閑話.厳島の戦い

(弘治2年(1555年)10月1日)

「織田家の援軍はまだ来ないのか?」

「はて、何の事でしょうか?」


吉田郡山城よしだこおりやまじょうの一室で毛利家の当主である毛利-隆元もうり-たかもとが怒鳴り声を上げた。

それを聞いて加藤かとう-三郎左衛門さぶろうさえもんが首を傾げる。

その日、安芸の毛利家が滅びようとしていた。


天文23年/弘治元年 (1554年)の正月に『惣無事令そうぶじれい』が発せられて、毛利家は備後・備中へ進出する事もできず、代わりに朝廷と幕府に献金をして安芸分国並の許し状を貰った。

筑前・豊前・長門・周防・石見・安芸の守護である大内-義長おおうち-よしながは、安芸の守護代を府中出張城ふちゅうではりじょう白井-賢胤しらい-かたたねとした。

すべて陶-晴賢すえ-はるかたの指示である。

隆元たかもとは幕府に異議を申立て、守護代の白井-賢胤しらい-かたたねに従えない旨を伝えた。

安芸の東半分を支配している隆元たかもとは自らが守護代に相応しいと訴えた。

その事実を幕府が認め、守護代の補佐である又代か、あるいは分国の守護代にしなさいと言う命令を下し、その処置が終わるまで臨時の処置として許し状を頂いた。

これで幕府と大内-義長おおうち-よしながが交渉している間は、仮の分国守護代として動く事が許された。

隆元たかもとは織田家と『通商同盟』を結んだ。


「同盟とは口ばかりか!」


隆元たかもとは床を叩いて怒気を上げるが、三郎左衛門さぶろうさえもんは涼しい顔で耳をほじくっていた。

後ろで聞いている元就もとなりは腕を組んで押し黙り、援軍に来ている吉川-元春きっかわ-もとはるがるるる・・・・・と低い呻き声を上げながら織田家が動かない理由に納得していない様子を隠さない。


「通商同盟を勘違いされては困ります」


耳糞を取ると息を吹きかけて隆元たかもとの方に飛ばした。


「交易都市となった厳島の町か、交易船が陶軍に襲われなければ、織田家が助力する理由がございません」

「交易湊である草津城が奪われた。それで十分であろう」

「草津湊は毛利様が用意された湊であり、織田家が認めた交易湊ではありません。認めて貰いたいならば、千石船が着岸できる埠頭をお作り下さい」

「そんな言い訳が聞けるか」

「そうだ。戦を禁じていなければ、奪われておらん」

「戦を禁じたのは幕府でございます。織田家ではございません」

「兵を送れば援助物資を止めると言ったのは、そなたであろう」

「幕府の命に逆らった者に援助できる訳がございません」


三郎左衛門さぶろうさえもんは内戦であっても幕府の許可を貰う事を求めた。

同じ魚屋ととやの船を使っているが、織田家から買うと定額で買え、魚屋ととやから買うと倍額になる。

織田家から借りると金利は年3割となり、魚屋ととやから直接になると年10割と言われる。

織田家に見捨てられた瞬間、毛利家は破綻する。

否、すでに破綻していた。

許し状を買い取る為に朝廷や幕府に送る多額の献金を織田家から借りた。

もう安芸の国主でもならない限り、返済は不可能だ。


「兄上(隆元)、織田家に一万貫文も支払ったと聞きましたが、何の為に一万貫文も払ったのですか」

「一万貫文分の働きをして貰うぞ」

「別に構いませんがよろしいのですか? 織田家の新造艦を厳島海峡に入れて、大砲がどんなモノかと披露するだけでございます。陶の水軍と戦う訳ではございません。勘違いされておりませんか? そもそも織田家は陶家とも『通商条約』を結んでおり、こちらから攻める事はできません」

「兄上(隆元)、どういう事ですか?」

「儂も知らん」


隆元たかもとは慌てて、元就もとなりの方に振り返った。


「間違いない。承知している。織田家の船が撃った大砲を見て、陶の者がどう思うかなど、我らの知る所ではない。要は使いようだ」

「織田家の船で草津を取り戻すのは?」

「頼める訳もない」

「それではただの木偶の坊ではありませんか?」

「陶の水軍と毛利の水軍が戦っている背後で大砲が撃たれれば、陶軍はどう思う」


隆元たかもとは大砲の威力を見せるだけに、一万貫文も払った事をはじめて聞かされた。

後ろ盾に織田家がいると思わせるハッタリだ。

毛利家はもう返せないほどの借財をしている。

そんな木偶の坊に一万貫文も払った事に驚いて、隆元たかもとは唾を呑み込んだ。

常軌を逸している。


「織田家も馬鹿ではない。毛利家が滅べば、その借財が紙くずに変わる。紙くずにせぬ為に、大量の鉄砲や火薬を売ってくれている」

「しかし、毛利家の台所は…………」


隆元たかもとの心配は当然であった。

戦に勝っても借財で毛利家が潰れてしまう。


「勝ってから考えればよい。生き残らねば、お前は毛利家を潰した当主として、末代まで罵られる事になるぞ」


隆元たかもとは悔しそうな顔をした。

幕府が『惣無事令そうぶじれい』を出した為に、備後・備中に進出できなかったばかりか、安芸の西南にある府中を攻め取る機会も失った。

安芸の西南は厳島の神社領であり、毛利家を支持する領主も多かった。

そこで守護代になった白井-賢胤しらい-かたたねは毛利家を見限って、陶-晴賢すえ-はるかたに忠誠を誓った。

元就もとなりも「大内-義長おおうち-よしなが様は陶-晴賢すえ-はるかたの傀儡にされている。決起して陶-晴賢すえ-はるかたを討つべきだ」という檄文を北は石見の吉見-正頼よしみ-まさよりから、南は九州の少弐-冬尚しょうに-ふゆひさまで、数多要人に送った。

情報戦が飛び交った。

先に切れたのは陶-晴賢すえ-はるかただ。


京で『改元の儀』が行われている頃、長門・周防・石見の領主に動員を掛けて吉見-正頼よしみ-まさよりの城を取り囲んだ。

11月25日、出雲で尼子-晴久あまご-はるひさが新宮党の首領であった叔父の尼子-国久あまご-くにひさを暗殺し、新宮党を取り潰した。

尼子は内乱状態になった。

これは大内軍と尼子軍の挟撃を避けたい元就もとなりが、『離間の計』で、国久くにひさに謀反を起こさねばならないように仕向けた策を晴久はるひさが潰しに掛かった結果だったが、元就もとなりからすれば、どちらでもよかった。


諜報戦においては元就もとなりが誰よりも上を行っていたのだ。

尼子家が内戦になった事で、晴賢はるかたのタガが外れる。

威圧だけの予定を変更して、城を力攻めに変えた。

同時に、晴賢はるかたは父の代からの陶家臣である宮川-甲斐守みやがわ-かいのかみに山代(旧本郷町)入りを命じ、安芸の背後を睨ませた。

年が代わって、弘治2年になると府中出張城ふちゅうではりじょう白井-賢胤しらい-かたたねと挟撃する形で、毛利寄りの己斐こい城、桜尾城を落としていった。

桂-元澄かつら-もとずみが内応したので、桜尾城が簡単に落ちたのだ。

その勢いのまま草津湊を襲い、草津城も落城した。

厳島の宮ノ城を除くと、すべての城を落とされたのだ。


宮川-甲斐守みやがわ-かいのかみは北上して毛利家臣の熊谷氏、香川氏を襲い、阿曽沼氏、天野氏も襲われた。

毛利家はその領民を吉田郡山城よしだこおりやまじょうに避難するように命じていたので人的な被害はなかったが、毛利家の弱腰と罵られていた。

だが、幕府から白井-賢胤しらい-かたたねの討伐の許可が貰えない。


そして、遂に粘っていた吉見-正頼よしみ-まさよりが降伏し、晴賢はるかたは周防の富田若山城に戻ってきた。

晴賢はるかたはここに一年前から準備していた大内水軍を結集させた。

安芸統一の総仕上げであった。


府中方面から宮川-甲斐守みやがわ-かいのかみ白井-賢胤しらい-かたたね、背後の備後から江良-房栄えら-ふさひでで吉田郡山城を挟撃し、その間に晴賢はるかたが厳島の宮ノ城を取る。

宮ノ城を守る為に、小早川-隆景こばやかわ-たかかげが毛利水軍を出さざるを得ない。

厄介なのは、隆景たかかげの毛利(小早川)水軍とその配下の村上水軍であった。

だが逆に考えれば、毛利水軍と村上水軍を叩き潰せば、安芸に敵はない。

毛利方は郡山に3,000人、小早川に1,000人のみであった。

宮川-甲斐守みやがわ-かいのかみ白井-賢胤しらい-かたたねが4,000人、江良-房栄えら-ふさひでが1,000人の延べ5,000人で郡山を取り囲んで封鎖している間に、晴賢はるかたの大内本隊10,000人で宮ノ城を奪う作戦を取る。

宮ノ城を襲えば、毛利水軍と村上水軍が出てくる。

それを大内水軍で倒し、宮ノ城を陥落させた後、郡山に向かって進軍する。

今年の内に毛利家を滅ぼす。

そんな勢いで陶-晴賢すえ-はるかたが進んで来ていた。


 ◇◇◇


毛利家の忍びである世鬼(瀬木)の者が戻ってきた。


陶-晴賢すえ-はるかた、並びに大内-義長おおうち-よしなが様を乗せた船団が大野瀬戸を渡り、大元浦に入りました」

「よし、勝ったぞ」


元就もとなりが膝を叩いて笑みを浮かべた。

宮ノ城を無視して郡山に全軍を向けられた場合、大内勢と毛利勢の泥仕合になってしまう。

吉田郡山城に大量の鉄砲と焙烙玉ほうろくだまが用意されていると言っても、数に限りがある。

力攻めをされると、2万人の大内勢を追い返せるか微妙な所だった。


「父上(元就)、どうなされますか?」

「討って出る。隆元たかもと、兵500を残す。立て籠もった領民らと共に、郡山城を守ってみせよ」

「畏まりました」

元春もとはる、こちらに向かっている大内勢を喰い破って府中に出るぞ」

「そのお言葉、待っておりました」

隆景たかかげにも出撃させよ。内応したと見せかけた桜尾城の桂-元澄かつら-もとずみにも連絡を入れよ」

「直ちに向かいます」


世鬼(瀬木)の者も部屋を出ていった。

最後に三郎左衛門さぶろうさえもんに向いた。


「織田家の船をお願いします」

「なるべく目立つ所に大砲を撃ってみせましょう」


三郎左衛門さぶろうさえもんはそう言うと出ていった。

指示が終わると改めて斥候を放ち、迫ってくる敵を確認する。

その一方で出撃の準備を始めた。

敵の陣容を確認した元就もとなりが出撃を命じると、元春もとはるが先陣を切って出ていった。

当然ながら敵の斥候は始末した。

大内勢は毛利方が籠城すると高をくくっていたので、進撃の途中に突然に姿を現したように思えただろう。

まさか郡山城から討って出てくるなど思っていなかったのか、宮川-甲斐守みやがわ-かいのかみ白井-賢胤しらい-かたたねの兵は慌てた。

安芸の兵は毛利軍の強さを知っている。

その中の猛将の元春もとはるが突っ込んでくれば、戦わずに逃げ出した。

動揺する大内の兵の中を突っ切って、元春もとはる宮川-甲斐守みやがわ-かいのかみの喉元に槍を放つと勝負は一瞬で終わった。

追撃などせずに、毛利勢は突っ切った。

準備に時間を掛けたが、戦にはほとんど時間を掛けずに府中まで出た。


晴賢はるかたは厳島に上陸すると宮ノ城を囲んだ。

すぐに陥落すると思えたのだが宮ノ城は堅固な砦に変わっており、無数の鉄砲が鳴り響くと、兵が中々に前に進めない。

だが、鉄砲の数など知れている。

すぐに鳴りやむと思っていたが、一向に鳴り止む気配がないのだ。


「毛利は何丁の鉄砲を用意し、どれだけの玉を持っておるのか?」

「判りませんが、無限にある訳ではございません」

「押し出せ、玉をすべて使い切らせろ」


大内の兵が押し出せば、鉄砲が鳴る。

身を屈めていても鳴り止まない。

兵数にモノを言わせてごり押しで攻めれば簡単に落城したのだが、この程度の城で多大な犠牲を強いる事は避けたい。

晴賢はるかたはこの後の郡山の攻略を見据えていた。

毛利勢が籠城だったならば、悪い策ではなかった。


また、毛利水軍が到着するのも待っていたので焦る事はない。

城を落としてしまっては援軍が帰ってしまう。

晴賢はるかたは一手一手と慎重に歩を進めた。

その読みが、すべて元就もとなりの手の平と知らずに余裕ぶっていたのだ。


しばらくすると毛利・村上水軍が到着する。

晴賢はるかたはこの日の為に沢山の舟を用意した。

多少の不利も数で補えば問題ない。

厳島から出ていった大内水軍と激突した。

海は慣れたモノで毛利・村上水軍が押していたが、数のモノを言わせて散会されると後手に回る。

気が付くと完全に取り囲まれて膠着した。

最初は海の男の強みが生かせたが、密集すると足場の悪い沼地と変わらない。

数で押し切られるのは見えていた。

そこに黒い帆船が現れた。


ズドーン、ズドーン、ズドーン。

三門の大砲が順番に火が放たれる。

その都度に大きな水柱が上がる。

毛利・村上水軍を取り囲んでいた大内水軍の兵は何が起こったのか判らない。

茫然とする。

帆船が反転して逆を向くと、再び大砲に火が走った。

それが反撃の狼煙だ。


毛利・村上水軍は温存していた焙烙玉ほうろくだまを大内の舟に投げ入れる。

爆発すると底が抜けて沈没だ。

爆発の辺りにいるだけで重症を負う。

箱から取り出しては、火を付けて次々と敵の舟に投げ込んでゆく。

一瞬で勝敗が決まった。

ここから毛利・村上水軍の蹂躙が始まった。


宮ノ城も焙烙玉ほうろくだまを使い始めた。

大内の兵には黒い帆船も見え、水柱が見え、大内船団が敗走するのも見えた。

もう駄目だ。

一人が逃げ出すと、大内の兵は統率を失って逃走し始めた。

同時、対岸で見ていた桜尾城の桂-元澄かつら-もとずみが寝返った。

表返りだ。

海岸で茫然とする大内の兵の背後を襲う。

さらに混乱している大内軍に元就もとなりの本隊が横槍を入れる。

もう大混乱だ。

海上では派手な大砲の音が鳴り響く。

武将達は何とか立て直そうと必死に粘るが、大内の兵は怯えて逃げ出していた。

もうただの狩り場であった。

晴賢はるかたは厳島から舟で本土に渡ると富田若山城を目指したが、山狩りで討ち取られ、大内-義長おおうち-よしながは逃げきれないと思ったのか、山中で自害して果てた。

毛利の大勝利に終わった。


 ◇◇◇


追撃を吉川-元春きっかわ-もとはる小早川-隆景こばやかわ-たかかげに任せて、元就もとなり三郎左衛門さぶろうさえもんは吉田郡山城に戻って来た。

大勢が決まると包囲していた江良-房栄えら-ふさひでが逃げ出した。

隆元たかもとは追撃しながら備後に進入すると、房栄ふさひでを討ち取って、そのまま西備後を調略してから戻ってきた。


「父上、大勝利でございます」

「少ない兵力でよくやった」

「弟達も周防、長門、石見を奪う絶好の機会ですな」

隆元たかもと様。大勝利、おめでとうございます」

「織田も祝ってくれるか」

「当然でございます。『惣無事令そうぶじれい』に違反して攻めたので、迷惑料を払う事になります。三ヶ国で2万人を動員しました。違約金は20万貫文になりましょう。おぉ、借財をすべて返しても大儲けですな。織田家もこれで一安心です」

「大内家も陶家は滅んだ。誰が払うのだ」

「もちろん、次に守護になる方と守護代になる三ヶ国です。それが『惣無事令そうぶじれい』です。よろしゅうございましたな。織田家も大儲けです」

「ここに至っても銭の話をするのか?」


織田家の守銭奴ぶりに隆元たかもとが呆れた。

だが、三郎左衛門さぶろうさえもんは石見、長門、周防に尼子が攻めて来たら引くように忠告する。


「その土地は大内家のモノで、毛利家のモノではありません」

「何の為に我らが戦ったと思っているのか?」

「安芸一国と備後半国、それ以上は欲が深過ぎるというものです」

「弟らに何と言えばいいのだ?」

あるじ不在で秩序が乱れぬ為に毛利家が治めていると幕府に申し出て下されば、正当な理由となるでしょう。弟らも同じ事を言えばよろしい。後は誰も文句を言わないならば、毛利家のモノにすればよろしかろう」

「ふっ、無理だな」

「尼子が黙っている訳がない」

「ならば、お諦め下さい」


駄目に決まっていた。

幕府が止めたとしても尼子-晴久あまこ-はるひさが黙って見ている訳がない。

また、晴久はるひさが自制しても家臣団がそんな弱気な殿を認めない。


「尼子と戦うまでだ」

「そうなると、三ヶ国を横領した毛利家を討つ為に幕府が尼子に討伐の命を出す事になるかもしれませんぞ」

隆元たかもと、今回は諦めよ」

「安芸と備後だけでは、尼子と戦うには小さ過ぎます」

「耐えるしかない」

「今度は尼子を防ぐ為に、借財の日々になるだけではないか」

「返す目途もできました。織田家はいくらでも毛利家に銭を貸しますぞ」

「借金地獄から抜け出せんのか」


うおおおぉ、隆元たかもとが壊れたように天に向かって叫んだ。

あぁ、無情だった。

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