第2話 敵に塩を送る馬鹿はいない。
公家様の催促が続く。
しかし、御一行はのんびりと進む。
牛屋(大垣)を出発すると、垂井、関ヶ原、春照に宿泊しながら今浜へと入った。
今浜湊は観音寺城と塩津湊を繋ぐ中間地点として湊が整備されていた。
ここより上は幕府領になる。
ここからは舟に乗り換えて大津まで一気に進む。
大津では迎えが待っているので、大半の連れとは一旦別れる。
と言って、舟が出港するまで御一向の護衛は終わらない。
今浜の宿泊所で泊まっていると、
何でも新しい所に寺を建て直している所らしい。
俺には関係ない。
「
御一行というのは千代女御一行だ。
勘違いした者も多いだろう。
公家の俺はずっと京に
俺がここにいる訳がない。
そこで名代として、俺の腹心の千代女が俺の言葉を持って移動する。
それが建前。
実際は小姓の後ろに随行している。
忘れているかも知れないが、千代女は
「望月様、加賀の我が同胞らをお助け下さい」
「承知しました」
「お引き受け頂けますか」
「当然の事です」
千代女は願いを聞き入れると高僧らから歓喜の声が沸いた。
加賀は酷い事になっている。
噴火した白山は加賀と越前と飛騨の中間にあり、御前剣の山より涌出し地獄五色に涌上したらしい。
つまり、そのまま火砕流が山の麓を襲った。
火砕流は手取川の上流を埋め尽くしたらしく、川が汚れて魚がすべて浮き上がって死滅した。
村人らは呪いを恐れて川の水を呑まないようにしている。
そして、空から死の黒い雪が降ってくる。
そうだ。
風に舞った火山灰が周辺に降った。
加賀、越前、飛騨には黒い雲で空が覆われる事が多くなり、灰の被った作物は元気を無くした。
三ヶ国で飢饉が起こるのは確実だ。
朝倉家は敦賀に米を集めて備えている。
敦賀を任せて者が積もった新鮮な火山灰を買っていた。
朝倉家に恩を売るつもりらしい。
その判断は任せてあった。
「公方様、及び、朝倉様へは通行の許可を頂いておきます。皆様の支援で加賀の民を救ってやって下さい」
千代女から意外な言葉が発せられた。
高僧らが『えっ?』という顔をする。
こちらもいつ、どこから懇願されても良い様に打ち合わせ済だ。
朝倉領内を通る通行の許可、あるいは、鎌倉『三津七湊』に上げられる本吉湊へ向かう船の手配などは手伝う。
隣の部屋から襖を少し開けて覗いていた俺は目を白黒させて困っている高僧らの顔が可笑しくてくすくすと笑ってしまった。
人の銭を当てにするな。
どうやら困っている民を無償で助けてくれると信じていたらしい。
「加賀の民が大変な事になります」
「飢饉が起これば、飢える者が多く出るでしょう」
「悲惨な事態が起こります」
「
「それでは…………」
「皆様が準備された兵糧が無事に届くようにお手伝いさせて頂きます」
がっくりとうな垂れる。
俺が私財を投げ打って加賀の民を助ける義理はない。
メリットもない。
一向宗から受けるメリットはその他の宗派のデメリットだ。
デメリットがメリットを相殺してしまう。
ホント、一向宗ばかりに恩を売ると他からのやっかみが出るよ。
自分の仲間は自分達で助けよう。
千代女がそんな事を言うと寺を新築するので財が乏しいと言う。
そんな寺の事情など知らないよ。
本願寺は金持ちじゃないか。
20万とも30万とも言われる門徒に頼んで集めればいい。
「支援されるのなら、急いだ方がよろしいと思われます」
「まだ、飢饉が起こるには猶予があると思いますが?」
「越前、加賀、飛騨の作物はかなり酷い被害が出ております。さらに美濃や信濃も稲の育ちが悪いと伝わって来ております」
「確かにそのようでございます」
「各地で米を買い漁る者が増えております。急がないと値が吊り上ってしまいます」
買い漁っているのは俺だけどね。
春の時点で米の値が上がる事を予想して、北条と伊勢の米を買い漁った。
去年の失敗があったので全国から買い漁るのは控えた。
近江より西は播磨攻めもあってそれなりに高値だ。
無理をして買うほどの価値がない。
今浜の一向宗が米を買いたいというなら売りますよ。
でも、今なら地元で買った方が安いと思う。
「値が上がるのですか?」
高僧らが首を傾げる。
近江は米所だ。
今年は戦がなかったのでよく育っている。
まだ、収穫は始まったばかりで米の値はやや高いくらいだ。
収穫が進めば、値が下がってゆく。
近江の備蓄米を朝倉の者らが買い漁っているので、米を売って儲かっているという実感しかない。
そして、収穫が終われば、また倉に米が入る。
救援米を送る予定が見られない。
確かにまだ加賀で困窮しているのは一部だ。
米が取れなければ、買えばいい。
加賀の寺々にはそれだけの財貨を蓄えている。
足りない米は買えばいい。
しかし、門徒すべての分となると話は別になってくる。
それに山に入れば、それなりに食糧が手に入る。
秋までは大丈夫だろう。
では、冬はどうだろうか?
雪に閉ざされれば、民は飢える。
それが判らないほど馬鹿じゃない。
秋の終わり頃から雪は降り出す頃が危ない。
寺々はその財貨をすべて吐き出すだろうか?
仮にすべて吐き出しても加賀の民をすべて助けるのは足りない。
俺には加賀の未来が見えるような気がする。
高僧と言っても寺の銭を自由にできる訳ではない。
加賀は助けたいが、銭は出せない。
大坂御坊に相談するしかないだろう。
高僧らはトボトボと帰っていった。
俺も襖を開けて部屋も戻った。
「打ち合わせ通りにお断りしました」
「大坂御坊の動きが
「祈祷を続けているようですが?」
「祈祷で噴火が止まるか」
「若様、皆様の前ではお控え下さい」
「判っている」
俺は神様の化身らしいので、加持・祈祷を否定する影響が計り知れない。
所謂、『禁句ワード』だ。
皆、思っているが口にしない。
神も仏も悪霊も信じられているので厄介だ。
俺は神じゃないし、俺に頼んでも白山の噴火も止まらない。
俺が噴火させているという奴もいる。
できる訳がない。
「馬鹿を相手にしても始まらん」
「そうだな。僧は銭を貯めるのは好きだが、使うのを嫌がる」
「その通りだ」
「若様、援助して欲しいと言ってくるのはマシな方です」
「千代、どうかお怒りを鎮め下さいとか言われたら、どんな顔をすればいい」
「さぁ、判りません」
「ははは、神様は辛いね」
宿営地に入ってからずっと酒を呑んでいる慶次が同意する。
他にする事もなく、退屈だそうだ。
このダラけた慶次の姿を見れば、忙しい
雨が降ると溜まった火山灰が濁流となって川を氾濫させる。
西へ、東へ、そして、国内を飛びまわっている。
慶次を見れば、怒り出すだろう。
今のままでは加賀一向宗と朝倉家の戦いは避けられない。
「
「慶次、それは無理だ」
「何が駄目だ?」
俺には加賀の国人衆を朝倉家が取り込むチャンスと映っている。
幕府と大坂御坊の関係は悪くない。
押し寄せる一向一揆を倒すより経済的だと思う。
千代女が慶次に説明する。
「
俺も最初に聞いた時は信じられないと思った。
戦をするより安く済む。
しかし、千代女が断言する。
「敵に塩を送る武将に付いて行く国人衆などおりません」
「ははは、なるほど。違いない」
「兵糧も武器の1つという考え方に付いて来られるのは、若様の近習だけです」
尾張で叛乱が起こらなかったのは俺が恐ろしいからだそうだ。
「あれは触れてはいけません。見守るのが一番。下手な事をすれば、身を危うくしますぞ」
すっかり老けて、髪も真っ白になった
身も心もぼろぼろになり、隠居を申し出るほど消耗していた。
それを見れば、皆も納得した。
また、蛇池の戦いでは見事な采配で清州に向かっていた今川軍を退け、末森に向かっていた今川軍は俺の部下100人が火計で地獄を作り、熱田に向かった今川軍は俺の侍女らが空から火の玉を落とした。
俺の家臣団も侮れない。
俺が恐ろし過ぎて文句を付けられる者はいなかったそうだ。
「ははは、熱田明神様に意見を言える者はそういないさ」
敵は殺すモノ、調略するモノ。
無償で与えて人心を掌握する手はないそうだ。
例外は忍びだけだ。
忍び衆は施して敵を油断させて懐に入って、家ごと乗っ取る手段を頻繁に使っているので馴染みの策だ。
それでも国一つの規模で行った事はない。
「流石、
そんな賛美になっている。
俺はそんなつもりはなかった。
三河一向一揆を防ぐだけで十分だった。
しかし、それこそ理解して貰えないそうだ。
防げないのだ。
だが、あの爺さんなら味方ごと潰すから問題ない。
大した問題ではないと思う。
しかし、一向宗を懐柔するなどと面倒な事をする気もないらしい。
もっと単純に攻めてくればぶっ潰す。
兵の損耗や経済性など無視して朝倉家の武勇を鼓舞するつもりだ。
元気な爺さんだ。
謀略や策略も一流品だが根が武人なのだ。
もちろん敵が寝返りを約束して人質を差し出すくらいを言ってくれば援助しない事もない。
使者を一度送ったが
向こうがそう言っているからこちらも動かない。
百姓の国を造ろうという『吉崎御坊』を根絶やしにする機会と思っているのかもしれないな。
まぁ、俺の知る所ではない。
どちらにしろ、敵に塩を送る馬鹿はないそうだ。
俺って、馬鹿なのか?
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