第8話 武田家との我慢比べ。
(弘治2年3月5日(1555年4月6日))
大地が色づき緑の芽が吹き出す。
俺は温かくなったから西遠江に入った。
浜津の城は出城が完成に近づき、本丸、二ノ丸、三ノ丸は輪郭を現しはじめていた。
一年以上も経っているのにまだ完成していないとは情けない。
信広兄ぃはそう自分を卑下する。
それも仕方ない。
貴重なローマンコンクリートを護岸と海岸の防波堤に回したからだ。
昔のような砦ならば、もう完成しているだろう。
だが、俺が書いた連立式の総石垣の城だ。
肝心の石垣が完成せねば、城や矢倉の工事がはじまらない。
掘と水路が完成しているだけ大したものだ。
すでに城の内側などには兵の宿舎なども揃っている。
城としても機能している。
最初は武田家が攻めたくない城を急いで造るつもりだったが、今では攻めたくなるような城である方が好ましい。
武田の家臣が苛立って暴発すると思っていたが、中々どうして統率が取れていた。
東遠江と駿河だけ、織田家の真似をして代官を入れるとか。
やってくれる。
我慢比べになってきた。
だから、浜津城が完成していないのは、挑発の意味でも丁度いいのだ。
「殿、本当に工事が遅れて申し訳ございません」
「信広兄ぃ、頭を上げて下さい」
「面目ない」
「二俣城をはじめ、天竜川の対岸を優先するように言ったのは俺です。信広兄ぃが謝る事はございません」
「しかし」
「水車も完成し、こちらで白石を砕く事ができるようになりました。夏から石垣を完成させてゆきましょう」
「任せてくれ」
信広兄ぃは築城、護岸、海岸の防波堤、船と停泊させる岸壁、領内の警備、農地の復興をお願いしている。
築城が遅れるのも当然だ。
領内の警備と農地復興は最優先事項だ。
預かった領民を俺の家臣として元の村に返さなければならない。
それには農地の復興が欠かせない。
さらに元の農地に加え、木々を切って開拓する。
複数の作物を同時に栽培できるようにする。
食えるだけでは意味がない。
副収入は大切だ。
警備の1つに山に住む害獣の処理も含まれる。
狼や熊はもちろん、鹿や猪や狸などを狩ってゆく。
農民の安全が第一だ。
村人を借り出して、投石、クロスボウ、鉄砲に慣れさせるのも信広兄ぃの仕事だ。
せっかく領主や領民と友好を持ったのだ。
これを使わない手はない。
狩った獲物は処理をして美味しく頂く。
寺や神社で一匹200文の供養も忘れない。
供養用の肉が貰える上に貴重な収入源になる。
寺と敵対するつもりはないのだ。
「何か、文句は言われていませんか?」
「もう少し布施が欲しいと頼まれた」
「それは却下です。僧兵がいない寺には構いませんが、寺を守る以上の兵力を持たすつもりはありません」
寺や神社には自領があり、領主並の収入がある。
領主は家臣に組み込んでいるが、寺や神社は家臣になっていない。
独立する勢力に兵を持たすつもりはない。
「いずれは寺領も領主の代官に管理させます。警備の兵を出させ、その者らをこちらの家臣に組み込むつもりです」
「僧兵を奪うつもりか?」
「守護代、領主、寺は三位一体。兵はすべて守護代が管理すると教えてゆきます」
「領主からも兵を奪うつもりか?」
「尾張でも兵を管理しているのは派遣した代官です。すでに尾張の兵はすべて守護代が管理しています」
信広兄ぃが唖然とした。
気付いていなかったようだ。
まぁ、代官は大抵が領主の縁者であり、領主と仲の悪い者は少ない。
代官は収穫から兵の管理までするありがたい存在だ。
領主はいままで通りに兵の指揮を取っているので気づかない者もいる。
温厚な領主は大抵そうだ。
だから、兵を守護代に奪われている事に気づいていない。
「これからの織田家は外征に農民兵を連れて行きません。半農半兵ですが自衛の為の兵です」
「信長もそんな事を言っていたな」
西遠江は武田家と接しているので、領民を巻き込んだ総力戦を常に想定しなければならない。
月の一度の合同訓練は欠かせない。
指揮系統だけははっきりと意識付けなければならないのだ。
僧であろうと、商人であろうと、使える者は全部使う。
「武田家はどうですか?」
「相変わらずだ」
「やはり動きませんか」
「やはりと言うと判っていたのか」
武田家は織田家と北条家によって経済封鎖されている。
仕入の買値は半分にし、売値は倍にした。
そこに関税の10割が掛かる。
そう言って仕入れ値を半額にさせた。
着岸料もべらぼうに高くした。
一石で一貫文、100石舟なら100貫文が加算される。
米などを運べば、採算が取れない。
安く交易したいならば、通商条約か、通商同盟を結べばいい。
織田家・北条家と結びたいならば、東遠江と駿河、特に河東の返還が必要と言ってある。
武田家には飲めない条件だ。
だが、熱田-大湊-小田原が300石船で結ばれているので、織田家と北条家はまったく困っていない。
「武田家にすれば、誤算もいい所ですな」
「織田家と北条家が交易するには、必ず駿河を通ると思っていたでしょう」
「駿河は交易の中継地として儲かるハズだった」
「安く商品が手に入ると思っていた当てが外れた訳です」
武田家は交易で儲けるという手段を完全に封じられた。
だが、しぶとい。
元々、裕福でなかったのが幸いして余裕で耐え忍ばれている。
悲鳴を上げているのは東遠江と駿河の民だけだ。
しかも収入が減っただけではない。
武田家に搾取されている。
たとえば、
各家には春と秋に百文ずつの課役を掛けている。
家を持っているだけで、毎年二百文の税が掛かる。
仮に空家でも本家は家の数だけ払わなければならない。
滞納すれば、厳しい仕置が待っていた。
他にも過料税がある。
領内で喧嘩沙汰のイザコザを起こせば、過料銭を科した。
未亡人、坊主、河原者と人を問わない。
払えなければ、金山などの課役が科せられた。
だから、東遠江や駿河の農民は土地を捨てて逃げ出す者が続出していた。
そして、西遠江と相模はその流民を受け入れている。
河川の護岸工事には人手がいる。
真綿で首を絞めているハズなのだが効果が見えない。
「武田家ももう終わりですな」
「それがそうでもないのです。たとえば、木曽家と姉小路家を属国にしました」
「なんと」
「もっとも木曽家は東美濃の斎藤家との両属。姉小路家も越後の長尾家との両属です」
武田家も悔しがっているだろう。
だが、溺れる者は藁にも縋る。
木曽家は元から東美濃の属国だったし、長尾家も助けてくれるというのだから断る意味がない。
「なぜ、長尾家が姉小路家を助けるのだ?」
「加賀の一向一揆です」
「加賀と飛騨が関係するのか?」
「海路は天候によって使えない事があります。確実に連絡を取るならば、陸路の確保は必要でしょう」
「なるほど、それで飛騨を通って行くのか」
加賀で一向一揆が起こり、越前と越中に門徒が移動した。
越前は
越中には進軍されたが、
加賀一向宗に対して朝倉家と長尾家は攻防同盟を組んだ。
「武田家の金は姉小路家経由で売られています。そこで得た銭で
「なるほど、音を上げないのにも理由があったか」
「長尾家も強かに銭を集めております」
「長尾家が?」
多治見から塩尻への移動が少ないのに、塩尻と善光寺の行き来が多すぎるのだ。
善光寺から行商人が移動している。
長尾家は武田家を救うつもりなどさらさらないが、織田家や北条家より少し安い値段で物資を売っている。
山を越えても儲かるので商売をやっている。
金も安値なら買い取っているのかもしれない。
「すぐに武田家は干上がりません。もうしばらくは攻めて来ないと思います」
「判った。だが、警戒はしておく」
武田家は武田包囲網を引かせないように警戒している。
公方様に弓を引いていないと主張しながら、古河公方を動かして北条包囲網を作ろうとしていた。
俺の推測だ。
実際、見た目は武田家が動いているように見えない。
時間稼ぎか?
違うな。
関東が揉めれば、討伐が早まる。
意図が読めない。
その一方で河川工事を始め、内政に力を入れ始めている。
駿河、甲斐、諏訪で経済圏を作られると粘られる可能性がある。
もう火薬の方は十分に揃っている。
領地を取るつもりはないが、武田家を潰すだけなら十分だ。
だが、武田家は公方様から離反するその様子を見せない。
我慢比べが続く。
こちらは花見ついで、向こうは生死を賭けている。
まったく真剣味が違うのだが…………。
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