閑話.さくら、飛ぶ。前編

(弘治2年(1555年)12月25日)

私達は命を賭けて戦います。

たとえどんな理不尽な命令でも、それが魯坊丸ろぼうさま様の侍女の定めなのです。

引き裂いた波を切り、震える蒸気船『航武こうぶ』の舵をさくらが切った。

悪辣な南蛮人の乗る大砲が火を噴き、高らかに大きな水柱がさくらの周囲に華開いた。

その中を踊るように『航武こうぶ』が回避する。

ざばぁん、恐怖。

ずぼぉん、恐怖。

ずぼぉん、恐怖。

小さな小船でしかない蒸気船は水柱が上がる度に大きく揺らいだ。

ぎゃぁ、さくらが悲鳴を上げた。


「次、来るぞ」

「さくらちゃん、避けて」

「判っているよ」


ざばぁん、死にたくない。

その一心で右に左に舵を回した。

神業だ。

艦の脇を掠りながら船の後方に水柱が上がった。

船が跳ねる。

船内では、「ぐぎゃぁ」とさくら、楓、紅葉の三人の少女たちが何かにぶつかった呻き声が響いた。


「死ぬ、死ぬ、死ぬ、もう駄目だ」

「しゃべると舌を噛むぞ」

「もう駄目」

「誰だ、こんな喧嘩を売った奴は」

「今、それを言うか?」

「さくらが悪い」

「楓も紅葉も同意したじゃないか」

「さくらちゃん、敵が回頭した」


さくらが正面を見ると、南蛮船がタッキングを開始した。

蒸気船は船体の向きを変えて突撃する。

航武こうぶの武装は二つしかない。

突き出た角で突撃か、一度切りの火薬弾だ。

角には火薬が詰まっており、切り放すと同時に点火されて爆発する。

火薬玉はカタパルト台の上の箱に詰められて置かれ、海水が被っても大丈夫のようになっているが、発射と同時に箱が潰れ、四方に飛んだ火薬玉で敵の帆を狙う。

どちらも近距離からの一撃であった。

敵の死角から回り込んで突撃する。

さくらは舵輪を回して面舵に切った。


「紅葉、強制注入装置開け」

「もう開いた」

「楓、敵との距離は?」

「あと100間 (180m)」

「いっく~~~よ」


蒸気船が敵の背後を回りながら接近する。

敵のキャラック船の大砲の数は20門。

55間 (100m)を切ると大砲の精度が上がるので、脇腹に姿を見せると10門が一斉に火を噴いて撃沈される可能性が高い。


「紅葉、圧力全開」

「やっている」

「楓、距離は?」

「あと22間 (40m)」


距離がある時は水柱の中を横切って逃げる手段もあった。

だが、100間を切ると、その策は通じない。

もう敵の船が回頭するのが早いか、さくら達が尻に付くのが早いか、後方を逃げながら、さくら達は近づいていった。

回頭の方がわずかに早い、後ろから外れる。

ヤバい!

さくらは脳裏に死線を感じた。


「南無、これが最後だ」


さくらは大きく舵輪を回し、蒸気船の船首は敵船の後方横腹に向いた。

逃げる事を諦めて突撃する。

敵の大砲が一斉にこちらに向いて発射された。


ずど~~~~ん、大砲から放たれた火の玉が蒸気船を襲った。


 ◇◇◇


(弘治2年(1555年)12月23日)

師走の忙しい最中に信長は仕事を長門守に押し付けて時間を作った。

帰蝶を呼んで久しぶりに膝枕をしながら耳かきをして貰う。


「やはり、帰蝶が一番巧いな」

「皆にそう言っておるのでしょう」

「嘘ではない。帰蝶にしか言っておらん」

「そういう事にしておきましょう」

「忙しいのにすまんな」


帰蝶は他の妻と違って忙しい。

正室としても茶会などの仕事もする側らで役方の仕事も熟していた。

信長の半身というのは本心だった。

年寄や家老らは何をしているのだと思われるかもしれないが、魯坊丸ろぼうまるがはじめた織田家の改革について行ける者は少ない。

織田家を引っ張っているのは若手の侍大将や奉行達であった。

だが、彼らでは年寄や家老らの手綱は取れない。

長門守と帰蝶が信長の片腕として働いて貰わないと織田家が立ち行かないのだ。


鼻がむずむずとしたのか、信長が手を翳す。

帰蝶はさっと耳かきを引いた。

へっくしゅん。


「お風邪を召されましたか?」

「大丈夫だ。魯坊丸ろぼうまるがまた儂の悪口を言っているのであろう」

「ふふふ、京に行ってまで言っておりませんでしょう」

「判らんぞ。彼奴は可愛げがない」

「可愛いではありませんか?」

「帰蝶には可愛いかもしれんが儂には冷たい。いつも棘のある言葉ばかり吐きおる」

「期待されているのです」

「判っておる。だが、言葉がキツい。信勝のような顔だったら、何度も殴り飛ばしていたと思ってしまうぞ」

「そう言えば、お手を出しませんね。お足を一度出していましたか」

「それも加減した。あの綺麗な顔を殴れるか。最近は益々母親に似て来よった。あれで上目使いを覚えられたら、儂はどんな願いでも聞いてしまいたくなるぞ」

「それほどですか」

「まったく、厄介な奴だ」


帰蝶は頬に手を当てた。

信長に媚びる魯坊丸ろぼうまるを想像した。

最近、確かに少し身長が伸びた。

子供っぽい丸みを帯びていた頬が少し欠けてくると、少し色気を見せる美少年に育って来ている。

その魯坊丸ろぼうまるに迫られて鼻を伸ばす信長の姿が浮かんだ。


『兄上(信長)、俺はこれが欲しいです』

『我儘な奴め』

『駄目ですか?』

『仕方ない。買ってやるか』

『兄上(信長)、大好きです』

『ははは、そうか』


ないわ。

魯坊丸ろぼうまるの可愛らしさはもっと知的だ。

そんな魯坊丸ろぼうまるが慕ってくれる事を素直に嬉しく思えた。

だが、これが同性だったと考えると背筋が凍るほど寒く感じる。

美しく、知的で非の打ち所がない。

帰蝶はおそらく嫉妬せずにいられないだろうと感じた。

あぁ、だからか。

魯坊丸ろぼうまるの母親の事も納得できた。

側室にして城に上がらせず、中根家に下げ渡されたのはその為だ。

土田御前が嫉妬に狂って刃傷沙汰を起こしたかもしれない。

なるほど、傾国の美女だ。

何となく納得する帰蝶だった。


「大変でございます」

「長門、どうした?」

「南蛮船が伊勢湾に入り、熱田の方に向かっております」


信長がぐわっと立ち上がった。

いずれは来ると思っていたが、案外早かったと思った。


「殿、争うのは避けた方がよろしいと思います」

「儂もそう思っておる。しかし、相手の出方にもよる」

「では、常備兵を小早に乗せ、彼らに『火薬玉』を積ませて待機させておきましょう」

「それで勝てるのか?」

魯坊丸ろぼうまると相談しております。数で圧倒すれば、余裕で勝てます」

「うむ、勝てるのだな」

「しかし、被害がそれなりに出る事と覚悟をせねばなりません。とにかく、接近戦ならば武士の方が強いと申しておりました」

「なるほど、火薬玉で威嚇した後に乗船して乗っ取るのだな」

「はい、そうなります」


信長が目をギラつかせて帰蝶を見ると、帰蝶は目を閉じて首を横に振った。

駄目です。

帰蝶は目を開くと信長をじっと見据えた。

じっ~~~~と睨み続ける。


「駄目か?」

「戦えば、町に被害が出ます。交易にも支障が生まれます」

「一度くらいは手合せをしてみたいと思わぬか?」

「いけません」

「であるか。相判った」


帰蝶は信長一人では危ないと思って、一緒に熱田に向かう事にした。


 ◇◇◇


伊勢湾に現れた南蛮船はスペインの船だった。

一昨年、堺で大砲が披露され、その噂は海を渡って媽閣マーコウ(マカオ)、インドのゴアに伝わった。


『誰が大砲を売ったのか?』


東アジアを支配するポルトガル商人らが犯人捜しに大いに沸いた。

次に疑われたのは、呂宋ルソン(フィリピン)に居たスペイン艦隊であった。

呂宋ルソンにいるスペイン艦隊は、艦隊とは名ばかりの冒険者ゴロツキの集まりであった。

日ノ本はポルトガルとスペインの境界である135度の線上だった事もあり、微妙な国であった。

交易を独占する為に大砲を売ったのではないか?


『大砲を売ったのはスペインに違いない』


ポルトガル国王はスペイン国王を弾劾した。

日本国はポルトガル領だと。

スペイン国王は貴族のフアン・カルロス・デ・グスマンを呼び、大砲の真偽を明らかにする為に派遣する事にする。

もちろん、ポルトガル商人らが溢れる前にスペイン領にする為だ。

三隻の船団は喜望峰きぼうほうを回ってインドのゴアを目指した。

しかし、運悪く時化にあって一隻が沈没、もう一隻は船体に大きな致命傷を負って放棄した。

結局、ゴアに到着できたのはグスマン卿の乗った一隻であった。

そこでコスメ・デ・トーレス神父から手紙を受け取り、明に渡る予定を変更して日本に戻る準備を行っていたザビエルと会う。

グスマン卿はザビエルに水先案内人を頼んだ。

ザビエルも快く引き受けた。

流石に一隻で日本に向かうのは危険と思ったグスマン卿は呂宋に向かい、スペイン国王の命令書を出して冒険者が所有する三隻の船を徴集し、キャラック船2隻、ジャンク船2隻で船団を組んだ。

船団は水と食料を補充する為に琉球に寄った。

そこで運よく尾張に行った事があるという一条家に仕える船乗りを見つけると、尾張まで水先案内人として雇った。

九州の坊津、土佐の下田にも寄らずに伊勢湾に入ってきたのだ。

グスマン卿とザビエルが最初に驚いたのは、小舟に乗って近づいてきた者がエスパニョールを話した事だった。


「ここは尾張の織田領です。何の用事でここに来られたのでしょうか?」

「私は宣教師のフランシスコ・デ・ザビエルだ。織田-魯坊丸おだ-ろぼうまる様から頼まれた商品をお届けに来た」

「そうでございましたか。遠くからありがとうございます。しかし、残念ながら熱田湊では四隻の船を着岸できる埠頭がございません。あちらに突き出した埠頭で一隻だけ着岸できます。どうか代表の船をお止め下さい。詳しい話をお聞き致します」

「承知しました」

(すべてスペイン語です)


グスマン卿の旗艦が着岸すると、加藤-延隆かとう-のぶたかがグスマン卿とザビエルを出迎えた。

織田家の外交官の通訳が入った。

外交官ならば誰でもスペイン語がしゃべれると聞いてびっくりする。

(と言っても外交官は10人しかいない。)

取次役に至っては勉強中であった。

だが、敢えてそんな事は暴露しない。


熱田湊の中心に入ると賑わってきた。


「あれは何の準備をされているのですか?」

「25日の『生誕祭』の準備です」

「織田家では『生誕祭』を祝うのですか?」

「神が生まれ代わるのを祝うのは当然ではありませんか」

「おぉ、神よ。尾張は邪教の国とコスメは言っておりましたが、誤解だったようです」


十字を家紋にしている島津家も驚いたが、この驚きはその比ではない。

ザビエルは一気に警戒感を解いた。

東の遠く離れた島国にキリスト教を国教とする国があった事を神に感謝した。


「おぉ、神よ。私は奇跡を見ております」


迎賓館では信長と帰蝶が待っていた。

尾張の領主と聞くと二人が頭を下げた。

ザビエルは織田家との友好を願い、布教の許可を願った。


「織田家の法に則るならば、好きに布教するがよい」

「ありがとうございます」


貢物を差し出さないと会う事も布教の許可も貰えない領主と大違いであった。

信長という領主に好感を覚えた。

だが、信長の思惑は違った。

熱田明神への信仰心が厚い熱田で、魯坊丸ろぼうまる以外の神を崇める者がいるのだろうか?

信長はいたずらっ子のような顔をしていた。

面白い物が見られそうだ。

興味本位でザビエルを見ていたのだ。


「織田家はどこで大砲を手に入られたのですか?」


グスマン卿の率直な質問は愚問だった。

すべて織田産だ。


「そう言われても信じられません」

「ならば見せてやろう。だが、同じように南蛮船も調べさせて貰うぞ」


グスマン卿はしばらく悩んだが、信長の要望に同意した。

信長が見せたのは陸戦用の小型の大砲であった。

残念ながら織田家の帆船は改修中で表に出せない。

替わりに織田家の最新式の鉄砲を見せた。

試し撃ちをすれば、南蛮人の鉄砲より優れているのは一目瞭然だ。

街の造りを見るだけで技術力の高さを知る事もできる。

信じられないが、織田家が自らの力で大砲を造った事を信じるしかなかった。

信長の自慢は止まらない。


「まさか、異国でチーズが食べられるとは思っておりませんでした」


グスマン卿をはじめ、主だった者を集めて宴を開いた。

南蛮人に合わせて、牛肉のステーキ、クリームシチュー、ピザ、豚肉の腸詰めなどをメインに歓迎した。

南蛮人はあぐらが苦手と思い、テーブルと椅子も用意させた。


「まさか、ワインまで」

「味は保証できん。織田で育つ葡萄はワインには向かないと言っておった」

「船に乗っているワインの樽をお分けしましょう」

「おぉ、それは楽しみだ」


ずだん。

会場の脇で飛ばされたのは冒険者であり、呂宋の船団の副総督だった。


「てめぇ、何しやがる」

「それはこっちの台詞だ。私の尻を触ろうとしたのはそっちだろう」


副総督が手を出した瞬間、賄いを手伝っていたさくらが身を翻して、副総督の腕を掴むとテーブルを倒さないように横滑りさせるように横に投げた。

副総督はごろんとでんぐり返って壁にぶち当たったのだ。


「俺様を誰だと思っている」

「知るか。尻を触ろうとした奴が悪い。この…………この? 紅葉、こういう時はなんて言うんだ?」

「このセルド野郎でいい」

「このセルド野郎」


スペイン語に詰まったさくらが紅葉に聞き、紅葉がレクチャーする。

さくら達は特別に習った訳ではない。

千代女と同じく、スペイン語の授業を横で聞いていたので片言でしゃべれて、相手の話を聞く事ができる程度だ。

だが、紅葉はこう言った分野が得意だった。

織田自慢の為だ。

簡単な意志疎通でできるという理由で中根南城から呼び出された。

副総督はきゃんきゃんと吠えた。


「躾けの悪いポジャだね」


楓が横から入って罵った。


「俺がポジャだと!」


副総督は『セルド野郎』と言われて怒っていたが、「気持ち悪い」、「女たらし」という意味であり、ある意味で的を射ていた。

しかし、『ポジャ』と言われた瞬間、頭から湯気が出たように顔を真っ赤に染めて怒り出した。


「グスマン卿、俺はもう我慢ができん。邪教を打ち果たして、好き放題に略奪するというから付いて来た。こんな茶番に付き合えるか」

「勝手な事は許さん」

「黙れ、もう言う事は聞かん」


副総督はもう止まらない。

その周りの部下も待っていたという感じで笑みを浮かべていた。

冒険者など野盗と同じだ。


魯坊丸ろぼうまる様の町を騒がすというならば、あたし達も黙っていません」

「小娘が、いい気になりやがって」

「相手になってあげますよ」


侍女達はみんな割と可愛いので船員も乗り気になってきた。


「はい、はい、はい、信長様。はい、はい、はい、信長様」


給仕をしていた少年が手を上げる。

元気な声を上げているのは、少年も片言がしゃべれるという理由で呼び出された。


「それは何のつもりだ」

「神学校では意見のある時は手を上げて、「はい」と叫んで意見を述べます」

「ここは学校ではない」

「ですが、意見を述べさせて下さい」


信長が嫌そうな顔をするが帰蝶の見知った者らしく、「聞いてあげて下さい」と言うので発言を許した。


「はい、神学校、飛び級3年生、武器開発部の竹中-重元たけなか-しげちかの子、半兵衛はんべいでございます。蒸気船開発室の副工場長をやっております」

「蒸気船?」

「織田家の将来の主力戦艦になる主動力を開発しております」

魯坊丸ろぼうまるめ、そんな事をやっておるのか?」

魯坊丸ろぼうまる様は凄いです。まったく考えもつかない事をお考えになる。これが完成した暁には世界が変わります」

「それはどうでもよい。意見を申せ」

「織田家の帆船は改修中で使えませんが実験船が使えます。勝っても負けても、南蛮人の度肝どぎもを抜く事ができるでしょう」

「そうなのか?」

「はい、間違いありません」


信長が帰蝶を見た。

帰蝶がゆっくりと頷いたので信長はその勝負を許した。

それを聞いたさくら達が青い顔をしていた。


「さくらちゃん、実験船って?」

「また、私らが乗るのだろな」

「嫌ぁ、暗い海に沈みたくない」


実験船1号機、エンジン始動と同時に爆発炎上。

実験室では爆発しなかったのに海に浮かべてエンジンを始動すると爆発した。

三人は命からがら脱出ポッドに飛び込んだ。

浮かぶ設計だったが、何故がさくらのポッドだけ海底に沈んだ。

皆が必死で引き揚げた。

まだ、海岸に近く海底が浅かったので助かった。

しかし、暗い海の底で救助を待った恐怖がさくらに新しいトラウマ・・・・を植え付けていた。


爆発の原因を究明した2号機は見事に走った。

しかし、バランスを崩して沈没した。

半兵衛はんべいは諦めない。

さらに改良を加えたのが3号機だ。


「嫌ぁ、死にたくない」


さくらは絶叫した。

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