閑話.厠落とし。
浅井討伐の『鞍掛山の戦い』の後に上洛する幕府軍に
幕府に敵対するのも恐ろしいが、
そう考えると上々の結果であった。
幕府から代官が送られて来て村々を回って台帳を作り直し、田畑を検分して税を改めた。
村の規模で課役が決められ、代官に命じられる儘に様々な事業を領主(城主)に命じた。
田畑を交換させ、訳の判らないモノを造らされ、何の作物を作るかまで口を出してきた。
場合によっては村の移転も命じた。
「おらはもう我慢できねえ」
いくつかの村の不満が爆発すると代官は慌てて逃げ出した。
代官を臆病と罵ったと聞いたが、阿呆の塊だ。
代官を追い出し、領主は村人の意見を聞いて幕府に陳情書を
城も村も燃やして、領主と首謀者の首を刎ねた。
この手の反抗した馬鹿な村が十数件はあった。
水争いなど年中行事だ。
責任を明らかにして、首謀者の首を刎ねる公方様は鬼であった。
村の責任、守護代の責任を問われないだけマシと思うしかなかった。
代官に逆らうと、恐ろしい鬼を呼び込む。
領民はそれを心に刻んだ。
下手に騒ぐと首が飛ぶ事を知った村の長らは何事も代官に相談し、代官が聞き入れてくれない場合は領主、そして、領主は守護代に話を上げてくる。
だが、
完全な越権行為だが、幕府管領に逆らう訳にも行かない。
とにかく、河内に派遣されている代官らを集めては宴を開いて、
それが功を奏したのは去年の事であった。
「播磨で暴れる無法者を排除せよ」
河内を襲った疫病で領民がコロリコロリと死んで行き、幕府から命じられたように対処する事で被害の勢いを消す事ができた。
先が見えてきた所で播磨への出陣を命じられたのだ。
冗談ではない。
そう
兵3,000人は大きな負担ではないが疫病の対策にも人手がいる上、その出費も馬鹿にならない。
だが、やるしかない。
播磨も疫病で苦しめられており、そこに摂津や河内から逃げてきた流民が野盗となって暴れていた。
「野盗となった者は根こそぎ刈り取れ!」
総指揮を取った
殺して、殺して、すべてを火葬にする。
流石、
使者が
戦上手と評価されており、公方様の信頼も厚い。
「流石、
「
公方様は関東に出陣しており、幕府は兵力の温存を考えたようだ。
山城、若狭・近江から兵を出さず、兵を丹波、摂津、河内、淡路、阿波、和泉、大和、伊勢から1万人をかき集めた。
これを播磨、但馬に分割した。
だが、野盗は四散して戦線も拡大して備前、美作、因幡へと広がった。
さらに集めた兵で1万5,000人に達した。
「殿、朗報でございます」
「何があった」
「幕府より兵が領内に差し向けられ、刈り入れが終わらぬ田畑の手伝いをしてくれているそうです。また、村々に大浴場という風呂を設営し、衣服などの支給をしてくれております。また、家屋の修繕や新築にも手を貸して頂け、何とか冬が越せる目途が立ったそうです」
「そうか、それはよかった」
しかし、領民は減ってしまった。
死んだ者、逃げた者、病から癒えてもまだ起き上がれぬ者など多数を抱えた。
そこから元気な者を兵として徴集する。
村は機能不全に
助かった。
ともかく急を凌ぐ事ができたのだ。
幕府から派遣された兵は村を立て直すと冬場は河川の改修を手伝い、春になると埋め立て地の開拓地を手伝ってくれる。
河内は何とか回るようになっていった。
一方、播磨、但馬、備前、美作、因幡も落ち着き、派遣されている兵も8,000人まで減った。
正確に言うならば、
そして、
疫病が蔓延する間、播磨、但馬、備前、美作、因幡の領主らは幕府から派遣された代官の命令に従った。
しかし、冬が近づくに連れて終息に向かうと、代官の命令に従わなくなってきた。
そこから敵は野盗ではなく、幕府の威光に逆らう領主の討伐に変わっていったのだ。
「
「承知仕りました」
討伐軍の主力は三好衆だ。
摂津、和泉、阿波、淡路などと率いる部隊は変わってゆくが、主力が三好衆である事は変わらない。
丹波、河内、伊勢、大和は三好衆を助ける援軍に近く、出陣しない時期を作ってくれている。
対して、三好衆はずっと兵を出し続けていた。
呆気なく城が降伏した。
「
「承知致しました。直ちに向かわせて頂きます」
「
「そうさせて頂きます」
三好衆はお褒めの言葉を貰ったのみで褒美らしい褒美も貰っていない。
それは
領主達に不満はないようだ。
褒美を貰えない家臣の不満を聞く事が
そういう意味では、
三好衆の家臣団の不満を抑えるのに苦労しているハズだ。
そう思わずにはいられない。
だが、
幕府から派遣されている代官と救援の兵を連れて来ている奉公衆を取り込む事に成功した。
「河内の奉公衆は
「
「ははは、運が回ってきたぞ」
紀伊の有力者であり、幕府管領
だが、摂津や河内などのように蔓延してから対策を取ったのではなく、関所などを固く閉じて被害を最小に抑えつつ、疫病と戦っていたので被害が限定的で済んだ。
被害が少なければ、幕府からの救援も少なかった。
いすれにしろ、それでも大変な事に変わりはなかった。
河内の事を気に掛ける余裕もなかったのだ。
「
「代官を押さえましたので、村人や豪族は守護代である
「
しかし、守護代職を返すつもりはない。
また、
守護代の交代は幕府の許可がいる。
代官を押さえている限り、簡単に
派遣された奉公衆を取り込む事で、村の長や豪族を取り込む事に成功した。
だが、河内を完全に手に入れた事で
そうだ。
「殿、どうなさるおつもりですか?」
「簡単な事だ。
「なるほど、それは名案でございますな」
実権を失った
そして、
今までの事は忘れて、供に手を取って
幕府管領
◇◇◇
(弘治4年(1557年)4月10日)
招かれたのは、幕府管領
幕府管領として仕事をしているのは
これは屈辱的な事であり、実権を奪いたいと常々思っていた。
「ほほほ、どうやって
「簡単には行きません」
「
「心得ております。ですがお待ち下さい。斯波家の後ろには織田家がおります。簡単な事ではございません」
幕府の実権に一枚噛むだけで十分なのだ。
過ぎた願いは持っていない。
しかし、
幕府管領として、幕政を取り仕切りたいという欲があった。
その欲に能力が付いていたならば、
だが、あるのは欲だけである。
そんなロクでもない奴に振り回されるのは御免と思っていたのだ。
能舞台を楽しみながら、次の膳が運ばれてきた。
女達が料理を次々とおいてゆく。
「ほぁ、美しいのぉ。酌でもせぬか」
「お戯れを」
絡められた手を抜くと女がスルリと逃げてゆく。
だが、
はて、あのような者を雇っておったか?
「臨時で雇った者でございましょう」
「なるほど」
京の屋敷は大きい割に人手が少ない。
河内守護代と言っても銭が無限に湧いてくる訳ではない。
居城で住むのがほとんどであり、古びた公家屋敷を購入して修繕して京の屋敷にしてあった。
銭が溢れる織田家のように新しい屋敷を次々と建てる余裕などなかった。
屋敷の角で女達が身を隠した。
「さくら様、大丈夫でございますか」
「大丈夫です。後でちゃんと手を洗っておきます」
「我々に任せて下さい。侍女長様らが来られる場所ではございません」
「こんな面白い事、仲間外れにしないで下さい」
「そういう事、私達の変装もばっちりでしょう」
楓がさくらの肩に手を乗せて問いかけた。
もちろん、本人と判らない完璧な変装だ。
「首尾はどうでしたか?」
「ちゃんと薬を盛ってきました」
「どんなお世話になったのかは知りませんが完璧です」
「溶かした液を吸い物とお酒に入れてきました」
「そろそろ利いてくると思います」
変装した紅葉が口を押えて笑いを堪えた。
そう、
あの薬を吸い物と酒に入れて膳に乗せられてきた。
しばらくすると、お腹から『ぎゅるぎゅるるる』という音が聞こえてくる。
腹を押さえて
「どうなさいました?」
「か、厠はどこだ!」
「あちらでございます」
「ご、ごめん」
「某も」
「しばし、私も、わ、わ、わたしもです」
ばたばたばたと慌てて三人が走ってゆく。
ホンの少しでも注意力があれば、足元に火薬の小さい山が四方を囲み、各所に切り目を作るように敷いてある事に気付いただろう。
だが、三人にはそんな余裕がなかった。
限界突破が近づいていた。
水洗便所などない時代である。
あるのは『ぽっとん便所』であった。
穴の開いた所に座り込むと、地獄から天国に昇るような快感を覚えた。
「間に合った」
ずずずずっと小さな音が近づいてくる。
煙の匂いが微かに鼻孔をくすぐった。
だが、これが火薬に続く導火線の火と思う訳もない。
次の瞬間、導火線の火が火薬に付くと足元からぼわっと光が走った。
音の『ズボン』という感じでびっくりしたが恐怖は感じない。
戸惑いだけで首をきょろきょろとする三人であった。
びしっと床に亀裂が走ると、足元が崩れてなくなってゆく。
計算通り、厠に引いた板を傷つけるには十分な威力があったようだ。
「うおぉぉぉ、なんだ?」
一瞬の浮遊感の後に、三人はじゃば~んっと見事に肥溜めの中に落ちていった。
三人は慌てていた。
何が起こったのかも判らず、ずぶずぶと沈んでゆく事に恐怖する。
「た、たすけてくれ!」
大声で三人が叫ぶ。
能舞台を中止して
その頃、裏門から飛び出した従者が町の者に叫んだ。
「客が厠に落ちた。誰か、助けるのを手伝ってくれ」
それは大変だ。
お節介な町の衆と野次馬が屋敷の中に入って行った。
中に入って覗いて見ると、厠の底の肥溜めで溺れている三人の姿を見つけた。
肥溜めがそんな深くはない。
鼻を抓んで漂う臭いに泣き塞ぎ、上がれなくなって落ち込む者を見た事はあったが、肥溜めで溺れている者を見るのは初めてだった。
町の者も最初はきょとんとした顔で真剣に見つけていた。
「
従者や付き添いの者が大声で主人に声を掛けていた。
家臣の誰かが綱を投げ入れた。
そうしている内に落ち着いてきたのか、少し顔色が戻ってきたようであった。
「
「だ、大丈夫だ」
三人が互いに顔を合わせる。
立ち上がれば、腰くらいにしかない。
余りの滑稽さに町の者から笑いが上がった。
肥溜めで溺れそうになる者を初めて見た。
ははは、辺り一面に笑いの花が咲いた。
それだけ大騒ぎを起こせば、お役人も駆けつけてくる。
町の衆が口々にあらぬ噂を話し始めたのだ。
その噂に幕府転覆を企んだので、お天道様から罰を受けたなんてモノもあった。
そんな噂が沸くと役人も検めない訳にいかない。
どう見ても人為的だ。
屋敷の中を検められる事になった
「殿、どう致しましょう。すべてを焼き払いますか?」
「駄目だ。こちらの書状を焼いても向こうから書状が出てくれば言い訳できぬ」
「どう致しましょうか?」
役人の応援が来るまで時間がなかった。
最早これまでと
そうだ。
証拠となる書状を自ら提出し、わが身可愛さに
こうして、
◇◇◇
(弘治4年(1557年)4月12日)
報告を聞いた俺は
そこで裏切るか?
「若様が考えていたように一網打尽には行きませんでした」
「まぁ、よい。上がり始めた評判をもう一度落とせればよかったのだ。問題はない」
「また、
「よいではないか。
「そう言われると若様の狙い通りとなってします」
「背後の憂いがなくなった」
「
「
「これで河内と紀伊を完全に切り放した事になります」
「厠落としか」
ははは、俺は笑ってしまった。
誰が厠に落としたのか?
皆が
そうだ、
怪しい義賊が徘徊した事にする予定を変更する事になった。
これは、これで、ありだろう。
終わり良ければ、すべてよしだ。
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