第11話 それはクルーザーじゃないかって?

(弘治2年8月10日(1555年9月5日))

雨があがった。

残暑厳しい日差しが濡れた大地に降り注ぐ。

蜃気楼でも見られそうな熱気のもやが微かに上がってゆく。

俺は着物を着崩して、少しでも風通しをよくしようとした。


「糞ぉ、涼しくならない」


野分(台風)の大雨であったが夕方から風が強くなり、翌日の昼にはからりと晴れたのだ。

再び海の方から生暖かい風が上がってきた。

書類、地図、手紙などが舞い散るので障子を全開に出来ない。

蒸し暑さと戦いながら庶務を進め、限界を感じた俺は部屋を出て廊下で涼んでいるのだが、まだ暑い。

クーラーが欲しい。

実験室ではできるようになってきた。

蒸気で動力を動かし、圧縮機で空気を圧縮すれば完成だ。

圧縮した空気をパイプで室内まで繋ぎ、室内に減圧機を置けば室内は冷やせる。

実験は成功した。

しかし、配管が面倒な上に燃料となる薪を焚く係は地獄だ。


何と言っても経費が掛かり、燃費が悪い。

配管のパイプを一本作る間に鉄砲一丁が作れる。

実際に部屋まで繋ごうと思えば、配管が一本で済むハズもなく、鉄砲何百丁分の費用を掛けて、部屋が少しだけ涼むだけ…………。

あははは、やってられない。

床下に井戸水を流した方が安上がりだ。

浜津の本丸御殿には井戸水で床下冷房と暖炉で室内暖房を完備させてやる。

原動力が風車。

風が止まると冷房も止まるのは最悪だな。

考えておこう。


 ◇◇◇


(弘治2年8月11日(1555年9月6日))

奥西遠江と奥東三河の地図が完成した。

これで計画が進められる。

実際、金山の試験掘りも始まっており、上々の滑り出しだ。

今日の予定は岸壁の視察と気賀で小型帆船の受け取りだ。

あと処理を千代女に任せて、慶次を護衛に視察に赴いた。


「あぁ、肩が凝った」

「慶次、それほど手伝っていないだろう」

「書類整理など俺の性に合わん」

「なら、家臣を育てろ」

「そう言ってもな」


慶次の家臣団は意外と優秀だ。

まず、腕っぷしがいい。

槍にしろ、刀にしろ、弓にしろ、何か1つ飛び抜けている。

そして、副団長の落合九郎左衛門は腕が立ち、何でも卒なく熟した。

そして、癖の多い家臣の間に立っていた。

地元では、祖父の落合久吉が姦侫邪媚かんねいじゃちと呼ばれており、余りいい噂のしない者だ。

だが、慶次はそんな事は気にしない。

呑んで腹を割って気にいれば、噂など関係ないのだ。


「おぉ、見事に全滅だな」


新浜津の埠頭ふとう工事は遅れに遅れていた。

砂浜で遠浅なので沖まで埠頭を伸ばしたのはいいのだが嵐が通り過ぎると、埠頭の辺りに砂が集まってくるのだ。

たった一晩で埠頭の辺りの水深が浅くなった。

これでは埠頭として機能しない。

様々なやり方を試したが失敗続きだった。

遠津淡海とおつあわうみ(浜名湖)の水深も平均で16尺 (4.8m)しかない。

満潮と干潮で4尺 (1.2m)もある。

つまり、この遠江では船の喫水は13尺 (4m)に抑えなくてはならない。


「慶次、よく見ろ。全滅ではない」


俺は以前失敗した埠頭と新しいT型の埠頭の間を指差した。

慶次がそこを覗き込む。

他より砂が入っていないが、それでも皆無とはいかない。


「外側に何重かの防波堤ぼうはていを作る。否、防波堤と言うより、砂防壁と言った方がいいか」

「それでも砂が入るのを防ぐのは無理だ」


慶次の言う通りだ。

天竜川から流れ出る流砂の量が多すぎる。

ゆっくりと埋まってゆく。

だが、砂防壁でその進行を遅らせる事ができる。


「沖へ沖へと埋まってゆく分は仕方ない。ならば、こちらも沖へ沖へと埠頭を伸ばせばよい」

「無茶言うな。造っている間に埋まって使い物にならん」

「慶次、前提が間違っている。俺は33尺 (10m)以上の水深を求めていない。16尺 (5m)だ。それならば、できそうだろう」

「できなくはなさそうだな」


両側に防波堤ぼうはていを先に造れば、その中央の埠頭工事も楽になる。

防波堤ぼうはていは何もすべてコンクリートで仕上げる必要もなく、砂を詰めた米俵を沈めて行けばいい。

その外側に小ぶりのテトラポッドを沈めて消失ブロックを作れば、効果も上がるハズだ。

それでも砂が入って水深が10尺 (3m)を切れば、さらに沖に新しい埠頭を作る事にしよう。

それで行けるハズだ。


「湊は造れるが、100石舟しか着岸できないのは変わらんぞ」

「それを解決する為のモノを用意した」

「ふふふ、何を見せてくれるのかね」


俺達は気賀の湊に移動する。

湊にはもう到着していた。

加藤-延隆かとう-のぶたかが造らせた小型帆船を模した船だ。

帆船の雛形であり、見た目は大型のヨットに似ている。

だが、延隆のぶたかの帆船は遠津淡海とおつあわうみ(浜名湖)に入港する事はできない。

転覆防止に腹びれのような、巨大なバラストキールが船底に付けているからだ。

そのお蔭で風上に船体を向けても転覆に心配がない。

だが、浅瀬だと底が付いて座礁する危険性が高くなるのだ。


「この船体の幅を広げて小太りのような船に仕上げ、1つのバラストを半分以下にする代わりに腹びれを左右にも付けて三枚にした」

「そう言えば、力士のような腹回りだな」

「見た目が悪くなるが転覆し難くなる」


佐治で働く見習い職人らが造った試験船だ。

積載は60石 (900kg)とやや少ない。

余計な物を装備させたからだ。


魯坊丸ろぼうまる、あの先端の布は何だ?」

「取って見て下さい」

「これは新しい鉄砲か?」

捕鯨砲ほげいほうだ」


慶次が布を取ると、銛の付いた捕鯨砲ほげいほうが姿を現した。

大型の種子島だ。

潮で火縄が消えないように工夫もされている。

銛が重いので射程は弓程度しかないが十分だろう。

まるで船の先端で守護神のように立っていた。


移動中にクジラを目撃したので思い出した。

伊勢湾に滅多にクジラが入って来ないので忘れていたのだ。

クジラ一頭で城が立つ。

それくらいの価値があり、肉も大量に取れるので、これをもう副業にしない手はない。

里見の海賊相手に丁度いい武器になる。

銛に火を付けて敵の帆を狙うとか、火薬玉装備の銛も用意した。

船団を組んでいれば、問題ないハズだ。


試験船が問題なければ、新浜津と気賀に五隻ずつ配置させる。

5隻で船団を組ませれば、300石になる。

それを西遠江と伊豆・相模で往復させる。

常時は交易を行い、クジラを発見すれば捕鯨船に変わる。

朝に出航すれば、遅くとも翌朝には伊豆に到着し、その日の内に小田原に着ける。

大島や八丈島の巡回船にも丁度よい大きさだ。

何と言っても喫水が浅く、湊を用意し易い。

地域限定だが、主役船になるような気がする。


この小型帆船の売りは『人力スクリュー』だ。

無風でも船員10人が自転車のペダルのようなモノを漕ぐと二枚スクリューで自走できる。

船員20人が交代で漕げば、黒潮の中でも逆走できるハズだ。

俺の計算では…………たぶん?

普段は邪魔にならないように吊り上げているが、有事の非常手段だ。

もちろん、この試験では風上に向けてペダルを踏んで貰う。

根性をみせろよ。

うんうん、性能テストは重要だからね。


えっ、それは推進機関がある船だからクルーザーじゃないかって?

帆船でいいんだよ。

(帆だけで走る船のを『帆船』と呼び、推進機関がある船をモータークルーザーと呼びます)

基本使いは風任せの運用だ。

人力を基本に運用すると奴隷船に変わるだろう。

ないな。

そんな事はしないぞ!


魯坊丸ろぼうまる、何をぼっとしている。『武奈伎むなぎ(ウナギ)』が冷めてしまうぞ」


俺が想像を広げて一人で楽しんでいると慶次が船から降りて茶店に入っていた。

天竜川周辺ではウナギが取れる。

天竜川からウナギの稚魚を取って来て、遠津淡海とおつあわうみ(浜名湖)で大量養殖する。

これしかないでしょう。

賛同者が少なく、まだ織田家の直営店しか販売していませんけど…………。

天然の物の方が美味しい。

仕方ないか。

でも、西遠江の産業を育てますよ。


 ◇◇◇


翌年、西遠江の船団が揃った。

その西遠江船団がクジラを取った。

辺りが大騒ぎだ。

その噂を聞いた藤吉郎がやって来て根掘り葉掘り聞いたらしい。

作物が余り育たない渥美は漁業と交易だけが頼りだったが、その交易の量が減ってかなり苦しんでいた。

藤吉郎も頭も抱えていた。

鯨の話は渡りに舟であり、自前の調子のよい話術で熱田商人から銭を借りると、新型の小柄帆船を購入する。

そして、為してしまったのだ。

鯨漁なら渥美船団。

後にそう呼ばれるようになる。

鯨で貧乏大脱出。

藤吉郎物語は別の話だ。

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