第49話 笄事件。

(永禄2年(1559年)6月某日)

俺は浜松城に入ると宣言式を催した。

西遠江の領主、豪族の長、村長などは当然、三河や信濃の伊那の領主、東遠江・駿河の武田家臣にも招待状を送る。

浜松城のお披露目を兼ねた。

武田-義信たけだ-よしのぶ真田-幸隆さなだ-ゆきたか穴山-信君あなやま-のぶただの二人と名代として送って来てくれた。

折角なので、浜松城の防御力を紹介しておく。


「城の手前で、空砲を撃って出迎えてやれ」

「承知しました」


ド~ン、大砲の音が響いた。

各櫓に設置した大砲の音だ。

表門は出城と三ノ丸に挟まれた大手門である。

真っ直ぐな長い階段が特徴だ。

この階段を上ろうとすると、三ノ丸、二ノ丸、出城の三方から鉄砲の集中砲火を浴びる。

名代の武田家が階段を昇る。

そこで鉄砲用の穴から鉄砲が顔を出して空砲を放った。

武田の兵が狼狽する。


「ただの空砲でございます」

「これでは歓迎されているのか、威嚇されているのか判らん」

「こちらの手の内を見せているのでございます。歓迎以外の他に何がありますか」


鉄砲が続けて連射して終わった。

大手門をくぐると、一度北の三ノ丸の回廊を進み、コの字に曲がって二ノ丸門を通る。

ここからは空砲も撃たない。

鉄砲の顔だけ出させた。

二ノ丸の回廊は片方が一ノ丸の堀になっており、一ノ丸から鉄砲の集中砲火を浴びながら通る事になる。

一ノ丸の壁から5層になった鉄砲の穴から鉄砲が一斉に首を出した。

通路は広い。

一度に多くの兵が通る事ができるが、逆に言うと斜め上から銃弾の雨を降らせて大量虐殺ができる。

その回廊を抜けると、やっと本丸門に辿り着く。

南には三ノ丸と向こうの台地を結ぶ吊り橋があるが、攻めてくれば、吊り橋を上げる。

中々に難しい。

だから、正規の攻略を諦めて西側から本丸を直接攻める手もある。

本丸は盛り土で他より高く石垣を積み上げている。

水堀は深く、石垣の上にゆくほど勾配がキツくなるので長梯子を掛けるのも難しい。


「穴山様、ここを落とす自信がございますか?」

「ある訳がなかろう」

「某もです」


客人らに『難攻不落』の文字が脳裏に浮かべば成功だ。

俺的には籠城を選んでいる時点で負けだと思う。


 ◇◇◇


祝いに来てくれた客人には最高の料理で持て成す。

丁度、木之下きのした-藤吉郎とうきちろうが鯨を仕留めたと聞いたので、さっそく仕入れに行かせた。

去年は三頭も仕留め、今年も三頭目である。

船の借金は完済し、さらに追加で二隻を注文した。

鯨狩りの名手と言えば、犬千代こと前田-利家まえだ-としいえの名が響き渡った。

因みに、西遠江の漁師はこの二年間で一頭しか鯨を狩っていない。

こちらは相模との交易が中心だから仕方ないが、そんなホイホイと取れる装備を用意したつもりはない。

鯨に一騎打ちを挑んで正面から突っ込む。

鯨にちょっとでも触れれば、小型の船は簡単に転覆する。

それを承知でぎりぎり・・・・まで近づいて最初のもりを鯨の脳天に決める度胸は常軌を逸していると思えた。


「都では鯨肉の値段が少し下がったようです」

「そりゃ、定期的に入ってくれば値も下がるさ。だが、まだ高値である事に違いはない」

「信光様は金山から入ってくる副収入に手を付けずに、三河領内の工事が進められている事に大層満足されております」

「那古野のように人夫を呼び込み、その人夫が物を買えば、商人も寄ってくる。人が群れれば町が生まれ、町が発展すれば税収も上がる」

「尾張に負けない好景気になっております」


西遠江も浜松城、そして、天竜川の河川工事で好景気を維持している。

尾張・三河・西遠江が好景気ならば、東美濃、南伊那も木材など提供して収入を得る事ができる。

さらに消費が増えれば、火山灰の購入で筑摩つかま木曽きそ家、飛騨ひだ姉小路あねこうじ家も潤ってくる。

疲弊ひへいしている武田家の信濃や甲斐の領民はどう思っているだろうか?

奪いたいと心を1つにしているのか、あるいは、武田家に憎悪しているのか。


長尾-景虎ながお-かげとら様はわざとお目溢しにして、荒稼ぎさせているようですがよろしいのでしょうか?」

景虎かげとらは商売上手だな」

「苦情を申しておきますか?」

「すて置け。信濃から甲斐に運ぶ費用を考えれば、安い買い物はできない」


景虎かげとらは関税10割の建前の儘、実質は6割くらいで物資を売り買いしていた。

輸送費を考えると得とは言えない。

信玄は一度崩壊した駿河の産業を立て直しをしているが、織田家や北条家では良質な商品が溢れているので買ってくれない。

粗悪品でも買ってくれる日本海側の領主様だ。

今ではお得意様になっていた。

だが、輸送費を考えると余り儲からない。

仮に輸送費を上乗せすると、越前の朝倉家か、武蔵の北条家を経由して良質な商品を買われて売れなくなる。

結局、原材料を織田家や北条家に買い叩かれるか、完成品を長尾家に安く売るしかない。

利ザヤが少なく、武田家の疲弊は続く事になる。

真綿で首を絞めるとは、この事だ。

武田家の生命線は金山だ。

絞め過ぎずに丁度よかった。

俺が東にばかり気を取られていると、西の方から事件が起こった。


 ◇◇◇


(永禄2年(1559年)7月)

木之下きのした-藤吉郎とうきちろうは鯨の売却が終わると、上納金を納めに信勝兄ぃの榎前城に登城した。

登城する日は訓練場を借りて、串に鯨肉と野菜を交互に刺して炭火で焼く野外食事バーベーキューを開催する。

榎前城で働く者はこれが1つの楽しみとなっていた。

肉が普通に食べられるようになったと言っても、高級な鯨肉をこころゆくまで楽しめるのはこのときばかりだ。

下級の武士や下働きをする者にとって、これほど嬉しい日はない。

人たらしの藤吉郎とうきちろうらしい催しであった。


「前田様は天下一でございます」

「某は大した事はしておりません。殿に言われる儘に働いているに過ぎません」

「謙遜する必要はありません。前田様が居なければ、鯨を取る事などできなかったと、木ノ下様が申しております」

「殿は謙虚なだけでございます」


毎回、催しの責任者として犬千代も頑張っていた。

おだてられた犬千代は気分よく持って来た食材を放出してくれる。

日本一、槍の名手、天下無双などと榎前城の者らは犬千代を煽てた。

気分よく振る舞った。

藤吉郎とうきちろうからすれば、それも計算の内だ。

そして、犬千代と言えば愛妻家だ。


「可愛らしい妻がおられるとか」

「松は日本一の妻だ」

「一度、お目に掛かりたいモノです」

「そうであろう。今日も俺の事を心配して、父の形見である『こうがい』を貸してくれたのだ」

「見せて頂いてもよろしいでしょうか」


犬千代は気分よく、『佩刀はいとうこうがい』を手渡した。

皆が素晴らしいと言ってくれると、「そうであろう。そうであろう」と鼻高々に喜ぶのである。


「ちょっと儂にも見せてみよ」


割り込んでこうがいを取り上げたのは、信勝兄ぃの同朋衆どうぼうしゅうの茶坊主だった拾阿弥じゅうあみと報告にあった。

そして、拾阿弥じゅうあみの周りには坂井-孫八郎さかい-まごはちろうの家臣らの姿があった。

こうがいを見た拾阿弥じゅうあみが言う。


「これのどこが素晴らしいのだ」

拾阿弥じゅうあみ様にとっては取るに足らぬ物かもしれませんが、それは我が妻より預かった大切な父上の形見でございます。どうかお返し下さい」

「天下一の武将がこのような粗末な物を使っては廃りますぞ」

「某には、それで十分でございます」


拾阿弥じゅうあみこうがいから手を放すと、ぽたりと落ちる。

それを拾おうとした犬千代の前で拾阿弥じゅうあみの草鞋で踏みつけた。

かっ、犬千代が顔を上げて睨み付ける。


「何ですか?」


ほほほ、拾阿弥じゅうあみが見下したように扇子で口元を隠した。

周りの者が冷や汗を流す。

拾阿弥じゅうあみと言えば、信勝兄ぃが気に入っている茶坊主の一人だ。

後ろに連れ添っている者らもにやにやと笑っていた。

藤吉郎とうきちろうは三河の家老衆に面識があると言っても、所詮は平民出の城主に過ぎない。

家老の牧野の家臣として評定に出る事が許された番衆の侍でしかない。

その藤吉郎とうきちろうの家臣でしかない犬千代は下の下の下になる。

信勝兄ぃと直接に話し、交渉の場で助言をする事がある同朋衆どうぼうしゅうとは格が違った。

犬千代の脳裏に「問題を起こすな」という藤吉郎とうきちろうの声が聞こえた気がしたと言う。

傘張りで鍛えた『土下座』で頭を地面に付けて犬千代は懇願した。


「どうか、お願い致します。それは妻の大切な父君の形見でございます。お返し下さいませ」


これで満足して足を放せば、事なきを得ただろう。

だが、拾阿弥じゅうあみは図に乗った。


「ほほほ、年端もいかぬ者を妻と呼ぶか。面白そうだ。その妻とやらを差し出せ」

「できませぬ」

「ならば、犬と呼ばれているのであろう。三べん回ってワンと吠えよ」


言われる儘に『ワン』と吠えた。

気分をよくした拾阿弥じゅうあみは満足したのか、「返す」と言った。


「折れたこうがいで十分であろう」


足を軽く上げ、力の限り踏み付けようとした瞬間、右下の腹から胸にかけて鮮血が走った。

瞬間的に刀を抜いていたらしい。

犬千代も自分で刀を抜いた自覚もなかった。


「あの馬鹿で単純な犬千代を挑発するなど、命知らずにも程があるぞ」

「頭に血が昇ると何をされるか判らない方ですからね」

「で、どうなった」


拾阿弥じゅうあみは即死だった。

信勝兄ぃは犬千代に切腹を言い渡したらしいが藤吉郎とうきちろうが食い下がった。

また、相談役の正辰まさたつもこれまでの貢献を述べて擁護する。

家老衆が集められて犬千代の処罰を話し合った。

信勝兄ぃを支持して坂井-孫八郎さかい-まごはちろうは切腹を主張したが、拾阿弥じゅうあみの横暴な振る舞いに腹を据えかねていた者も多く、擁護する声が上がった。


「結局、どうなった?」

「犬千代は他家に仕官しない事を条件に織田家から追放となりました。藤吉郎とうきちろうも主君に逆らった罪で6ヶ月間の謹慎とされました」

「信勝兄ぃは阿呆か」

「余り優れているとは申せません」


城内で抜刀した犬千代の罪は判る。

罰しない訳にはいかない。

だが、切腹にしろ、放出にしろ、犬千代を手放せば三河の財政が弱体化するぞ。

むしろ、鯨10頭を上納せよとか言っている方が経済的だろう。

そう言っておけば、さらに死ぬ気で捕ってくる。


「それで犬千代はどうした?」

正辰まさたつの意見でお市様の護衛に回したそうです」


用心棒か。

なるほど、確かに他家に仕官した訳ではないな。

犬千代も喜ぶだろう。


お市はまだ大崎家が揉めているので兄上(信長)から陸奥領内入りを禁じられ、塚原-卜伝つかはら-ぼくでんの常陸国鹿島の塚原城で刀の修行と蹴鞠の伝授を行っていた。

肝心の卜伝ぼくでんが武者修行の旅に出ており、それがお市の不満らしく、クドクドと文句を綴った手紙を送って来ていた。


「お市様の武勇伝の報告書も送られておりますが読まれますか?」

「今度にしておく」

「それがよろしいと思われます」


しばらくして、犬千代の妻を残したのは懐妊していた為だと伝わってきた。

やる事をやってから旅立ったようだった。


「あれぇ、犬千代の妻は何歳だった?」

「聞かない方がよろしいと思います」

「…………そうか」

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