第23話 関ヶ原。

(弘治3年(1556年)3月3日)

春雨はるさめ、南蛮芋 (ジャガイモ)のデンプンを使って作った柔らかくモチモチとした麺だ。

関ヶ原で取れた芋から作らせてみた。

とろみのある食感が楽しい。

煮崩れしやすいが出汁がよく染みこむのでどんな料理でも使える。

豆を使った春雨はるさめは大和であるそうだが、南蛮芋を使っているのは尾張だけだ。

その食材として生きるのが鍋だ。


今晩は俺の好みの牡丹汁の土鍋だ。

冬場の鮭鍋も美味かった。

残念ながら東海で川を上がってくる鮭はいない。

だが、俺の好みと知ると塩鮭を北条が上洛の時に持って来てくれた。

尾張の中根南城でも鮭鍋を楽しんだらしい。

塩鮭は味噌で味を整えるだけで他の出汁はまったく必要なかった。

むしろ、前日に塩抜きしないと塩が効き過ぎになる。


「という訳で、今晩は春の山菜を詰めた牡丹鍋だ」

「何がという訳ですか?」

「千代女、迷惑を掛けるわね」

「帰蝶様は構いません。若様、急な予定変更はこれっきりにして下さい」

「悪い。どうしても気になった」

「それは判りますが、他の者も困ります」


俺は2月に尾張に戻る予定だったが、宮中に引き止められて2月末まで京に足止めを食らった。

半分は尼子勢が正月から石見に侵攻を開始した為だ。

毛利勢は予定通りに三ヶ国から撤退し、呆気ないほど簡単に尼子の手に落ちた。

数の少ない毛利勢の略奪が限定的であったのに対して、尼子勢は二万人の大軍で押し寄せたので被害が甚大だ。

地元の商人らが可哀想だったと俺が言うと、帰蝶義姉上も同意してくれた。


「折角、矢銭を毛利に払ったのに商家や寺は大損だわね」

「結局、毛利と尼子の双方に払う事になりました」

「でも、毛利は再び戻ってきた時は請求しないと約束をしているのでしょう?」

「毛利に帰る気があるのでしょうか?」


千代女に一枚。

俺ならば戻りたくない。

長門・周防・石見の三ヶ国を貰っても賠償金の20万貫文を自分で払う事になる。

石見銀山を朝廷に差し出すと言ったので副収入も期待できない。

三ヶ国を誰かに渡して20万貫文を受け取り、背後の備後・備中でも貰っている方が絶対に得だ。

借財を返した上で、残った銭を内政に回せる。

そのまま安芸に攻めるかと思ったが、晴久はるひさは自重した。

石見銀山の件で揉めたからだ。

尼子が安芸に侵攻しなかったので俺は尾張に帰る事にした。


その途上、関ヶ原で新領主の竹中-重元たけなか-しげもとの招待で玉城の麓にある屋敷に寄った。

そのまま尾張に帰るつもりだったのだが、関ヶ原の開拓が思うように行っていないので手助けする事にしたのだ。

すると、大垣城に来てきた帰蝶義姉上もやって来たのだ。


 ◇◇◇


(弘治3年(1556年)3月4日)

屋敷の中でゆったりと外の景色でも見て楽しむ。

今日の『春雨はるさめ』は美味しくない。

空から降る奴だからだ。

霧のような雨が断続的に降り、晴れたと思うとまた降ってくる。


春雨はるさめじゃ、濡れてゆこう」


なんて馬鹿な事は言わない。

じめじめとして暖かい雨もあれば、ぶるぶると震える冷たい雨もある。

今日は後者だ。

体を冷やさないように温かい甘酒をずずずと音を立てて呑んでいた。


庭で肩から湯気を立てながら槍を振っているのは慶次だ。

霧のように降ってくる雨粒を切っているそうだ。

できるモノなのか?

とにかく凄い集中力だ。


関ヶ原の開発は難航している。

北は伊吹山、南は養老・鈴鹿山脈が続く扇状地型の典型的な台地だ。

西の山の手前が藤古川で天満山を挟んで梨の木川が走っている。

北西から南東へ傾斜しており、上辺部は非常に水捌けがよい。

西から藤古川、梨の木川、相川が傾斜と同じく西北から南東に流れている。

西から東、東から西とどちらに攻めるのも苦労しそうな地形だ。


もし、西軍が陣を張るならば、この山沿いになる。

藤古川、梨の木川と段丘陵の間には5.5間 (10m)のゆったりとした段差があり、城の堀のような役割になる。

東軍は当然、川の向こう岸に陣を張る事になる。

こちらも川も掘のように段差があるので守り易い。

東軍の本陣は相川の向こうがいいだろう。

それとも東山道上に陣を張るか?

後退すれば、すぐに美濃の垂井が見えてくる。


どちらにしても攻める方が不利な地形だ。

川の両岸は湿地帯になっており、戦いになれば、坂を下って足場のある湿地帯を抜けて川を渡る。

その間、矢の雨が降る。

それが終わると今度は登りだ。

守る方は柵を作っていれば、簡単な砦になる。


そう考えると西北の川の上流から戦いが始まる。

こちらは水捌けがいいので湿地帯がない。

東軍が攻めるとすると、北を迂回してから南下する事になるだろう。

玉城の東にある天満山が激戦地だ。

天満山は藤古川と梨の木川に挟まれた小高い山だ。


その地の利を捨てて、梨の木川の向こうに陣を張るのは無謀だ。

馬鹿だ。

俺なら絶対に本陣を置かない。

敵中に身を晒すに等しい。

だが、捨て駒の先駆けの武将を坂の上に配置するには丁度いい。

坂を下って一気に横槍を入れる事ができる。


そう考えると、西軍の総大将は最も安全な西南の松尾山城に陣取っていたハズだ。

関ヶ原全体を見渡せる。

つまり、西軍の総大将は松尾山城にいた方だ。


逆に、松尾山城を先に東軍が取っていたならば西軍は西北に本陣を置くしかなく、川を掘として利用できなくなる。

そうなると登り坂の上に陣取っているだけが西軍の有利となるが、なだらかな場所が多いのでそれほど優位性もない。


幾度も戦場になった地は必ず再び戦場地となる。


昨日回った地形を頭に浮かべ、それを紙の上に描いてゆく。

どこを守り、どこを捨てるか?


「若様、今回の視察は開発地の視察であり、砦の視察ではありません」


あっ、忘れていた。

俺も戦国に毒されているな。

取り敢えず、玉城、今須、松尾を抑えているので西から攻められる心配はない。

砦の場所を決める地図ではなかった。


関ヶ原を発展させる一番の手段は運河だ。

近江と美濃を結ぶ。

近江の天野川と今須と藤古川と相川を運河で結べば、その経済効果は図り知れない。

産業の一大革命だ。

だが、現実には難しい。

河川工事がはじまったばかりで水路の建設などいつ着工できるか判らない。

運河となれば、さらに時間が掛かる。

後回しだ。


さて、関ヶ原の特産物は『御影石』だ。

硬く、風化に強く、重さもある。

石垣の材料として最高級品だ。

道を改修して街道を通って運ばせているが、次に荷馬車が通れるように舗装する。

だが、大量に運ぶには水路があった方がいい。


「若様が焦る気は判りますが、村の者は背負って運ぶ事に苦を感じておりません」

「俺は背負えないほどの大きな石材を運ばせるつもりだ」

「まず、高値で発注するのはどうでしょうか?」

「大垣城の大手門を守る石垣に使うか」

「それがよろしいかと」


一先ず、二枚ほどを発注しておこう。

運ぶのに苦労すれば、水路の必要性も説き易くなる。

村人の協力がないと河川の改修が進まない。

重要性が高いモノならば、大量に人を雇って一気に終わらせる。

だが、どう考えても採算が合わない。


魯坊丸ろぼうまる、河川の改修を後に回すのですか?」

「関ヶ原は交通の要所であり、宿所を作るだけで十分に儲かっております。河川を改修しても取れた作物で、掛けた銭を回収できるほどの採算が見込めません」

「そうですか」

「日照りの対策にため池を多く造っておきます」

「お願いします」


ここは水捌けが良過ぎて日照りになると作物が全滅する。

そうならない為のため池だ。

垂井方面の相川の河川の改修は急ぐが関ヶ原の河川の改修は後回しだ。


「それとは別に何か知恵はありませんか? 領地の交換で関ヶ原を新しく貰った者も多いのです」


帰蝶義姉上が困ったわという感じで頬に手を当てた。

当然、一番いい場所は元々いた土着民が占有している。

簡単な河川の改修で上流と下流に新たな農地を作って、その農地を囲むように土手曲輪を造らせて最低限の安全を確保させた。

また、上流から簡単な用水路を作って、下段上部の荒地を農地に変えた。

こうして移住した新しい領民に土地を与え終えた。

さっきも少し言ったが御影石の運搬で十分な副収益は見込めている。

それ以上を望むのは欲張りだ。


「皆、心配なのです。去年も雨が少なかったので川が枯れる寸前でした」

「ですから、ため池を造って対処します」


担当した黒鍬衆の者は指導に自信があったが、大々的な計画は無理なので助っ人を呼んでいた。

しかし、どこもかしこも人手不足だ。

今年は間に合わない。

そこで俺に相談に来た。

測量の手間を省く為に、急に予定を変えたので千代女もカンカンだ。

だが、相談されて無視はできない。

キチンとしたモノは後で造らせる事にして、たった一ヶ月で間に合わせの溜め池を造らねばならない。

雪解け水を貯めて夏場を凌ぐのだ。

また、それと同時に洪水を遅らせる調整池の選出だ。

俺もできる範囲で手伝ってみる。


「皆、不安なのです。何とかなりませんか」

「溜め池と調整池では足りませんか?」

「河川の改修が終わるまで不安は拭えません」


そりゃ、そうだ。

ちょっとした大雨で河川は増水する。

それはどうしようもない。

それを含めて何とかならないかと帰蝶義姉上は頼んでいる訳である。


「判りました。台地の上層に葡萄を植えましょう。干ばつに強い木で、雨が少ないほど甘い実を付けます。作物が駄目になった時は葡萄の実がそれ以上に稼いでくれるでしょう。売れ残った葡萄は酒にして保存もできます」

「それは名案だわ」

「それと花畑です。養蜂ようほうを組み合わせれば、収入も安定します。蜂蜜はちみつは貴重ですから、これならば文句も出なくなるでしょう」

「ありがとう。魯坊丸ろぼうまるの大切な札を切らせてしまったわね」

「帰蝶義姉上の為なら、これくらいはできます」


花の管理はこちらに任せるが、蜂の管理は織田家でやる。

それで問題も起きないだろう。

おぉ、西の空が晴れてきた。


「慶次、昼から視察の続きをやるぞ」

「では、周辺の警護の手配をやってきます」

「頼む」


さて、一気に終わらせよう。

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