第9話 現地妻、直虎。

(弘治2年3月6日(1555年4月7日))

よいしょ、よいしょ、俺は出城の階段を上がる。

でっぱった丘の上に建てているので階段が長い。

城の上まで上がってくると一気に景色が開け、パノラマとなって見晴らしがいい。

海から吹き上げてくる風が耳元を通ってゆく。

ざぁ、ざぁ、ざぁと波の音が聞こえる。

一面に海が広がり、その海を一人占めしているような気分になる。

悪くはない。

用事の度に兵舎が下にあるので降りたり、上がったりと忙しい。

呼び出せば来てくれるが敢えてしない。

体が鈍れば、後で酷い目に遭うので心掛けて体を動かすようにしていた。


「若様、お帰りなさいませ」

「殿、これが現在の進捗状況でございます」

「信広兄ぃも忙しいのにすみません」

「殿に比べれば、大した事などございません」


俺は縄張りと進捗状況を確認した。

出城、その名の通りで出っ張った丘に上に造った城だ。

出丸とも呼ばれている。

この出城だけで普通の城並の大きさだ。

天守閣を建てれば、それだけで城らしくなる。

これで十分なのだ。


こうして縄張りを見ると、浜津城が如何に巨大な城かが判る。

正確に言うならば城ではなく、台地の上に造ったニュータウンと言った方が正しい。

壁の高さは約20mもあり、天然の地形を利用した城だ。

木々を残しながら整地するだけで簡単にできる。

お手軽な城なのだ。

この壁に石垣を並べるだけで威風堂々とした城になるに違いない。

言うのは簡単だが、実行する信広兄ぃは大変だ。


城の中身は三ノ丸が工場区、二ノ丸が行政区、本丸が居住区となる。

最大の欠点が水問題だ。

手押しポンプが使えない。

井戸の水位が低すぎて、水を引き上げる事ができない。

真空ポンプの限界を超えていた。

だから、他の手を考える。

桶を数珠状に並べて回転させて組み上げる原始的な井戸を採用した。

その上に風車小屋を造って、風さえ吹けば、半永久的に水を汲み上げ続ける様にする。

水路を引いて各家庭に入れておく、水甕を置けば何とかなるだろう。

居住区を一箇所にまとめたのはその為だ。

この井戸1つも掘るのが大変な作業だ。

螺旋状の階段が付いており、下まで降りて行く事ができる。

逆さまにした塔のように思えた。


これとは別に石垣の壁の水汲み用の風車小屋を建設予定だ。

こちらは馬込水路と佐鳴用水の水を引き上げて貯め池で保存する。

行政区と工場区で使う水だ。

壁沿いに建てるので井戸に比べて簡単に作れる。

ただ、戦がはじまれば、壁に張り出した水汲みの風車小屋なんて、間違いなく狙われて壊される。

平時はそれでいいが、有事に使えない。

最後に、どんな津波がやって来てもまず問題ない。


「台地の上は水が不便で、皆は谷間に居住区を造って暮らしております」

「それは仕方ありません」


井戸は完成したが、25m螺旋状の階段を上り下りして水汲みをする生活は、誰もしたくない。

カラクリの風車小屋が完成しないと誰も住めない。


「いいえ、兵士のみ兵舎で住ませております」


そういえば、兵士だけは住んでいたな。

台地の上の兵舎は完成していた。

しかし、食事は下に降りてきて一緒に食っているらしい。

周辺から集められた者は出城の北側にある谷間に住んでいた。

そこに小屋を建てて、雨露をしのぐ。

その数は数千人。

これだけの人が暮らしているのでもう町だ。

商家もあばら屋を建てて商売を始めている。


「馬込水路が完成したので舟で荷が揚げられるのも大きいです」

「このまま整理して町にするか」

「そうされるのが良いと思います」

「千代がそう言うならば、それで行こう」

「では、後で区画割を作っておきます」

「頼む」


仮設の住居がそのまま町になる。

まぁ、いいか。

意図して造った町より自然に生まれた町の方が発展し易い。

十分な道幅と水路を確保にしておけば、あとで拡大するのも簡単だ。

家臣ら以外の者はここで住まわせれば、浜津と新浜津の町を融合して巨大な町になるかもしれない。

この辺りは商業区として残しておこう。


「殿、以前から聞こうと思っておりましたが、松林は必要なのでしょうか?」


俺は海岸に沿って5mの防潮堤ぼうちょうていを造らせている。

その防潮堤ぼうちょうていと街道に間に5列に並べた松の木を植えさせた。

いずれ松林となる。


「塩害の防止だ」

「塩害とは何でしょうか?」

「海岸に近い場所は波飛沫なみしぶきが飛来し、塩水を被った農作物が育たなくなる」

「そうなのですか」

「そう覚えてくれ」

「判りました」


松の木は塩害に強い。

海の側でも松は育ってくれる。

松林が生まれると、波飛沫なみしぶきがそこで途切れる。

しかも風で運ばれた砂などが細い葉に受け止められて落としてくれる。

塩害を緩和しながら砂の流入も防いでくれるのだ。


「つまり、海岸沿いにも畑が作れるという事ですか?」

「そうだ。今は塩に強い桑を植えてかいこを育てて絹を作らせ、それを新しい産業にさせる。だが、松林ができる頃には、天竜川の護岸工事も終わり、周辺に巨大な田畑が生まれる。そのとき、松林が塩害を防いでくれる」

「おぉぉぉ、なんという叡智。流石、殿は違いますな」

「行うのは信広兄ぃです。お願い致します」

「お任せ下さい。やってみせます」


 ◇◇◇


(弘治2年3月29日~4月2日(1555年4月30日~5月2日))

浜津城の北には馬や牛を飼う為の牧場地を作る。

城に使う木々を切って更地にすれば、理想的な牧草地になる。

外から隠す為に街道沿いと崖の端に木々を残し、真ん中をくり抜くような感じで草原を広げてゆく。

すでに小さいが牧場を作り、馬と牛を放し飼いにしている。

今は牛に水桶を背負わせて往復して水を確保するという面倒な事をしているが、いずれはこちらにも風車小屋を造って牧場に必要な水を引き込む。


それとは別に井戸も掘る。

城と同じ螺旋階段付きの奴だ。

その途中に横穴を掘らせて、チーズの保管場所を作る。

地下20m以上ならば、一年中、室温は変わらない。

井戸水のひんやりとした湿度がきっと良いチーズを作ってくれる。

夢が広がる。

牧場の視察を終えると、東遠江に来た目的を実行した。

そして、1ヶ月が経った。


台地の北には山が連なり、普通に村は点在する。

姫街道の北側は台地を含めて井伊家の領地になっている。

井伊家は西遠江で有力領主の1つだ。

主に京田みやこだ(都田)、刑部おさかべ(中川)、謂伊いい(井伊谷)、伊福いふく(気賀)を治めている。


鎌倉時代までは神明宮しんめいぐう(伊勢神宮)の所領であり、そこを御厨みくりやと呼ばれた。

京田みやこだもその御厨みくりやの1つだ。


「若様、なぜ京田みやこだと呼ばれるか、ご存知ですか?」

「知らんな」

「何でも、桓武帝が大和の都から新しい都に移そうと考えた時に、その候補地の1つだったそうです」

「随分と古い話だな」


当時の人々は『ここが都だ』と叫んだ為に、『京田みやこだ』になったらしい。

なんというか、単純な?


「陰陽で占った所、丘が1つ足りないので候補から外れたそうです」

「遠いから嫌がっただけだろう」

「そうですね」

「大和の勢力から逃れるのはいいが、ここまで来ては畿内を抑える事もできん」

「いずれにしろ、三方が山に囲まれて京と似ており、『九重くえの里』と呼ばれております」

「帝がおわす場所とは、また、大袈裟な」


俺が何をやっているかと言えば、地図作りだ。

海岸を通り鎌倉街道を中心に歩測で距離を測りながら地図を書いていった。

それが終われば、今度は姫街道だ。

東から西へと作ってゆく。

主道が終われば、側道だ。

そして、最後に山道を基準に西遠江の地図を完成させる。


もちろん、西三河、東三河でもやっている。

西遠江で使う予定だった測量班を京で使ってしまった。

他が空くのを待っていると年を越してしまう。

そうもいかない。

という訳で、簡単な地図を俺が自前で作る事にした。

何百枚、失敗を含めれば、千枚以上も地図を書き続けてきた俺は、見ただけでおおよそ目測ができるようになっていた。

起点の山を確認し、そこから見える物をすべてメモに書き綴ってゆく。

歩測で移動し、再びメモを取る。

三点目測と高低差を勘で書き止めてゆく。

3日ほど歩くと、一度城に戻って地図に仕上げ、再び続きから測量を続ける。

測量地図に比べると精度は落ちるが、当時の地図に比べると精密な目測地図だ。

これを元に街道の整備と新しい開墾地を決めてゆく。


これまでは見ただけで出来る場所をやってきたが、これから本格的に掘ったり、埋めたり、貯水池を配置したりする開拓がはじまる。

今までの比でない。

当然、馬車が使えるような街道を完璧に整備しなければならない。

織田家の真骨頂は、このインフラ・・・・だ。


俺達は京田みやこだを通って謂伊いい(井伊谷)に入った。


おぉ、俺は思わず声を上げた。

目の前に染め上げたような赤紫色の『深山つつじ(ムラサキヤシオツツジ)』が見えたからだ。

まるで紫の壁だ。

言葉を失って立ち尽くす俺に家臣が声を掛けた。


「若様、何本かお持ち帰りなさいますか?」

「それはよい。帰蝶義姉上が喜ばれる。景観を壊さず、端に近くの小ぶり木を三株ほど貰う事にしよう」

「畏まりました」


俺が命じると同行していた黒鍬衆がスコップで木の周辺を掘り始めた。

同行者は20人程、ほとんどが護衛だが、その内の5人は測量の手伝いの黒鍬衆だ。

(真の護衛である忍び衆は他にいます)

背負子にスコップを装備していないような黒鍬衆はない。

掘り出した木の根元をさらしのような物でぐるぐるに巻くと、二本の棒で挟んで神輿のように作ってしまう。

護衛が「護衛ができない」と文句をいうが、帰るまで「深山つつじ」の神輿持ちだ。

帰蝶義姉上によい土産ができた。


「こらぁ、勝手に山を荒らす奴は誰だ!」


元気な侍が山を降りて駆けてくる。

足が速い。

後ろに追い駆けてくる従者を引き離して若侍が一人で進んで来て刀に手を掛けた。


「お主ら、どこの者だ」


よく見れば、若侍ではない。

女子のようだ。

肩がなめらかで胸だけ張り出していた。

髪の毛を馬のように1つに括って搾っている。


「答えぬならば斬る」


威勢のいい事を言う。

一人で20人を相手にするつもりか?

無理だな。

そもそも千代女が俺の前に立たない。

腕っぷしは下の下という事だろう。

護衛の家臣がやっと我に返って俺の前を塞いだ。


「どういうつもりだ」

「刀を抜けば、ただでは済まんぞ」

「木を盗んだ盗人が何を言う」


女子が俺を睨み続ける。


「お待ち下さい。お待ち下さい」

「爺ぃ、遅いぞ」

「姫様、危のうございます」

「盗人が逃げる前に捕まえるのが当たり前であろう」

「どこの家臣団かは存じ上げませぬが、不用意に刀に手を掛けてはなりません」


従者が女子を守るように頭を下げた。

こういう事は珍しくないという顔ぶりだ。

話に聞き耳を立てていると、井伊家の家臣である京田みやこだの者は毛並が違うらしく、地方の豪族が所有しており、独立性が高い家臣らしい。

一言でいうと『あらくれ者』が多かった。

好き勝手する連中であり、花を勝手に持ち帰るのも京田みやこだの者と勘違いされたようだ。


「盗人でないと言うならば、名を名乗れ」

「申し訳ございません。今は名乗る名がございません」

「ふざけた事を言うな」


気の荒い女子だ。

目付けらし爺が女子の名を明かした。


「こちらにおわすのは、井伊家、御当主のご息女である『次郎法師』様でございます」


聞いた事がある。

井伊-直盛いい-なおもりが先の織田家との『蛇池の戦い』で戦死した。

養子の直親なおちかを呼び戻したいと今川-義元いまがわ-よしもとに訴えいたが許可が貰えず、家老の子である小野-道好おの-みちよしを次郎法師の入り婿にして井伊家を継がせる事になっていた。

しかし、織田家の西三河への進出で小野-道好おの-みちよしの婿入りが宙に浮き、直親なおちかが急いで呼び戻された。

直親なおちかは次郎法師の許嫁であり、二人が結ばれて目出度く、井伊家は落ち着くと思われたが、直親なおちかは妻を連れて戻ってきたのだ。

今度は次郎法師が宙に浮いた。

一先ず、直親なおちかの養女として、どこかに嫁がせる事になったのが、井伊家の家臣には次郎法師を押す者が多い。

次郎法師を側室にする訳にも行かず、入り婿も難しい。

井伊家は直親なおちかと次郎法師で二つに割れていたのだ。

あれぁ、直盛なおもりの死がきっかけだよね。

もしかして?

あの『蛇池の戦い』で指揮を取ったのは俺だから…………もしかして。


「千代、俺は親の仇か?」

「もしかしなくても親の仇です」

「益々、名乗れんな」

「もう気づかれております」


俺を護衛する者の中に知り合いがいたようだ。

爺が青い顔をして次郎法師に俺の正体を告げた。


「お前が父を」

「申し訳ございま…………」

「謝るな。父は武士として見事に散ったと聞いている。謝られるのは武士として恥だ。我が父を穢す事は許さん」

「そうでございました。失礼しました」

「で、何をしていた」


俺は地図を見せて、新しい開墾場と肥料を作る為の設置場所を探している事を告げる。

井伊家の石高が軽く倍になる事を告げた。

次郎法師が目を丸くする。

信じられないという感じだ。

河川を改修すれば、遊ばせていた最も収穫が高い川の両岸が使える。

皆、一番美味しい所を皆は使っていない。


地図が完成すれば、計画を持って井伊家の許可と協力を貰いに行く。

嫌だと言えば、後回しするだけだ。

独立を認めているので、許可と協力という回り諄い事をする。

もっとも後回しにするだけで拒否権なんてないけどね。


その前に石高も明らかにしなくてはならない。

隠し通せる。

そんな事を考えているだろうけど、俺を相手にそんな小細工が通用するなんて思われたくない。

次郎法師は地図を見て「こんな正確な地図ははじめてみた」と感心しているが、後ろの爺は青くなっていた。

地図を見れば、どの辺りに報告していない田畑があるのかおおよそ検討がつく。

その辺りに側道でも敷いてやれば、言い逃れもできまい。

さて、井伊家はどんな対応を取ってくるか?


その日は別れて、城に戻って地図を作り直していた。


「若様、井伊家から使いの者がやって来ております」

「昨日の件か?」

「はい、次郎法師殿も来られております」


次郎法師は父が亡くなった時に還俗して井伊家に戻り、直虎なおとらと名乗った。

小野-道好おの-みちよしとの婚姻の折りに改めるハズがのびのびになり、正確には井伊家当主直親なおちかの養子になっている。


「この直虎なおとら、名無し殿の小姓になりたく参上致しました」


井伊家から織田家に人質に出す話は以前からあった。

次郎法師は尾張に行く事を嫌がっていた。

嫌がる次郎法師を井伊家から連れ出せば、井伊家が分裂してしまう。

直親なおちかは次郎法師を人質に出したかったがその話が流れていたのだ。

ところが、一夜にして状況が一変した。

次郎法師自身が人質に行きたいと言い出したのだ。


「遠江から一歩も出るつもりはございませんが。名無し殿の知恵をこの直虎なおとらにお授け下さいませ」


純粋に井伊家をよくしたいと、その目に書いてあった。

井伊家からは浜津城に置いて、側室なり、妾なり、好きにして貰って結構という書状が入っていた。

井伊家は名家であり、その姫を軽んじる事は許されない。

しかし、正室が皇女で、側室が北条、六角のご息女だ。

名家と言っても井伊家は小領主に過ぎない。

とても側室にして欲しいと言い出せないと悟ったようだ。


「現地妻ですか」


要らないよ。

そう言えば、信広兄ぃは前妻が亡くなっていたな。

又代の正室なら文句もあるまい。

西遠江を支配する上で井伊家を味方にするのは悪くない。

果たして信広兄ぃは気に入るか?

男勝り過ぎるけど引き受けて下さい。


閑話. 現地妻、直虎の猛アタック。

(弘治2年3月14日(1555年4月15日))

浜松城に上がった直虎なおとらは庭の掃除から食事の手伝いなど侍女見習いにでもなったように働く。


直虎なおとら

「はい、千代女様」

「明日から三ノ丸の屋敷に通って午前は学校に行きなさい」

「私は龍泰寺りゅうたいじで大抵の事は習っておりますが…………」

「織田家の知識は特殊です。家臣の子息を集めて初等科と神学校の分校を創る事になりました。しばらくは借り校舎ですが、そこで学んできなさい」

「ですが?」

「若は側室を増やすつもりはありません」

「ここを出て行けというのですか」

「ここから通えばよい。朝と夕方の仕事は残しておきます。学校に行けば、あなたが教わりたがっていた測量も覚える事ができます」

「ホントですか」


直虎なおとらは貪欲に学ぼうとする。

天文13年 (1544年)、今川氏与力の小野-政直おの-まさなお讒言ざんげん直親なおちかの父である井伊-直満いい なおみつ今川-義元いまがわ-よしもとへの謀反の疑いをかけられて自害させられた。

息子の直親なおちかも処分される所をさらわれて井伊谷を出奔した。

あの日の言葉は忘れない。


「亀之丞(直親なおちか)、必ず帰ってくるのだ」

「必ず迎えにくる」

「わららは待っておる」

「絶対に帰ってくる」


どこの誰か判らぬ者に攫われた。

直親なおちかの許嫁であった直虎なおとらにも嫌疑が掛かり、龍泰寺りゅうたいじで出家して尼になった。

生来のじゃじゃ馬娘が髪を切ったくらいで大人しくする訳もない。

その頃から次郎と名乗る小童が村々に徘徊するようになり、村人はその子を『次郎法師』と呼んだらしい。

天文22年 (1553年)の尾張出兵で父の井伊-直盛いい-なおもりが戦死すると、家老の子である小野-道好おの-みちよしを次郎法師の入り婿にして井伊家を継がせる事になった。

しかし、婚礼が済まぬ内に織田家の西三河への進出し、井伊家は織田家に付く事を決め、次郎法師は元服させて直虎なおとらを名乗って織田家に使者を送った。

後に改めて直親なおちかを呼び戻し、二人が結ばれて目出度く、井伊家は落ち着くと思われた。


「亀之丞、久しいな」

「亀之丞ではなく、直親なおちかです。直虎なおとら様、やっと戻る事ができました」

「よく約束を守ってくれた。嬉しく思う」

「守れるなどと思ってもおりませんでした」


井伊-直盛いい-なおもりの養子になっていた直親なおちかが帰ってきたので、当主の座を明け渡し、直虎なおとらが正室に収まってすべてが丸く収まる…………?


「隣の方はどなただ?」

「我が妻でございます」

「あっ、なんだと」


許嫁に裏切られていた。

まさか、妻を娶って戻ってくるとは思っていなかった。

二人になると改めて問い質す。


「どういうつもりだ」

「もう帰れないと思ったので妻を貰った。それだけだ」

「お前の謂伊いい(井伊谷)を思う気持ちはその程度か?」

「お前も小野の倅の妻になる予定だったのだろう」

「今川が命じてきたのだ。断れる訳もなかろう」

「俺もだ」


信濃国伊那郡松源寺へ落ち延びた直親なおちかは塩澤氏の人質同然で扱いであった。

だが、その娘を娶る事で一族に迎えいれられた。


「仕方なかったのは認めよう。だが、謂伊いい(井伊谷)は私の国だ」

「俺が当主になった」

「それが謂伊いい(井伊谷)の為だから譲ったのだ」

「お前は変わらぬな」

「亀之丞は変わり過ぎだ」

直親なおちかだ」


お転婆でじゃじゃ馬な直虎なおとらは可愛い義妹でも許嫁でもなかった。

直親なおちかをあちらこちらに連れ回した厄神だった。

直虎なおとらはお爺ちゃんっ子で『謂伊いい(井伊谷)が大好き』な子供だった。

剣術を好み、川遊びや森に平気で入って行く。

いつも顔が泥だらけの姫だ。

村人からも愛された。

だが、許嫁には見えず、いつまで経っても面倒事を起こす弟のように思えた。

再会した直虎なおとらは男っぷりに磨きが掛かっていた。


「はっきりと言うぞ。お前を嫁に貰う気はない」

「私もはっきりと言おう。謂伊いい(井伊谷)を一度でも見捨てた奴の嫁に行く気はない」

「気の強い所も変わっておらぬな」

「お前も弱腰で臆病な所が変わっておらぬ」


天文22年 (1553年)9月、直虎なおとら直親なおちかの養女という事で落ち着いた。

が、評定に顔を出す直虎なおとら鬱陶うっとうしい存在だ。

謂伊いい(井伊谷)を愛しているので敵ではないが、家老らが巧く直虎なおとらを使って主導権を譲らない。

直親なおちかは何とか嫁の貰い手を探したが、すべて直虎なおとらが断ってしまう。

頻繁ひんぱんに出没する盗賊を織田-信広おだ-のぶひろ前田-慶次まえだ-けいじと連携して追い払った。

各地では被害が報告されるが、謂伊いい(井伊谷)には1つも被害がないのも直虎なおとらのお蔭だ。

どたどた、井伊家の屋敷ではけたたましい足音がする。


「どうかしたか?」

「北の森が気になる。見てくる」

「他の者に任せよ。井伊家の姫がやる事ではない」

「自分の目で見なければ判らぬ事もある」


子供の頃とまったく変わっていない。

直虎なおとらは井伊家の大将のように振る舞い、誰もがそれに従う。

今川家から織田家へ移った移行期。

荒れる領民を1つにして、先頭を切って戦ったのも直虎なおとらだった。


謂伊いい(井伊谷)が好き』


そんな掛け声が山にこだましていた。


 ◇◇◇


(弘治2年3月19日(1555年4月20日))

魯坊丸ろぼうまるの元に教科書を持って直虎なおとらが現れた。


魯坊丸ろぼうまる様、ここを教えて頂けませんか?」

「何故、俺に聞きに来る?」

魯坊丸ろぼうまる様が最も博学であり、教え方が巧いと聞いたからです」

「俺は昨日戻ったばかりで疲れているのだ」

「そう言わずにお願い致します。遠江の山々を測量されるならば、手伝いができると思います。こう見えても他の領主の目を盗んで山に入っておりました」


鎌倉街道、姫街道両側の測量が終われば、いよいよ山に入ってゆく。

正確な地図は必要ないが、おおよその地図が必要であった。

特に伊那を結ぶ街道の整備するに当たって高低差が需要になる。

そう魯坊丸ろぼうまるが言っていた事を直虎なおとらは覚えていた。


「千代、来週から直虎なおとらを同行させる手筈を取れ、紅葉、教えてやれ」

「判りました」

魯坊丸ろぼうまる様」

「紅葉でも判らぬなら聞いてやるが、馬鹿に掛ける時間はない。そう心せよ」

「判りました」


直虎なおとらのようなよこしまな輩がいなかった訳ではない。

露骨な者は千代女が排除する。

侍女達も警告を鳴らす。

それでも正当な理由ならば魯坊丸ろぼうまるに通してくれたが、魯坊丸ろぼうまる直虎なおとらを相手にせず、侍女長の紅葉に押し付けた。

紅葉がすべて質問に答えたのが戻るしかない。


直虎なおとらは勉強熱心。何でも相談してくれていい」

「ありがとうございます。紅葉様」


しくしく、心の涙を流して引き下がった。


直虎なおとらは井伊家の評定がある日の前後に休みを貰って屋敷に戻って、評定に参加する。

直虎なおとら直親なおちかを排除しようなどという野心はまったくない。

直親なおちかもその事は心配していない。

ただ鬱陶うっとうしい。

評定が終わった夜には月見と称して、直虎なおとら直親なおちかの部屋を訪ねる。

いつものように直虎なおとらが縁側に腰掛けると菓子が運ばれた。


「正式に魯坊丸ろぼうまる様はお前を妾にする事を断って来られた」


直虎なおとらは菓子を1つ、口に放り込むと月を見上げた。


「風呂場に突入して背中を流して差し上げたが反応が悪かった。千代女様のような姉御が好きと聞いていたがどうも違うらしい」

「そんな事をやったのか?」

「この体型には自信があったのだぞ」

「よく罷免されなかったな」

「無茶な事はしておらん。少しくらい興味を持って貰えると思ったが、あっさりと流された」

「やり過ぎだ」

謂伊いい(井伊谷)の為ならばどんな事でもする。婚約者はすべて年上と聞いた。お気に入りは千代女様だ。ならば、私にも可能性があるのではないか?」

「お前に色気はないからだ」

「うるさい。色気はないが、容姿は悪くないぞ」

「自分でいうか?」

「次こそ…………」

「頼むから控えてくれ。井伊家が取り潰しになる」


直親なおちかは横に腰かけて菓子を摘んだ。

行動力だけは昔からあった。

直親なおちかは森を探検すると連れ出されて、一緒に迷子になって死に掛けた事もあった。

無理矢理に大きな木に登らされて落ちて大怪我させられた事もあった。

見送り無用と言っているのに、直虎なおとらは見送りに来て捕まって尼になった。


「それは誤解だ。あれはワザと見つかってやったのだ。私に罪が生まれれば、尼になるしかない。予想通り、今川家の目を気にして、嫌な男と婚約させられる事もなくなった」

「その知恵はどこから湧いてくる?」

「和尚様だ」

「あの腐れ和尚か」


龍泰寺りゅうたいじ南渓-瑞聞なんけい-ずいもん和尚は禄でもない奴だ。

直虎なおとらが変な事をする時は和尚が絡んでいる。


「和尚もと話したが織田家の政策は面白い。井伊家は積極的に受け入れるべきだ」

「それを決めるのは俺の仕事だ」

「任せておけ、根回しは私がやっておく。織田家との交渉は任せる」

「当然だ、交渉は俺がやる」

「うむ、任せた」

「任せたじゃない。根回しも俺がやる。お前は何もせずに信広様の側室になれ」

「う~~~ん、それが問題だ」


魯坊丸ろぼうまるから妾を断る返事と一緒に信広の側室にどうかという打診があった。

直虎なおとらも信広と一緒に戦って、男義があって好みだと言っていた。

直親なおちかにとってこれほどいい話はない。

前向きに引き受けた。

しかし、直虎なおとらは言葉を詰まらせて菓子を摘んだ。


「信広様は魯坊丸ろぼうまる様に言われれば、どこにでも行くと言われておった。嫌いではないが、遠江に根を張らぬ男に興味がないのだ」

「黙れ、当主として命ずる。信広様の側室になれ」

「嫌だ」

「これは命令だ」

「聞けん。知らん、断ってくれ」

「できるか」

「とにかく、私は嫁がないからな」

「当主命令だ」

「私は魯坊丸ろぼうまる様の妾になって、西遠江を任せて貰うのだ」

「諦めろ、それは断ってきた」

「聞こえない」


次回から顔を合わせる度の議論になり、その言い合いが数年も続くとは思わない二人であった。



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