第10話 喉元過ぎれば熱さを忘れたようだ。

(弘治2年7月18日(1555年8月14日))

うだるような暑さ。

汗をかき過ぎた俺は体力を無駄に消耗して足取りが鈍ってきた。

昼になって何度目の休憩だろう?

だが、無理はしない。

水を飲もうと竹の水筒を取ると、今朝入れたお茶は空になっていた。

俺は休憩を兼ねて河原に降りる事にした。

山間を抜けてきたせせらぎが俺の心を癒してくれる。

岩場に腰かけると、その近くにヤブミョウガの花が咲いていた。

1つの幹からいくつもの小さく白い花が咲いている。

鈴蘭のようだ。

涼やかな香りが疲れた体を微かに癒してくれる。

俺は荒くなった息を整えた。


「若様、どうぞ」

「すまない」

「気になさる事はございません」

「足が一日もたないのが情けない」

「これからでございます」


空になった竹の水筒に千代女が河原に降りて水を汲んで来てくれた。

春から初夏に掛けて順調だった地図作りも、夏に入るとまったく進んでいない。

予想はしていた。

海岸の鎌倉街道と遠津淡海とおつあわうみ(浜名湖)の北を通る姫街道の両側は順調に終わった。

しかし、夏から奥西遠江の地図作りを行っている。

吉祥山 (382m)、竜ヶ石山 (360m)、三岳山 (466m)、観音山 (575m)、鳶ノ巣山 (706m)、船着山 (427m)、鳳来寺山 (695m)、橿山かしやま (1,059m)と奥に入るほど標高が上がる。

縦走登山じゃないぞ。

もう山に入って4日目だ。

足が棒のようになり、思うように進めない。

だが、ある程度は登らないと景色が見えないので頂上まで上がるのがてっとり早い。

今回で奥西遠江と奥三河を終わらせるつもりだったが無理のようだ。

さらに追加の下伊那は来年だ。

予定が狂った。


最初、下伊那も無視するつもりだった。

だが、設楽しらく村の奥に金山が見つかった。

信光叔父上に頼んで俺の領地にして貰ったが、こうなると街道を整備して、下伊那の情勢も把握しておく必要が出てきた。

面倒臭い事になった。

だが、それに見合う報酬が付いてくる。


奥三河で注意すべき家は二家だ。

亀山城の奥平-貞勝おくだいら-さだかつと菅沼城の菅沼-定村すがぬま-さだむらだ。

貞勝さだかつへガラス工房を作らないかと声を掛け、石英鉱山の掘削に参加させた。

亀山から見て、岡崎の東部から北部は逆方向で注意が逸れる。

定村さだむらには、設楽しらく村で椎茸しいたけの栽培をすると言って警備を厳重にする事を伝えた。

椎茸しいたけの販売で得た利益は定村さだむらにも還元する。

そうする事で、さらに奥にある金山の存在を隠す事にした。

信勝兄ぃはガラスと椎茸で十分に潤うハズだ。

俺と信光叔父上は金山という隠れ財産を得る。

ウインウインだ。


「下伊那に通じる街道も整備するつもりだったが、そちらは来年だな」

「無理をする必要はありません」

「利用する街道は天竜川の支流の1つ、熊小の小路を整備しようと思う」

「それがよろしいと思います」


そこから東栄を抜けて設楽まで繋げる。

東栄辺りの川が中天竜に流れており、東栄が繁栄すると下伊那から行商が来る可能性が高まる。

それを考えると避ける事も考えた。

しかし、設楽からまっすぐに南を通ると長篠ながしのに抜ける。

長篠ながしのから豊川に沿って下ると東三河の吉田城に至る。

長篠ながしのはもう三河なのだ。

だが、地図で見ると長篠ながしの遠津淡海とおつあわうみ(浜名湖)の真北になる。

地図で位置関係が判ってきた。

南のルートはすべて長篠ながしのを通る事になる。

信勝兄ぃに知られない為には東周りしかない。


「こうなると下伊那の武将らが武田家に浸食されているのが痛いな」

「仕方ありません。中伊那まで武田家に奪われております」

「血縁関係のある者から声を掛けられれば、心も動くか」

「織田家が恐ろしいので寝返る心配はございませんが、味方と思わない方がよろしいと思われます」

「厄介だな」


下伊那、鈴岡城の小笠原-信定おがさわら-のぶさだは娘を信勝兄ぃに嫁がせてきた。

しかし、家臣の半分は武田に調略されており、『惣無事令そうぶじれい』が発布されていなければ、去年の内に滅んでいただろう。

運がいい。


浜津(浜松)から下伊那まで33里 (130km)もある。

しかも山道で街道が狭い。

大軍で行軍させれば、3日から4日は掛かる。

甲斐の武田軍が動くならば間に合わせるが、上伊那・中伊那が動いた場合は間に合わない。

家臣の半分に裏切られていては、もう手遅れだ。

だが、見捨てる訳にいかなくなった。

馬鹿らしい。

馬鹿らしいが、金山が見つかると話が変わる。


「どうだ、勢いは返せそうか?」

「五分五分という所です」

「まだ五分五分か。信定のぶさだは家臣に信用がないのか?」

「武田家は伊那に関して、かなり緩い取り締まり政策で接しております」

「そういう事か」


あっちの水が甘いか、こっちの水が甘いか、比べている最中という事か。

織田家と武田家を両天秤とはいい度胸だ。

後で覚えておけ。


信定のぶさだの娘が嫁いだ事を契機に、井伊家の家臣に傭兵100人ほどを雇って貰って下伊那の松尾に砦を築いて貰った。

武田方の飯田城と鈴岡城の中間だ。

加えて鉄砲や農機具の支援、それと鈴岡城に遠江の武将を客将として何人か送った。

織田家が信定のぶさだを見捨てていないというアピールだ。

そこまでして五分五分とは情けない。


まぁ、武田家が動けば、即時撤退するようにと命じている。

平地で大軍と戦うなど馬鹿らしい。

コブが飛び出したような小さな丘では持ち堪えられる訳もない。

阿南の吉田城 (寺尾神社)まで撤退する。

辺りは入り組ん地形で大軍が動かせず、奇襲するに適している。

吉田城は小さい城だが、十分な火器を入れておいた。

門を固く閉ざして、背後からゲリラ戦で襲う。

どんな大軍であっても一ヶ月程度は持ち堪えるハズだ。


「殿、道が開けました」


遠くから次郎法師が声を上がった。

俺が歩き易いように獣道を整備してくれている。

それでも息が上がっている。


「暑さのせいでしょう」

「そういう事にしてくれ」

「暇ができれば、太雲たうん様が鍛えて下さいます」

「それは、それで嫌だ」

「では、頑張って下さい」


山で地図を作る為にはどうしても見晴らしの良い場所に出なければならない。

山を登っては降り、降りてはまた登るのを繰り返している。

疲れた。

これも訓練の一環だ。

麦わら帽子の効果もなく、俺の白い肌は真っ黒に焼けていた。

だが、この暑さには参った。


「少し凛々しくなったように思われます」

「千代、お世辞はよい」

「世辞ではございません。すぐに武蔵を頼っていた頃と比べれば、見違えるようです」

「急ぐ時は武蔵を使う」

「もう急がないのですか?」

「諦めた」


ふふふ、千代女がお見通しという顔で笑っている。

俺はだらしなく休憩を多めに取っている。

その休憩の間に獣道を整備して山道に変える。

50人ほどの村人を連れて、その指揮を次郎法師が取っている。

山道でも息一つ乱さない。

野生児だ。

そして、俺の護衛はなんと信広兄ぃが自ら率いてくれている。

二人は打ち合わせをしながら俺の補助に回っていた。


「慶次も災難です」

「偶には領主らしい事もさせるべきだろう。あいつを遊ばせるのは勿体ない」

「また、訳の分からない祭りが増えますよ」

「それはそれで楽しみだ」

「わたくしは心配です」


千代女が溜息を付く。

信広兄ぃの仕事を代理でできる者はそういない。

しかし、慶次は最初に信広兄ぃと一緒に入ってきたので問題ない。

内政も卒なく熟す。

信広兄ぃがいなくても城の方が問題ない。


「若様の心遣いで信広様と次郎法師との息が合ってきました」

「俺は休憩をしているだけだ」

「そういう事にしておきます」

「ホントだぞ」


俺は腰を上げて道に戻った。

そして、次郎法師と合流する。

俺の3倍は歩いているのに元気そうで、とても領主の姫に見えない。

健康そうな小麦色で肌もつやつやだ。

どこか百姓の娘と言われても信じてしまう。


「俺の顔に何か付いておりますか?」

「疲れていないのかと心配しただけだ」

「大丈夫です」

「信広兄ぃはどうしている?」

「信広様は今日泊まる豊根村を見に行かれました」

「判った。今日はあと二か所回る。今回は明日で終わりにして、一度浜津に戻るつもりでいてくれ」

「判りました」


豊根村は金を運ぶ拠点になるだろう。

しっかり様子も見ておこう。

次回は設楽村を中心に地図を作る。

椎茸畑をどこに作るかも検討せねばならない。

翌日まで地図作りに精を出し、城に戻るとまた書類の山に埋もれた。


 ◇◇◇


(弘治2年7月22日(1555年8月18日))

今川家が取り潰しになって一年半。

ああだこうだと終わらない交渉を続けてきた大名達も喉元過ぎれば熱さを忘れたようだ。

東も西も物騒になってきた。


身近な所で里見家が海賊行為を再開した。

馬鹿な奴だ。

上野国北部に逃れていた長野-業正ながの-なりまさは北条家が動かない事をいい事にして、上野国の奪還に動き出した。

対して、北条方の猪股-則直いのまた-のりただも動いてしまった。

北条家は慌てて幕府へ謝りに行き、業正なりまさを止めるように願い出た。

味方にも馬鹿がいる。

大胡城の上泉武蔵守秀綱も業正なりまさの命で動き、戦火は広がりを見せていた。

これで古河公方、佐竹、蘆名、長尾が一斉に動き出す。

一年間の休戦が終わったという感じだ。


北条家は打ち合わせ通り、上野から撤退する。

領地に固執していない事を幕府に見せる為だ。

公方様に代わって治め、北条家は公方様の手足である事を訴えている。

ただ、すべての武将が納得している訳じゃない。

これが面倒臭い。

また、天文の乱が終わった伊達家もまだ荒れている。


西は毛利家だ。

安芸の守護代になった毛利-元就もうり-もとなりが動いた。

陶-晴賢 すえ-はるかた方の領主を安芸で暴れさせ、すでに三城が落とされている。

毛利家が弱い訳ではない。

ワザと隙を見せて落とさせた。

この攻めてきた領主を毛利は幕府に訴えて、討伐の許可待ちだ。

しかし、この許可が中々に出ない。

幕府の許可が出なくとも居城に攻め寄せれば、元就もとなりは逆襲する。

そこから逆襲して一気に攻め滅ぼす手前まで進める。

これが元就もとなりの筋書だ。

当然、晴賢 はるかたも救援に赴く事になる。

幕府がモタモタとしている内に戦乱が広がる。

判っていない。

元就もとなりが動けば、晴賢 はるかたも動く。

村上水軍を味方に付けた元就もとなりがどこまで粘れるかが見物だな。


「海戦に持ち込む事ができるでしょうか?」

「それは元就もとなりの腕次第だ」

「勢力的に劣っておりますから陸から大軍で力攻めされれば、毛利家に勝機はありません」

「承知で仕掛けているのだろう」


停戦の為に毛利家は勢力を伸ばせず、大内(陶)家と尼子家の力が温存されてしまった。

大内(陶)家に叛旗を翻した毛利家は劣勢だ。

だが、これ以上待てば毛利家が大内(陶)家から独立できないと踏んだのだろう。

俺もそう思う。


「幕府の許可を貰わずに、晴賢 はるかたが大軍を動かす勇気があるかどうかだな」

「体面を気にすれば」

「海戦になる。しかし、海戦を仕掛ければ、元就もとなりに食われる」

「若様に食われるのではございませんか?」

「俺は村上水軍に火薬を少し融通してやっただけだ」

「少しですか?」

「少しだ」


織田家の保有量からすればわずかな量であり、一度の戦で底を付く程度だ。

逆に言うならば、一度の戦ならそれなりに使える。

幕府は若狭武田家に遠慮して、毛利家にいい返事を出していない。

だが、大内(陶)家や尼子家がこれ以上に大きくなるのも嬉しくない。

左右に揺れて中途半端になっていた。


「同盟を結んでいる尼子家が大内(陶)家を支援して備中を襲う可能性はありませんか?」

「もちろんある。しかし、その場合は中国地方の戦いは終わりになる」

「幕府にとって都合がいい訳ですね」

「そういう事だ。だが、俺の予想では介入しない。どちらかが明らかに劣勢になってからだ」


尼子家は織田家と同じ中央集権を目指しているが、尼子-晴久あまこ-はるひさ一人で支えている。

晴久はるひさがいなくなれば崩壊する。

強さを示し続けないといけないので幕府に従う事を良しとしないだろう。

大内(陶)家は古い家が多すぎる。

領主の権限を奪うような幕府の方針を受け入れるとは思えない。

元就もとなりも嫌だろうが、劣勢の毛利家に選択の余地がない。

幕府の方針に従わせるならば、毛利を支援すべきと俺は思う。

だが、幕府も尼子家や大内(陶)家との縁を持つ者が多い。

切るに切れないでいた。

俺は次の手紙を手に取って固まった。


「どうかされました?」


俺は手紙を千代女に渡す。

公方様からの手紙だ。

蟄居の俺に何故、手紙を書いてくるのか?


「千代、どう返事したものか?」

「若様の手紙は奉公衆も見ると思った方がよろしいです」

「だよな」


無難な事を書けば公方様が怒る。

具体的に書くと奉公衆がいらぬ事を考える。

まったく。

どう返事しろというのだ?

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