第54話 北に気を取られていると?

(永禄2年(1559年)10月某日)

奥州の群雄割拠は続いている。

鎌倉幕府以降、少しずつ力を貯めてきた土着の豪族達は、伊達家のお家騒動となった『天文の乱』を契機に、各々がその力を示し始めた。

我も我もと奥州の覇者たらんと欲した。

伊達家に反旗を翻した羽州探題の最上氏、黒川(会津)に強力な勢力を築いた蘆名氏、寺池を拠点とする名門の葛西氏、大崎を中心に発展した奥州探題の大崎斯波氏、その南の留守氏に、小高の相馬氏、坂上田村麻呂を祖とする三春の田村氏、二本松の畠山氏、須賀川の二階堂氏など、他にも多くの豪族がひしめいている。

そして、その南に鎌倉府の傘下に入った常陸の佐竹氏がいるが、この佐竹-義昭さたけ-よしあきが反伊達派の黒幕だった。

だから、今回の事件も義昭よしあきが起こしたのかと思ったが、そうではない事がすぐに判った。


それはともかく、この奥州の武将らは足利幕府と鎌倉公方を巧く使い分けて、大義名分を得て互いに侵略を続けていた。

関東が収まっても奥州の火種は消えていない。


さて、今年は夏に雨が少なかったので全国で不作に喘いでいる。

それに比べて、奥州はやや不作か、例年並みで収まっていた。

他に比べれば穏やかだった。

奥州の地図を作りながら俺は腕を組んで唸っていた。

早川はやかわが肩を寄せて、その地図を覗き込んでいた。


「国分、天童、寒河江、その背後に小野寺と大宝寺ですか?」

「誰が『秀孝ひでたか暗殺未遂事件』の首謀者でもおかしくない」

「信勝様にはお知らせしないのですか?」

「どこで知ったと聞かれたら困るからな」


結論から言えば、頭に大きな傷を負った喜六郎(秀孝ひでたか)であったが、故大崎-義宣おおさき-よしのぶの遺児に助けられて匿われていた。

この義宣よしのぶは『天文の乱』で伊達-稙宗だて-たねむねに与した。

現当主である大崎-義直おおさき-よしなお稙宗たねむねの息子の晴宗はるむねを支持したので大崎でも二つに別れた。

義宣よしのぶが討ち取られて、その遺児も始末された事になっていたが、家臣に助けられて命を繋いでいた。


「お市は何をやっているのだ?」

「話だけを聞くと、反伊達派を糾合しているように見えます」

「反晴宗はるむねもお市に接触している」

「信勝様とお市様が手を組むと大変ですね」

晴宗はるむねと戦うには兵が足りぬが、反伊達派と反晴宗はるむねを糾合すれば、信勝兄ぃは戦えるだけの戦力を手に入れるだろうな」


この『秀孝ひでたか暗殺未遂事件』の罪を問われると聞いた信次のぶつぐ叔父上は大崎から逃げ出して、奥州の覇者である晴宗はるむねに身を寄せた。

大崎に入った信勝兄ぃは晴宗はるむね信次のぶつぐ叔父上を引き渡すように要求しているが、晴宗はるむねが拒絶して睨み合いが続いている。

晴宗はるむね北条-氏康ほうじょう-うじやすから親書で信次のぶつぐ叔父上の保護を頼まれているので簡単に引けないのだ。

だが、信勝兄ぃは苛立っているが、大国の伊達家を相手にする兵力を持っていない。

交渉を続けるしかない。


「しかし、お市様は本当に凄いですね。行く先々で武勇伝が増えております」

「俺もよく判らん」

「どうすれば、反伊達派と反晴宗はるむねを糾合できるのでしょう」

「糾合した訳ではない。どちらもお市を旗頭にしたいと動いているだけだ」


塚原-卜伝つかはら-ぼくでんの居城である塚原つかはら城で世話になっていたかと思うと、蹴鞠伝授を頼まれて鎌倉入りをする。

その帰り道で盗賊に困っている村の願いを聞いて盗賊狩りを行った。

そこで『100人斬りの鬼姫』という武勇伝を得た。


次に大崎入りの許可が貰えたので北上するかと思うと、何故か筑波山へ赴き、飯母呂いぼろ一族の忍び衆を傘下に治め、そのまま西に向かうと蘆名領に入って叛徒の頭を討つと、二階堂、田村を通って相馬に入って小高城の相馬-盛胤そうま-もりたねの子の義胤よしたねを子分にした。


「これも意味が判らん」

相馬-盛胤そうま-もりたね殿に気に入られたのは間違いありません」

「相馬を裏から操っていた佐竹-義昭さたけ-よしあきを叱りに行ったと聞いた時は肝が冷えたぞ」

「殿(魯坊丸ろぼうまる)の代筆で、お市様が義昭よしあき殿を脅しておられたので怖いと思われなかったのでしょう」

「確かにお市に手を出せば、佐竹家は滅ぶと思っているから手は出さんと思うが、裏で暗躍している奴だぞ。佐竹領を出た瞬間に何を仕掛けてくるか判らん」

三郎左衛門さぶろうさえもん殿が影から警護されているので心配ないと言っておられたのは殿(魯坊丸ろぼうまる)ではございませんか」

「そうなのだが…………」


お市の行動は想像が付かないので対策の打ちようがない。

頭を抱えていると早川はやかわに笑われ、千代女からも武蔵で頼まれた仕事をやって下さいと叱られた。


頼まれたモノで一番大きいのは利根川の改修だ。

完成した測量図を元に合理的な河川改修の手順を決めてゆく。

江戸湾に流れる利根川を鬼怒川と結んで東に水路を変えるなど信じられないと驚かれた。

俺にとっては驚く事ではない。


細かい利害調整は向こうに任せる。

武蔵を治める北条家にとって大外堀となる一大事業だ。

運河で結ぶ事で物流もよくなる。

運河のついでに水路を引いて開拓地を増やしてゆく。

50万石程度の武蔵の国だが推定100万石になり、倍近い石高増は見込める。

その数を聞いただけで北条家の家臣らが目を丸くしていた。

それでも控えめに言った数だ。


正直に言えば、水量が豊かなので水田が採用できる。

手間を惜しまなければ、150万石以上も夢ではないだろう。

巨大な稲・麦作地帯が完成する。

推測値は計算できるのだが、俺は敢えて口に出さなかった。

それよりお市だ。


「お市が名生城に入れば、間違いなく信勝兄ぃは反伊達派と反晴宗はるむねを糾合して、晴宗はるむねと対決する」

「大戦になりますが、本当にされるのでしょうか?」

「信勝兄ぃならば、仕掛ける。大崎探題の力を誇示する絶好の機会だ」

「織田家が後ろ盾となれば、晴宗はるむね派の武将も寝返る可能性があります」

「そういう事だ」


別に大戦が起こるのは問題ない。

むしろ、望む所だ。

信勝兄ぃは独力で気づいたなら大いに煽ってやる。

どちらにしても奥州征伐の口実にできる。


「お市が旗頭にされるのは困る」

「総大将はお市様ですか?」

「反伊達派と反晴宗はるむねは信勝兄ぃでは納得すまい」

「それで三郎左衛門さぶろうさえもんが誘導して、お市様を東の葛西氏に向けさせたのですね」

「お市も信勝兄ぃに会って叱られるのは嫌だろう」

「ふふふ、そうですね」


最悪は喜六郎(秀孝ひでたか)と故大崎-義宣おおさき-よしのぶの遺児が始末される事だ。

死んだハズの喜六郎(秀孝ひでたか)が生きて貰っては困るのは仕掛けた本人だ。

すべてを無かった事にするだろう。

撒き餌としては最高だが、信勝兄ぃがどんな行動に出るか予想できないので名生城に近づけるのを避けさせた。


そうだ。

佐竹-義昭さたけ-よしあきを叱ったお市はそのまま海岸上を北上して留守氏の利府に入った。

その頃、『秀孝ひでたか暗殺未遂事件』が起こっていた。

喜六郎(秀孝ひでたか)は故大崎-義宣おおさき-よしのぶの遺児に助けられて匿われた。

お市と喜六郎(秀孝ひでたか)は別々の話だった。

しかし、お市は街道を逸れて喜六郎(秀孝ひでたか)のいる村に向かい、刺客を討伐した。

この時点で佐竹-義昭さたけ-よしあきの関与が消えた。

その村が義昭よしあきと通じていたからだ。

どうしてこうなるのだ?


二人は交差する事なく、お市だけで名生城に入れば、お市は尾張に強制送還されて終わるハズだった。

しかし、お市はどうも問題を呼び込む性分らしい。

遺児を助け、喜六郎(秀孝ひでたか)と再会する。

変装した三郎左衛門さぶろうさえもんが名生城へ向かうお市を止めた。

そして、『ご存知ですか、悪代官は葛西-親信かさい-ちかのぶでございます』と吹き込むと、親信ちかのぶ叱咤しったする為に寺池城に進路を変えた。

お市、何を考えている。

今は三郎左衛門さぶろうさえもんが「証拠もなく、乗り込む事はできません」と諭して、お市らは証拠探しに躍起になっていると言う。


「お市様は楽しんでおられますね」

「姫の道楽という範疇はんちゅうを越えているぞ」

「私もお忍びで色々な国を回ってみたかったのです」

「お市が二人になっては俺の身がもたん」

「ふふふ、平和になってからにさせて頂きます」

「そうしてくれ」

「では、しばらくは膠着状態が続く訳ですね」

「そうでもない。羽黒はぐろ衆が動き出している」

羽黒はぐろと言えば、最上ですか?」

「どうやら本当の黒幕は羽州探題の最上-義守もがみ-よしもりのような気がする」

「本当ですか?」

「あくまで勘だ。他の者でもあり得る」


三郎左衛門さぶろうさえもんの懸念は土地勘がない事だった。

話し言葉も違うので紛れる事ができない。

その不利な部分を飯母呂いぼろ一族が補ってくれる。

道案内を得たので探り易くなった。

飯母呂いぼろ一族を味方にできたのは幸いだった。


奥州の人間関係は公家様からの情報を得て把握済みだ。

血の気が多く、簡単に罠に掛かる馬鹿者も選抜している。

これでいつでも火を付ける事ができる。

誰が黒幕だったとしても、もうどうでもいい。

全部、地ならしで平にしてしまえば、後腐れもない。


「そう言われるのに悩まれるのですか?」

「見逃していないかと気になるのだ」

「なるほど」

「それより帰る準備はできているか?」

「問題ございません」

「でも、この仕事が終われば尾張に戻り、上洛する」

「やっと行き遅れの私にも寿ことほぐ春が迎えられます。殿(魯坊丸ろぼうまる)に貰って頂かねば、もう尼になるしかございません」

「俺は行き遅れなどと思っておらん」

「そう言って下さるのは殿(魯坊丸ろぼうまる)だけでございます」


早川はやかわはまだ22歳だ。

一番、美しくなっている頃だ。

どうして女盛りの時期を行き遅れとか言うのだろう?

見ただけで判るだろう。

俺には理解できん。

どたどたどた、珍しく千代女は足音を立てて戻ってきた。


「若様、大変でございます」

「どうした? お市に何かあったか?」

「お市様ではございません。花の御所が襲われ、大炎上して、公方様が行方知れずとの報告が入ってきました」

「馬鹿な?」


俺は油断していた。

天下統一して、大規模な敵がいなくなったと安心していた。

これからの敵は公方様の家臣であり、どう不平・不満を抑えつつ、改革を進めてゆくか?

それに集中していた。

不安要因の1つは細川-晴元ほそかわ-はるもとだ。

それにどうやって連絡を取っているか知らないが、隠遁して穴倉から出て来ない。

これ以上、暗躍させるつもりはない。

その鼻息を荒くしていたが、手掛かりは見つからない。

だが、焦っていなかった。

公方様が心変わりしない限り、晴元はるもとも動きようもない。

毒殺だけに気をつけていれば、何の問題もない。

あの無敵の公方様を殺せる奴などいない。

そうタカをくくっていた。

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