば、至難の道になるわ。

その困難を共に乗り越えて友情が湧いたとか言うのか?


覚慶かくけい様はその働きを褒め、朝敵とされており、さらに幕府転覆の容疑者であった晴元はるもとの言葉を信じて、すべてを冤罪えんざいとして許すと宣言された」

「馬鹿らしい」

「その為に六角-義賢ろっかく-よしかた様も信長様も手が出せなくなりました」


手が出せなくなったと言うより、三好の動向が気になったと言う方が正しいだろう。

花の御所の北東にある臨済宗相国寺にいた周暠しゅうこうは、花の御所が爆発炎上するのを見て逃げ出した。

そして、元三好の家臣で幕臣となった平田和泉守に助けられたのだが、避難の途中で暴僧に襲われて亡くなった。

次に松永-久秀まつなが-ひさひでが差し向けた兵が覚慶かくけいの死体を発見していた。

この時点で覚慶かくけいが甲賀の山奥を移動している事を兄上(信長)らは知らない。


晴元はるもとは死んだ僧に覚慶かくけい様の法衣を着せて、顔を潰して逃げたと言います」

「公方様のご兄弟がすべて殺された訳か」

「事変が起こった3日目の時点で公方様の一族は亡くなり、偶然に和解の為に上洛途中の足利-義栄あしかが-よしひでが堺におられました」


この時点で三好-長慶みよし-ながよしが公方様と共に戦って壮絶な死を迎えたと、誰もが聞いていた。

六角家の両藤と呼ばれる進藤-賢盛しんどう-かたもりも兵を連れて京に入った。

進藤-賢盛しんどう-かたもりは京に上がってきた三好-長逸みよし-ながやす松永-久秀まつなが-ひさひでと協議して、管領筆頭の斯波-統雅しば-むねまさ様の承認を受けて、中継ぎの公方様として足利-義栄あしかが-よしひでになって頂く事を決めた。

勿論、兄上(信長)と六角-義賢ろっかく-よしかたに確認の使者が送られて来て承知された。

だが、京に使者が戻ってくる頃には不穏な噂が流れたのだ。


三好-長慶みよし-ながよしは公方様と供に戦ったのではなく、暴僧を先導して公方様と壮絶に刺し違えたという奴か。馬鹿々々しい」

「しかし、周暠しゅうこう様を見殺しにしたのは元三好家臣の平田和泉守です。また、覚慶かくけい様と一緒に逃げた僧の生き残りが、襲ってきたのは三好の兵だったと証言しております」

「なるほど、すべては三好家が企んだ謀略かもしれないと、義賢よしかた様は兵を集めて上洛される準備をされた。そこに覚慶かくけい様が助けを求めて現れたのか」

「信長様も常備兵を連れて行かれました」

「そこまでは帰蝶義姉上から聞いておる」

「松永様の元に忍ばせている者の報せによりますと、松永様に伝わったのはその日の夕刻でございます。覚慶かくけい様を保護する為に兵を差し向けたのは日も暮れていたと申します。覚慶かくけい様が襲われたのも夕刻です。一体、三好の兵はどこから湧いてきたのかと、信長様に伝えるように命じておきました」


忍びの証言では証拠にならないが、筋書が見えてきた。

夕刻より早くに覚慶かくけいに事変を伝えた僧侶が怪しいな。

晴元はるもとが首謀者なら、すでに口を封じているだろう。

彼奴を守っているのは、丹波の村雲党と呼ばれる忍び衆だ。

帰蝶義姉上が雇っている大芋衆とは別の一団だ。

幕府は丹波の寺々を荒らしているので、その系列の一族から恨みを買っている。

相変わらず、僧関連を使うのが巧い。


「で、不確かな情報はそれだけか?」

「いいえ、もう1つ」


京から大和に向かう街道に夕刻前に怪しい集団が通り過ぎた。

その途中に木津川の船着き場がある。

街道を南下した先には興福寺、つまり、一乗院がある。

危ないと言うならば、興福寺の本殿に逃げた方がよかったのではないだろうか?

だが、興福寺は三好に降っているので安全とは言えないとか言ったのであろうな。

頼れるのは近江の六角のみとか。

さて、船着き場には幕府御用船が横付けされていたらしい。


「同じ船とは限りませんが、同じ日に花の御所より荷が運び出され、御用船に積まれたという情報もあります」

「まぁ、まさか?」

「帰蝶義姉上、木津川に着いた御用船と花の御所を出た御用船が同じとは限りません」

「そ、そうね」

「ですが、いくら探しても見つからない訳も納得できます」

「えぇ、花の御所は我々の手の届かない所ですね」


灯台もと暗し。

この情報は『不確かな情報』として浜松城にも届けられていたらしい。

拠点の浜松城に一度帰った方がよかったのかもしれない。

晴元はるもとの隠れ家が花の御所だったならば、花櫓の爆破も簡単になる。

蝋燭を使った時限装置、あるいは、延長用の未使用の導火線を切らずにそのまま着火しておく。

工事に使用する火薬筒も危険物として幕府に持って行かれた。

花櫓は一時的な保管場所だ。

使用する時は届け出て取りに行く。

大量の火薬が保管されていた事が裏目に出た。

倉には油も置いてあっただろうから、発火すれば火事になる。


「若様、倉に隠し部屋があった場合を考えますと」

「あぁ、最悪が考えられるな」

「知っているのは、晴元はるもとを支持する奉公衆と…………」

「助言を聞いていた武田-信豊たけだ-のぶとよだろうな」

「あと、進士-晴舎しんじ-はるいえも怪しいと思えます」

「同感だ」

「武具の管理もされておりますから、花櫓内にある倉に入るのを怪しまれる事もありません」

「密会はし放題という事か」


そして、置き土産を置いて出ていった訳か。

千代女がじっと黙って俺を見る。

晴元はるもとの処分をどうするかと言う事だろう。


「泳がせておけ、6年前のあの頃とはもう違う。暗躍して力を付けたつもりになっている愚か者に踊って貰おう」

「若様、よろしいので」

「俺が作った舞台を壊したのだ。それなりの報いを受けて貰う。千代、それより花の御所を警護していた忍びの生き残りを探せ。花の御所の内情を知りたい」

「承知しました」


首をすげ替えて良い気になっている奴にお灸を据えてやるよ。

織田家の力はあの頃と違う。

穴倉に隠れて暗躍される方がやり難かった。

怪しいという理由で全員を始末する訳にも行かんからな。

苦労して作った舞台を自分で壊す気になれない。

手掛かりも見つからずに参っていた。

晴元はるもと、お前に貸した金利は高いぞ。

モグラは日の下では生きられない。

砂上の楼閣ろうかくという名の引導を渡してやるよ。

俺は目を青白く輝かせて微笑んでいた。

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