第51話 馬鹿兄を叱りつける。

(永禄2年(1559年)8月某日)

坂井-孫八郎さかい-まごはちろうの乱心により、信光叔父上が刺されたと聞くと、俺はすぐに情報を再確認させた。


「慶次、天竜川の東地区に入れ!」

「承知」

「あれだけ脅したので動く事はないと思うが用心を怠るな」

「判っている」

「信広兄ぃ、第一次の招集を掛けて下さい」

「全軍でなくてよいのか?」

「機動力を優先です。東遠江、南伊那の様子を伺いつつ待機して下さい。黒鍬衆300人を残しておきます」


西遠江に入っている黒鍬隊は総勢500人もいる。

去年辺りから神学校の卒業生が一気に増えて、この西遠江にも50組が配置された。

その配下の雇っている人夫は戦闘員として、まだ使えない。

投石ができるくらいだ。

周辺の城か、砦に入れておく。

黒鍬衆は鉄砲、長鉄砲、火薬玉から最新兵器までのすべての武器が使える専門部隊エキスパートだ。

城で作業をしていた黒鍬衆の10組100人を連れて、信光叔父上のいる上ノ郷かみのごう城に向けて出立し、途中で残り10組100人と合流してから東三河に入った。


三郎左衛門さぶろうさえもん、すまないが全員を招集して、三河衆の動きを探ってくれ」

「すまないという言葉は必要ありません。当然の事です」

「そうか、頼む」


加藤かとう-三郎左衛門さぶろうさえもんらには、西国で何年も働いて貰ったので3ヶ月の休養を与えた。

もちろん、休養を与えても休むような連中ではない。

各自で訓練、新人の育成、または、更新された兵器の確認などに日々を費やすのだろうと思う。

それでも家に戻り、のんびりと暮らせる日々が少しはあると思いたい。

三郎左衛門さぶろうさえもんに与えた領地は沓掛の南から村木砦の手前までの大脇おおわきであり、今では連れて来られた忍びの里になっていた。

今回、新たに出雲の国から来た鉢屋衆にも2,000石相当の新田が与えられた。

三代目の鉢屋-弥之三郎はちや-やのさぶろうが目を丸くしたと千代女が笑みを浮かべて話してくれた。


「奴隷のように隷属されて移住を強制されたのです。到着すると青々と茂った新田が貰えたので驚いていたそうです」

「普通は貰えないからな」

「加藤が貰った大脇おおわきもそうですが、わたくしが頂いた傍示ほうじ諸輪もろわも土地が余っております」

「直営地でよいではないか?」

「人手がそちらに掛かって、若様の手伝いができないようでは本末転倒でございます」


引き抜いた忍び衆に土地ごと管理を押し付けた方が楽だそうだ。

今回の2,000石相当の水田は元の領地に換算すれば、500石から800石程度だ。

村2つ分に過ぎない。

でも、鉢屋衆の皆さん、どんな顔をしていたのか見てみたい気がした。


沓掛周辺は日照り用の溜め池を用意して川を改修してゆくと、湿田を埋めるだけで水田にできる土地が多かった。

忍びは高給取りなので各地で奴隷を買って来ては開拓させて土地を広げてゆく。

奴隷はそのまま村人になり、領主がいない直轄地が増えていった。

この沓掛から大高へ至る土地には甲賀衆や伊賀衆、帰蝶義姉上の村雲流大芋衆が移住して忍びの里が乱立し、知多半島の結界となっていた。


大脇おおわき沓掛くつがけ傍示ほうじ諸輪もろわ三郎左衛門さぶろうさえもんが呼び込んだ忍び達に与えられている。

鉢屋衆の隣は三河の服部衆の集落だ。


その忍びの長らは村人から庄屋様と呼ばれる。

また、下忍でも家に帰れば、妻がおり、子がおり、兄弟から従兄弟までが一つ屋根の下で暮らしていた。

俺の家臣なので下忍であっても、村人からすれば家主様・御主人だ。

帰蝶義姉上の村雲流大芋衆の棟梁の千早ちはやが頭を奮わせて大声で叫んだと聞いている。


「織田家は変でありやがります。頭がおかしくなりそうす」


千代女曰く、忍びの里は貧しく、食い扶持を求めて忍びの仕事を引き受ける。

民は常に飢えているのが常だそうだ。


そういう意味で、確かに尾張の忍びは変わっている。

忍びは百姓や下級の兵より豊かで高給取りだ。

自分で田畑を耕す必要もない。

今では一族や一家を守る為に戦っている。

価値観が相容れないというか、思考がついていけない者も多いらしい。


「皆、若様に感謝しております。その若様が号令を掛けたのです。否という者はございません」


東三河の吉田城に入る頃には情報が集まった。


 ◇◇◇


「坂井の者を一人として生かすな」


孫八郎まごはちろうの乱心を聞いた信勝兄ぃは榎前城の兵を連れて出陣した。

安祥城あんしょうじょうや岡崎城からも駆けつけて、上ノ郷かみのごう城に駆け付けた時には1,500人になっていた。

信光叔父上を見舞うと、そのまま坂井家の日下部くさかべ城を攻めた。

俺が吉田城に入った頃だ。

取り囲む兵の数は2,000人まで膨れ上がった。

城主が乱心して誅殺され、動揺している所を信勝兄ぃが襲ってきたから驚く他ない。


「信勝兄ぃの常備騎馬隊の機動力か」

「信勝様は決断が早く、武将としては無能ではございません」

「武将として…………な」


活躍したのは信勝兄ぃの側近衆となった浅井-長政あさい-ながまさ(14歳)が率いる浅井衆と、松平-元康まつだいら-もとやす(16歳)が率いる岡崎衆だ。

安祥城主の松平-忠吉まつだいら-ただよしらは降伏の使者を立てる事を信勝兄ぃに進言したが、血気盛んな長政ながまさ元康もとやすが城攻めを願った。


「戦う場所が欲しかったのでしょう」

「関東征伐の時は外されていたからな」

「野盗狩りや水争いの調停で出陣した事はございますが、二人とも戦ははじめてでございます」

「初陣か」

「野盗狩りを初陣に数えねば、そうなります」


数えたくないだろうな。

長政ながまさ元康もとやすは嘆願した。


「織田家に逆らった者に容赦すれば、次々と謀反を起こす者が現れます」

「その通りでございます。ここは武威を示し、一族郎党を皆殺しにするのが必定でございます」

元康もとやす様の言われる通りでございます。言い訳など聞かず、城攻めを行いましょう」

「先陣はこの元康もとやすに」

「いいえ、長政ながまさにお命じ下さい」


必死に訴える二人。

それが気に入った信勝兄ぃは城攻めを命じた。

初手から力攻めだ。


「その意気や良し、二人で見事に首を取って参れ」


長政ながまさ元康もとやすの二人が我先にと攻め掛かった。

城は一刻 (2時間)も持たない。


「戦う気のない兵を相手に何をやっているのだ?」

「他に武功を立てる所がございません。必死だったのでしょう」


降伏した者は殺さない。

略奪は不可。

逃げ出す者を追って首を刈ったそうだ。

見事に一族郎党が打ち首になった。

孫八郎まごはちろうの嫡男、および親族の首を仲良く二人で分けたそうだ。

日下部くさかべ城の管理を浅井衆、周辺の警戒を岡崎衆に任せて、信勝兄ぃが上ノ郷かみのごう城に戻ってきた。


「信勝兄上、お帰りなさいませ」

「遅い。遅すぎるぞ」

「信勝兄上が早過ぎただけです」


俺と信勝兄ぃが静かに火花ひばなを散らした。


 ◇◇◇


曲直瀬-道三まなせ-どうさんの見立てでは、信光叔父上の容態は何とも言えない。

流石、豪の者。

出血多量しゅっけつたりょうで死に至らなかったのが奇跡だそうだ。

俺に見せる為に持ってきた新医療具『点滴』がさっそく活躍した。

否、人体実験だそうだ。

血が減り過ぎていると思った道三どうさんの判断だ。

一先ず、呼吸が落ち着いたので峠は過ぎたが、助かるかどうかは何とも言えない。


「ははは、信勝様が来られて信光様を殺せば、私の首を刈ると言われた時はヒヤリとしました」

「迷惑を掛けます」

「気になさらず、魯坊丸ろぼうまる様から頂いた知恵がなければ、命を長らえさせる事もできませんでした」

「先生の腕がよいからです」

「まだまだ精進が足りません。これからもよろしくお願い致します」


解熱剤や破傷風などを防ぐ手立てがある。

6年前の平手-政秀ひらて-まさひでが助かったのは本当に奇跡だったが、今回は違う。

可能な限りの準備を進めてきた。

目を覚ませば、以前より助かる可能性が高くなっている。

やる事はやってきた。

信光叔父上、早く目を覚ましてくれ。

見舞いを終えると、皆を集めて今後の事を話し合った。

概ねは問題ない。


「では、三河の事は俺に任せて貰う」

「そうは参りません。この上ノ郷かみのごう城は次男の信昌のぶまさに任せております。信光叔父上より私(俺)はその後見を頼まれております。東三河に関しては口を挟ませて頂きます」

「不要だ」

「それを決めるのは私(俺)でございます」

「三河の事に口を挟むな」


俺は首を横に振った。

信勝兄ぃが周りを警戒しながら俺をぎらりと睨む。

この城の忍びは中立だ。

信光叔父上が独自の情報を仕入れる為に雇った者らだ。

俺が貸し出した者ではない。

だから、怯える必要なんてない。

そんな事を思いながら、俺はふてぶてしいくらいに余裕を持って笑みを零す。

京の怪物らに比べると可愛いモノだ。

だが、意地を張る信勝兄ぃは意見を下げるつもりはないらしい。


「仕方ありません」

「諦めてくれるか?」

「いいえ、織田一門衆の場で決めましょう」

「その必要はない」

「先程も言ったように、それを決めるのは私(俺)です。それとも恐れながらと斯波-統雅しば-むねまさ様に訴えて、信昌のぶまさを東三河分国守護代に任命させましょうか?」

魯坊丸ろぼうまる、図に乗るな」

「図に乗ってなどおりません。それよりもいい加減に身の程を弁えて下さい。俺は参議ですよ。公方様と同格です。信光叔父上が庇っていなければ、信勝兄上は一介の城主に落とされていたと心得て頂きたい」

「なっ、なんだと!?」


うん、嘘だ。

三河取りの過程で出て来る不満・不平を受ける器として信勝兄ぃは人身御供にされた。

そうだ。

どうしても起こる民の不満を受けて守護代を降ろされる。

その時期は信勝兄ぃの成長に寄る。

しずれにしろ、失敗したなら責任を取って隠居させられ、その子か、他の弟らの誰かを据え変えられる。

しかも嫁いできた嫁も次の当主に引き取らせる?

信光叔父上はかなり無茶な案を用意していた。

そうならないように努力もしていたが、おおむねそんな感じだ。


そこで誤算が起きた。

足りない予算を藤吉郎とうきちろうの鯨捕りで埋めてしまったのだ。

金山も良い意味で誤算だった。

ガラスも儲かるが、今の時点ではこづかい稼ぎにしかならない。

産業になるのはずっと先の話だった。

運がいいと思った。


信勝兄ぃは暗君として処分される未来が消えて、凡君として君臨できてしまった。

藤吉郎とうきちろう・犬千代様々だった。

それを自分から切り捨てたのだから馬鹿としか言い様がない。

せめて後5年くらいは搾り取って、矢作川の改修費用を回収してから切り捨てるべきだった。


「信勝…………兄ぃに、俺は信光叔父上ほど優しくありません。それは身を持って知っているハズです。俺の部下に殺され掛けた事を忘れておりませんね」

「知らん。忘れた」


信勝兄ぃが目を逸らして嘘を言った。

せめて俺の目を見て言えよ。


「信光叔父上が早く目を覚ますとよいですな」

「何がいいたい」

「身の程を知って貰う事になりますぞ」

「何をするつもりだ?」

「何も致しません。信勝兄ぃが余計な事をしない限りですが…………ふっ」


俺は立ち上がって部屋を出てゆく。

一先ず、浜松城に帰還する事にした。

頼むから大人しくしてくれ、俺の仕事を増やさないでくれ。

俺は信勝兄ぃの成長を願った。


「成長する。成長しない。成長する。成長しない…………」

「その花占いに意味があるのですか?」

「単なる気休めだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る