第13話 奇妙丸を愛している。
(弘治2年(1555年)8月29日)
俺専用の蟄居屋敷は新清洲城の三ノ丸にある
表門は固く閉じられ、竹を斜めに交差させて門が開かないようになっている。
裏門・渡り廊下も同様であり、小者らが使う通用門のみ開放されていた。
面子を重んじる武士であれば、通用門を通って入ってくる事はない。
俺の屋敷の中には第二の政務室がある。
大きな政務室は何かの絵が彫られている敷居板で区画が分けられており、政所にあるすべての部署の出張所が置かれていた。
本来であれば誰も入って来られないので、
向こうの責任者がこちらに集まると本来の政務室の使い勝手が悪くなり、二日目から帰蝶義姉上も俺の横で政務を行うようになった。
「
「向こうは誰が来るか判らないので無理です」
「誰も
「たとえそうでも体面というモノがあるでしょう」
政方の隣には番方の屋敷が建ててあり、事ある毎に政務室を訪ねてくる。
重要な案件があれば、帰蝶義姉上はその度に本来の政務室に戻る。
それが面倒だから俺に向こうの政務室に来て欲しいと言うのだ。
その願いを聞く訳にはいかない。
家臣の中にはとかく頭の固い連中もおり、その者達の目に止まる訳にはいかない。
たとえ害がないと判っていても、やはり陰口に立てる戸はない。
それが積もり積もって叛旗の芽になるのだから、敢えてヘイトを稼ぐ必要はない。
帰蝶義姉上も一度向こうに戻ると、しばらくは戻って来ない。
向こうは向こうで帰蝶義姉上の判断待ちの書類があるのだ。
「
「それこそ駄目です。皆の目に知れるでしょう」
「一度、地下に降りて、地下通路から戻ってくるのは面倒なのですよ」
「帰蝶義姉上は向こうに居て下さい」
「こちらの方が捗るのよ。皆もそう思わない?」
こちらに来ている役方の責任者が首を縦に振る。
帰蝶義姉上は「ほらね」という顔をする。
俺が居なくとも皆はそれなりに判断できる。
最近は尾張にいる期間が3ヶ月ほどであり、清洲に留まっているのは1ヶ月を切っている
俺が居なければ、ああだこうだと言いながら首を捻り知恵を出し合う。
「
「その方が成長します」
「皆の成長より、まずは目の前の書類を片づけましょう」
どうやら俺は残務処理係らしい。
俺が来ないと永久に棚上げされそうな案件が多い訳だ。
そして、急ぎではない軍事機密関係だ。
たとえば、こんな案件だ。
「
「切り上がりの能力を増したいと願っているのか?」
「その通りです」
「船方に相談したか?」
「はい、船方でも調べさせました。学校と佐治衆の意見ではできない事はないが、お奨めしないという返事でした。商人らはできるならばやって欲しいと言っており、佐治衆に願い出たのですが返事が貰えません」
「だろうな。お前もできると思っているのだな」
「はい、理屈的には無理ではないと」
元、中小姓の者でもこう言う行き違いが起こる。
中途半端に知識がある為だ。
帆船と織田式の弁財船の違いが判らないのだ。
そりゃ、会計を担当する者に船の強度計算を教える事はない。
黒鍬衆は計算ができるが会計処理を知らない。
それと同じで、中小姓らは法律や経済を知っているが、構造の強度計算を知らない。
黒鍬衆も船の事は知らない。
俺だって船に関して専門家じゃないけどね。
手探りでやっている。
さて、300石船を帆船に改造できるか?
「答えは
「そうなのですか」
「そうだ。後付けで強度を上げようと思えば、新しい帆船を建造するより高くなると返事をしておけ」
「ありがとうございます」
帰蝶義姉上がうんうんと頷く。
何でも帰蝶義姉上も参加し、佐治の者を呼んで10日も議論した案件らしく、船の設計図を見せられて色々と説明を聞いたが結論がでなかったらしい。
急ぐ案件ではないので棚上げにされていた。
俺が設計した弁財船は船底に竜骨を採用して、甲板の水密性を高めたものだ。
羅針盤や舵などの細かい所で工夫しているが基本的に他の弁財船と同じ構造だ。
あれに縦帆を張って、直進性が増すバラストキールを付ける。
無理だ。
あの竜骨の下に何かを装備できる構造になっていない。
帆船は船底も二重になって座礁に強く、側面も木板と木板の間に薄い鉄を挟んでいて船体の強度も増し、甲板も大砲が積めるように頑丈に作られている。
同じ300石の搭載量だが、船の総重量がまったく違う。
スマートな船体なので一回り大きく見えるのではなく、本当に一回り大きな船なのだ。
そもそも弁財船型に縦帆を張られるのか?
想像が付かん。
<合の子船、三国丸が江戸時代にあったようです>
鉄砲の大量生産、
これ以上の鉄砲を大量生産してどこで使うつもりだ。
飛び魚はまだ完成しておらず、軍事転用なんて夢のまた夢だ。
八八艦隊なんて夢物語だ。
誰だ、これを提案した奴は?
御成御殿は古渡城跡地の公家御殿の転用で十分。
新築の必要なし。
木曽川の
一度始めたら、何十年も工事が続く。
もうしばらく、中島郡には泣いて貰いましょう。
春日井郡を終わらせてからだ。
俺がいるだけで棚上げ案件が減ると帰蝶義姉上が喜んでいる。
◇◇◇
今日は鷹狩りから帰って来た兄上(信長)と一緒に食事だ。
外にでない俺の為に兄上(信長)が蟄居屋敷にやって来てくれた。
食事をしながら打ち合わせだ。
「この一年で三河と西遠江の街道の整備ができたようだな」
「本格的にはこれからです」
「美濃と伊勢はいつ掛かるつもりだ?」
「向こうが暴発すれば別ですが、当分は手を付けません」
「そうか、お前に任せる」
兄上(信長)にしては大人しい返事だ。
覇気が消えた訳ではなく、落ち着いた感じがする。
こんな感じだったか?
「何を不思議そうな顔をしておる」
「兄上(信長)が大人に見えたので首を捻っておりました」
「いつまでも青臭い事を言ってもおられぬ」
「それでしたら、もう少し帰蝶義姉上を大切にして下さい」
「しているぞ」
短い言葉で兄上(信長)は落ち着いて答える。
俺にはそう見えない。
だが、兄上(信長)は違うのか?
しばらく食事を進め、沈黙が続く。
「遠征が始まれば、儂は公方様に付いてゆく。お前は帝を支えよ。儂は公方様を支える。織田家はこのまま帰蝶に任せるつもりだ」
「帰蝶義姉上に?」
「帰蝶を中心に織田家を再編する。儂も帰蝶を支える。おまえも帰蝶を支えてやって欲しい。
国内の有力惣領らを追放して、領地を直轄地とする中央集権体制を取った。
直轄地を増やしているのは織田家も同じだ。
尼子家の力を取り戻した
しかし、京に上がって公方様を支えるような事はしていない。
天文22年(1553年)、俺が京に上がって公方様と一緒に三好家と戦っている最中、播磨に進出したかと思うと転進して備後で毛利家と激突した。
苦戦する毛利家に大内(陶)家が参戦して、引き分けに終わった。
公方様が『
その後、大友家の仲介もあり、尼子家と大内(陶)家が同盟を結んだ。
共闘して毛利家を潰すつもりだ。
しかし、ここで叔父
そうなるように画策したのは
「
「直臣の中に領国経営ができる家臣が何人残っているのか見物です」
「いると思うか?」
「一人か、二人はいるでしょう。しかし7人もいません」
出雲の国を
そう都合よく人材は揃わない。
そして、国主としての才覚のない者が上に居れば、誰も従わない。
叛乱を起こさせない為に
「父上(信秀)を思い出すな」
「規模は違いますが、やっている事は同じです」
「お前が領地を増やそうとしなかった理由がやっと判ったわ」
今更、俺は「遅いよ」と言いたくなったが敢えて言葉にしない。
人材を育てる意味が理解して貰っただけで吉兆だ。
俺の意見も聞いてくれるようになってありがたい。
「帰蝶には悪いと思うが奇妙丸の味方を増やす為だ。新しい準一門を作り、底辺を広げておきたい」
「…………」
「兄弟だから味方する訳ではないのは判っておる。しかし、血族となれば、その身内は奇妙丸を立ててくれる。況して家督争いと関係ない兄弟だ。少なくとも敵にはならん」
「それで妾や側女を増やしていたのですか?」
兄上(信長)が頷く。
兄弟だから味方するというほど単純ではないが、縁が太ければ太いほど味方する可能性が高くなる。
奇妙丸の味方を増やす為に女を増やしていたのか?
「儂の子として尾張を継がせ、帰蝶の養子として美濃も継がせる。格が違えば、争いも減るであろう」
「いつの話をしておられるのですか?」
「7歳にもなれば、嫡男として正式に紹介する。そのときはお前も奇妙丸に忠誠を誓ってくれ」
今から奇妙丸の将来を考えていたのか。
親馬鹿だ。
尼子のように一門衆が叛旗を翻す事を心配していたのか。
赤子ですよ。
奇妙丸の為に人材育成と兄弟を増やす為に頑張るとか。
聞いてがっかりだよ。
やはり兄上(信長)は兄上(信長)だった。
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