第53話 流刑地と知らずに奥州に出陣させられる信勝。
(永禄2年(1559年)9月某日)
喜六郎(
奥州は陸奥の国、遠く離れた大崎斯波氏の
最短の東山道を進んでも170里 (668km)もある。
どんなに無茶をしても早馬で6日、普通ならば17日も掛かる。
海上航路を使えば、尾張の熱田から相模の小田原を往復する定期便ならば2日で小田原まで行ける。
そうすると小田原から名生まで114里 (445km)と56里が短縮できる。
それでも早馬で4日、普通ならば12日も掛かる。
つまり、尾張まで最短でも6日前も掛かる。
実際、手紙の日付は10日前になっていた。
奥州の街道は整備されているとは言えず、それでも急いで届けてくれたのだろう。
こちらから援軍を送るにしても、通行許可などの手続きを取っていると二ヶ月以上も掛かる事がある。
我々は続報を待つしかなかった。
◇◇◇
喜六郎(
第一報の詳しい内容はこうだ。
反乱の鎮圧を喜んだ
喜六郎(
しかし、林の向こうでは喜六郎(
撃った銃弾が喜六郎の頭に当たり、そのまま崖から転落して行方不明になったと言う。
まず、第一感は『不自然』だ。
地元の猟師が鹿を指差した?
その指示に従って
仕掛けられたのではないかと疑ってしまう。
銃弾は鹿を逸れて、木々をすり抜けて向こうにいた喜六郎(
木々に当たらず、林を抜けただと?
あり得ない偶然が重なっている。
「ええい、そんな事はどうでも良い。
「行方不明と言っておりますが?」
「そんな事は
「本当に
「生きておるならば、行方不明など言わぬ。
信勝兄ぃは弟を殺されて頭の中が沸騰したように怒り出した。
兄上(信長)は腕を組んで考えていた。
「信長兄上、何を戸惑っておられるのか?」
「信勝、頭を冷やせ。護衛を仰せつかって、その護衛の対象である
「その通りだ。
「落ち着け」
「これが落ち着いていられようか?」
「では、どうするというのだ。奥州は遠いぞ」
「まずは
「儂は幕府には訴えておく」
「兄上、何を手緩い事を言っておる」
信勝兄ぃがば~んと床を叩くと怖い顔で兄上(信長)を睨み付けていた。
喜六郎の家臣が送ってきた手紙には、喜六郎に代わって
喜六郎を亡き者にして、自分が成り代わろうとしているように見えた。
だが、それは可怪しい?
「
信勝兄ぃの中では
直情的だ。
本当に行方不明ならば、
死んで貰っては困るハズだ。
「一門の方、
誰も反論しない。
俺もしない。
兄上(信長)もしない。
「では、某が
「待て、それはならん」
「信長兄上、何故、庇い立てするのですか?」
「真偽が明らかになっておらんからだ」
ば~んと、また床を叩く。
信勝兄ぃは喜六郎を守れなかった罪をもう一度説いた。
話は平行線が続く。
それを見ながら、俺は考えた。
正論を言っても俺の言葉は届かない。
信光叔父上は馬鹿の言葉を聞いても反論せずに、自分の都合のいい着地点に導いた。
俺にとって都合のいい着地点とは何か?
主戦派の信勝兄ぃと慎重派の兄上(信長)。
他の一門衆はどちらとも取れない態度を取る。
そりゃ、そうだ。
ここにある情報では判断するには足りない。
行き詰ったのか、兄上(信長)が俺の方に振った。
「
「
「何か知っているのか?」
(知りませんよ。あくまで仮定、仮定が違っても本当にしてしまえばいい)
「
「
「その為に
「はっきりと断言できませんが、そう思えます」
「許さん」
やっぱり馬鹿だ。
信勝兄ぃが信じてくれた。
当然だな。
「
「それは判った。しかし、取り潰すのは止めて欲しい」
「しかし…………」
「信勝兄上、織田家は大崎家を支援に行ったのです。その大崎家を潰したのでは織田家は無能と思われます。それでもよろしいのでしょうか?」
「何だと、織田家が無能だと?」
「そう思われぬようにせねばなりません。さらに言えば、幕府の『
「弟を殺されて黙っていよと言う気か?」
「そんな事は申しません。ただ、連れて行ける兵は護衛の1,000人のみです」
「1,000人のみだと?」
「その1,000人のみで、
「そう言えば、俺が逃げるとでも言うと思ったか」
「判りました。信勝兄ぃを陸奥の国の石巻湊まで送り届けましょう。後はお任せ致します」
「送ってくれるか」
「普通に幕府に届け出ても、相模の北条家、常陸の佐竹家、陸奥の伊達家などの通行許可が必要になります。どう考えても出立は二か月後になってしまいます」
「遅過ぎる。そんな待てんぞ」
「ですから、名生から一番近い
「
本当の事を言えば、
織田家には遠距離交易のできる帆船がある。
日本海を下って越前の敦賀ばかりを儲けさせる必要もない。
直接に買ってくれば、敦賀より安く仕入れられる。
織田家が帆船で来るのは丁度よい威嚇にもなる。
浪岡北畠氏の油川湊や
航路5日もあれば、問題ないだろう。
天候が悪くとも黒潮に乗れるので10日は掛からない。
折角、船団を送るので北まで航海させて買付に行かせるか?
それで赤字が半分に減る。
援軍を送るという幕府の許可はいるが、大した問題ではない。
「私(俺)は何もできません。ですから、兵糧と行き船を用意致しましょう」
「武士に二言はあるまいな」
「ございませんが、幕府に届け出るので時間を頂きたい」
「まさか、それで一ヶ月以上も掛かるとか申すつもりか?」
「そんなに待たせは致しません」
話をトントン拍子で進めたので話を振った兄上(信長)の方が慌てていた。
止めてくれると思っていた俺が煽ったからだ。
大崎家を取り潰さない事を約束させて、なし崩しで一門衆の会議が終わった。
皆が帰って、部屋に誰もいなくなると帰蝶義姉上が入ってきた。
妙に嬉しそうだ。
「今度はどんな奇策を考えたのですか?」
「折角ですから、
「ほほほ、慌てるでしょうね」
「帰蝶、笑っている場合ではないぞ」
「殿、慌てなくとも大丈夫です。
「そうですね。念の為に
「伊達家と大崎家が睨み合えば、不穏な事を考えている輩が首を出してくるでしょうね」
「
「来年には婚礼がありますが、大丈夫ですか?」
「今年の内に終わらせて戻って参ります」
「今年…………ですか?」
「天文所には色々と情報がすでに入っております」
「なるほど、準備はできていたのですね」
「事件の真相を探れと言われてもできませんが、こちらの舞台に火を付ければ、勝手に出て来てくれるでしょう。それで奥州征伐の大義名分さえ手に入れば、京に上がりまする」
「京に上がってどうするのですか?」
「それを理由に婚礼を一度に済ませたいと願い出ます」
「ほほほ、奥州征伐をやりたい公方様が喜んで賛同してくれそうですね」
「そうなる事を願っております」
「それと鎌倉に行って次いでに
「くれぐれもよろしく頼む」
「もちろんです」
帰蝶義姉上が楽しそうに笑い、兄上(信長)が困った奴だと首を捻った。
◇◇◇
(永禄2年(1559年)9月某日)
信勝兄ぃは奥州に向けて出航した。
日ノ本丸は鋼鉄で作った大砲20門を装備する新造軍艦『尾張』だ。
慣熟航行を終えたばかりだったが問題なかったので、護衛の帆船2艦と物資輸送に300石船を2隻付けて、計5隻で
大崎家一族の運命を背負った旅立ちであった。
「
「よいか、悪いかと聞かれれば、悪いに決まっております」
「ならば、何故に許した?」
「いずれは奥州征伐をせねばなりません。信勝兄ぃが巧く捌けば、先送りになります。失敗すれば、改めて俺が出陣する口実が生まれます」
「全部、お前の為か」
「そうでなければ、銭を出しませんよ」
兄上(信長)が腕を組んで小さくなる新造の大型帆船を見据えた。
本気で信勝兄ぃを心配していた。
兄上(信長)はお人好しだ。
先進的な考えを取り入れ、どんな話も素直に聞く、理想的な為政者であり、無償で民を思い、親兄弟を思い遣る心を持っている。
果ては家臣が謀反を起こしても許してしまうほどに根が優しい。
それが織田信長だ。
所謂、『魔王』というイメージから遥かに遠い。
「何を言っておる。お前こそお人好しであろう」
兄上(信長)が目線を下げて俺を見た。
俺は好意を好意で返し、悪意を悪意で返す。
慕ってくれているから大切にする。
俺に無差別の温情はない。
一部から神や仏のように崇められているが、あくまで計算尽くだ。
「信光叔父上が目を覚ましたら叱られるであろうな」
「誰がですか?」
「儂だ」
まさか!?
信光叔父上は兄弟や甥姪も将棋の駒のように扱う。
ただ、利用した分だけ大切に扱う。
俺も兄上(信長)も大切な駒で、それは信勝兄ぃも同じだ。
信光叔父上が信勝兄ぃを可愛がっているのは、利用した分の見返りに過ぎない。
周辺の有力者から妻を娶らせ、その利益調整を押し付けた。
守護代として成功するように支援しているのも利用した分を返しているだけだ。
失敗すれば、首をすげ替える。
信光叔父上は俺より冷徹だ。
そして、あの『
首の皮一枚で繋がっている感じだ。
奥州の厄介事を自分から引き受けた信勝兄ぃを褒める事はあれ、信光叔父上が引き止めるとは思えない。
失敗して織田家に迷惑を掛けたならば、体良く守護代をはく奪するだろう。
「それは不憫であろう」
「何を言っておられるのですか? 成功すれば、三河守護代を辞して奥州に土地を頂いて監視役になって頂きます。失敗すれば、三河守護代をはく奪しますよ。次の三河守護代を今の内に決めておいて下さい。あっ、失言です。忘れて下さい。俺にそんな事を決める権利はありませんでした」
「そんな事を考えておったのか?」
「いけませんか?」
「お前は怖い奴だな」
「信光叔父上が取りそうな策を採用したまでです」
「信勝が不憫に思えてきた」
俺も三日後に鎌倉に移動する。
信勝兄ぃが失敗しても、巧く
そして、信勝兄ぃは失敗した後に俺が出陣すると幕府に願い出れば、公方様が
奥州征伐が随分と前倒しになる。
「そちらの方は大丈夫なのか?」
「仮に20万人を動員しても支払に困ることはございません」
「桁を間違っておるぞ。そんな動員しても食わせる米がないわ」
「仮の話です。この全国で起こった日照りのお蔭で、米の価格はウナギ昇りで大儲けさせて貰いました。笑いが止まりません」
「全国では多くの飢えている者がある。それを聞いて笑うか? どこが熱田明神で、弥勒菩薩の再来なのだ」
「自分で名乗った事はございません。見た事もない民の為に涙を出せるほど優しくありませんし、そんな余力もございません。手の届く範囲だけです」
「まったく、もうよい。
「流刑地としては丁度よいではありませんか」
「冬は厳しいと聞く」
「伊達家の者や大崎斯波家の者も耐えているのです。住めない場所ではございません」
行きはよいよい帰りは怖い。
銭を出すなら別の話だが、帰りの船を用意するつもりはない。
幕府や他国に通過を手配するつもりもない。
どう乗り切るのかは信勝兄ぃの才覚だ。
一緒に向かった
熱田を離れて遠くに旅立つ船を見送りながら、俺は小さな声で口ずさんだ。
さらばー熱田よー、
たびだーつ船はー、
きょだーい軍艦おーわーりー!
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