エピローグ

天文23年2月14日(1554年3月27日)

節分も終わった。

まだ朝は寒い。

障子から白い光が部屋の中に差し込んで来ていた。

隙間風が首元を通った。

ぶるぶると震えて毛布を首元まで上げた。

2月はこのようなかんの戻りもあり、寒い日に風邪などひかぬように気づかって『余寒見舞い』のあいさつ状を出すこの頃だ。

俺の名前だけど俺が書く訳じゃない。

最近は何事も面倒になって送られてきた手紙すら確認せず、どうしましょうかと尋ねられない限り、自動的に送ったり、送り返したりして貰っている。

側用人が権力を持ってほしいいままにする訳だ。

でも、チェックしませんよ。

そんな事をしていたら身が持たない。

でも、これから差出人を兄上(信長)にしないと拙いな。

俺は蟄居している事になっているからな。

後で確認して貰っておこう。


そう言えば、京の寺では2月8日には針供養なんてモノもあった。

面白そうなので熱田でも流行らせてみようか。

2月11日に『建国の日』はない。

正月の参賀がそれに当たる。

他にも宮中では沢山の祭祀さいしが行われ、俺も付き合わされた。

知りたくもなかった。

正月が終わるとやっと解放されて、やっと昨日から本来のばつである蟄居ちっきょをする為に中根南城に戻って来たのだ。

これから引き籠り人生のはじまりだ。

やっほ~!


すっと障子が開くと早川殿はやかわどの豊良方とよらのかた真理姫まりひめの三人が廊下で頭を下げた。

う~ん、名物になって来たな。

この三人を見ると帰ってきた気がする。


「おはようございます。そろそろ朝食など如何でしょう」

「今朝は三人で菓子を作ってみました」

「おいちぃでしゅ」


2月14日は『バレンタイン』ならぬ『和菓子の日』だ。

世話になっている者、あるいは、大切な者に菓子を送る日だ。

俺が毎年のように作らせて配っていると、祖父の大喜嘉平が熱田中の商家に配った。

すると、皆が真似をして菓子を配り合う『菓子の日』になってしまったのだ。

子供達にとって凄く甘い物にありつける特別な日になった


「では、そろそろ起きさせて貰おうか」

「お疲れの所をすみません」

「気にするな。朝の余韻を楽しんでいただけだ」


三人とも来た頃に比べると落ち着いてきた。

着替えを済ませると食事の部屋に移動する。

部屋に入るとお市が声を上げる。


「魯兄じゃ、わらわも作ってみたのじゃ」

「里も頑張りました」

「栄も」


おい、俺にいくつ食べさせるつもりだ。

お市達まで本丸の館にやって来ていた。

別館も慣れたと聞いている。


「お市、神社はいいのか?」

「今日は休みを貰ったのじゃ」

「菓子の日で忙しいだろう」

「魯兄じゃを労わる方が重要案件なのじゃと、大宮司の千秋-季忠せんしゅう-すえただ様もそうおっしゃったのじゃ」


人の事は言えないが、皆、お市に甘い。

参拝に来た信者に菓子を買わせようと、菓子の屋台が沢山軒を連ねる。

今日も書き入れ時だ。

お市がいるかいないかで客の入りも違うだろう。

そんな事を考えていると里が俺の手を取った。

えへへへと嬉しそうに笑う。

栄もそれに続く。

栄の真似をして、さらに小さな子が近づいてくる。


「もしかして、幸か?」

「そうだよ」

「あ・に・じゃ」


栄の2つ下の幸らしい。

幸も可愛い。

皆、幸せにしてやりたいな。


弟の源五郎(長益ながます)と又十郎(長利ながとし)は我慢できなかったのか、すでに菓子を頬張ほおばっていた。

九郎兄ぃをはじめ、俺の兄と同い年の兄弟は神学校に通っており、日が昇る前に通学していった。

ヤケに熱心だと思った。


「若様とお市様の所為せいです」

「俺の?」

「はい、優秀過ぎる弟を持つと大変そうです」


何でも他家の者が学校の寮に引っ越してきて織田直系の者が負ける訳にいかない。

本人より世話役の家臣が必死になっていた。

学校では俺の兄というだけで優秀さが求められ、同じくお市の兄として人並以上の武芸を求められている。

可哀想なくらいの重圧(プレッシャー)が掛かっていると千代女が教えてくれた。

俺とお市を基準にするな。


お市らと朝食ならぬ菓子食を食べた。

口が甘ったるい。

部屋に戻ると渋いお茶を飲んで休憩だ。

母上のお蔭でエンドレスに続く嫁候補の相手と兄妹孝行から解放された。

お茶が美味しい。


ぴぃ~~~~、火鉢の上に置いた笛吹き湯釜ケトルが音を上げる。

俺の休憩はカップラーメンじゃないぞ。

もういい加減にそれを止めないか?


「私は別に構いませんが、休憩時間が減るだけです」


蟄居とは何だ?


「自宅に籠って出て来ない事です。ですからご安心下さい。清州にも作業ができるように、若様の蟄居屋敷をすぐに建てるそうです」


兄上(信長)も俺を働かせる気が満々だ。

尾張全域のチェックは清州で行い、商業関係の交渉が熱田神社、那古野・知多半島の開発の指示が中根南城、西三河の開墾や治水の確認が沓掛城、東三河と西遠江の政務が浜津城で蟄居しながら運営を取り仕切る。

全然、減っていない。


「すべての政務が回って来ないだけでもよかったと思うべきですね」

「それは流石に過労で死ぬ」

「作業そのものも任せる事にして、確認も半分以下に減らさせております」


半分というが項目を聞くだけで音を上げそうになる。

原因は戦の後始末と棚上げにしていた作業が山積みになっているからだ。

割り振ってもまだこれだけ残るのか。


「若様、今年だけは我慢して頑張って下さい」


6月には『改元の儀』の為に京に上らなければならない。

冬になる前に終わらせる。

それが終わると、次の勅命が下る。

宣明暦せんみょうれきの改暦だ。

こよみの基盤。

宣明暦せんみょうれきは月の運行を知る古来の計算方法で700年近く使用してきた為に齟齬そごが起こり、日食や月食を外す所か、地方の暦では月の満ち欠けまでズレている。

げん国の授時暦じゅじれきに変えるべきではないかと宮中で議論が起こっていた。

こよみを明らかにせよ。

土御門家つちみかどけと共に検証するのが、次の勅命だ。


「若様が決める前に天体の運行を知る必要がございます。観測するだけで5年くらいは掛かりますので、しばらくは京に上がって作業の進行を確認するだけでございます」

「その分、領内で時間が取れるという事か」

「そうなると思います」


信勝兄ぃの拠点となる西三河までは開発するが、矢作川より東の開発はしばらくしない。

浜津に兵を集めた時に思い知った。

東三河と西遠江の者が浜津で仕事を斡旋しただけなのにもの凄く感謝されていた。

俺は首を傾げた。

安全な住居と腹一杯に飯が食える事を除くと、雀の涙のような駄賃で彼らをこき使っている。

那古野で同じ事をすれば暴動になる。

いつまでも続けるものではないと思っていたが、俺は少し勘違いをしていた。


まだ遠江も三河も貧しい。

熱田で河原者を集めて家と食糧を与えただけで感謝された事を彼らの笑顔を見て想い出したのだ。

あの頃は俺も銭を余り多く使えなかった。

家と飯と読み書きそろばんを教えるだけで神様扱いだ。

河原者の大人達は無償の作業員となり、若者は黒鍬衆になっていった。

それを原動力に中根村は大きく変わった。


「千代、どれくらいの期間ならば誤魔化せると思う」

「3年くらいならば、誤魔化せると思います」

「では、直臣に取り立てて、3年くらいはタダ働きをして貰おう」

「狩りなども教えて、肉料理を振る舞いましょう」


河川と道路の改修、水車小屋を作って基盤を整える。

台地の上は馬と牛を放牧し、神学校に畜産科を増設させよう。

俺はピザの夢は諦めていない。

西遠江の名産をチーズにしてやる。

平行して肥料の『蝮土』を作らせ、曲輪に囲われた田畑を増やしてゆく。

同時に鉱山や石灰、石英の鉱床を探す。


「千代、三河と遠江の国境の山に白石の山があるハズだ。探させてくれ。美濃から運んでいたのでは高く付く」

「承知致しました。奥三河で金鉱を探すのと並行して、そちらも探させておきます」

「急ぐ必要はない。河川の改修が終わるまででよい」


水車がないと粉末にするのに手間が掛かる。

それまでは熱田から運ばせればいい。

河川の改修は手間だ。

天竜川となれば、何年掛かるか判らない。

水車は別の小さな川を利用する方がいいだろう。

小さな川でも改修となれば、どんなに早く見積もっても一年は掛かる。

西遠江の開拓ははじまったばかりだ。

慌てない、慌てない。


右筆達が机に手紙と書類の山の箱を持ち込んで来た。

その箱の数にうんざりする。

お仕事の時間だ。


「頑張って早く終わらせましょう。あちらにお待ちになっているご弟妹が首を長くしております」


いやいや、俺はごろごろする時間を作りたいだけだ。


第2章『引き籠りニート希望の戦国領主、苦闘!?』(終)

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