第15話 巨星墜つ。

(弘治2年(1555年)9月11日)

腕を大きく上げて背伸びの運動から。

いちにぃさんしぃ、にぃにぃさんしぃ…………。

朝の体操、清洲の蟄居屋敷の中庭から俺の朝は始まる。

反復する事20回だ。

それから木刀を取って意味はないが素振りをする。

どうやら俺には剣の才能がないらしい。


「若様、若様、大変です」


屋根の上からさくらの声がすると、さっと飛び降りて来た瞬間、こくりこくりと船を漕ぎながら体操を見ていた楓が反応する。

さくらは通用門まで回るのが面倒だという理由で壁を越え、雨戸を開かせる手間を惜しんで屋根伝いで中庭に入って来た。

突然の乱入者だ。

寝ずの番だった楓が切り掛かった。


「楓、待った」


さくらの声も空しく、楓の小刀がさくらの首辺りになる宙を切った。

着地と同時に起き上がろうとする体を強引に海老反りで斬撃を躱した。

正に間一髪だ。

ナイス!

見事な大道芸に親指を立てて褒めてやる。


「あっ、さくらじゃん」

「殺す気か!」

「ごめん、少し寝ぼけていた」

「寝ぼけて殺されそうになった身になって考えてみろ」

「あははは、紅葉だったら首が飛んでいたねぇ」

「ねぇ、じゃない」


何も考えずに中庭に飛び込んで来たさくらも馬鹿だが、俺の後ろにいた楓が絶招ぜっしょう歩行の一瞬で前に移動したのも鮮やかだった。

居合抜きのような一撃を海老反りで躱すのだから、さくらには斬撃が見えていたのだろう。

俺には一瞬の残像しか見えなかった。


その後のコントで俺を楽しませてくれる。

一粒で二度美味しい奴らだ。

騒いでいる間に千代女が部屋に入ってきて、廊下で膝を折って頭を下げた。

顔色から見ていい話ではなさそうだ。


「弘治2年(1555年)9月8日、朝倉-宗滴あさくら-そうてき様がお亡くなりました。只今、連絡が入りました」

「何だと?」

「能美丘陵、大聖寺付近でお倒れになられ、そのまま息を引き取られたそうでございます」

「無理をするからだ」

「朝倉軍は総指揮を朝倉-景隆あさくら-かげたかに任されたそうです」


さくらが「それ、私はそれを伝えに来たのに」と叫んで涙目になっている。

楓と遊んでいるからだ。

千代女に遅れて紅葉も部屋に入って来た。


「若様、朝倉関係の書状はここに置いておきます」


過去の書状を部屋に置いてくれる。

最近は担当に任せで要点だけを聞いている事が多い。

日本海側など任せっぱなしだ。

俺が確認するだろうと思って千代女の命で紅葉が用意してくれたらしい。

汗をぬぐって貰ってから、それらに目を通す。


「若様、お茶とおにぎりを置いておきます」


紅葉が甲斐甲斐しく世話をしてくれる。

単に紅葉の順番だ。

中庭ではさくらと楓が稽古をしている。


「稽古ではなく、真剣です」

「死ななければ、どちらでもいい」

「さくらが必死なので、楓も危ないかも」

「大丈夫だ」


俺はおにぎりを咥えながらそう答えた。

逃げる楓に追うさくらだ。

真剣を取り出してやり合っている。

脅威的な加速を見せるさくらが追い付けるのか、それとも体力が尽きるのが早いか、拮抗しているので中々に勝負が付かない。


「若様、沢庵です」


俺は書状に目を通しながら差し出された沢庵を齧った。


「紅葉、何やっている?」

「お世話」

「私がやりたかったのに。覚えていろ」


ぶんぶんと紅葉は首を横に振った。

絶対に覚えておかないという意志の現れだ。 

注意が散漫になった為に、折角、追い付き掛けていた楓が安全な距離を取り戻せた。


「糞ぉ、寄って集って邪魔をするな」

「さくらが自分で自滅しているだけ」

「うん、同意」


大声で叫んでいるので非常にうるさいが、こんなに騒げばすぐに終わる。

白い影が横切ると、すれ違い様にさくらと楓が墜落させた。


「いい加減にしろ」

「だって、楓が」

「さくらが悪い」

「若様の邪魔をするな」


乙子おとこ姉さんがさくらと楓に拳骨を加えて引き摺って連れていった。

見捨てられた子犬のような顔で俺に助けを求めたように見えたが、俺は忙しいので無視した。

今日はどんな罰を受けているのかを見に行きたい。

が、残念ながらそんな暇はない。

見ていて飽きない奴らだ。


 ◇◇◇


去年、天文23年5月に白山が噴火し、降り注いだ火山灰で越前、加賀、飛騨の収穫は絶望的な被害を出し、その被害は能登、越中、信濃、木曽、奥美濃まで及んだが、こちらは不作程度で済んだ。

加賀一向宗の不幸は続く。


8月12日、大坂御坊の本願寺10世証如しょうにょが倒れて重態となった。

そのために証如しょうにょの子の得度が急遽行われた。

そして、前関白九条-稙通くじょう-たねみちの猶子となり、11世本願寺法主顕如けんにょが継承した。

翌日の13日に証如しょうにょは亡くなった。

享年39歳。

早過ぎる死に大坂御坊が揺れた。

顕如けんにょは12歳であり、教団を差配できる年ではない。

祖母の鎮永尼ちんえいにが補佐に立った。

大坂御坊が再出発する。


さて、顕如けんにょの婚約者(如春尼にょしゅんに)がいた。

この顕如けんにょの婚約者(如春尼にょしゅんに)の実姉が武田-晴信たけだ-はるのぶの正室である三条夫人であり、武田家の苦境を思って真理姫まりひめの夫候補である俺に救済を頼んできた。

鎮永尼ちんえいにと俺の間には認識のズレがあるようだ。


「救済というより、懇願でした」

「改元の儀が近いと言って、断っていたあれか」

「香典代わりに布施を送っておきました」


千代女が俺の代わりに対応してくれた。

九条-稙通くじょう-たねみちは天文2年(1533年)には関白および藤氏長者となった逸材だったが、家の経済状況が悪く、一年で辞任して播磨に居住していた。

顕如けんにょを猶子にして懐が温まったのか、鎮永尼ちんえいにの願いを聞いて俺を説得に来たそうだ。

だが、千代女が心付けを渡すと、逆に鎮永尼ちんえいにの説得をお願する事に成功した。

こうして、大坂御坊からの武田家を助けて欲しいコールが沈静化したのだ。

大坂御坊としては一段落したが、武田家から鎮永尼ちんえいにへの陳情が止まった訳ではない。

だが、祖母の鎮永尼ちんえいにはそれ所ではなかった。


顕如けんにょの婚約者(如春尼にょしゅんに)の父である三条-公頼さんじょう-きんよりは亡くなり、養子の実教さねのりに昨年に早世し、三条家が断絶の危機に瀕していた。

顕如けんにょの婚約者(如春尼にょしゅんに)の価値がなくなってしまう。

そんな事はさらせない。

鎮永尼ちんえいには三条家の相続に介入していた。

また、顕如けんにょの婚約者(如春尼にょしゅんに)を猶子する事になっていた六角-義賢ろっかく-よしかたにも連絡を入れて、約束に変わりがない旨の約定を書かせた。

とにかく、大坂御坊の威信を傷つけさせない為は頑張っていた。

祖母鎮永尼ちんえいにの目は公家の方に向いていたので、加賀の災難は後回しにされた。

放置された加賀の民がどういう行動に出たのかは言うまでもない。


秋、加賀の飢えた民は一向一揆を起こして越前や越中に押し出した。

能登は一向宗と同門も多く、多くは雪崩込まなかったようだ。

多少なりとも援助があったのだろう。


さて、越前に押し入った加賀一向一揆は国境を守っていた宗滴そうてきによって阻まれた。

反対側の越中には力押しで押し通った。

加賀一向宗は越中一向宗と合流し、村を襲い、町を襲い、城を奪った。

悪鬼羅刹あっきらせつ

すべてを奪い尽くす、イナゴの群れだ。


越中の国人らは越後の長尾-景虎ながお-かげとらに救援を求める。

対する景虎かげとらは陣触れを出して救援に赴こうとしたが、北条-高広きたじょう-たかひろが謀反を起こして足止めを食らったのだ。


長尾ながお様の手腕は鮮やかでしたが、足元が疎かになっていました」

「武田家と休戦が結べたので油断があったのだ」

「折角の先見の明も形無しでございます」


景虎かげとらは白山が噴火して間もなく、京に使いを送って公方様に越中の救援許可を貰っていた。

加賀の一向一揆が越中に侵攻するであろう事を予測し、『惣無事令そうぶじれい』に反しないように前もって許可を取っていた。

そして、加賀一向一揆が越中に入ったのを聞いて、すぐに軍を立ち上げた。

そこで謀反だ。


「大坂御坊は加賀で後手を踏んだ。加賀一向宗は他を頼るしかない」

「それで武田家に救済を求めた訳ですね」

「おそらく、そうだろう。だが、武田家も加賀一国を支える米を送るほどの余裕はない」

「越中への侵攻を助ける事で恩義を果たしたという事ですか?」

「そうだ。一昨年までならば、川中島に兵を向かわせて長尾家の足を止めた。さらに北条-高広きたじょう-たかひろを謀反させて、三面作戦を強いらせる。武田家は北信濃を奪い、加賀は越中を奪うつもりだったのだろう」

「しかし、公方様の仲介で武田家は長尾家との休戦を受け入れております」

「だから、北条-高広きたじょう-たかひろに謀反を起こさせて、加賀一向衆への恩義を果たした」


加賀一向宗は越中の米を奪った。

景虎かげとら高広たかひろの刈羽北条城を取り囲むと、兵の半数を連れて越中の救援に駆け付けて加賀一向宗を追い払ったのだ。

加賀の民は越中の米で助かり、越中の民は景虎かげとらの支援で一先ずは助かった。

そして、越後に戻った景虎かげとら高広たかひろを降伏させた。


「裏切った高広たかひろを許し、再び奉行に据えるのは信長様と似ております」

「兄上(信長)も甘いからな」


幕府が大阪御坊に加賀一向宗の越中侵攻を咎めた。

鎮永尼ちんえいには大坂御坊の頼みを断り、武田家を救済しようとしない織田家を逆恨みしているらしい。

高広たかひろの謀反したのは大坂御坊を貶めようとする織田家の陰謀と言ったとか、言わなかったとか?

老害じゃないか、鎮永尼ちんえいには錯乱している。

うちはまったく関係ないぞ。

ともかく、大坂御坊からの命令で加賀一向宗は一先ず大人しくなったが、奪った米で翌年の夏が迎えられる訳もない。

伊勢の長島、尾張の葉栗、三河等々の一向宗に支援をするようにお達しが届けられたが、30万石に達する加賀の民を満たせる訳もなく、また、巨大な支援金が加賀に送られたとは聞かない。


「三河一向宗が飢えている時に支援されたのは若様だけです。伊勢の長島一向宗は助ける素振りもございませんでした」

「そんなものだ。尾張の一向宗が苦しい時に三河の一向宗が助けてくれる事はない。連帯感は在っても助け合うという精神はない」

「加賀一向宗は加賀一向宗だけで何とかしろと言う事ですか」

「そういう事だ」


皆、貧しい。

共通の敵と一緒に戦う連帯感はあっても互いに助け合う余裕などない。

誰かの為に命を捨てる事はない。

加賀一向宗は自らの力で生きる糧を得なければならない。

そして、加賀が助かる為には噴火が冬で収まるのが絶対条件だった。


しかし、その希望は消えた。

年を越しても白山の噴火はおさまらず、今年の収穫も当てにできない事が決まった。

こうなると幕府の沙汰も大坂御坊の命令もないのと同じだった。

一向一揆が確実に起こる。

越後の長尾家も、越前の朝倉家も米を与えるのではなく、民を根絶やしにする事を考える。

要するに間引きだ。

こうして宗滴そうてき景虎かげとらは夏の侵攻に備えて『攻守同盟』を結んだ。

加賀一向宗が動くと一揆を討つべく、越後と越前から出陣したのだ。


越前に侵入した加賀一向一揆を宗滴そうてきは払い退けると、そのまま逆侵攻を開始する。

そこで6度目の噴火が起こり、火山灰が舞い散る中を南郷・津葉・千足の3城を1日で全て落すと大聖寺川に沿って進軍し、灰色の能美丘陵に入った。

美しい稜線の丘陵だったらしい。

能美丘陵は加賀平野(金沢平野)の入口であり、宗滴そうてきは深入りせずに戦った。

一度侵入すると宗滴そうてきは村という村を焼き払ってなで斬りにした。

だが、一向一揆の数は多く、少しくらいで数が減る訳もない。

程よく攻めては後退した。

下手に深入りすれば、朝倉軍は退路を断たれて全滅する可能性もあったからだ。

だが、終わりは見えない。

宗滴そうてきは大聖寺の北にある敷地山の金吾ヶ城に本陣を布いて持久戦の策を取る事になった。

戦いは常に有利に進めていた。

越中に侵攻した加賀一向一揆を景虎かげとらが攻めており、挟撃された加賀一向宗が根を上げるのを待っていた。


「火山灰を吸い込んで気管支炎でも起こしたのかもしれん」

「危険なのですか?」

「火山灰は細かく、肺の奥まで入る。一度入ると中々出ないのだ。最後は呼吸ができなくなって死に至る」

宗滴そうてき様は?」

「大人しく後方で指揮のみに徹しておればよかったのだろうが、あのご老人の事だ。前線に出て槍を振ったに違いない」


防塵マスクなどある訳もなく、手ぬぐいで口を覆うくらいだろう。

大口で息を吸えば、火山灰が大量に肺に貯まってしまう。

さらに長期戦になった為に肺に蓄積した。

宗滴そうてきの死因はそんな所だろう。


宗滴そうてき殿が居なくなったのは拙いな」

「織田家と朝倉家の融合を進める者がいなくなりました」

「いない訳ではないが、力が足りない」

「はい、織田家と朝倉家のわだかまりは無くなりましたが、朝倉-義景あさくら-よしかげ様は織田家に良い印象を持っておられません」

「主君に逆らってまで、朝倉家の将来を憂う者がいなくなった」

「まだ敵では御座いません」

「少なくとも味方ではなくなったと思った方がいいだろう」


千代女も頷いた。

朝倉家の家中の者は織田家を有益な交易相手と考えてくれているが、宗滴そうてき殿のように婚姻同盟、留学生を送って同盟を強化し、最終的に幕府を中心に政策の一体化まで考えている者はない。

あと10年は生きて貰うつもりだった。


「今後、どう致しましょうか?」

「これで火山灰を高値で買ってやる必要はなくなった。様子を見ながら、普通の値に戻すように言っておけ」

義景よしかげ様にこちらの意図が伝われば良いのですが」

「無理だろうな」



義景よしかげが織田家との同盟関係を重視するなら高値に戻してもいい。

だが、おそらくないだろう。

義景よしかげは実力ではなく、家格で織田家を下に見ている。

これでは同盟も形骸化する。

当主に逆らって織田家と仲を取り持つ者もいなくなる。

朝倉家の家臣を取り込む計画も白紙だ。

もう留学生を送ってくる事もあるまい。

噴火で『蝮土』の試験も中止になった。

ここで火山灰を高値で買ってやっても、こちらの意図を組んでくれないだろう。

投資が無駄になった。

馬鹿野郎!

宗滴そうてき爺ぃ、こんな所で死ぬんじゃない。

こっちの予定が狂うだろうが。

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