第26話 イエス=キリストと天照大神が同一神ってなんじゃそりゃ?

(弘治3年(1556年)5月3日)

俺は熱田神社に呼ばれた。

5月5日の『端午たんご節句せっく』が迫って来たからだ。

元々はの国王の側近に屈原くつげん(紀元前340年から前278年)という臣下がいた。

彼は国を思う正義感の強い者であったが、陰謀によって失脚して国を追われた。

故国の行く末を失望した彼は汨羅べきらという河で身を投げてしまった。

楚の国民はそれを悲しみ、太鼓を打って魚を脅し、ちまきを河に投げ入れて、彼の死体を食べないように、5月5日に供養が行われるようになったそうだ。


流石にちまきを河に投げ入れる風習はなかったが、この暑くなって腐りやすくなる『毒月』の厄祓いとして、菖蒲しょうぶやよもぎ、のぼり旗指物はたさしものなどを玄関に差す習慣になっていた。


残念ながら『こいのぼり』は上がらない。


子供達の無病・息災を願って、紙などで作ったお手製の鎧兜で町を行進し、神社でお祓いをしてから、ちまきとよもぎ団子を配る事にした。

風呂屋では菖蒲しょうぶを漬けて菖蒲しょうぶ風呂の日だ。

風呂上りの一杯によもぎ茶を用意する。


今年は兄上(信長)らが出陣しているので、自粛するか兄上(信長)らが無事に帰ってくるように派手にするか意見が割れたが概ね派手にする事になった。

儀礼的に俺の許可が欲しいらしい。

神官と氏子と商人らの前で「それでいいのじゃないか」と言った。

(氏子には武家も含まれます)

皆が立ち上がって歓声を上げた。


村人はおむすびとこんぶを振る舞い、漁師は大漁旗を掲げてかつおを取りに行く。

おむすびはお身を結ぶ、こんぶはよろこんぶ、かつおは勝つオーらしい。

屋台も出そうだ。

勝ちハマグリ入りのお好み焼きとか、たこは『多幸』らしくタコ焼きもでそうだ。

芋も子宝だったかな?

ともかく、語呂合わせの食べ物が町中に氾濫する。


熱田が騒ぐと那古野も騒ぎ、那古野が騒ぐと津島と清州も騒ぐ。

津島と言えば、来月の天王祭てんのうまつり(6月14・15日)の準備もはじまった。

今年は5艘の巻藁船まきわらぶね(提灯船)の周りに100艘の桟敷船さじきせんも用意すると意気込んでいる。

活気がいいのは皆が幸せな証拠だ。

良きかな、良きかな。


 ◇◇◇


駄々を捏ねる公方様を追い出した。

確かに船で小田原まで行く方が速く、そこで合流してから鎌倉に行く方が楽だろう。

だが、公方様のいない行列って肉のない『すき焼き』だ。

公方様の命に従がって集まってくる諸将に失礼だろう。


「あのような有象無象うぞうむぞうの者らなどどうでもよかろう」


公方様としては絶対に言ってはならないが、紫殿としてはギリギリセーフな発言だった。

確かに幕府に擦り寄ってくる寄生虫のようなモノだ。

だが、官位などを欲して朝廷や幕府に献金してくれる大切なお客様だ。

今回も公方様の為に手弁当で兵を出してくれる。

末端を粗末にすると、後でしっぺ返しを食らう事になる。

公方様を叱って送り出す。

その公方様も駿河に到着した頃だ。


武田-晴信たけだ-はるのぶ以下、主だった武田家臣があいさつを終えると、先陣を賜って上野国への討伐に向かう。

露払いの北条水軍も開戦した。

予定通りならば、里見水軍を破って、周辺の支城を落としているハズだ。

里見-義堯さとみ-よしたかも運が悪い。


北条水軍は伊豆水軍を主力にした水軍だ。

江戸湾の奥の支持は得ていない。

数で劣る上に本物の海賊である里見水軍には歯が立たない。

もしも織田家が参戦しなければ、足利家が再建されて公方様が関東征伐に乗り出さなければ、里見家の海上での優位はもう少し覆らなかった。

房総半島を迂回しながら進む北条軍はもっと苦労したハズだった。


だがしかし、帆船から艦砲射撃で海上から城を直接に攻撃する。

卑怯以外の何者でもない。

これで内応した者が門を開ければ、城なんて簡単に陥落する。

海岸沿いの造海城ろうみじょう、金谷城、勝浦城などの二・三城ほど落とせば、日和見しながら寝返りを約束してくれた領主らの重い腰も上がって一斉に味方に変わる。

久留里城くるりじょうは房総半島の中央にあり、帆船が活躍する場所はないが、寝返った上総国かずさのくにの領主が頑張ってくれるハズだ。

手柄の1つも無ければ、公方様の前に出辛からろう。


 ◇◇◇


『神は天にいまし、すべて世は事もなし』

(スペイン語です)


用事が終わって中根南城へ帰ろうとした俺の耳に、熱田神社の社務所からスペイン語の聖書のような一文が聞こえてきた。

もちろん、これは俺が好きな小説の一文をスペイン語に翻訳したモノだ。

今、熱田では有名な一文になっている。


さくらの失態を取り戻す為に何見かみ姉さんと乙子おとこ姉さんが動き、南蛮船四隻を強襲して拿捕した。

宣教師フランシスコ・デ・ザビエルには宣教師としての正義があり、フアン・カルロス・デ・グスマン卿には貴族としての正義があっただろう。

だが、何見かみ姉さんと乙子おとこ姉さんには熱田を火の海にして略奪すると言った副総督の暴言だけで報復するだけの理由になると言い切った。

何見かみ姉さんは言う。

宣教師ザビエルとグスマン卿は「交易に来た」とはっきりと言った。

商人と賊相手では対応が変わる。

その言葉を違えたのだから報復は当然だった。


「であるか」


兄上(信長)は何見かみ姉さんと乙子おとこ姉さんの意見を支持する。

だが、宣教師ザビエルとグスマン卿はそれを否定する。

副総督の言葉を謝罪した。

だが、攻撃や略奪など許すつもりはなかったと主張したのだ。

宣教師ザビエルとグスマン卿の言葉を信じるならば、何見かみ姉さんと乙子おとこ姉さんの過剰防衛とも取られる。


「帰蝶はどう思う?」

「言葉では何とでも申せます。それを信じろというのは無理と存じ上げます」

「そうであるな」


通訳の言葉に宣教師ザビエルとグスマン卿が顔を青くする。


「ですが、織田家はスペイン国との交易を続けたいとも思っております。二人を処分すれば、交易に支障がでるかもしれません。宣教師ザビエル殿は法王の使者、グスマン殿はスペイン王の使者です」

「であるな」


兄上(信長)はしばらく考えた後につづみを打たせた。


『人間50年、下天のうちをくらぶれば…………』


兄上(信長)はその場で自ら『敦盛あつもり』を舞った。

宣教師ザビエルとグスマン卿は何が起こったのか判らない。

ただ、ぽかんと口を開けて見ていた。

舞い終わると、どかっと元の席に付いた。


「これにて、すべてを水に流す」


通訳が説明を始める。


『神は天にいまし、すべて世は事もなし』


人の命は50年しかない。

天界のいる神々に比べれば、然したる事もない。

神から見れば、今日の事はなかったに等しい。


「副総督の暴言も、今朝の拿捕もなかった事に致しましょうと信長様は申されております」


宣教師ザビエルは信長に感謝し、神の恩恵に感謝したと言う。

グスマン卿も今日の温情をスペイン国王に報告する事を約束したらしい。

船員達も織田家の強さに屈した。

それ以降、暴言や乱暴をしなくなった。


兄上(信長)も『二度目はないと思え』と釘を刺した。

白兵戦で無類の強さを誇り、鉄砲の性能も織田産が上を行く。

せめて大砲だけでも?

そう思って、改修し終えた帆船と遊戯で争うも負けた。


「大きい帆船を造っていないのは、肝心の停泊できる湊がない為です」


博多でも南蛮船は沖に停泊させて小型艇で荷を運ぶ。

平戸も同じだった。

埠頭に横付けできる湊がなかった。

たとえ1つでも埠頭がある熱田がいかに先進的な湊であるかを理解してくれたらしい。

まったく嘘だ。


大型帆船は研究中であり、建造できていない。


大型化すると部分的に強度が足りなくなるのだ。

転覆防止を主体とする和船と破損を嫌う南蛮船では基本的に発想が違った。

実験船を海に浮かべるとマストが根元から折れる事もあったし、転覆した事もあった。

試行錯誤を繰り返していた。

結論を言えば、船底のみ竜骨を取り入れた和船の方が経済的だ。

風を切り上げる能力を諦め、外洋に出ないならあれで十分じゃないか?

俺はそう思っている。


造れるけど造らないのと、造れないから造らないのでは意味が違うので研究は続ける。

加藤-延隆かとう-のぶたかは七つの海を巡るつもりだしね。


 ◇◇◇


「魯兄じゃなのじゃ」

「スペイン語を習っていたのはお市達か?」

「そうなのじゃ、前に何を言っているのか判らなかったのが悔しかったのじゃ」


神社の神官らもザビエル達が何度もお参りに来たので、言葉を習っておいた方がいいと思ったようだ。

教師役は外交官の一人で、普段は熱田湊の湊奉行の下で主計官をしていた。

ザビエル達が熱田に来た時、最初に交渉役に立ったのも彼だった。

南蛮人が帰って行くと暇な日常が戻ってきたらしい。


「湊奉行はそれほど暇なのか?」

「熱田の商人らは皆が優秀なので手間が掛かりません。那古野にいた頃の半分くらいになっております」


うん、それは判る。

一番手間なのは書類の訂正だ。

合計が合わないと何度も計算する羽目になる。

計算間違いならまだいい。

農民は当然、代官でも記帳ミスをやってくれる。

そのミスを見つけては検査し直して、正しい数字を求めないといけない。

最悪、代官の再教育になる。

手間が5重、6重と増えてゆくのだ。


魯坊丸ろぼうまる様、我々は感動致しました」

「何かあったのか?」

天照大神あまてらすおおかみが南蛮の神と同一神であったと知りました。100ヶ国を越える国々で天照大神あまてらすおおかみが祀られていると聞いて、我々は感動したのでございます」


俺は目を細めて主計官を見た。

主計官は両手を前にして首を横に振る。

教えていないというジャスチャーだ。

よく見るとお市が座っていた席に『南蛮人のすすめ』という冊子が置いてあった。


「さくら、いるか?」

「こちらに控えております」


窓から入ってきて頭を下げた。


「お市にあれを渡したのはお前か」

「違います。違います。紅葉です。何でもさくらの所為にしないで下さい」


紅葉を呼びに行かせると、ちまきを腕一杯に抱えて戻ってきた。

この食いしん坊め。

交代時間を使って、配布の試作品を漁りに行っていたのか。


「お呼びより参上致しました」

「あれを渡しながら、お市に説明をしなかったのか?」

「まだ、お市様は片言もしゃべれません。説明するのは早々と思いました」


俺は頭を搔きながら台座を用意させた。

真っ黒い黒板に白墨はくぼくで世界情勢を書きはじめた。

世界地図だ。

彼らは神の名の下に世界征服をしている。


三位一体。

創造主・神の子イエス=キリスト・聖霊の三つが「一体」であるとする教えを彼らは信じている。

ならば、創造主、天照大神あまてらすおおかみは同一神でもいいじゃないか?

と俺は考えた。


「彼らの神が生まれたのは1,500年ほど前だ。その一族と言われる秦氏が日ノ本にやって来たのが1,000年前だ。彼らの神と日ノ本の神が習合して、天照大神あまてらすおおかみとなった」


素戔男尊すさのおのみこと牛頭天王ごずてんのうと習合している。

祇園ぎおん祭りは、シオン祭りと似ているとも言う。

そう考えると、祇園の神とユダヤの神は同一神なのかもしれない。

ユダヤの神とキリストの神は同じなので、素戔男尊すさのおのみことと同一神とする事ができる。

だが、南蛮人に説明する時、弟神では体裁が悪い。

そこで素戔男尊すさのおのみこと天照大神あまてらすおおかみをすり替えた。

よくある話だ。


「南蛮人が熱田を襲って略奪しようと考えたのは聞いているな」

「そなのかや?」

「それが許されるのは自分達の信じている神が正しく、邪教徒の物を奪っても罪にならないからだ」

「悪い奴らなのじゃ」

「お市、悪いかどうかではない。油断すれば、国を奪われる。南蛮人も他国と同じだ」


お市は納得できないみたいだが、神官は判ったみたいだ。

凄く遠い海の彼方の他国だ。


「では、天照大神あまてらすおおかみと彼らの神が同じというのは?」

「方便だ。彼らと同じ神ならば、邪教とは呼べぬであろう。その他の神々を彼らのいう所の天使、あるいは使徒とした。これで日ノ本を邪教と呼べなくなる」

「なるほど」

「でも、熱田の剣を見せて欲しいと言われたのはどういう事でしょうか?」

「彼らの言う所の聖剣が熱田神社に収められているからだ」


ローマ法王が聖剣を見せろと言えば、見せると返事する。

しかし、ローマ法王が日ノ本に来る事が条件だ。

代理は認めない。

これで事実上、誰にも見せる必要がなくなる。

また、宣教師ザビエルが伊勢内宮を参拝したのもその為だ。

神の神殿があると聞けば、参拝するに決まっている。

感動したか、しょぼいと思ったかな?


「よいか、南蛮人を味方と思うな。敵と思え、隙を見せるな」


皆が「はい」とよい感じで返事をした。


「お市、襲い掛かって倒すのは駄目だからな」

「駄目なのかや?」

「襲われて返り討ちにしても構わぬが、自分から襲うのは駄目だ」

「それは面倒なのじゃ」

「挑発も駄目だからな」

「そんなの無理じゃ」


悪い奴は叩き切る。

良い意味でも悪い意味でも公方様に影響され過ぎている。

これは再教育だ。

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