第19話 厳島の戦い(1)

(弘治2年(1555年)10月16日)

俺は加藤かとう-三郎左衛門さぶろうさえもんの報告書に目を通しながら、これまでの事を思い返した。

はじまりは天文22年(1553年)春の上洛になる。

公方様と三好-長慶みよし-ながよしが牽制し合い、公方様に付くと断言していた織田家は争いに巻き込まれる可能性が高かった。

そこで小細工の1つとして、畿内の米を中国地方に売る事にした。


畿内で米を買い漁った事で畿内の米価は高値を付けた。

三好家が大軍で攻めてくれば、持久戦を選択する。

すると、三好軍の兵糧はすぐに枯渇し、俺達は耐え凌ぐだけで勝利がころがってくる。

そういう算段だ。

米価が上がった事で畿内の領主達が米を売って小銭を稼いだ。

畿内から兵糧が減る。

俺は三好との戦で負けない状況を作っておいた。


まさか、尾張に今川家が攻めて来て、その段取りをすべてぶち壊す事になるとは思ってもいなかった。

俺の策略は根底からひっくり返されて、出す予定もなかった奥の手を披露する事になる。

世は儘ならない。


それはともかく、米を売る事ができたのは尼子-晴久あまご-はるひさ毛利-元就もうり-もとなりが石見銀山を巡って備後と安芸と出雲で争っていたからだ。

俺は行商人に扮した忍びを送って情報を集めた。


天文22年(1555年)3月、尼子-晴久あまご-はるひさ美作みまさか東部へと進出した。

晴久はるひさは自ら兵を率いて、備前の浦上-宗景うらがみ-むねかげ美作みまさか後藤-勝基ごとう-かつもとの軍を撃退すると播磨加古川まで進撃した。

三好-長慶みよし-ながよしらはこのまま摂津に攻めてくるかと緊張したが、4月に入ると転進した。

これで摂津の領主達の緊張は一気に緩んだ。

安心して米を売ってくれた訳だ。


晴久はるひさの狙いは備後と安芸だった。

美作みまさかに進んだのは陽動に過ぎない。

備後の大内方の様子をじっと見守っていた。

備前の浦上-宗景うらがみ-むねかげ美作みまさか後藤-勝基ごとう-かつもとの軍が予想以上に脆く、援軍に来た播磨の兵を追うように播磨に進出したのは偶然だった。

そして、予定通りに備後の旗返城の江田-隆連えだ-たかつらが動いた。

すべて尼子-晴久あまご-はるひさの策略だ。

備後が動くと晴久はるひさは『中国大返し』をやって見せた。

予定通りに引き返しただけだ。

だが、畿内の三好らは安心し、備後・安芸・周防・長門の国人らは慌てた。


もちろん、毛利-元就もうり-もとなりも黙っていなかった。

3月に入ると備中の沼城の調略もしていた。

また、但馬の山名-祐豊やまな すけとよと結び、撤退する尼子-晴久あまご-はるひさの背後を襲うように要請していた。

しかし、この大返しは予想していなかったのだろう。


 ◇◇◇


「若様、どうして尼子-晴久あまご-はるひさが『中国大返し』を狙っていると判ったのですか?」


何故か、小姓に昇格した真田-源五郎さなだ-げんごろう昌幸まさゆき)が付いて来ている。

一番の理由は真田-幸隆さなだ-ゆきたかが内応した事だ。


武田家と長尾家の同盟を画策していた幸隆ゆきたかにとって、加賀一向宗を支援する為に北条-高広きたじょう-たかひろに謀反を唆す事に反対だった。

むしろ、加賀一向宗を見限って、長尾家に援軍を送る事を主張した。

真田-幸隆さなだ-ゆきたかの主張はこうだ。

織田家、北条家、長尾家を敵に回して勝てる訳もない。

長尾-景虎ながお-かげとらに恩を売り、背後を固めるべきだと主張したのだ。


しかし、武田-晴信たけだ-はるのぶは織田家と北条家の両国と戦うつもりはなく、また譜代家老衆も望んでいない。

だが、拡大政策を止めるつもりもない。

狙われたのは長尾家だ。

家中が落ち着いていない長尾家に対して援軍と称して越後に進出する機会を狙っていた。

越後で北条-高広きたじょう-たかひろが謀反を起こすと、すぐに公方様を通じて長尾家に援軍を送る旨を伝えた。

もちろん、長尾-景虎ながお-かげとらはそれを断った。


武田の譜代家老衆は従来通りに上野、越中、越後を狙っている。

足利幕府の方針で直轄領とする事が難しくとも木曽や飛騨のように属国にはできる。

そう考えていた。


一方、真田-幸隆さなだ-ゆきたかは織田家のように内政を富まし、外に討って出ない事で国を安定させようと考えた。

その為に長尾家との同盟は絶対条件だった。

だが、譜代家老衆には受け入れて貰えない。

こうして方針の違いから真田-幸隆さなだ-ゆきたかは武田家を見限って織田家に内応を持ちかけたのだ。


武田家も大変だ。

常に力を示していないと、このように歯抜けな裏切り者が現れる。

武田-晴信たけだ-はるのぶ自身も『武田堤』に着工するなど、大きく内政に舵を切っているのだが、譜代家老衆の方針は拡大政策のままだった。


そうした理由で源五郎げんごろうは念願かなって神学校の入学が認められたのだが、入学よりも小姓として上洛する事を望んだ。

人に取り入るのが巧いのか?

母上から頼まれたので仕方なく、認める事にした。


 ◇◇◇


「若様、どうして尼子-晴久あまご-はるひさが『中国大返し』を狙っていると判ったのですか?」


源五郎げんごろうが目をキラキラさせて俺に問いかけてくる。


尼子-晴久あまご-はるひさが出雲杵築の商人の坪内氏を備後北部に送り込んで国人達を廻らせていたからだ」

「先んじて調略を仕掛けていたのですな」

「そういう事だ。調略が成功したので、陽動で美作みまさかを攻めた。情報さえ手に入れておけば判り易い」


晴久はるひさが播磨に進出した頃、備後の旗返城の江田-隆連えだ-たかつらが叛旗を翻した。

これに対応して毛利-元就もうり-もとなり陶-晴賢すえ-はるかたに報告すると、晴賢はるかたは安芸に兵を送った。

しかし、江田-隆連えだ-たかつらが叛旗を翻すと同時に、晴久はるひさは転進して月山富田城がっさんとだじょうに戻っていたのだ。

大内方から見ると、播磨に居たハズの尼子勢がまるで神速で出雲に戻ってきたように思えただろう。


「それは慌てますな」

「そうだろう。尼子は播磨にいると思っていたので楽な戦いと思っていると、尼子の本隊がすぐに迫っていると報せが入ったのだ」

「迷っていた備後の国人も寝返る訳ですな」

「そうだ、最後の一押しで調略を成功させたと言ってもいい。この時点で尼子-晴久あまご-はるひさの戦略は冴えていた」


晴久はるひさはすぐに出雲の横田に兵を移動する。

尼子勢が迫っていると聞いて、寄国城、高杉城、甲山城が尼子に寝返った。

安芸と分断された比叡尾山城、黒岩城、釜峰山かまがみねやま城、南天山城も焦った。

放置すれば、すべて尼子に寝返ってしまう。


そう悟った毛利-元就もうり-もとなりはすぐに動いた。

毛利の兵を吉舎きさ(三次市)の南天山城に兵を移動させたのだ。

そこから寄国城を強襲する。

寄国城は城というより砦に近いので落とし易かったのだろう。

この動きで寝返りの連鎖を止めた。

晴久はるひさも負けずに横田から甲山城に移った。

甲山城は寄国城の北にあった。

このまま決戦になるかと思っていたが、さらに北で異変が起こる。


晴久はるひさが甲山城に入ったと知った釜峰山かまがみねやま城の湯木氏はもう駄目だと尼子に寝返る。

数が少ないが、毛利から来た援軍の13人を殺害して尼子に送るという暴挙に出た。

毛利勢は激怒した。


それを聞いて旗返城を迂回して志和地しわちに兵を移動させる。

釜峰山かまがみねやま城に隣接する黒岩城に援軍を送り、湯木氏に逆襲する様子を見せた。

毛利の動きに対して、尼子勢も湯木氏の釜峰山かまがみねやま城に兵を移動させた。

毛利勢が1,600人、対する尼子の主力である新宮党15,000人だ。

両軍は向泉の萩の瀬で対峙する。

毛利勢は萩の瀬の泉(和泉)氏を合わせても、わずか2,000人だった。

だが、そこで天が味方する。

大雨が降って川が増水し、掛けてあった大橋を挟んで睨み合う事になったのだ。


「それでは大軍の利が生かせません」

「そうだ。ここが戦の分岐点になった。準備万端で大軍を用意した尼子勢に対して、大内勢は準備を怠った」

「その大内勢はどうだったのですか?」

「事態が呑み込めず、木偶の坊になっていた。安芸の国境付近で止まって様子を見ていた。尼子勢も兵力差で備後を蹂躙し、そのまま安芸に雪崩れ込むハズだった」

「しかし、実際は雪崩込めなかったのですね」

「あぁ、毛利勢が奮戦したからな」


吉川-元春きっかわ-もとはるの奮戦で『萩瀬おぎせ大橋の戦い』は毛利勢に有利なままで膠着した。

橋を渡り切れば、大軍で押し込まれる事を承知している吉川-元春きっかわ-もとはるは適当な所で引いた。


7月、長雨の為に川の増水が止まらないと判断した新宮党が先に引いた。

この隙を見逃さず、毛利勢は反転攻勢に出て高杉城を強襲すると、最初に謀反を起こした旗返城の江田-隆連えだ-たかつらが尼子勢から分断されたのだ。

毛利勢が有利と聞いて、大内勢の援軍が到着する。

江良-房栄えら-ふさひで内藤-興盛ないとう-おきもりに連れられて大内勢が奪った城に入城する。

劣勢ならば、毛利勢を見捨てて戻る気だったのかもしれない。


陶-晴賢すえ-はるかたは「城責しろぜめにハ御おかまいなく候」の命令を送り、大内勢は城に入ったままで固く門を閉ざした。

これで戦いは膠着した。


睨み合ったままで11月に入ると、兵糧が乏しくなったのか?

江田-隆連えだ-たかつらは城を捨てて夜陰に乗じて逃げ出した。

毛利勢はこれを猛攻に追撃したと言う。

晴久はるひさは雪で退路が塞がれるのを恐れて出雲へ退却し、どちらかが勝つ事なく、戦は呆気なく終わったのだ。


「毛利の粘り勝ちですね」

陶-晴賢すえ-はるかたは備後、備中、出雲に逆侵攻する機会を逃した。それよりも毛利を勢いづかせたくなかったのだろう」

「味方の毛利に?」

大内-義隆おおうち-よしたかを裏切って大内家を乗っ取ったのだ。毛利が陶を倒して、大内家を奪う事を恐れた」

「兵の到着が遅かったのも」

「毛利家に被害が出る事を願っていたのだろうな」


源五郎げんごろう以外の小姓達がそうなのか?

驚いたような顔で味方の足を引っ張る国主がいる事に驚いている。

騙し合うのが当たり前の戦国の世で、驚くのはちょっと温くないか?

それだけ尾張が平和になって来た証拠か。


「最後に陶-晴賢すえ-はるかたは大きな失敗をした。毛利-元就もうり-もとなりが戦の褒美に旗返城を求めた事を認めなかった事だ」

「褒美を与えなかったのですか?」

「そうではない。備後と安芸を結ぶ要所の旗返城を与えなかった」

「これも毛利の勢いを削ぐ為ですか?」

「そうだ。毛利家に備後を押さえられたくなかった。それと同時に備後から安芸を攻める道を確保したかった」

陶-晴賢すえ-はるかたは毛利家を潰すつもりなのですか?」

「少なくとも毛利-元就もうり-もとなりはそう考え、『厳島の戦い』を覚悟させた」


これが『厳島の戦い』の発端だった。

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