第50話 坂井孫八郎の錯乱。

(永禄2年(1559年)8月某日)

浜松は京都と鎌倉の中間にあり、南は遠州灘、北は高い山々が聳え立ち、夏は異常に蒸し暑く、冬は『遠州のからっ風』が吹き下ろして来て非常に寒い。

ホント、夏は暑い。

涼みの…………ではなく、早川はやかわなどを伴って竜ヶ岩洞りゅうがしどうの視察に出掛けた。

鍾乳洞はうっすらとして肌寒く、上着を一枚羽織る必要がある。

視察用の台を作らせて、そこで鍾乳洞の報告を聞きながら昼寝をして、ゴロゴロして過ごした。

浜松城には床下に川の水を引いて室温を下げる機能がない。

台地の上に城を造った為か、太陽が近づいて地獄のように暑い気がした。

千代女は気の所為だと言ったが我慢できない。

そこで思い付いたのが鍾乳洞だ。

将来的には鍾乳洞の近くの河辺に避暑地を作って、平常時はこちらで過ごせないかと模索している。

さらに冬の間に山から雪を輸送して洞窟の奥に氷室ひむろを作る計画も立てた。


折角、綺麗な砂浜があるので海水浴を広めてようと考えた。

焼きいか、焼きそば、水飴を置いた浜茶屋だ。

もちろん。水着も作らせた。

露出度の高いビキニを避けて、露出度の低いワンピースだ。

しかもひらひらのフリルをふんだんに使って可愛らしさを強調させる。

しかし、誰も着てくれない。

皆から酷く残念そうな顔をされた。

夏祭りや盆踊りには浴衣で積極的に協力してくれたのに女性陣から白い目で見られた。


「さくら、せめてお前らだけでも着ろ」

「嫌ですよ。裸と一緒です」

「若様、部屋ならよろしいですが浜辺はお許し下さい」

「でも、可愛い」

「紅葉、裏切るのか」

「風呂場なら着てもいいです」

「おぉ、湯着ならいいな」


水着ではなく、湯着になった。

解せん。


8月に入ると、少し気温が下がってきた。

浜松城の床でゴロゴロ…………ではなく、俺は報告書を持って足や手をばたばたさせてのたうち回った。

やっぱり、こうなった。

信光叔父上が土産を持って帰って来る。

今頃、清洲に入って兄上(信長)に土産を披露している頃だろう。


「信光様は普通の謀略家ですから」

「千代、俺が異常みたいに聞こえるじゃないか?」

「自覚がないのは幸せでございます」


溜息を付く千代女を見ながら自覚がない訳ではない。

常識が違うとは認識している。

婚姻に本人の同意を確認するのは珍しい事であり、お栄の相手はお栄に決めさせると言い切って、武家や公家様のご子息とのお見合いの場を設けた。

だが、お栄の眼鏡に叶った子息はいない。


「兄上(魯坊丸)と同じくらいの教養のある方でないと嫌です」


お栄の言い分はこうだった。

義理の祖父になった近衛-稙家このえ-たねいえが頭を抱える。

六角-義治ろっかく-よしはるも一目で振られた。

知性を感じないそうだ。


一方、久我-通興こが-みちおきは無事に目出度く里の婚約者となった。

年に一度は尾張に里帰りするのが里の条件だ。

毎年、尾張に下向する理由が出来て向こうも大喜びだった。

護衛には義兄上の中根-忠貞なかね-たださだが付き、毎年のように帰郷できるようになる。

実に兄孝行な妹だ。


「兄上(信長)は基本的に俺の考えに同意してくれている」

「信長様も変わった方ですから」

「いつ敵に寝返るか判らぬ他家に嫁に出したくないだけだ」

「お優しい事でございます」


本人の同意なしに嫁がせたくない俺と他家に出したくない兄上(信長)では姫の婚姻の話が進まない。

俺は妹らの嫁ぎ先を他家の調略具合を見ながら兄上(信長)と念入りに相談していた。

この件では兄上(信長)とは息があった。

俺は溜息を付く。


「信光叔父上を京に上げれば、こうなると思った」

「若様の予想通りでございました」

「俺の代わりに京に上がると決まった時点で根回しを始めたのだろうな」

「はい、その通りでございます。それ以前からもそれぞれの家の事情も確認されておりました」


信光叔父上は俺を押しのけて強引に婚姻を進めるような真似はしない。

奇妙丸と北条家の娘の婚約も事前に相談を受けた。

また、北畠家の乗っ取りには念入りに準備を進めている。


「嫡男が順調に育った所で、御当主様がお亡くなりなるのはよくある事です」

「俺も商家ではよくやる手だから人の事は言えないが、信光叔父上はよく考えておられる」

「商人の方は若様が抑えられておるので家老家の乗っ取りが終われば、北畠家の本家を落とすのも簡単でございますが、今回は鬼手を使ってきました」


俺が反対しないのをいい事に外堀を埋められてしまった

北畠家はどちらかと言えば公家だ。

伊勢守護ではなく、伊勢国司を継承している。

そこで次期嫡男の北畠-具房きたばたけ-ともふさを俺の猶子にするという鬼手を考えた。

皇女を娶る俺は間違いなく、右大臣か、左大臣まで昇進する。

その時点で猶子なら名誉な話だ。

俺を義理の父にして、正室を織田家から送る。

すでに北畠家の了承を取っていた。

後は俺が首を縦に振るかどうかという所まで話を進めていた。


「公家様には、家臣の娘を若様の養女として嫁がせ、武家には、信長様の養女としてから嫁がせるつもりでございます」

万里小路までのこうじ-輔房すけふさに、六角-義治ろっかく-よしはる三好-長慶みよし-ながよしの嫡男、京極-高吉きょうごく-たかよし大舘-晴光おおだち はるみつの嫡男、六角の家老、山名の家老か」


確かに嫁いで行った姉らの産んだ子も織田家の血が流れている。

その姪を養女とすれば、体裁は整う上に正室に拘る必要もなくなる。

駒が増える。


「その中に信光様の娘も含まれております」

「信光叔父上の幼い娘を斯波-統雅しば-むねまさ様の養女にして、毛利-隆元もうり-たかもとの嫡男である幸鶴丸の婚約者にさせる」

「その婚約と同時に毛利-元就もうり-もとなりの娘を信光様のご子息である信成のぶなりの正室に貰う事になっております」

「聡いな。そこに信光叔父上の未亡人になった上の娘を兄上(信長)の養女として、守護になった大内氏第14代当主の大内-輝弘おおうち-てるひろの側室に入れるのか。見事なタスキ・・・掛けだな」

「毛利家の本家は安芸・周防、分家の吉川家は石見、同じく分家の小早川家が長門を治める事になりました。備後半国を失いましたが四ヶ国守護代です。取り込んでおきたいと考えられたのでしょう」


尼子から貰うハズだった賠償金に金利が付き、余りの高額になって誰もこの三ヶ国を引き受けてくれない。

結局、毛利自身が払う事になった。

備後を取られて大損だろう。

前回の尼子出兵における追加分の賠償金30万貫文を尼子家に払わせた。

その全額を俺に返しても、まだ借財が残っている。

石見銀山は朝廷に献上するので領国の立て直しと、借金の返済で毛利家は大変な事になっていた。

潰れないように支援はするつもりだ。


最大の懸案であった『お市・・』の嫁ぎ先だが、公方様の側室と決まった。

じゃじゃ馬過ぎて他に貰い手がない。

そんなお市を喜んで引き受けてくれるのが公方様だ。

これでお市の侍女として飛鳥井家と近衛家の者を送る事もできる。

お市の性格だ。

近衛家から嫁いだ正室と仲良くできるだろう。

もう一人の側室である進士晴舎の娘である小侍従こじじゅうに対抗する為にも、この輿入れが必要と考えた訳だ。

いずれにしろ、信光叔父上と近衛-稙家このえ-たねいえがタッグを組めば、こうなるのは見えていた。


 ◇◇◇


清洲城に入った信光叔父上は兄上(信長)の説得を終えると、三河の榎前城に入って信勝兄ぃを叱った。


「この愚か者。三河を支える家臣を放出するとは何たる失態か」

「しかし、叔父上」

「黙れ! 三河の事を一番に考えられん奴に守護代が務まるか」

「しかし、自らが作った法を破るのは…………」

「それが愚かだと言うのだ。何故、根回しで形を整えん。その為の家老であり、役所であろう。巧く使ってみせよ」


藤吉郎とうきちろうの謹慎明けに、犬千代をどうやって呼び戻すかが宿題として出された。

稼ぎ頭の二人を排除する事はならんと釘を刺されたようだ。

信勝兄ぃも信光叔父上には頭が上がらない。

そして、居城の上ノ郷かみのごう城に戻ると家老衆を集めた。


坂井-孫八郎さかい-まごはちろう、いったいどういうつもりだ。三河織田家を潰したいか」

「某は法に則って、恙なく進めただけでございます」

「焚きつけたのはお主の家臣であろう。監督不行かんとくふゆとどきである。何故、自らの家臣を罰しなかった」

「我が家臣に罪はございません。あのような平民の出など」

「愚か者め」


孫八郎まごはちろうを足で付き飛ばして上から睨み付けた。

そんな事も判らぬのか。

信光叔父上の目がそう言わんばかりに睨み付ける。

孫八郎まごはちろうはその場に失禁でもしそうなくらいに怯えた。


「儂をこれ以上失望させるな」


そう言い切ると振り返って、他の家老らに言い聞かせる。

経済と軍事は荷車の両輪であり、どちらが欠けても前に進めない。

その事を得々と説教する。

起き上がった孫八郎まごはちろうが体をぶるぶると震わせた。

棄てられると思ったのだろうか?

その場にあった脇差を抜いて立ち上がり様に信光叔父上の背中から腹を突き刺した。


「あはははは、奪わせぬ。俺は織田家の為に尽くしたのだ。すべてを捨てて尽くしたのだ。奪わせぬ」

「ち、血迷ったか?」

坂井-孫八郎さかい-まごはちろう殿、乱心」


孫八郎まごはちろうに謀反をする度胸があるなどと誰も思わない。

その為に虚を突かれた。

誰も抵抗するなどとも思っていなかった。

信光叔父上に止めを刺そうとしたが、飛び出した佐々-孫介さっさ-まごすけがすれ違い様に切り捨てた。

止めを刺されたのでは護衛の面目が立たない。


「信光叔父上は無事か?」


突然にやって来た使者に向かって俺は叫んだ。

偶然に同行していた曲直瀬-道三まなせ-どうさんが城内におり、すぐに外科手術を施して一命を得たらしい。

だが、目を覚ますかどうかは曲直瀬-道三まなせ-どうさんも判らぬという。

信光叔父上、死んではならぬ。

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