第88話 天下静謐と惣無事令。

(天文23年 (1554年)1月1日)

琴の音色も軽やかに宮中の参賀の儀が執り行われた。

武家の者は公方様に引き連れられて御所に赴く。

先頭を行く公方様の後に俺が続いた。

一昨晩の騒ぎは京を揺るがした。

公家から広がった噂は瞬く間に京中に広まり、上洛している諸将にも伝わった。

帝と公方様の対立だ。

もしも俺が知恩院に立てったら、どちらに馳せ参じるべきかと悩んだだろう。

どちらにしても迂闊に動けない。

29日の朝まで続いた。

結局、誤解という事で和議がなって騒動が収まった。

俺の取り扱いをどうするかは30日が終わろうとする所まで縺れに縺れた。

帝は何があっても俺の蟄居は認められないと拒絶し、公方様も一度発した言葉を取り下げられないと意地を張った。

俺は完全にお任せしますとさじを投げた。

思ったように動かないものだ。


参賀の儀がはじまり、公方様が帝に新年のあいさつを告げる。

帝のお言葉を賜ると参賀はとどこおりなく終わる。

進行役は右大臣の近衛-晴嗣このえ-はるつぐがやりたがったのだが、関白・左大臣の一条-兼冬いちじょう-かねふゆが譲らない。

とし晴嗣はるつぐと余り変わらないのだが、兼冬かねふゆは何かの持病を患っているのか、顔色が冴えない。

だが、この一世一代の役目は譲れないと意地を張った。


「公方、足利-義藤あしかが-よしふじより申し出てあった『改元の儀』を認める。勅命である。織田-魯坊丸おだ-ろぼうまる、『改元の儀』を執り行うように」

「謹んでお受け致します」


公方様は世が新しくなった事を周知する為に『改元』を望んでいた。

この世界を支配している証である。

こよみはこの日の本に住むすべての人の基盤であり、元号が変われば、すべての民が知る事になる。

つまり、権力の象徴である。

公方様は世が変わった事を告げたかった。

この改元を定めるのが、古来より帝の役目に1つだった。


帝はこの改元を人質に取って俺の蟄居を取り下げるように公方様に迫った。

公方様も困った。

改元ができないのも困るのだ。

そこで玉虫たまむし色の解決案が幕府政所執事の伊勢-貞孝いせ-さだたかから提案された。

武家の魯坊丸ろぼうまるは蟄居させるが、公家の魯坊丸ろぼうまるはこれまで通り、帝に仕えても良いという折衷案だ。

帝は公方様より上位者なので、帝の命は公方様の命に左右されない。

もちろん、帝の管轄は朝廷の儀式に限られる。


「武家の仕事がございませんゆえに、一年中、京に留めておいては如何ですか」

「ずっと居てくれるというのか。それは心強い」

「公方様の願いを聞き届けては如何ですか?」

「それならば認めよう」


俺を助けようとする帝の熱い思いが公方様に妥協させ、宮中の行事である参賀の儀には俺も参加する事になった。


一年中、京に在住?

ない、ない、ない、流石にそれはない。

蟄居と言っても織田領内で仕事がない訳ではない。

それに京では心が休まらない。

改元の儀が終われば、また次の勅命が降る事になるようだ。

こうして蟄居を申し付けられた身でありながら、宮中の参賀の儀に参加するという珍現象が起こったのだ。

そして、参賀も終わった。

知恩院に戻り、織田領に戻ろう。

ヤッホ~!

俺は自由の身だ。


魯坊丸ろぼうまる、何を言っておる」

晴嗣はるつぐ様、俺の仕事は終わったハズです」

「宮中の儀に出席してよいのだ。皆がお前の参加を待っておる。帰す事などできるか。明日は初歌会だ。正月は儀式が多いぞ。それに改元の打ち合わせもある」

「俺は公家ではないのですが?」

「公家の身分を持っておるのならば、公家ではないか」


うおおぉぉぉ、そんなのないよ。

俺が尾張に戻るのは、まだまだ遠い…………ようだ。


 ◇◇◇


公方様は魯坊丸ろぼうまるを御所に置き去りにして花の御所に戻った。

参賀の儀は1つではない。

宮中が終われば、今度は公方様の番であり、花の御所で公方様が武家の参賀を執り行う。

もちろん、本来ならば正月の参賀は一日で終わるモノではない。

守護や地頭、領主などが次々と上洛し、順番に会ってゆく。

今年に限って言えば、そうではない。

元日に間に合うように上洛を命じたからだ。


11月から上洛してきた守護や地頭、領主らと拝謁を終わらせており、この参賀の儀で大々的に新しい大号令を発した。


天下静謐てんかせいひつ


公方様が天下をなだらかにすると宣言した。

この天下は五畿内ではなく、東海、東山、北陸、山陰、山陽、西海、南海を含む全国だ。

畿内を制した公方様は全国も平定すると宣言した。

これだけならば想定内だ。

地方でも戦にも口を挟むと言っているだけであり、むしろ利用価値が上がったとほそく笑んだ事だろう。

兵を引き連れて上洛してくれとお願いされるより、ずっとマシな状況になったと喜んだ。


「余に逆らうならば、逆らってみよ。余はこの日の本を平らかにするつもりである」


公方様は全国の守護らに宣戦布告をした。

これだって可愛らしい宣言だ。

これまでの諸大名の貢献を考えると有利に働く、公方様らしくなったと諸大名の名代も喜んだ。

だが、喜んだのはここまでだ。


伊勢-貞孝いせ-さだたかの口から『惣無事令そうぶじれい』を発せられた。

これは守護・地頭・領主などの争いを禁じたモノだ。

室町法の『喧嘩両成敗けんかりょうせいばい』は廃され、すべて幕府に訴状を上げて判断を仰がなければならない。

法の根幹も慣習法かんしゅうほうから判例法はんれいほうに変わると宣言された。


つまり、寛喜3年 (1231年)の御成敗式目ごせいばいしきもくを廃して、足利仮名目録あしかがかなもくろくを制定し、後の足りない部分を判例で補完してゆく。

一度決まった判例は、次の判決に影響する。

公方様であってもこれに否と言えないと目録で明文化した。

もちろん、時代が変われば、判断も変わる。

この判例を覆す場合は公方様と三管四職の合意がいる。


さらに目録には、

国内では関所を廃し、関所は国境のみとする。

人の往来は自由とし、関税は一割から十割を上限とした。

金利も年十割を上限とし、破った者を訴える事ができる。

朝廷、幕府、寺などの横領地の返還も明文化され、そのまま使用を許す代わりに借り賃を払うようになっていた。

国内の問題は守護代に訴え、聞き入れられない場合に限り、守護、幕府に訴える事ができる。

領主が土地を捨てる事は禁止されたが、領民はその限りにあらず。

通行の自由も保障された。

人頭銭を払えば、国外に出る事ができる。

神人、僧侶、巫女、芸人、流民に税を課す事を禁じた。

但し、税は課さないが国内の自由は守護代によって制限される。

つまり、盗賊や暴徒は許さない。


各国が国内法を定める事を許しているが、すべて足利仮名目録あしかがかなもくろくの内に認められており、相反する法は認めないという。

諸大名の名代達もここまで強圧的な法を押し付けてくるとは思わなかった。

参賀に参加した者らもびっくりだ。


「従わぬというならばそれでもよい。守護を罷免した後に領地を没収する。そうあるじに伝えよ」


公方様の宣言に圧倒される。

助けを求めるように六角-義賢ろっかく-よしかたらに質問する者が続出する。

管領の細川-氏綱ほそかわ-うじつな畠山-高政はたけやま-たかまさに実権が乏しいが、義賢よしかたは近江守護を兼任する。

しかも六角家は南近江・大和・伊賀の三ヶ国を治める大国である。


「管領代にお聞きしたい」

「何か?」

「このような高圧的な改正は守護の権益を犯していると思わせませんか」

「思わん。この目録は我らが結んでおる同盟の規約に準じておる」


義賢よしかたの一言で北条・織田・朝倉・三好の同盟国が反対しない事が判った。

唯一、同盟から外された美濃の斎藤-高政さいとう-たかまさは別だ。

だが、美濃半国に減った斎藤家の発言力は小さい。

四国の一条と九州の島津が潔く署名したのと対照的に尼子・大内・大友が名代である事を理由に署名を保留した。

だが、長尾は署名する。

景虎に至っては同盟に参加したいと言っている。

しかし、越後の国人衆の我が強く、国内をまとめてからになるのでもう少し後になりそうだ。

この署名だけでも国内で叛乱の1つか、2つが起こりそうだ。

越後と同じく、国内を危惧した関東・奥州の名代も大抵が署名の保留を希望する。

おおむね、予想通りであった。


「よいか、今年中に改元を行う。改元がなった後も同じと思うな。そう覚悟せよ」


三好に攻められて「誰か、助けてくれ!」と叫んでいた公方様はどこにもいない。

公方様の自信の現れだ。

足利幕府の復興を予見させるほどの強気な態度だった。

だが、名代達は焦っていない。


帝と公方様が揉めたように同盟も一枚岩ではない。

公方様の思惑通りに進むとは思えない。

一先ず、傍観に徹する。

魯坊丸ろぼうまるの予想通りであり、公方様も慌てた様子もない。

足利幕府の再建という戦いはこれからはじまる。

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