第41話 祭りの後、進む変革。

(弘治4年(1557年)4月17日)

梅雨、ジメジメとした日々が続く。

汗で服がべとべとになって行く。

天花粉てんかふん(ベビーパウダーのようなもの)を付けて、汗疹あせもを防止しているが、汗で流れて着替える度に真っ白になる。

俺はずっと着せ替えお人形様だ。


「千代は凄いな」

「根性です」

「だが、水はこまめに取っておけよ」

「気を付けます」


うだる暑さはどうしようもない。

まだ、大雨が降っていない事をよかったと思おう。

俺はまだマシだ。

京で元服している大人は、さらに厳しい。

この暑い最中でも烏帽子を外せないのだ。

蒸れるでしょう。

禿げるぞ。

皆、立派だと思う。


「服を着ずに町を歩くのと、鳥帽子を着けずに町を歩くのをどちらを選ぶかと尋ねれば、間違いなく服を着ずに歩く方を選ぶでしょう」

「その感覚がよく判らん」

「元服すれば、若様も鳥帽子を外せません」

「京に来ぬ事にするか」


裸で町を歩けば、『公然わいせつ罪』で逮捕される。

それほど恥ずかしい事だ。

しかし、公家の世界では鳥帽子を付けないで歩く方が『公然わいせつ罪』より恥なのだ。

この文化は慣れない。


「慣れないでは済まされません」

「何とか、ならんのか?」

「なりませんね」


そう言えば、従一位左大臣だった三条-公頼さんじょう-きんよりの三女の春姫(後の如春尼)が大坂御坊(大坂本願寺)に急かされて輿入れした。

細川-晴元ほそかわ-はるもとの養女となって婚約していたが、三条-公頼さんじょう-きんよりが亡くなって三条家がごたごたしていたからだ。

それもそのハズで、後を継いでいた三条-実教さんじょう-さねのりも亡くなった。

落ち着いたと思うと、又、揉めた。

生前に六角-定頼ろっかく さだよりの猶子になっていたので、三条家の姫で、晴元はるもとの養女でもある。

数奇な姫になってしまった。

急かした理由は、六角家に近づきたい為か?

それとも六角家から養女を預かっている俺に近づきたい為か?

その両方か?

考え始めるとキリがない。

煩わしさに、すべて斬り棄てて『ガラガラポン』したくなる。

しかし、あれは問題の先送りだ。

それ所か、巧く行っている所も壊して問題を大きくする。

俺の手は小さい。

すべてできるなどと思うな。

思い上がるなとそう言い聞かす。


魯坊丸ろぼうまる、何をぼっとしておる」


俺が悩む原因の1つが俺の名を呼んだ。

今日も今日とて、その暑さにもめげずにやって来た。

夜食を漁りにくる公方様の御相手だ。

あの『天駆ける儀』の結果は、公方様が圧勝した。


後半の先陣は、三好から十河-一存そごう-かずまさが参加した。

鎧を着て飛び込んだ。

死にたいのか?

男らしかったが、阿呆だ。


次鋒は武田-信豊たけだ-のぶとよの息子で信方のぶかたが出た。

流石に危ないモノに嫡男を乗せる訳に行かなかったようだ。


中堅は六角-義賢ろっかく-よしかたに志願して、進藤-賢盛しんどう-かたもりが飛んだ。

設営の当初から付き合って貰っている内に、自ら飛びたくなったそうだ。

子供に戻ったような賢盛かたもりをはじめて見た。


副将は近衞-晴嗣このえ-はるつぐだ。

最初から飛ぶ気だったらしく、尻尾が当たり見事に落ちた。


「落ちた事を今更のように思い出すな。その後でちゃんと飛んだのを忘れては困る」

「忘れておりません」

晴嗣はるつぐはその服で出たのが悪い」

「帝が見られておるのに、粗末な服を着られる訳もない」


そりゃ、公家のごてごてした服では勢いも付かず、その服の重みで沈むのも当然だった。

帝も喜んでおられたので問題ない。


最後の大将は公方様が自ら名乗り出た。

奉公衆・奉行衆は猛反対。

それを一蹴して出場を決めた。

助走距離が足りないと思ったのか?

斜行から走り始めると人と思えない速度で踏み切って、完全に風を捉えた公方様は最終の杭である150間 (272m)を越えて滑空した。

記録は不明。

1ヶ月前の話なのに、まだ盛り上がっていた。


魯坊丸ろぼうまる、次は大文字山から滑空できんか?」

「許可できません」

「巧く風を捉えれば、どこまでも飛べると思うぞ」

「そうでしょうが、危険です。私(俺)は絶対に機体をお貸ししません」


同行の側近らもうんうんと首を縦に振った。

公方様はぐびっと酒を呑んで晴嗣はるつぐを見た。

晴嗣はるつぐがにやりと笑う。


「麿は関白を退いた後に、好きにやらせて貰う」

「狡いぞ」

義輝よしてるも早く子を作って将軍職を譲ればよい」


義輝よしてる(21歳)は正室に近衛-稙家このえ-たねいえの娘、側室に烏丸家からすまけの娘、妾に進士晴舎の娘などがいるが、まだ子を授かっていなかった。

そこで晴嗣はるつぐから合図が送られてきた。


「話は変わりますが、政所まんどころへの沙汰をひるがえしたのはいけません」

「おまえまでそれを言うか?」

「政所の沙汰が偏っていたのは否定致しません。しかし、政所執事の伊勢-貞孝いせ-さだたかを飛び越して裁決を覆したのは公方様の失態であります」

松永-久秀まつなが-ひさひでと同じく、余が悪いというか?」

「はい」


松永-久秀まつなが-ひさひでは「幕府の長である公方様が自らその規範を破っては示しが付きません」と苦言くげんていしたらしい。

しかし、その横にいた進士-晴舎しんじ-はるいえが「出過ぎた振る舞いである」と久秀ひさひでを批難した。

金銭の貸借、土地の売買、債権債務の経済に関する訴訟は政所の専権事項であり、それに公方様が介入したのは酷い横槍である。

慣例破りだ。

言うなれば、最高裁判所の判決に内閣総理大臣が「その判決を認めない」と言ったに等しい。


昨年、畿内の疫病が流行り、領主や商人は収支を悪くした。

幕府は領主などに積極的な支援を行った。

ところが進士-晴舎しんじ-はるいえ肌理きめ細やかな経済支援を行う一方で、寺への支援をほとんどしなかった。

否、むしろ追い詰めた。

困窮して借金が滞納された時点で寺領を接収していったのである。

僧侶たちの不満は頂点に達している。

しかし、武力では敵わない。

だから、政所執事の伊勢-貞孝いせ-さだたかを頼った訳だ。

貞孝さだたかは僧を懐柔させる意図もあったのだろう。

寺に甘い判決を下したのは間違いない。


「正しい事を正しいと言って何が悪い」

「モノには順序と時期がございます」

「それ以上は言うな」

「しかし…………」

「正義を為して何が悪い。悪徳で稼いだ悪党を正して何が悪い。間違っている事を見過ごせと申すのか?」

「ですから、時と場合によりましては…………」

「年寄臭い事を言うな」


公方様は残っていた飯をがつがつと腹に入れると立ち上がって、「また、来る」と言って帰っていった。

晴嗣はるつぐは溜息を付く。

立場が変われば、意見も変わる。

わずかでも朝廷領の返還を進める幕府を批判し辛い。


「先程も言ったが、丹波では寺への幕府の取り立てが厳しく、何とかならないかと朝廷にも申し出て来ておる」

「横領している訳ではございません。それを止めろとは言えません」

魯坊丸ろぼうまるよ、何とかならんか?」

「丹波だけならば、何とかなります。しかし、摂津、河内、大和、和泉、伊勢と同じように求められると、とても支援できる余裕はございません」

「丹波を支援すれば、他も声が掛かるな」

「おそらく」


朝廷の財力も同じだ。

失われた儀式を復興し、帝は譲位じょういして上皇になる準備が密かに進められている。

その程度の余裕が生まれはじめていた。

だが、畿内の寺をすべて救うほどの余裕はない。


「何とかならんのか?」

「此度の政策を強引に始めたのは俺ですが、実際に派遣されているのは奉公衆の方々です。俺の命令を聞くとは思えません」

「困ったな」


去年、幕府の財政に余裕がある限り、俺が強引に都で人を雇わせて畿内各地に派遣させた。

派遣された兵兼人夫が食べる米の銭は幕府が払う。

だから、完全な無償の奉仕だ。

蝮土の作成小屋の設営や河川の改修など、簡素な予定も俺が立てた。

細かい所は丸投げにした。

全部、やってられるか。

派遣された奉公衆らは派遣された先で繋がりを深め、各領主や豪族達と縁を深めていた。

一番単純な方法は婚姻だ。


「仲良くなった領主の所に手厚く手助けをする訳か」

「最初は嫌がっていた奉公衆も領主らの支持が貰えると判ると手の平を返して、支援に積極的になりました」

「その支援に寺が入っていなかったのか」

「はい、寺領を領主に返還すれば支援するみたいですが、応じない寺は徹底的に追い込んでおります」


自主返納ならば、幕府に恭順したとして支援した。

しかし、寺が横領した土地でなければ、勝手に奪う訳にいかない。

あるいは、横領と判っていても余りに古く約定も残っていない場合も同じだ。

また、寺が開拓した荘園は寺のモノだ。


「手が出せない訳だな」

「幕府は強引な手段を出しました」

「押し付け貸しか?」

「その通りです」


そこで押し付け貸しで毎月の上がりを奪ってゆく。

貸し付け業を許可制にして、許可料も取る。

ここまでは強引だが普通の策だ。


しかし、幕府は念入りに事を進めていた。

幕府が寺の持つ土倉(金融)の借財の借り換えを推進し、ゆっくりと体力を奪い取っていった。

小さな寺ならば、すぐに銭壺が空になり底が見えた。

毎月の上がりも払えなくなった寺領を抵当として寺領を奪い、奉公衆で分割した。

寺を弱体化し、奉公衆を強化する。

深謀遠慮しんぼう-えんりょな策だった。

そりゃ、寺も訴えてくる訳だ。


「寺を重んじた伊勢-貞孝いせ-さだたかを排除した」

「やり過ぎです」

「そう考えると、魯坊丸ろぼうまるも巧く使われた事になるな」

「結果だけ見れば、その通りです」


だが、俺はまったく損をしていない。

織田家も恨みを買っていない。

寺を弱体化させて僧兵を減らすのも、当初の方針通りなのでまったく困っていなかった。

ただ、性急に事を進めているので、幕府の事が気になった。


「で、対策は?」

「抱えている僧兵などを減らし、寺の運営を改善するしかございません」

「それで改善するのか?」

「幕府の押し付け貸しの額は寺領の大きさで額が変わっております」

「そうなのか?」

「よく調べて巧く金額を決めております。換算すると5公5民の税と同じくらいになるハズです」

「普通に税を払っているのと同じか?」

「ですから、土倉(金融)の銭で多くの僧兵を養っている状況を改善すれば、寺領の収益だけで十分にやってゆけるハズです」

「なるほどのぉ。では、そういう風に返事をしておくか」


強い財力で領主より大きな権限を持っていた僧侶達がその状況を甘んじて受けてくれるのか?

比叡山を見ているので、組織的な抵抗はして来ない。

だが、大人しく従うとも思えなかった。

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