第46話 おうちに帰りたい。

(永禄2年(1559年)2月某日)

何も言わずに尾張に帰りたいと何度も思ったか。

戦がなくなれば、少しは楽になる。

そんな夢を見た事もありました。


魯坊丸ろぼうまる~!?」


取次役の九郎兄ぃが毎日のように駆けて来る。

俺は〇〇えもんじゃない。

俺と一緒に〇〇邸に訪ねて欲しい?

お茶会に参加して欲しい?

歌読みの歌を考えて欲しい?

こちらの商談をどうしましょうか?

何の為の京の取次役だ。

野口-政利のぐち-まさとし(平手政秀の弟)も織田-重政おだ-しげまさも仕事しろよ。


「申し訳ございません。しかしながら、面従腹背めんじゅうふくはいの者が多くなり、誰が味方で、誰が敵か、まったく判らなくなっております」

「しかも朝廷と幕府から京の治安を任されておりますので、何かあると織田家で処理して欲しいと頼まれます」

「その調整に苦労しているのは承知している」

「ご理解感謝致します」

「ご協力感謝致します」


野口-政利のぐち-まさとし織田-重政おだ-しげまさが同時に頭を下げた。

ご理解もしていないし、協力するとも言っていない。

自分らが言って来ても俺が首を縦に振らないと判っているので、九郎兄ぃを使って俺の参加を求めてくる。

武家、公家、商人、僧侶など多岐に渡る者が問題を持ってくる。

それを相談する為のお茶会であり、歌会であり、動いて貰う方への顔繋ぎでもある。

俺がいるかいないかで成功率が変わってくる。


たとえば、俺と碁を一局打てば、その話を受けてもいいとか。

商家など娘を紹介したいという腹黒い思いで、俺の参加を求めてとか。

俺が参加するならば、茶会に出てもいいという条件を付ける奴とか。

お前らで何とかしろ!


九郎兄ぃは土下座をして頼むのが巧くなった。

毎日のように『一生の頼み』を連発する。

将曹しょうそう忠貞たださだ義兄上に迷惑が掛かるとなると無視もできない。

代理に慶次などを立てて躱しているが、三度に一度くらいは聞く事になる。


魯坊丸ろぼうまる様~!?」


だから、俺は一休さんじゃない。

毎日のように訪ねてくるのが新右衛門さんだ。

こちらは幕府政所の伊勢-貞孝いせ-さだたかの案件で公方様絡みだ。

新右衛門さんこと、幕府政所代の蜷川-親世にながわ-ちかよが幕府に困った事があると、すぐに相談に来る。

もう考えるのを放棄していないか?

幕府の御相談役と呼ばれる新右衛門さんだが、俺は公方様の取次役じゃない。

女房を介さず、公方様に相談できる唯一の方法とか思われていないか?

それから俺は公方様の愛人・・じゃない。

勘違いするな。

織田邸の御泊りは慶次らと朝まで呑み明かしているだけだ。


「帰れ、帰れ、そんな話を聞けるか」

「そう言わずに、世継ぎをつくって頂くのは大切な役儀の1つでございます」

「公方様の世継ぎなど俺は知らん」

「織田家から姫を贈られるのでしょうか?」

「そんな予定はない」

「それでございましたらご推薦をお願い致します」

「俺はそんな取次ぎをするつもりはない。帰れ」

「また、来させて頂きます」


進士-晴舎しんじ-はるいえの娘の小侍従こじじゅうが子を産んだ。

近衛-稙家このえ-たねいえの娘である正室が男子を出産すれば問題ないが、その子が男子だったら嫡男の誕生であり、進士-晴舎しんじ-はるいえの権勢がさらに高まる。

幕府内で勢力争いが激化していた。

大舘-晴光おおだち-はるみつ武田-信豊たけだ-のぶとよの孫を側室に上げようと画策していた。

奉行衆も黙っておられないので、織田家から姫を、あるいは、織田家の推薦で伊勢家の関連の姫を側室に上げたいと考えていた。


伊勢-貞孝いせ-さだたかを中心とする奉行衆が織田家の後ろ盾を持つ正室派。

進士-晴舎しんじ-はるいえを中心とする奉公衆の一部と奉行衆の一部が小侍従こじじゅう派。

武田-信豊たけだ-のぶとよを中心とする最大勢力の奉公衆の集まりが義輝派。

その他の小派閥に分かれている。


織田家が公方様の奥に介入した記憶はないが、近衛家がいるので同列にされていた。

だから、新右衛門さんが俺を頼ってくる。

実に迷惑だ。

因みに三好-長慶みよし-ながよしの三好勢は義輝派に所属する。

信豊のぶとよの信用を買って、少しずつ発言権を取り戻そうとしていた。

心無い者は『武田の腰巾着』と揶揄する。

その為か、阿波・讃岐の三好勢は長慶ながよしの恭順に反発しており、かなりの不満を貯めていた。


魯坊丸ろぼうまる様~!?」


だから、俺は〇〇えもんじゃない。

土御門つちみかど家29代当主の有春ありはるである。

有春ありはるは従三位の陰陽頭で非参議だ。

一様、改暦で俺の部下という事になっている。


勘解由小路かでのこうじ-在富あきとみ殿がお倒れになりました。麿達ではどうにもできません」


在富あきとみの年は69歳だ。

そりゃ、無理をすれば倒れるわ。

天文所を各地に配置して天体観測を始めると、その資料が京に集まる。

俺は地方の情勢を担当し、改暦に必要な観測記録の精査を在富あきとみに任せた。

宣明暦せんみょうれきの計算は、太陽年の長さ3,068,055/8,400日(=365.2446…………日) を24等分して、次々に加えていくことで求められる。

説明が難しい。

俺も理屈で判っているだけで、内情がさっぱり判らん。

とにかく、計算式に入れてゆくと、冬至、小寒、大寒等々が導き出され、日食や月食の運行も出て来る。

問題は基本となる数字が狂い始めている事だ。

つまり、この数字『3,068,055』が正しいかを逆算して、精査していく事からはじまる。

因みに、宣明暦せんみょうれきは唐の首都である長安を基準に作られているので、京の都とは緯度の差が出る。

それが外れる原因だ。

つまり、太陽を回る地球の軌道と月の軌道と地球の自転速度の違いを理解すれば、改変が可能になる。

その辺りを説明レクチャーして、勘解由小路かでのこうじ-在富あきとみに丸投げした。

その在富あきとみが倒れた。

だから、後輩を育てて指示するだけにしろと、あれほど言ったのに育たない人材に痺れを切らして自分で始めたらしい。

無茶するよ。

と言う訳で、俺の仕事に後輩の育成が加わった。

和算は馴染まないので、数学から教え直す。

やってられるか!

陰陽師って、馬鹿ばっかだ。


河原の寺子屋から優秀そうな子供を見繕って貰って養子縁組を強引に進めた。

在富あきとみさじを投げたのが判ったよ。

諦めた。

改暦は10年後だ。

この子らが立派な陰陽師に育ってからだ。

おまえら、俺の事は軍曹と呼べ。


こんな面倒な事を引き受けながら、公家としての公務を続ける。

各地から集められた情報を元に商品を動かして儲けながら、朝廷や幕府に情報を流して改善を進める。

朝廷も幕府も権力争いしている場合じゃないだろう。

問題が山積みだよ。

そう言えば、阿蘇山が噴火して周辺に被害を出したようだ。

陸奥東部、つまり、大崎領の周辺は紛争が続き、今年も飢饉になるのが判ってきた。

三河の竹千代君が元服して、何故か『元康』と名乗った。

義元への忠義か?

穴山-信友あなやま-のぶともが隠居して、信君のぶただが家督を相続した。

武田家と言えば、朝廷への献金が一番多かったのが武田家だ。

経済的に困窮しているのに大量の金を献上した。

織田家は朝廷の仕事を請け負っており、鋳造や座(銀・油・衣・玩具など)の税の上納金は他の追随を許していないが、献金という一点を見れば、大友、六角、北条、長尾、一条、伊達の次になる。

三好や朝倉は出費が多く、多額の献金を出せる状態ではなかった。

その中で群を抜いて多かったのが武田家だ。

大喪の礼たいそうのれい』、『即位の礼』、『改元の儀』に多額の献金を行い、嫡男の義信よしのぶが名代としてすべてに出席した。

その褒美として義信よしのぶには信濃守護に補任され、加えて『准三管領』が与えられた。

幕府内では甲斐武田家の評判が鰻上りだ。

関税を下げるように要望が出ている。

お忘れかもしれないが、東遠江と駿河の返還が先でしょう。


新嘗祭にいなめのまつりを滞りなく終わらせ、正月参賀を無事に済ませた。

その頃には俺がもう燃え尽きた。

俺の憔悴しょうすいぶりを心配して、帝から帰国に許しが出るくらいだ。

だが、休む暇はない。

生野銀山の確認の為に堺に入った。

西国への指示も出す。

平凡な指示に堺衆も胸を撫で下ろす。

最近はずっとこんな感じだ。


「今、思った。魯坊丸ろぼうまるはゴロゴロさせないと精彩が欠けるのだな」

「今更、何を言っているのですか?」

「改めて確認した」

「若様はゴロゴロする為に頑張られているのです。それを取り上げれば、精彩も欠けるのも当然でしょう。慶次は酒を取り上げられて、仕事をする気が起こりますか?」

「そりゃ、無理だ」

「最近は熱を出して倒れなくなっただけで、皆様は若様を何歳だと思っているのですか」


凄く同情されているのがよく判った。

元服前の満13歳です。

元服と言えば、

今年の内に元服させて氷高皇女ひだかのひめみことの婚儀も考えられていましたが、俺の状態を見て来年に延期された。

なし崩しに終わっていた蟄居も正式に取り消されて、晴れて尾張への帰還となります。

堺の湊を三日後に出航し、伊勢を経由して帆船で熱田に戻った。

海上から熱田湊を見ただけで涙が出てくる。

帰ってきた。

遠くに斜めから夕日が掛かる中根南城が見えた。

あちらこちらから夕餉の煙が立ち上っていた。

今日の晩ごはんには間に合いそうだ。

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