第24話 義輝に改名。

(弘治3年(1556年)4月3日)

4月1日、公方様は従三位に昇叙せられるとともに関東の賊を討伐せよという勅命を受けた。

これを機に名を義輝よしてると改めた。


日ノ本を数多漏れることなく輝やかせるという意志なのだろうか?


公方様は謹んで承り、東海、関東、奥州の諸将に檄文を送った。

もうすぐ兄上(信長)の元にも使者が到着する。

皆を集めて大号令だ。

尼子の騒ぎくらいで予定を変える公方様ではなかった。


「来年に延期して欲しかった」

「もう一度、公方様にお願いしてはどうですか?」

「無茶を言うな」

「では、手伝うと言ったのは若様です。諦めて下さい」


俺が上洛して『関東征伐』を説いてから3年が経った。

早かった。

俺は準備に10年は掛かると思っていたが、公方様はそんなに待てないらしい。

こっちの都合も考えてくれよ。


三好、六角、畠山など、今回の征伐には畿内の領主の出陣はない。

しかし、3年前の約束を守って松永-久秀まつなが-ひさひでが兵1,000人を出して同行するとお願いすると公方様もそれを認めた。

そうなると六角-義賢ろっかく-よしかたもまったく出さない訳に行かない。

嫡男の義治よしはる後藤-賢豊ごとう-かたとよ蒲生-定秀がもう-さだひでを付けて、同じく1,000人を出す事にした。

奉公衆の3,000人を加えて、5,000人が本隊となる。


「総数が変わって計算のやり直しだ」

「松永様が頼んだ食糧以下、軍事物資が堺から熱田に到着しております。また。大湊の方に六角の物資も運ばれております」

「船がない」

「ですから、急いで尾張に戻って貰いたかったのです。関ヶ原で遊んだのは若様です。責任を取って下さい」

「物資の一覧表を。急ぎの荷物と、そうでない荷物を区分し直して輸送計画を立て直す」

「よろしくお願いいたします」


兄上(信長)は兵の編成と訓練で大忙しだったので、帰蝶義姉上が尾張と西美濃を巡回していた。

公方様の宿泊場所と兵の待機場所の確認だ。

京を出発した公方様は尾張の古渡御殿に入る事になっている。

そこで尾張織田軍1,000人。

斎藤-高政さいとう-たかまさの美濃衆が500人。

新五郎(斎藤-利治さいとう-としはる)の名代で氏家-直元うじいえ-なおもとの西・東美濃衆500人。

北畠-具教きたばたけ-とものりら他、伊勢の諸将の伊勢衆500人。

以上、2,500人が合流する。

その後、街道沿いで三河の信勝兄ぃが三河衆1,000人、西遠江では信広兄ぃが500人も合流する予定だ。


「信光叔父上も苦労しているみたいだな」

「公方様の遠征に参加したがる者も多いからです」

「手弁当で?」

「知らない方が多かったようです」


三河と西遠江の領主らはこぞって兵を出したがった。

公方様に同行できる機会など滅多にない。

何としても顔と名前を憶えて貰うと躍起になった。

信勝兄ぃもその意見を取り入れて、5,000人を出して公方様への忠誠心を示したかったみたいだが信光叔父上に殴られた。


「叔父上、何をされる」

「いい加減にその馬鹿さ加減を直せ。5ヶ月以上の滞陣になるのだ。5,000人も連れて行って、その兵糧をどこで調達するつもりか?」

「兵を出すと言った者に出させればよいのではないですか?」

「よいか、此度の討伐軍は略奪を禁止されておる。他国の者との喧嘩もご法度。褒美は官位のみだ。しかも兵糧はこちらの持ち出しだ。それを判っていっているのだな」


信光叔父上がそう言った瞬間、領主達の顔から血の気が引いた。

兵糧が手弁当とは知らなかったようだ。


「普通の遠征ならば、現地調達が基本です」

「銭で買うならば、何の問題もない」

「まさか、無理でございましょう」

「無理だな。平定する先で略奪を許すと思う方が馬鹿なのだ」


俺と千代女は当たり前の事を話している。

だが、戦国の常識では数日分の兵糧の準備をするだけが普通だった。

後は略奪の現地調達か、あるいは公方様、北条家辺りが用意してくれると考える。

兵を多く出す分だけ食い扶持が減る。

さらに活躍すれば、関東の地に新しい領地が貰えると期待していた。

ところが信光叔父上に領地は貰えない、食糧は自前と言われて慌てたらしい。

誤算もはなはだしい。


「三河勢に活躍の場は? また領地は貰えないのですか?」

「今回の主力は北条家、武田家、長尾家の三家である。織田家がでる機会はないと心得よ」

「では、何故、我々は呼ばれるのですか?」

「公方様の武威を示す為だ。ゆえに奥州の諸将にも参陣を求めた。公方様の命に従わず、参陣しなかった者は後に討伐される」

「我らもですか?」

「当然だ。この征伐の後に奥州征伐が控えておる。その時は活躍する場もあるかもしれん」

「では、この戦で我々が活躍する場は?」

「ない。1つだけ言い忘れていた。兵糧の輸送は熱田衆と大湊衆がやってくれる。熱田の指示に従え。荷駄隊は用意する必要はない。よかったな。運ぶ手間が省けたぞ」


信光叔父上の嫌味に三河の領主達が渋い顔をしたらしい。

そこから三河1,000人、西遠江500人に絞るのに苦労したみたいだ。

先月になって熱田に運ぶ物資の明細が来た。

もっと早く決めろ、物資を差し出せ。

熱田商人らが搬送計画を立てたが思ったように集まっていない。

その調整を俺にやれって?

俺の苦労からすれば、お前らの苦労は微々たるものだ。


「若様、新しい帳簿が送られてきました。急ぎがいくつか含まれております」

「またか? これより後は急ぎの荷は受け付けん。そう手配しろ」

「承知しました」


兵站へいたんの意味を誰か勘違いしていないか?

宅配便じゃないぞ。

船は有限であり、運べる量は決まっている。

戦に滞りなく輸送計画を立てるのがどれだけ厄介なのか判っているのか?

急ぎの品は追加料金を後で請求してやる。


「若様、そんな事をすると後で恨まれますよ」

「知るか」

「武田家と長尾家は自前の荷駄隊で対応するのでよろしかったですね」

「ふん、武田の面倒など見れるか」


今回の関東征伐は上野こうずけから下野しもつけ常陸ひたちを巡って終わりになる。

最大の敵が古河こが公方であり、館林たけばやし榎本えのもと小山おやま結城ゆうきの動きで変わってくる。

宇都宮うつのみや芳賀はが太田おおた小田おだなどはどちらに付くかは判らない。

急がないと領地を失うぞ。


今回の生贄は箕輪みのわ長野-業正ながの-なりまさを筆頭とする山内上杉家15代当主の上杉-憲政うえすぎ-のりまさだ。

北条-氏康ほうじょう-うじやすの軍に敗れて、越後に逃げた後に上野こうずけに戻って抵抗している。

公方様の『惣無事令そうぶじれい』に従わない張本人だ。


古河こが公方を諌め、公方様に従うように進言するのが関東管領の仕事というのに、その本人が公方様の命令に従わないのも困ったモノです」

「命令したくらいで従うならば、戦国の世にならん」

「公方様はどうされるつもりなのでしょうか?」

「知らん」


公方様が力を示し続ければ、関東の諸将も従うしかない。

何度か繰り返せば、平穏になってくる。

一度では終わらない。

それに関東征伐が終われば、次に尼子成敗が待っている。

あの公方様がのんびりする訳もない。


「西に、東に、また西ですか。若様も大変ですね」

「千代にも迷惑を掛けるぞ」

「迷惑などと思っておりません」

「そうか」


さて、上野こうずけも一枚岩ではない。

金山城(群馬県太田市)の由良-成繁ゆら-なりしげは鉄炮好きで公方様から鉄砲を贈られた事に感謝しており、こちらに従う旨を表明している。

滝山城主の故大石-定久おおいし-さだひさは娘の比左ひさの入り婿として、氏康の三男である藤菊丸(氏照うじてる)に譲ると約束していた。

息子の大石-定仲おおいし-さだなかもその約定を守ると言っているので北条家の味方だ。

どちらも山内上杉家の重臣だった家柄だった。

また、他にも小泉城の冨岡氏、赤井氏も北条家を押していたので、北条家が上野こうずけから撤退すると窮地に立たされている。


先陣は武田家にも伝えている。

駿河で武田-晴信たけだ-はるのぶが公方様を出迎えた後、甲斐に戻ると甲州街道から東山道(中山道)を通って小諸・追分に至り、そこに待機させている兵一万人で上野こうずけに侵攻する。

略奪なしだぞ?

晴信はるのぶは判っているが、絶対に武田家臣団が理解できていないと思う。


一方、長尾-景虎ながお-かげとらは兵2,000人を連れて、三国街道から沼田に進軍する。

加賀一向宗の動きも気になるので全軍を動かすのは避けた。

というのが建前だ。

実の所、越後勢が略奪なしで進軍できる訳もない。

景虎かげとらも自らの不甲斐なさを公方様に詫びた。

兵が少ないので力攻めは一切なし、討って出てくるならば野戦には応じそうだが、調略が主な仕事になる。

調略と言えば、同族である下野国足利城主の足利長尾氏当主の長尾-当長ながお-まさながの説得も含まれている。


「若、氏康うじやす様がお越しになられました」

「通せ」

「畏まりました」


北条-氏康ほうじょう-うじやすは尾張に来ている。

何としても全軍で公方様をお守りするつもりだ。

征伐後に鎌倉府を復興させると宣言しているので、最低でも関東管領代以上の役職を貰わないと領地を失いかねない。

北条家も必死だ。

その為に古渡御殿で兄上(信長)と一緒に出迎えて、そこから船で一足先に小田原に戻って里見討伐を行う。

そして、輸送路の安全を確保する。

忙しい。

形式的だが、織田水軍と熱田・大湊の輸送船も北条家の指揮下に入る。


「実際に指揮を出すのは若様ですが」

「蟄居中の者の名を出す訳にはいかんからな」

「若様の名が上がれば、信勝様も何か役職をくれと騒ぎ出したでしょうから丁度よかったかもしれません」

「そうだな」


実情を知らない里見家が北条家の傘下に入るのを拒んだ。

面倒な事だ。

形だけでも傘下に収まればいいのにね。

海賊のモグラ叩きに付き合う気がないので、早々に里見水軍には退場して貰う。

という訳で里見水軍の討伐だ。


「帆船二隻が投入されますと、輸送能力が低下します」

「判っている。よって初戦のみ投入し、その後は北条水軍に任せて運搬船に戻って貰う。それに参戦を希望した武田水軍にも頑張る場所を与えないといけない」

「こちらも頑張ってくれるでしょう」


晴信はるのぶも必死だ。

上野こうずけでの武田軍の失点は免れないと思っており、他の場所で点数稼ぎをするつもりなのだ。

どこで知ったのか、里見討伐に参加を求めてきた。


「公方様が認めました。断る訳にも行きません」

「統率は北条家に任せる」

「折角だ。主艦の次の二陣を任せて、里見水軍とぶつければいい。北条軍は取り囲んで里見水軍を逃がさないようにして貰う」

「被害が出るのは武田水軍のみですか?」

「そういう事だ」


北条家と要相談だな。

だが、特に問題はないだろう。

武田家と北条家は揉めているが同盟関係だ。

北条家は武田家の姫を甲斐に送り返していないし、武田家も返せとは言っていない。

水面下でずっと交渉が続いている。

駿河の河東を北条家に譲渡するつもりはないので平行線のままだった。

氏康うじやすと家臣一同が部屋に入ってきた。


魯坊丸ろぼうまる殿、何度も申し訳ない。里見討伐の打ち合わせをお願いできるか?」

「やりましょう。あちらにどうぞ」

かたじけない」

「武田水軍が加わる事になりました。また、いくつか寝返りを約束してきました。他にも陽動と内応も引き受けてくれる者が現れました」

「おぉ、それは助かる。では、どこから攻める事に変わるのですか?」

「よく聞いておいて下さい。状況によってどれを選択するかはお任せします」


公方様が尾張に来るまで時間も少ない。

要点をつまんで説明してゆく。

はじめから細かい指示は出せないし、出さない。

俺は房総半島の地形を理解していない。

基本的に丸投げだ。

だが、調略では正四位下参議さんぎ頭中将とうのちゅうじょうという肩書きは役に立った。

まだまだ、寝返ってくれるかもしれない。


「海戦は帆船による艦砲射撃で意表を突き、お貸しした300石船を主艦として突撃し、火薬玉による威嚇、そして、全艘で取り囲んで降伏を勧告します。これは以前と同じです」

「それは承知している」

「同じ事をいいますが、里見を滅ぼしても北条家のモノになるとは限りません。従わせ、公方様に臣従させて属国にする方がいいでしょう」

「婚姻などで搦めてゆく。そちらは問題ない」

「では、次に武田水軍を…………」


俺は基本戦略と房総半島にある城の攻略方法を打ち合わせ、公方様の到着を待つ事にした。

あぁ、忙しいな。

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