閑話.お栄、恐ろしい子。
(永禄2年(1559年)9月某日)
那古野から土岐川(庄内川)を渡って清洲に入る。
広い街道の両脇に樹木が植えられて、その軒下で旅人が休憩する姿がちらほらとあった。
騎馬が先行し、その後ろに馬車が走る。
先触れが走っているので、荷馬車も街道の脇に止めて俺の馬車が通り過ぎるのを待っていた。
街道の外側には田畑が広がり、刈り終えた稲を『はぜかけ』にして天日干しにしている景色が目に入った。
完全に把握できていないが、かなり開拓と整地が進んできたと実感した。
「春日井の河川整備が終われば、やっと木曽川に掛かれるな」
「春日井郡は広うございます。それより明智・可児・土田の開拓が遅れ気味です」
「水問題だな」
「はい、その通りです。犬山から南部は河川整備できますが北東部は台地になっております」
「川上に水路は作れんな」
「稲や麦を栽培するには水量が足りません」
「無理をすれば、既存の村と争いになるか。やはり、尾張富士と本宮山の間を堰き止めて、巨大な溜め池を造るしかないか」
千代女が頷いた。
入鹿村を強制移住させて、巨大な溜め池を造る計画書を命じておく。
完成すれば、開拓地の水問題が解決する。
兄上(信長)に相談するか。
そんな事を考えている内に清洲城に近づいた。
清洲城も八割方完成に近づいた。
時間が掛かっているのは天守閣と本丸御殿だ。
どちらも熱田と津島の宮大工に依頼した一級品であり、管領が住むのに問題ない豪華な造りになっている。
時間も金も好きなだけ使っていいと言ったので中々に完成しない。
一方、お住まいの斯波屋敷が先に完成したので清洲城を出て移られた。
と言っても、
一年の半分以上は京の武衛屋敷で過ごすので空家同然となっていた。
今回、重要な話があると言うので尾張に戻って来ていた。
一門衆が集まり、その席に
三河の処置より、
「皆に話を聞いて貰いたい」
腰の柔らかい
しかし、兄の
その
その嫡男の
「来年、
愈々、来たか。
皆の顔が険しくなる。
だが、仕方ない。
そういう約束だった。
俺は
その烏帽子親が
そして、公方様から一字賜って『
その『婚礼の儀』を最後の花道とすると宣言された。
その後は
斯波家と織田家が良好な関係と内外に示す訳だ。
あっ、ちょっと待て!?
俺は皇女を娶る事で内大臣に昇進する。
しかし、公方様との席関係から従三位と止め置き、すべての儀式を終えてから従二位、正二位と翌年には職務に合わせて位も上がる。
公家として幕府の交渉はすべて俺に廻ってくる。
朝廷や幕府、そして、織田家に挟まれる。
幕府奉公衆の苦情は、すべて管領の斯波様に集まる。
逃げたな。
若い
うん、俺もその方が強気に出やすい。
それも考えての引退だろう。
因みに、婚姻と同時に姓もそれに合わせて改名しないかと言われていた。
一番の候補が
12代当主の
放置できないので、色々な名前が上がっている。
その中の一人が俺だ。
他には
何と言っても本人が出家して行空を名乗り隠居してしまった。
このままでは断絶してしまう。
もちろん、近衛家の養子になる案はずっと言われている。
否…………していた。
過去形だ。
先日、信光叔父上の手紙に千代女の処遇も決められていた。
千代女は
「申し訳ございません。その方が朝廷内で若様をお守りし易いと提案を頂き、受理しておりました」
「千代が決めた事に文句は言わない」
「皆様が終えられてから、改めて
だが、その話を知った信光叔父上が
千代と
もちろん、相手はお栄ではない。
織田家から嫁を貰う事も嫌がっている。
◇◇◇
あの話は『鳥人間コンテスト』の少し前の事になる。
しかし、
お市らも上洛していたが、
俺は『鳥人間コンテスト』の準備で忙しくしていた頃、お市らは
俺と慶次を連れたような接待だった。
そこで察したお栄が念の為に言葉を添えた。
「近衛家と織田家は、もう十分に結びついております。
「まだ、何も話しておらんぞ」
「
「ほほほ、なるほどのぉ。そこから察したか」
「はい」
「利口な子じゃ。益々、気に入った」
「では、わたくしにも
「麿は眼中にないか?」
「御正室を排除しては久我家と遺恨が残ります。織田家の益になりません」
「ほほほ、側室は嫌か」
お栄はにっこりと笑うだけで返事をしなかったらしい。
この話は、直ぐに朝廷中に伝わった。
兄上(信長)の元に歌会やお茶会という
そして、お栄が次々と振ってゆく。
「もう少し、教養をお付け下さい」
「学をひけらかすのはよろしいですが、家の台所も知らぬようでは論外でございます」
「官位に文句を付ける気はございませんが、もう少し人脈を大切になさいませ」
紹介された貴公子の駄目出しをする。
この才女を誰が射止めるのか?
そんな話題が上っていた。
当然、その噂は武家にも伝わる。
兄上(信長)を屋敷に誘って能会を催した。
「
「誠ですか?」
「中々に手強いと聞いておる」
「お任せ下さい」
お市達は
お市らは「それは凄いです」と同調して持ち上げた。
唯の社交辞令だ。
調子に乗った
「織田家も凄い。よくここまで伸びてきたと褒めてやる」
「ありがとうなのじゃ」
「高く評価して頂いている事を嬉しく思います」
「これからもよろしくお願いします」
「ははは、よろしくしてやるぞ。信長殿とは仲良くしたいと思っておる。しかし、もう一人の
ぴしぃ、その言葉を発した瞬間、お市らのガラスの心にヒビが入った事に
お市と里は貝のように口を閉じ、お栄は毒舌を吐き始めた。
「
「帝や公方様に気に入られた事で調子に乗って好き放題の事をしておる。あれでは周りの者が付いて来ぬ」
「それはわたくしも思います」
「そうか、そなたもそう思いか」
「愚かで古びた考えしかできぬ者には、理解などできるハズもございません。どうしようもないと思います」
「なっ、何を言っておる?」
事前に相手の事を調べておくのは当然だ。
同席する
お栄が次々と質問を始める。
心構え、兵の在り方、運用など、「それは尊氏公の時代を取り戻したような、素晴らしい考え方です」と微妙な絶賛をする。
お栄の皮肉は通じていなかった。
「まぁ、六角の石高もご存知ないのですか?」
「し、知らぬ訳がない。安易に話せる話ではない」
「同盟国とおっしゃっているのにお話できないのですか?」
「当然であろう」
「
「何を言っておるのだ?」
お栄は
すぐには答えない。
「
「そんな事はない」
「では、答えても差し支えないではございませんか。織田家と
「だがな」
「後藤様、この数字は間違っておりましたか?」
「大きくは間違っておらぬ。どうやって知った」
「町に出て商人らと話しました」
往きで寄った観音寺城で、お栄らはお忍びで城下町に出て遊んだそうだ。
その時、お栄が集めた情報だ。
だが、それは忍びがやっている諜報だった。
「その辺りで買える米の量から逆算すれば、その辺りの石高を推測するなど簡単な事です」
誰だ、お栄らに諜報のいろはを教えた奴は?
その話を聞いた時、俺は頭を抱えた。
当然だが、蟄居の身だった俺はその場に呼ばれていない。
だから、誰もお栄を止められなかった。
そこから
事前に相手の事を知るのは当然の事だ。
だが、会った席で暴露する事は滅多にない。
しかし、お栄は暴露した。
「数多の失敗を気になさる事はございません」
「失敗などしておらん」
「その通りです。
「儂を暴君だと。何を言っておる」
「わたくしが言った事に身に覚えがないと言われますが、やった事がないと言えますか?」
「…………」
「わたくしは気にしません。また、山で狼に出会って、その恐ろしさから失禁したなど聞いた事もございません」
「何故、知っておる」
「聞いておりませんから、知らない事になっております」
お栄が
はっとして
そして、きりっと怖い顔をして
その事実を知っている者を。
お栄は長々と
最後に
秘密を暴露されて居た堪れなくなった
俺を罵倒されたお栄の仕返しだった。
ホレた瞬間に奈落に落とされ、人間不審のトラウマにならないだろうか?
そして、戻ってきた兄上(信長)がお栄を叱った。
「
「しかし、やりようがあろう」
「何を言いますか。織田家と後藤家の仲を強調し、
「何の事だ」
「とにかく、信長兄上は此度の無礼を詫びる手紙を
「急ぐのか?」
「急いで下さい」
「わぁ、判った」
ちょっと待て。
お栄がにっこりと笑う。
「お察しの通りでございます。
「ワザとか?」
「当然でございます。兄上に仇なす者はこの栄が廃してゆきます」
そう言うと俺にふわりと抱き付いてきた。
その後の見合いなどでさり気なく、『しょうべん小僧』の話題を振る。
会話の誘導が巧い。
可哀想に
お栄はやる事が徹底していた。
俺の為に怒っているのだろう。
嬉しいが悲しい。
あの可愛かったお栄がちょっと怖い子になってしまった。
だぁ、どうしてこうなった?
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