第39話 信長の猿芝居。

(弘治4年(1557年)3月1日)

上洛を控えた月の初め、信長は大評定を開催した。

幕府管領の斯波-統雅しば-むねまさ様と斯波-義銀しば-よしかね様は要件が終わると京に戻った。

否、呼び戻された。

よって、今回の大評定は尾張守護代の信長の号令であった。

信長の左には、美濃分国守護代の斎藤-利治さいとう-としはるが座る。

一見、同格に扱っているように見える。

しかし、正面に信長が座っている事から利治としはるが格下とはっきり判る。

一段下がった所に帰蝶が座り、大評定を取り仕切る。


「殿、このように申しておりますが、よろしいでしょうか」

「であるか。よきにはからえ」

利治としはる、異存はありませんね」

「姉上にお任せ致します」


信長の正室で利治としはるの実姉である帰蝶が両国の真の支配者であると誰もが思い知らされる。

筆頭家老の織田-信実おだ-のぶざねと次席家老の林-秀貞はやし-ひでさだも否と言わない。

帰蝶が事前に二人の意見を巧く汲み取っていた。

そして、最大勢力の熱田衆と津島衆と知多衆が大人しい。

魯坊丸ろぼうまるの命令に従って信長に服している。

そうなると新たに組み込まれた東尾張の那古野・末森衆は従うしかない。

新参の中島衆や春日井衆は文句も言えない。

難民となった明智・土田・可児衆は帰蝶が頼りであり、利治としはるを支える美濃衆も帰蝶が命綱だ。

帰蝶と魯坊丸ろぼうまるの支持で信長は盤石な政権を運営できた。


もちろん、帰蝶や魯坊丸ろぼうまるを盛り立てて政権を奪おうと企む馬鹿もいた。

だが、尾張で一番鋭い目と鼻と耳を持っているのが魯坊丸ろぼうまるであり、次いで長門守を持つ信長と帰蝶だ。

そんな馬鹿を放置する訳もなかった。


「喜六郎、そなたに奥州視察の大任を任せます。上洛した後、公方様より許可を頂き、直ちに赴きなさい」

「畏まりました」


八男の喜六郎は魯坊丸ろぼうまるの兄であるが、11歳と年は同じだ。

近衛-晴嗣このえ-はるつぐが烏帽子親となって元服して、秀孝ひでたかと名乗る事が決まった。

四男の三十郎は信包のぶかねを名乗り、末森城の城主となっている。

五男の九郎は信治のぶはるを名乗り、野府(野夫)城を与えられると、側近に柘植-宗知つげ-むねともを付けられて京の取次役の大任を与えられた。

部下に野口-政利のぐち-まさとし(平手政秀の弟)と織田-重政おだ-しげまさが付いた。

六男の喜蔵は秀俊ひでとしを名乗り、叔父である犬山城主である織田-信清おだ-のぶきよの養子となった。

信清のぶきよの娘を貰って、犬山城主になる予定だ。

七男の彦七郎は信興のぶおきを名乗り、鯏浦城うぐいうらじょうの城主となり、荷ノ上城の服部-友貞はっとり-ともさだの領地を引き継ぎ、長島一向宗の取次役兼見張りを申し付けられた。

こうして、八男の喜六郎に奥州視察の大任が回ったのだ。


残るは九男の半左衛門しか残っていない。

ある意味、秀孝ひでたかが選出されたのは魯坊丸ろぼうまるを少しでも早く元服させようとするとばっちりであった。

今回も官位を安売りして烏帽子親を名乗り出るくらいだ。

十男である魯坊丸ろぼうまるに「早く元服しろ」と言っていた。

誰に忖度して仕掛けているのかは、皆が知っている。


信次のぶつぐ叔父上様、よろしくお願い致します」

「引き受けた」


守山城主の信次のぶつぐは守山城主の前は深田城主であり、まだ織田信友の時代に『萱津かやづの戦い』で活躍しただけであり、それ以降に活躍の場を得られなかった。

信長の清洲取りと今川撃退では敵対しなかった事が評価されて棚ぼたで守山城主になった。

美濃騒動でも蚊帳の外。

公方様の関東征伐にも参加できず、ずっとお留守番の信次のぶつぐであった。

今回の大任にやる気を見せた。


「某にお任せ下さい」

「奥州は遠い。何かあっても支援はないぞ」

「問題ございません」


問題だらけだ。

視察団ゆえに大軍を連れてゆけない。

家臣300名くらいだ。

信長は判断力と行動力がある者を補佐として送りたかった。

つまり、勝幡城の信実のぶざねを考えていた。


「お願い致します」


武名が乏しい信次のぶつぐは功績が欲しい。

一門衆が折れて秀孝ひでたかの後見人として、奥州視察をゆだねる事になった。

不安な人事だった。

せめて連れてゆく側近だけでも固めねばならない。


丹羽-長秀にわ-ながひで、側近筆頭を命じます。必ず無事に連れ帰りなさい」

「最善を尽くさせて頂きます」


長秀ながひで(22歳)は信長のお気に入りであり、気立てがよく、気も利く、そして、どんな仕事も卒なく熟した。

丹羽家は元々斯波家の家臣であったが、長秀ながひでは信長に才能を見出し、早くから仕えていた一人である。

まだ大きな手柄がなく、近習の一人として頑張っていた。

実質の団長として長秀ながひでを据える事で無事に帰ってくる事を祈った。


 ◇◇◇


(弘治4年(1557年)3月5日)

大評定が終わると領主らが帰ってゆき、信長は上洛の準備に入った。

と言っても、人事も発表したので自ら指揮を取る事もない。

帰蝶の膝枕で信長はごろりと寝転がっていた。


「奥州まで織田家が出るのは面倒な事だ」

「斯波家を頼られたのです。仕方ありません」

「いっそ大軍で攻めるか」

「殿、焦りは禁物でございます」

「判っておる」

「皆、小さな国、小さな土地を守る事に一所懸命いっしょけんめいなのです」


信長が目を細めた。

日ノ本から戦を無くすのは容易ではない。

その為に様々な謀略が飛び交っていた。

幕府もそれに影響されて右往左往している。

公方様が無能という訳でもないのだが、まつりごとは難しい。


「父が生きておれば、殿と魯坊丸ろぼうまるのやり方は温いと叱ったでしょうね」

「かもしれん」

「ご姉妹が多いのです。帝、近衛様、公方様、三好、六角、北条等々に嫁がせて、より強固な結び付きを求めればよいのです。然すれば、織田家の影響力が大きくなり、反対する者を排除できます」

「だが、その先はどうだ。後々、どうなるか判らぬ」

「その時はその時。我が父ならば、姫など駒の1つと申すでしょうね」

「…………」

「ほほほ、ホンに殿はお優しい」


信長は戦国の武将と思えないほど優しかった。

民を慈しみ、家臣の気持ちを推し量り、兄弟姉妹の将来まで心配していた。

こうして生き残れているのが不思議だった。


「津島の件、助かりました」

「何の事だ。知らんな」

「ほほほ、準一門である大橋家の姫を妾にすると角が立ちます。しかし、側室にすると他の準一門も側室を送り込んでくるでしょう」

「それは面倒そうだな」

「ワザと隙を作って、大橋家に落ち度を作ったのでしょう」

「儂は女子に弱いのだ」

「そういう事にしておきましょう」


帰蝶が目を細めて笑う。

側室にすると家督争いが生まれる。

津島衆がその子を「跡目に」と言うかもしれない。

それは避けたい。

だが、忠誠心は集めたい。

そこで信長は家臣の忠誠心を買う為に多くの女人を妾として増やした。

妾以下の子は家督争いに加わらない庶子とした。

また、家臣同士で婚姻する時も信長の養女としてから嫁がせる。

信長の肌理きめ細やかさに帰蝶も感心していた。


「ところで、お隠しになりたい熱田御殿の失態は魯坊丸ろぼうまるも知っているので隠すだけ無駄でございます」

「なっ、なんだと?」


信長は下戸げこだった。

宴会などで信長に注ぐ銚子ちょうしには、酒の代わりに水が入っている。

信長に酒を振る舞いにくる公家や大名には、水入りの銚子ちょうしを差し出して、それを使って貰った。

信長も一緒に酒を楽しんでいるように見えた。

しかし、熱田の宴会で誰が間違ったのか、水ではなく、本物の酒が入っていた。

悪酔いした信長は宴会の後に間違いを犯した。


「お手付きになった女人は翌月に千秋家の仲人で荒尾家に嫁いでおります」

「千秋家か」

引出物ひきでものの中に魯坊丸ろぼうまるから太刀一刀を送られております」


尾張産の名刀は多く出回っている。

だが、魯坊丸ろぼうまるが送った者は少ない。

荒尾家の後ろ盾になると宣言したに等しい。


「美しい兄弟愛でございます」

「帰蝶、うるさい」

「殿の猿芝居に付き合ってくるのですから、よい弟御ではありませんか」

「それ以上は言うな」

魯坊丸ろぼうまるも笑っておりましたが、卑下している訳ではございません。少しわたくしを気づかってくれているだけでございます」

「であるか」


ちぃっと信長が舌を打った。

帰蝶も魯坊丸ろぼうまるも物分りが良過ぎると思った。


「で、帰蝶はあの安普請やすぶしんをどう思うか?」

「殿は建築中に中をご覧になるので気づかれておりますが、完成後に気付く者はそうおりますまい」

「大工から知れるのではないか?」

「武衛屋敷や清洲城の本丸御殿は銭に糸目は付けておりません。派手に銭を使う事を『織田ぶり』と呼ばれるくらいです。問題はないでしょう」

「であるか…………」

「納得できないのでしたら殿が大工らに命じて、他の造りを考えさせてはどうでしょうか。魯坊丸ろぼうまるは効率を求めているだけで、造り方が1つである必要はございません」

「おぉ、なるほど」


人の話をよく聞くのも信長のよい所だ。

家臣に命じて失敗しても何度でも挑戦させて育てていた。

家臣を根気強く育てるのが信長の良い所だろう。


「そう言えば、魯坊丸ろぼうまる長秀ながひでを欲しがっておりましたね」

「あれはやらんぞ。儂が育てておるのだ」


長秀ながひでの話をしていると、長秀ながひでがやって来た。


「殿、出立の準備が整いました」


襖が開かれると寝転がっている信長の姿が目に入った。

長秀ながひでは動じる事はない。


「そうか、大儀であった」


そういうと信長はのっそりと立ち上がった。


「帰蝶、尾張と美濃を任せた」

「承知致しました」

長秀ながひで、行くぞ」


信長は京に向けて出発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る