第38話 人を笑わば穴二つ、なんじゃそりゃ?

(弘治4年(1557年)2月26日)

穀雨こくう、水辺に生えるアシが芽生えてくると、田植えの準備がはじまる。

アシは小麦のような実を付けるが食べる事はできない。

だが、夏の風物詩のすだれの材料になるし、紙の材料としても使える。

根は薬になり、水田に敷いておくと除草剤の代わりに使える。

肥料になるのか、ならぬのか?

それはよく判らない。

とにかく、故人の知恵だ。

アシが芽生えてきたので、塩水選えんすいせんをはじめ、水を引いて田植えの準備をはじめた。


魯坊丸ろぼうまる、今日は悪かったな」

「いいえ、忙しいのは兄上(信長)も同じ。ワザワザの御検分、申し訳なく思います」

「殿が無理を言って、ごめんなさいね」


帰蝶義姉上は手を頬に当てて、兄上(信長)の我儘わがままに付き合せた事を謝る。

俺も兄上(信長)も来月の上洛の準備に入った。

今回の大目玉は『鳥人間コンテスト』だ。

(正式には『天駆ける儀』です)

冬の間に湖中に延びる仮土台にローマン・コンクリートを打ち、大柱を何十本も立てた。

今は高さ55尺 (10m)、斜行の長さ100間 (180m)、飛び込み助走台の長さ20間 (18m)の板を張っている。

(勾配3度 (5%))

湖に突き出した水舞台だ。

どこで聞いたのか知らないが帝もご覧になると言われた。

急遽きゅうきょ、帝が乗れる観覧船を用意する。

だが、早朝に早馬で駆けてくるなんて事はできない。

そうなると帝がどこにお泊りになるかだけでも大騒ぎだ。

しかも雨天延期、強風でも延期だ。

数日の宿泊にも応える準備がいる。

こちらは公家様らに丸投げにした。

俺が広げたのは新しい『飛び魚ハンググライダー』の設計図だ。

全長が今までの倍で、横も1.5倍だ。


「随分とすっきりとしたな」

「さくら達に山から滑空して貰いました。問題なく誰でも乗れます」

「よろしく頼む」

「本当に参加するのですか?」

「公方様も飛ばれるのだ。儂が参加せずにどうする」


単に自分も飛びたいだけ。

俺の目には、そうとしか映らない。

ここで俺は非常に申し訳ない発表をせねばならない。

ごめんなさい。


飛び魚ハンググライダーの開発を著しく遅らせていたのが俺だと判明した。

巨大な大弩カタパルトで打ち出す事を前提にした。

その為に異常なほどの強度が求められ、横幅が広げられなかった。

すべて強度の問題でした。

翼を広げると発射時にぽきりと折れて、さくらが『ぐぎゃぁぁぁ』と叫び声を上げて、海外沿いの岩場近くに落下した事が十数回ほどあった。


「死ぬ!」


片翼だけが折れて、バランスを崩して落下した時は、俺も流石に駄目かと思った。

機体は完全に岩で全損したが、さくらだけは岩と岩の間の海に落ちて助かった。

流石、不死身のさくらだ。

また、旋回時の落水も発射時の衝撃に耐えられないのが原因だった。


「若様、これは簡単に旋回できます」

「???」


そんな設計はしていない。

斜面を駆け下りて滑空で飛び出すと、さくら達はそのまま城を越えて海の上を飛んだ。

俺は翼を横に伸ばし、ダイヤマークを横にして尻尾を引っ張ったような、シンプルな飛び魚ハンググライダーだ。

滑空して着水させるだけの安全設計にした。

だが、機体は旋回して空中分解をしない。

結論は1つだった。

今までは巨大な大弩カタパルトの衝撃に接続部が耐えられなかったのだ。


「千代女様、普通に偵察で使えます」

「そうね」

「次の戦で使うです」

「考えてみましょう」


残念なお知らせパートⅡ。

着水用の浮きの中に油を入れると機体が歪んで離陸できなくなった。

空から火の柱を落とす戦略ができない。

今までの機体がどれだけ強度が高いか証明された。

新しい素材も生まれている。

ここで一気に飛び魚ハンググライダーの道が開けたのに…………。

しかもこれまで研究も無駄ではない。

丈夫な機体だ。

翼を広げて浮力を取れるならば、小型のエンジンを開発してエンジン付きの飛び魚ハンググライダーも夢じゃない。

研究する時間がない。

糞ぉ、人に任せたくないなぁ~。


「開戦と同時に本陣を狙いましょう」

「敵の本陣に絨毯爆撃か、それいいな」

「うふふふ、大将に当たれば終わりです」


さくら達が物騒な事を言い始めている。

上空から火計は無理そうだが、火薬玉を5つくらいは持っていける。

本陣を直接攻撃できる。

可哀想な事だ。

それを可能にしたのが、部品を持って行って現地で組み立てる事ができる簡単な構造だ。

予想外。

今回も10機の飛び魚ハンググライダーの部品を大津に持って行き、現地で組み立てる。

作戦の幅が広がった。


 ◇◇◇


今回の目玉の話を終えると、京の織田邸の話に移る。

西院さいいん城の復興は武衛屋敷の建造を終えた宮大工らに任せて…………。


「銅瓦の話はどうなった?」

「やれとおっしゃるならば、すぐにできます」

「問題があるのか?」

「織田家ではなく、三好-長慶みよし-ながよしの方にあります」


朝廷との約束で武衛屋敷の復興は三好家の銭でやっている。

所有する領地が減り、上納金も当てにできない。

摂津・和泉・淡路・阿波・大和・丹波で分担しているので捻出できているが、三好家の財政は大変な事になっていた。


しかも去年の疫病だ、

もう鎮静したが、領民の多くが逃亡、あるいは死亡し、人口減が顕著に現れている。

様々な所で疫病の被害は小さくない。

その上、播磨・但馬・因幡・美作・備前で起きている小規模な反乱が継続的に起こり、幕府の命令で兵をずっと出しっぱなしだった。

田畑が荒廃するのを避ける為に、山城国に集まった流民らを傭兵兼人夫として雇って各地に再配置する必要がでるくらいだった。

一先ず、幕府の支援で畿内が持っている。


「そこに武衛屋敷の瓦を銅板にするので銭を出せと言えますか?」


兄上(信長)も拙いと思ったのか、言葉を閉じた。


「それはもうよい。それより京の織田屋敷だが安普請やすぶしんを止めよ」

安普請やすぶしんとは何の事でしょうか?」

「清洲の屋敷、熱田と津島の迎賓館、古渡御殿とその他の屋敷、そして、安祥あんしょう御殿、すべて同じであろう」

「同じ規格で造っておりますから、同じになるのは当然でございます。俺の浜津城も同じモノを使います」


熱田の迎賓館を造った時に、使用する木材の形を統一した。

だから、すべて同じ型枠で組み立てられる。

同じモノを作り続けるので職人の腕が上がり易く、量産化が可能になった。

仕様がすべて同じなので期間を短くできて、下準備する方も楽だ。

だが、まったく同じではない。

外観は宮大工の見習いに任せてすべて違う見た目になっている。

(外だけという仕事に宮大工自身は沽券に係わると言われて、引き受けてくれなかった)

内装は調度品などで誤魔化す。

宮大工の見習いに経験を積ませるのに丁度よく、部署によって部屋を魔改造を手伝って貰っているので同じに見えない。

安くて早くて簡単だ。


「それを安普請やすぶしんと言う」

「合理的と言い変えて下さい。別に安い素材を使っている訳ではありません。すべてを宮大工に造らせていれば、清洲の本丸御殿のようにまだ完成しません。京の屋敷はこれからですが、一年以内に建造するならば、その方式が簡単なのです」


幕府管領・尾張守護である斯波-統雅しば-むねまさの本丸も御殿も完成していない。

だから、今でも旧清洲城でお住まいになっている。

京の武衛屋敷もそうだが、この世に二つとないモノを造ろうとすれば、時間が掛かる。

守護代以下にそんな贅沢は必要ない。

機能美さえ整っていれば、十分だろう。


「同じ造りゆえに迷ってしまうのだ」

「何に迷われるのですか?」


帰蝶義姉上が首を捻る。

呼ばれて飛び出てではなく、呼ばれずとも飛び出してくるのが、帰蝶義姉上の忍びだ。


「信長様は安祥あんしょう御殿でかわやに行った帰りに寝ぼけて女中部屋に転がり込んでやがります」

「女中部屋ですか?」


帰蝶義姉上の眉がぴくりと動いた。


「待て、待て、待つのだ。儂は何もしておらん」

「そうなのですか? 千早ちはや

「残念ながら、その通りでございます。そのまま大の字で寝て、周りの女中らが困り果てただけでやがりました」

「その通りだ。儂は疾しい事をしておらん」


兄上(信長)が必死に訴えた。

帰蝶義姉上がじっと兄上(信長)を睨み続けた。

兄上(信長)の額からぽたりと汗が落ちる。


「殿、正座」

「儂は疾しい事は何もしておらん」

安祥あんしょう御殿では疾しい事はなかった。それは信じております」

「そうか、信じてくれるか」

「殿、正座」

「何故だ。信じてくれたのであろう」

「はい、信じております。ですから、安祥あんしょう御殿以外で何かあったのでしょう」


帰蝶義姉上がにっこりと笑った。

神々しいほどに素敵な笑顔だ。

だが、目が笑っていない。

兄上(信長)の目が横に流れた。

あぁ、もう証言したのと同じですよ。


「すみません」


俺は怒られると正座をする癖があり、何故かそれが広まって、叱られる時は罪人座りをするのが風習になってきた。

兄上(信長)は正座をさせられて事情を説明させられる。

去年の事らしい。

津島に行った折り、今回と同じ間違いを犯した。

但し、入った部屋は使われていなかった。

兄上(信長)が入ると、大橋-重長おおはし-しげながの娘が襲ってきたそうだ。

誰もいない部屋で寝ぼけていた兄上(信長)は抱いてしまった。

あぁ、そんながいたな。

頼まれていたような気もする。

完全に忘れていた。


「長門守、聞いておりません」

「申し訳ございません」


帰蝶義姉上がまったくという顔をする。

大橋-重長おおはし-しげながの正室はくらの方で俺達の姉上になる。

津島衆からも妾を迎える話はあった。

本人がガンガンと押してくるが、くら姉上の子で大橋家ばかり優遇されるのもと敬遠されていたらしい。

そこで同じ津島衆でも他の家から迎える事になっていた。

という訳で、本人は実力行使にでたらしい。

帰蝶義姉上が「はぁ」と溜息を付く。

兄上(信長)、何やっているのだ?


「だから言っているであろう。安普請やすぶしんを止めろ。そうすれば、間違いもなくなる」

「言い掛かりです。兄上(信長)一人の為にできません。どれだけ無駄な銭が掛かると思うのですか?」

「儂の頼みが聞けんのか」

「その必要はありません。千早ちはや、見張りの者に言っておきなさい。床に入ってからも見張りを続け、部屋を間違いそうならば、首根っこを掴んでも部屋に戻しなさい」

「かしこまりました」

「帰蝶、それでは儂の沽券が」

「殿の沽券より、部屋を間違う方が問題です」


兄上(信長)の情けない顔に俺は頬を上げ、笑みを零した。


「人の事を笑っておると、お主も不幸が訪れるぞ」


人を笑わば穴二つ。

(正確には『人を呪わば穴二つ』です)

聞いた事のない格言だ。

障子が開き、千代女が手紙を持って入って来た。


「信広様と郡奉行からです。直ちに方針をお示し頂きたいとの事です」


千代女が少し困った顔をしている。

だが、険しい顔でもないので深刻な話ではないようだ。

俺は手紙を開いて読み始めた。

なっ、何だと!


「井伊谷に白石の鉱脈があっただと」

「竜ヶ岩と呼ばれる岩の近くに鍾乳洞もあったと報告にあります」

「そんな近くにあったのか?」

「申し訳ありません。もっと念入りに調べさせるべきでした」


三河と遠江の国境付近に見つけた事で浮かれてしまった。

荷車が交差できるほどの立派な街道にする必要がなかったのか。

失敗した。

灯台下暗し、俺は阿呆だ。


「仕方ない。井伊谷を詳しく調べ直せ。利権問題がないならば、井伊谷川の流域で水車が設置できる場所を検討させろ」

「はい、判りました」

「さらに、牧野に連絡を入れて、遠江の国境から吉田城までの鎌倉街道で荷車が通れるほどの道に改修するように伝えよ。矢作川の白石をこちらから手配させる」

「水車小屋はどうしますか?」

「豊川の調査も並行して行う」

「では、調査と計画を同時に行わせるように手配しておきます」


ははは、慌てる俺を見て、いい気味だと兄上(信長)は笑っている。


「お前も無駄使いをしたようだな」

「違うと言いたいですが、その通りです。失敗しました」

「ははは、愚か者め」

「そんな笑っていると、また不幸が返りますよ」

「そんな訳があるまい」


そりゃ、そうですけどね。

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