第25話 何でもない一日?

(弘治3年(1556年)4月23日)

「若様、お客さ…………」

魯坊丸ろぼうまる、遊びに来てやった。熱田をあないせい!」


突然の珍客に俺は慌てた。

どうして清洲城でなく、熱田神社でなく、中根南城の自室に戻っていると思っている。

これならば、沓掛城で蟄居すればよかった。

しかし、そうなると熱田と離れ過ぎて色々と不便なのだ。


「公家で好き放題に動いておいて、大人しく蟄居していますなど通用するか?」

「命じた公方様が禁を犯してどうしますか」

「公方ではない。むらさきだ」


今日も紫の頭巾を被ってきましたか。

公方様に連行された大広間に行くと、お目付け役の近衛-晴嗣このえ-はるつぐが牡丹角煮丼を美味しそうに頬張っていた。


「引き止める役の人がどうして一緒に来ているのですか?」

「こいつを止められる訳がなかろう」

晴嗣はるつぐ如きの命令など聞けぬわ」


如きって何ですか?

晴嗣はるつぐは太政大臣兼左大臣、日ノ本で一番偉い官職ですよ。


「それは辞してきた。よって関白だ」

「同じです。公方様に意見できるのは晴嗣はるつぐしかいないでしょう」

「あれは麿の言う事を聞く奴か?」

「それが仕事でしょう」

「そういうお前も麿に敬意など払っておらんだろう」


ぐさっと言葉の槍が胸に刺さった。

タダ飯を食いに来て、厄介事しか持って来ないので『晴嗣はるつぐ様』と敬称を付けて呼ばなくなっていた。

宮中ではちゃんとしていました。

公方様は晴嗣はるつぐと幼い頃から弟のように接してきたので、今更、畏まるつもりもないらしい。


「京で食べる牡丹丼も巧いが、こちらは味が濃く、別の意味で米に合うな」

「正確には猪ではなく、猪豚です。尾張では肉を食べる者が多いので狩りでは間に合わなくなり、家畜として飼育しています」

「京もいずれはそうなるのか」

「おそらく」


知恩院と桂川の河川域で始まり、今では普通に肉串屋の屋台が立っていた。

見よう見まねで拙い串屋も出来てきている。

しかし、食べるのを敬遠する者も多い。


「あの臭い匂いは堪らんからな」

「食べたのですか?」

「当然だ」

「美味しかったですか?」

「拙かった」

「下処理をしないからです」

「その場で殺して、血をそこに捨てる馬鹿もいたな」


余りに臭いが酷いという事で屠殺販売は洛外でないとできなくなった。


「鴨川を真っ赤に染めた馬鹿もおった」


見た目が悪いので洛外は九条より南で行うようにと触れが出たらしい。

血抜きと低温処理は山で行うのが礼儀だろう?

何を考えているのだ。

肉の捌き方は無償で教えてきたハズなのだが広まっていないのか?

供養料をケチる馬鹿も出ているらしい。


「よし行くぞ」


牡丹角煮丼を食べ終わった公方様が立ち上がった。


 ◇◇◇


古渡御殿で5日間の滞在を取っているのは尾張・美濃・伊勢の領主達と謁見させる為だ。

公方様を遊ばせる為ではない。

遊ばせる為ではないのだが、抜け出して来ていた。


「次、行け!」


据え置き式の大型弩砲のようなカタパルト台から『飛び魚ハンググライダー』が射出される。

さくら達が気持ちよく飛び出していた。

三機の飛び魚ハンググライダーが熱田湊の手前で大きく迂回すると、カタパルト台を越えて広場に着地した。

俺は思わず感涙に咽ぶ。

さくら達の滑空技術が向上していた。

急旋回中の落下率は下がっていないが、飛び魚ハンググライダーの形が精練されて俺が知っている形に似てきた。

あと少しだ。

だが、ここから難しい。

やはり竹では強度に限界がある事が判って改良中だった。

薄い鉄パイプか、木の棒を樹脂加工して強度を上げる必要がある。

それはもうカラクリ細工師 (元大工)の仕事ではない。


「余もあれに乗るぞ」


兄上(信長)と同じ事をいう馬鹿がいた。

おい、誰か止めよ。

俺が後ろを見ると、晴嗣はるつぐが目をキラキラとさせていた。

お前もか。


「では、ご覧下さい」


公方様と晴嗣はるつぐに諦めて貰う為に、知多を拠点とする幕府奉公衆の荒尾さんに協力して貰った。

持つべきは身内の奉公衆だ。

嫌がる本人を機体に縛り、主軸の骨しかない踏切練習用の飛び魚ハンググライダーに乗せた。

弩の弦を引き、止め金具を外す。

ぐぎゃあぁぁぁぁぁ!

悲鳴なような声を上げて、天高く舞ってから錐揉み状態で海に落ちでゆく。

さくら達も通った道だ。


「このように踏切を間違うと、大怪我をする場合もございます」

「余ならば問題ない」

「紫様がこう申しておりますが、よろしいでしょうか?」


俺は奉公衆の皆に聞いてみる。

公方様なら何度か海に落ちる程度で飛び魚ハンググライダーに乗れると思うが、構造上の欠陥で落下しないとは保証できない。

念入りに説明する。

思いが通じたのか、奉公衆らが縋りついて止めてくれた。

助かった。

晴嗣はるつぐが公方様の聞こえない声でこっそりと耳打ちしてきた。


魯坊丸ろぼうまる、帰りにやらせて貰うぞ。準備しておいてくれ」

「本気ですか?」

「ほほほ、仕事は父上に任せてきておる。戦が長引いても構わぬ。一年でも公方様に付き合うつもりだ」

「公方様はそれほど暇ではないと思いますが?」

「尼子の事は知らん」

「公方様に言い付けますよ」

「構わんが、義輝よしてるも留まるとか言い出しても知らんぞ」

「最悪です」

「ほほほ、麿は公家として巡行しながら帰るつもりだ。つまり、麿はのんびりできる。父上だけ、尾張に長逗留は狡いであろう。麿もするぞ」


マジですか。


 ◇◇◇


「師匠、勝負なのじゃ」

「市か、久しいな。少しはできるようになったか?」

「当然なのじゃ」


熱田神社を参拝すると巫女装束で境内を掃き掃除していたお市が公方様を見つけた。

だが、朽木-成綱くつき-なりつなら告衆番衆 (警備衆)が間に入った。


「紫様が出るまでもございません。我らが相手を致します」

「そうか、やってみよ」


朽木の五男である輝孝てるたかはお市の護衛をして、その失態から役職を解かれた。

情けない。

だが、お市の話になるとへらへらと笑っている。


「まだ、幼いのに強いのです」


三男の成綱なりつなは女子に負ける弟が不甲斐ないと思った。

しかも飛鳥井の猶子となったお市は朽木の当主である元綱もとつなとは義理の姉弟になる。

ここままお市に朽木家が腰抜けしかいないと思われるのが癪であった。


「誰でも良いのじゃ。掛かって参れ」


生意気な小娘に成綱なりつなが襲い掛かる。

防戦一方と見えたお市がいつの間にか、懐に入って成綱なりつなの首元に小太刀を立てていた。

余裕でお市が勝った。


「大した事なかったのじゃ」


最近、9歳になったお市の成長が著しい。

刀という意味ではなく、背丈も追い付かれそうでちょっと焦っている。

(もう追い付かれて身長が並んでいます)

兄の威厳がなくなる。

因みに、公方様にはまったく歯が立たなかった。


「余に三手も使わせた事を褒めてやろう」

「まだまだなのじゃ」


膝を付いて悔しがるお市も大概だ。

後ろで見ていた奉公衆もその強さに呆れている。

残夢剣って何だよ。

公方様が切った瞬間には移動して、次の一撃を繰り出している。

それを涼しい顔で避ける公方様も公方様だが、俺にはお市の残像が幾つも見えた。

分身の術か。

もう女大将だよ。

否、獲物が小太刀なので忍者か?

美しいだけの姫じゃない。

お市、お前はどこに向かっているのだ。


「里もお栄も鍛えてやっているのじゃ」


仲間を増やすな。


 ◇◇◇


公方様の希望の帆船に乗せる事は叶わなかった。

20日、公方様の命を受けた北条-氏康ほうじょう-うじやすと共に帆船の一番艦と三番艦を伴って小田原に出航した。

二番艦は公家様を乗せて、帝の綸旨を持って天文観測所に協力する旨を伝える為に、瀬戸内海を抜けて九州を航行している。

大名の希望があれば、大砲を撃ってみせる。

だが、威嚇外交はしない。

大砲の数では南蛮船の方が多いからだ。

大型帆船を寄港できる湊が少ないので建造していない。

千代女が小さい声で囁いた。


「ですね」

「織田家は造れないのではない。造らないのだ」

「南蛮人もそれを信じているようです」

「それは上々だ」


ザビエル達が織田家を実力以上に高い評価を下してくれている。

敢えて造らないという嘘を信じてくれたみたいだ。

北九州、大友をはじめ、多くの大名が織田家に一目を置いてくれていた。

という訳で、天体観測所の依頼は順調だ。


九州が終わると日本海を北上してゆく。

出雲には寄港する予定だが畿内周辺を回る必要もなく、一気に越後まで北上するので公方様が鎌倉に到着する頃に越後に入るハズだ。

関東を成敗しながら、奥州では砲艦外交を行う。


「若様、小浜で奥州に向かう公家様の乗り換えを忘れております」

「おぉ、そうだった」

「ここまでは順調ですが、天候によっては遅れる可能性もあります」

「そうだな」


冬の日本海は荒れるので、敢えて時期をズラした。

公方様がゆっくり東海を進むのもその為だ。

だが、天候は決められない。


魯坊丸ろぼうまる、奥州の者は余に従うと思うか?」

「判りません。伊達、最上、大崎はどうしても参陣してくると思われますが、他は判りません」

「余の威光が足りないのか?」

「それもありますが、諸事情もあります。国を空けられない大名もいれば、通行する道がない大名もいます」

「なるほどのぉ」

「その他にも道を開けられない者もおります」

魯坊丸ろぼうまる、それはどういう意味だ」

「大軍を国内に入れた瞬間、城を落とされると懸念する小国です」

「そういう意味か」

「奉公衆の方々も参陣しなかった事を理由に無闇に責めるのは止めて下さい」


奉公衆の何人かが頷いてくれた。

参陣せねば、取り潰すというのは方便だ。

奥州の事情は複雑だ。

参陣した者を起点に奥州再編を考えれば良い。

奥州平定と直結させない。

だが、日和見をしている武将らの尻は叩く。

関東成敗が行われている一方で、朝廷と織田の旗を上げた帆船の大砲が火を噴く。

砲艦外交だ。


「ははは、それはびっくりするであろうな」

「して貰わねば、困ります」

「また、天下に魯坊丸ろぼうまるの名が広まるな」

「公家様は天文観測所の話をしに行くだけです」

「そういう事にしておこう」


俺達は停泊所に着いた。


「これが帆船か?」

「試験的に造らせた小型帆船です」


西加藤家から延隆のぶたかの小型帆船を借りた。

他に帆船がないのだ。

公方様を乗せて伊勢湾を半周すると、知多の佐治造船所を視察した。

建造中の帆船四番艦を見学すると、防衛と練習を兼ねた展望台に置かれた大砲を実射した。


「そうじゃないのじゃ。もっと射角を考えて撃たねば、浮標ブイに当たらぬのじゃ」

「だから、角度を増したのであろう」

「ただ、角度を付けても遠くに飛ばないのじゃ」

「そうなのか?」


何故か、お市が先生だ。

お市は理屈ではなく、感覚で角度を覚えている。

感覚で大砲が撃てるものなのか?

同じ大砲を続けて撃つと砲身を痛めるので、順に別の大砲を使う。

大砲の癖まで知っているお市がちょっと怖い。


「市、詳しいな」

「10日に一度は遊びに来ているのじゃ」

「帆船も乗るのか?」

「当然じゃ、帆も張る事ができるぞ」

「それは凄い」

「帆船の事ならば、市に任せるのじゃ」


お市の遊び場になっていた。

俺が構ってやれないからか。

だが延隆のぶたか、お前はお市に甘過ぎるぞ。

と言いつつ、俺もお市に公方様を押し付けた。


こうして公方様は一日を楽しんで終えられた。

俺の作業が一日止まった。

城に戻ると貯まった帳簿と報告書を千代女が持ってきた。

また仕事が溜まっていた。

折角、片づけたのに…………もう観光ツアーは止めてくれよ。

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