閑話.さくら、飛ぶ。後編
(弘治2年(1555年)12月25日?)
決戦の場は伊勢湾。
熱田沖は狭く浅いので危険なので伊勢湾の中央部まで実験船は300石舟に曳航された。
20石にも満たない実験船は小型艇だ。
積載量のみを比べると『
だが形は帆船であり、帆を立てる
曳航される実験船を見て南蛮人らは笑った。
「見て下さい。この美しい船体を無駄なモノは1つとしてありません」
観戦の為に乗った信長と帰蝶に竹中半兵衛が説明する。
「動力は水蒸気です。本来なら薪で火力を得るのですが、それでは高出力を得られない。そこで純粋な
「帰蝶、言っている意味が判るか?」
「まったく判りません」
「とにかく、凄く速い船が実現したのです」
半兵衛の合図で旗を振ると楓が曳航の綱を外した。
動力の近くで楓が
最初の起動は手動だ。
それで動力が動き出し、ポン、ポンポン、ポンポンポンという連続した音が実験船から上がった。
『主幹接続』
さくらの合図で紅葉がレバーを引くと実験船が動き出した。
「あれはどうやって動かしているのだ?」
「船の底にスクリューというモノを付けており、それを回す事で推力を得ます」
「判るか、帰蝶?」
「回して、水を搔くのでしょうか?」
「その通りです」
敵の南蛮船も一隻だ。
十分な距離を取って戦いが始まり、南蛮船は急いで風上を取りにいった。
さくらは後ろに付けて追い掛けた。
帆のない船が走る。
それだけで不思議だ。
だが、大砲の射程に入った瞬間、南蛮船の船体が揺れて横を向かせると大砲が火を噴く。
『面舵一杯』
さくらが舵輪を回して走る向きを変えた。
さくらがいた場所に敵の弾が着水すると大きな水柱が立った。
「さくら、当たったら終わりだからな」
「判っている」
実験船の前後左右に水柱が立った。
南蛮船が容赦なく撃ちまくった。
中々、近づけない。
だが、さくらとて無能ではない。
敵が右に回頭するならば、左に進路を取って危険地帯を素早く抜ける。
南蛮船は回頭を止めるとか、あるいは、さらにもう一周するなどの工夫をする。
尻を向けている間に可能な限り近づいてゆく。
それの繰り返しだ。
水柱の中をくぐりながら、さくら達の実験船がかなり近くまで来た。
大砲の射程距離は1kmから2kmくらいだが、揺れる船体の上では命中精度がまったくない。
有効射程距離は100mから200mくらいからだ。
つまり、100間 (180m)辺りから危険地帯になる。
『女は度胸』
そんな感じで特攻しないと勝ち目がなかった。
22間 (40m)。
大砲の弾が実験船の頭上を掠めた。
1つの弾が煙突にぶち当たって飛んだ。
ぎゃあぁぁぁぁ、さくら達は絶叫する。
「紅葉、圧力解放弁を解放」
「さくらちゃん、何言っているの?」
「ふははは、舵輪が取れた」
さくらが使えなくなった舵輪を持ち上げた。
もう、方向転換もできない。
実験船の奥の手だ。
左右に付けた大きな樽は飾りではない。
『動力接続の最大』
楓がそう叫ぶと、樽の前方で回っていたプロペラの回転数が上がった。
樽の中は2つの
高圧で圧力の掛かった
それを見た半兵衛が声を荒げた。
「見て下さい。蒸気機関の最終形態。青き清浄なる『
この力の前にはすべてがひれ伏すしかない。
竹中半兵衛は秘蔵されていた設計図を見て、この力に魅了された。
海を走る船、天を掛ける鳥、月へ飛ぶ一陣の光。
今や
さくら達は加速した実験船を捨てて甲板から飛んだ。
ざぶんと海に落ちる。
そして、南蛮船のわき腹に突っ込んだ実験船が大爆発を起こして、南蛮船ごと沈んでいった。
寒い冬空の下で海から引き揚げられたさくらが泣いている。
「もう乗りたくない」
・
・
・
誰かが俺を呼んでいる。
「若様、若様、若様」
重い
千代女が心配そうに覗き込んでいた。
◇◇◇
(弘治2年(1555年)12月26日)
「こんな所で寝ていては風邪をお召しになります」
俺はいつの間にか寝ていたらしい。
変な夢を見た。
昨日、尾張からの手紙を見て、あらゆる事態を考えていたからか?
仕方ない。
いつもながらの尻拭いだ。
誰かに任せるというのは、これの繰り返しになる。
期待を裏切られるのはいつもの事だ。
任せないと人は育たない。
「もう少し詳しく指示された方がよろしいと思います」
「千代、いずれ組織は大きくなる。そして、目が届かなくなる。目が届く内に好き勝手させて尻拭いする方が楽なのだ」
「若様が楽をしたいだけにしか見えません」
「もちろん、それが一番の目的だ」
千代女が溜息を付く。
俺が皆に厳しく接しない事に千代女は不満なのだ。
厳しくすれば、より巧妙になる。
完璧なモノほど、
最初から崩れると想定していればいい。
それが俺の悟りだ。
「御所はどうだ?」
「今日は方角が悪いと使者を出し、
「そうか、ご苦労だった」
「夕方に一度来られると思います」
そう言われて障子の方を見た。
まだ明るい。
それほど長く寝ていた訳ではないらしい。
「若様、尾張から手紙が来ております」
「もう終わったのか?」
俺の予想では早くとも今日の夕方と思っていた。
差し出された手紙を受け取りながら千代女に尋ねた。
「結果はすでに知っているのか?」
「はい、織田家の圧勝です」
正夢か?
「さくら達が実験船に余程乗りたくなかったようで、100人ほどで南蛮船に奇襲を掛けました」
俺は慌てて手紙を読んだ。
侍女26人と熱田の熱田神社警護衆70人で四隻の南蛮船を襲って無血占領をした。
早朝という事もあり、あっさりと勝った。
その後に不満のある船員と一対一の甲板上の決闘を受け入れて、さくらが副総督以下6名に圧勝した。
他の船も
「その気になれば、お前らの首などいつでも取れる。それを忘れるな」
「半兵衛は織田家の技術力をはっきりと見せて、格の違いを見せ付ける方が威嚇になると強く主張したようです」
「言いそうだな」
「しかし、
「意見が割れた訳か」
「半兵衛も反論しましたが…………」
そうなのだ。
長鉄砲、軽砲、迫撃砲、地雷などの実験や訓練は知多半島の山間で行っており、かなり厳重に秘密を厳守している。
しかし、知多半島の常滑沖で実験や訓練をしているが、艦砲射撃や実験船などは対岸から見る事もできれば、鈴鹿山脈のどこからでも監視できる。
船に関しては秘匿できていない。
「いずれ、すぐに知れるのだ。今日知られた所で何の問題もない」
「若様が隠すとおっしゃっておられる。勝手な事をするな」
「機能していないならば、是正するべきだ」
「小僧、死にたいか?」
「脅しても無駄だ」
『馬鹿者!』
そう食い下がった所に工場長の拳骨が飛んで来た。
目から火が出るような一撃だ。
余りの痛さに半兵衛が泣きべそかく。
「お許し下さい」
「安心しろ。大切な生徒だ。勝手な事はせぬ。だが、こちらのやり様に口を出すのも許さぬ。
「判った。今度、
「それでよい」
脅されても引かない半兵衛も大概だ。
まだ何か言い足そうな半兵衛を工場長が強引に連れて退散した。
才能と才覚だけで副工場長になったが、学生が軍議や政争に口を挟む権利はない。
半兵衛はまだ帰り際に工場長に意見する。
『身分を弁えよ』
そう言われて、また殴られた。
ちょっと学生と職人に崇められて天狗になっていたようだ。
「今は目の前の事しか、目に入っていない感じだと思います」
余程、実験船3号機に自信があったのだろう。
こうして呆気なく『黒船来襲』は終わった。
◇◇◇
20日後、改修を終えた織田帆船1番船と南蛮船とで浮いた3つの
『わらわに任せるのじゃ』
お市に甘い
南蛮船は小さな
10門より3門の方が当たるとはこれ如何に?
お市はこの的当てが大好きで指揮官の中ではトップレコーダーだ。
練習の時は3割の命中率だったが、実戦になると10割って何だろうね?
考えるだけ無駄って感じだ。
スペインの船員は絶対に勘違いしている。
一ヶ月後、ザビエルが清州や三河を周り、六角家や北畠家などにもあいさつを終えて戻ってきた。
交渉も成功して、対等な貿易国として継続的に交易を続ける事になった。
スペインの船団が帰ると、延び延びになっていた実験船の試験が再開される。
半兵衛が自信を持っていたように高速船並の速度を実現した。
がしかし、舵輪を回すと転覆だ。
その後も転覆と爆発炎上を繰り返す。
半兵衛が書き直した設計図の出力が強すぎて、素材の強度が足りなかったが為に動力機関が爆発した。
しかし、爆発の原因が判るまで3年の歳月が必要だった。
また、転覆の原因は速度の出過ぎだ。
これはバラストの工夫でかなり早く改善できた。
「千代、『
「実験室で爆発を繰り返しております。まったく目途が立ちません」
「そうか」
蒸気機関より遥かに高い技術のいる動力に挑戦する馬鹿を応援するつもりだが、実現する日がいつになるかは判らない。
気長に待とう。
PS.実験船3号機が転覆すると、撃ち出された脱出ポッドで
不発で船と共に沈まなくてよかったね。
「全然、よくありませんよ」
テストパイロットさくらの苦悩はまだまだ続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます