第20話 厳島の戦い(2)
(弘治2年(1555年)10月16日)
庭から夕焼けが差し込んで来た。
知恩院から見下ろす夕焼けは京の町を真っ直ぐに通って金閣寺方面の山々に降りてゆく。
高い建物と言えば、寺の五重の塔くらいしかない。
小高い知恩院からならば、御所も武衛屋敷も一望できる。
どこまでも家々の板葺の屋根が連って古い都を感じさせてくれた。
火事の時はよく燃えそうだ。
その内、瓦を広めて行こう。
まぁ、急がずに。
俺はこの真っ赤に染まる時間が割と好きだ。
ぐうぅぅぅぅ~~~、誰かの腹の音がなった。
尾張にいた頃は、夕暮れ前が食事の時間だ。
京以外ならば俺もそうだ。
「誰か、握り飯を貰って来い」
「ですが…………」
「その腹の音を聞いていては仕事が捗らん」
「ありがとうございます」
夕日が差す頃になると右筆が机を持って入って来た。
仕事の時間だ。
各方面に責任者を置いて、そちらの判断で処理をさせているのだが、それでも決裁の数が減ってくれない。
「若様の交流先が増えているのが大きな原因です」
「俺宛ての手紙は返事も書けないか?」
「そうでもありません。若様が御不在の場所は不在と断って右筆が書いております。右筆で不都合な場合でも母上様、千秋様、信広様に代筆をお願いして貰っております」
言ってみたが、千代女の返事に俺は目を丸くする。
知らなかった。
随分と沢山の者に助けて貰っていたらしい。
「今は蟄居中でお断りし易いですが、蟄居明けは倍になると覚悟して下さい」
「俺は一生蟄居でいいわ」
千代女を含め、皆が複雑そうな顔をする。
小姓共め、俺のぐうたら性分に呆れるがいい。
真面目に仕えるなら、兄上(信長)の方が正当な評価をしてくれるぞ。
俺の仕事は影でこそこそする方が多い。
華やかな仕事はホンのわずかだ。
おっと、障子が開いて例のお客の到着を知らせてくれた。
公方様だ。
今の所、皆勤賞。
実に迷惑だ。
「誰か、公方様の背中を流してやれ」
小姓達が青ざめた顔をする中、
気に入らねば、その場で「たたっ斬る」とは言う。
公方様は口が悪いから怖いよね。
誰かを
その間に俺は情報収集だ。
幕府の奉公衆の
序に少しの頼み事を聞く。
俺は蟄居中ですよ。
だから、公方様がお忍びで来ている合間を使って相談しているらしい。
そういう事ですか。
あと、別枠で新右衛門さんも相談に来ている。
「魯坊丸さん!」
こちらは人目も憚らない。
困ったものだ。
幕府の奉公衆の話を総合する。
やはり
元守護だった
先だっての比叡山に奪われた土地を奪い返す案も、
それだけの才覚がありながら若狭を食い潰していたのは何故だ?
理由は1つだ。
後ろで糸を引いている奴がいるのだ。
中々、尻尾を出してくれないので泳がせて監視している。
もちろん、
この噂も誰が流しているか、まったく判らない。
少なくとも奉公衆や奉行衆から言い出した噂ではない。
では、誰が何の為に?
迂闊な事を言えば、俺の信用を失い兼ねない。
一見、悪くない策なのだ、
だが、どこを狙っているかが判らない。
そもそもどこにいるのだ?
さて、俺の夕餉と風呂が遅くなった理由はすべて公方様だ。
一緒に食事をしろとか、一緒に風呂に入れとか?
公方様の気分次第で言い出す。
だから、敢えて夕餉と風呂は公方様が帰ってからにしている。
今日は牡丹定食だ。
チャーシューのように味付けした牡丹肉を皿に乗せて出していた。
それを美味そう食っていた。
「風呂で聞いた。中国地方の報告が来たそうだな」
「はい、届きました」
「終わったな」
「いいえ、始まったのです」
「そうであった。これからはどちらが中国地方の覇者となるかを決める戦いだったな」
「どちらが勝つにせよ。公方様に従うのであれば、中国探題でも、中国管領でも、お好きな名を与えればよろしいと思います」
「従うならばな」
「はい、従うならば」
公方様は尼子家を応援していた。
その方が面白いからだ。
ないだろうね。
そういう事だ。
毛利家は尼子相手に『
大内(陶)家を打ち破り、尼子家を叩きのめすしか生きる道が残されていなかった。
◇◇◇
公方様を追い出した後に夕餉を頂く。
「真田家はどうやって武田家に取り入ったかを聞かれました」
真田家は信濃小県郡の土豪だったが、戦に負けて土地を追い出されて、関東管領の
だが、
真田家のように仕官を申し出る傭兵は多い。
食い扶持だけ与えておけば、戦の時に働いてくれる。
安上がりな傭兵だ。
手柄や才覚を認めた所で、領地を与えて家臣に加える。
貧しいハズの武田家が一年を通して戦ができるのは、この傭兵団の存在が大きい。
一方、駿河の今川や尾張の織田、摂津の三好などは、純粋な傭兵を雇う事が多かった。
つまり、傭兵を生業とする者、家で溢れて傭兵になった加世者、流民や河原者を中心とする兵だ。
だから、半農半兵とか言われるが、あれは半分嘘だ。
貧しい国も富んだ国も一年中戦をやっている。
貧しい国の武田家は天文22年(1553年)4月から10月まで、一度の休戦を挟んで川中島で戦い続けた。
富んだ国の尼子家は天文22年(1553年)3月から11月まで戦を続けた。
武田家と対戦した長尾家は戦が終わると上洛している。
尼子家と対峙した毛利家と大内家も兵をずっと出している。
半農半兵ならば、どちらも長期戦ができる訳がない。
だが、現実に長期戦が起こている。
そして、織田家も4月から連戦に次ぐ連戦で12月まで戦った。
常備軍という事を除けば、兄上(信長)がやっている事は珍しい事ではない。
その都度集めるより、連携が取れた兵に仕上がる。
織田家を真似て、三好家もそれを採用した。
二万人の傭兵を摂津、和泉、大和、丹波の四か所に分散し、各領主にその費用を捻出させたそうだ。
兄上(信長)と
常備兵だからすぐに参集できたのだ。
この他に既存の家臣や農民、堺や京で雇える傭兵を加えると、畿内では4万人から8万人の兵が簡単に集まるのが怖い所だ。
「若様、どうして織田家は毛利家の後ろ盾になっているのでしょうか?」
「別に後ろ盾になった覚えはないぞ」
「風呂でも入りながら説明しようか?」
「お願いします」
俺は今日の仕事を終えると風呂に向かった。
俺は別に毛利家に肩入れしている訳ではない。
「
「若様は三者に米を売っていたのですか?」
「米の差額で儲けようと思った。だが、実際は備後でしか戦ってくれない。石見や備中でも大規模な戦になると思っていたので予想が外れた。結果的に大損だ。まぁ、余った米は三河に持って行って喜ばれたがな」
何故だ?
その背後の石見銀山を襲う絶好の機会だ。
尼子勢が引き返すならば、そのまま侵攻して大内(陶)勢が備後と備中を掌握する。
俺ならば、そうする。
俺は風呂に浸かりながら話を続ける。
「尼子勢は何故、数の多さを生かさなかったのでしょうか?」
「
「はい、大内勢が到着する前に城をすべて奪うべきです」
「お前が考えるくらいだ。
「いえ、思いません」
あの『
だが、
俺には背後から新宮党の動きを監視していたようにも見えた。
思った以上に亀裂が深いと悟った。
俺が思ったくらいだ。
一気に
だがしかし、天文23年 (1554年)1月1日に公方様より『
尼子家が
公方様に逆らって備後・備中を奪えば、三好家と織田家が敵に回る。
三好水軍と一緒に、大友が欲しがっている『国崩し』を持つ織田家の船も敵になる。
その状態で
勝てる見込みが立たない。
「
俺の
座して死を待つより織田家に従属すると思わせて、
俺が
「若様は何と返答されたのですか?」
「
「武器は渡さないのですか?」
「その銭で鉄砲と火薬を売ってやったぞ。沢山、買ってくれた。兵力の足りない分を鉄砲と火薬で補った訳だ」
「火薬は尼子にも大内にも売っておらん。毛利だけ特別だ。南蛮人が付けた値段と同じだ。大量に売ってやった分だけ、織田家は親切だと思わんか?」
「思いません」
「そうか、俺は安芸一国の石高くらいの儲けが転がり込んで大満足だ」
俺が嬉しそうに話すと小姓らが青ざめている。
何故だ?
どうやら毛利家の味方と思っていたらしい。
そんな考えでは
甘い奴ではない。
生かさず、殺さず、雁字搦めにして丁度いい加減な奴だぞ。
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