第87話 今川仕置 後編〔周は舊邦なりと雖も其の命維れ新なり〕

(天文22年 (1553年)12月28日)

離れの間には金色に輝く夕日が差し込み、皆の顔も赤々に染まる。

この昼と夜の狭間は『逢魔おうまとき』とも呼ばれ、地から這い上がって来た妖怪変化ようかいへんげ跋扈ばっこする。

公方様は鬼退治の鬼で、その横に座る幕府政所執事の伊勢-貞孝いせ-さだたかもすべてかす『九尾きゅうびきつね』だ。

北条-氏康ほうじょう-うじやす武田-晴信たけだ-はるのぶを始め、他の皆も妖怪染みている。

そして、中央で背中から夕日に照らされて、ずっと頭を下げ続けている今川-氏真いまがわ-うじざねはその妖怪らに食われる為に供えられたにえのように見えた。

可哀想な事だ。


ホント、京の都では魑魅魍魎ちみもうりょうが溢れていた。


本来ならば、これで『今川仕置』を終わらせる所なのだが、俺は京に入って事態がそんな甘い状況でない事を知った。

そうだ。

無事に帰ってきた事を喜ぶのではなく、武功を褒めるのでもなく、帝が俺に頭を下げた。

あり得ない事態だ。


室町幕府を造った足利-尊氏あしかが-たかうじは鎌倉で叛乱が起きると、朝廷に討伐の許可を求めた。

だが、朝廷はそれを認めない。

尊氏たかうじは朝廷の命を無視して討伐に向かった。

私兵であり、朝廷が認めない賊軍だ。

賊軍が鎌倉の叛乱を鎮圧する事を許せば、朝廷の権威が失われる。

朝廷は尊氏たかうじに『征東大将軍せいとうたいしょうぐん』を与え、私兵を官軍とした。

この瞬間。

尊氏たかうじは室町幕府を造る箱を得た。


俺は武勲ぶくんを上げ過ぎたのだ。

拙い、非常に拙い事が起こっていた。

公方様と俺の意見が違えた時、朝廷は俺の意見を優先する。

俺は知らず知らずの内に『織田幕府』を造る片道手形を貰ってしまった。

心の中で俺は吠える。

そんな面倒な事を誰がするか!


「公方様、最後にお願いしたき儀がございます」

「何だ? 申してみよ」

「どうやら今川-義元いまがら-よしもとが反逆を決意した原因は、私(俺)が三河と西遠江を奪った事に回帰致します」

「それは間違いないであろう。しかし、余に弓を引いたのは別だ」

「いいえ、室町法の『喧嘩両成敗けんかりょうせいばい』に照らせば、織田家の責任も問われなければなりません」

「余が許す」

「いいえ、なりません。世の規範とならねばならぬお方が、率先して法を乱せば、秩序が乱れます。確かに正月から発布される『天下静謐てんかせいひつ、及び惣無事令そうぶじれい』は喧嘩両成敗を認めず、妄りに乱を起こす事を禁じております。ですが、まだ発布されておりません。私(俺)にも罰を与えるべきでございます」


公方様も戸惑った。

政所執事の貞孝さだたかは「もっともで御座います」と膝を叩いて俺を褒める。

公方様は斯波-統雅しば-むねまさに問い掛けた。


統雅むねまさ、お主は承知しておるのか?」

「納得しておりませんが、魯坊丸ろぼうまる殿がたっての願いと言われますれば、駄目とは申せません」

信長のぶなが、そなたはどうか?」

「余程の重き罰でなければ、公方様に従います」


信勝兄ぃは「分も弁えず、身勝手な振る舞いする」と俺を批難して、罰を与える事に賛同した。

おぃ、こらぁ!

俺がいつ分を弁えない事をした。

年功序列で目上を立てて『どんな理不尽であっても弟は兄の言う事を聞く』のが信勝兄ぃの常識だが、俺は実力主義なのだ。

目上の方を尊敬するが、理不尽な事まで認めない。

ただ、それだけだ。


魯坊丸ろぼうまる、どんな罰を願う」

「5年、6年、あるいは10年ほど、公方様が私(俺)の元服を認めるまで、織田領内での蟄居ちっきょが妥当かと存じ上げます」

「5年から10年?」

「公方様が天下を平らげるには十分な時間かと存じ上げます」

「手伝うと言ったのではないか?」

「もう十分に手伝いました。後はここにおられる斯波-統雅しば-むねまさ様と北条-氏康ほうじょう-うじやす様、兄上ら、そして、武田-晴信たけだ-はるのぶ様らもお手伝いなされます。十分過ぎる戦力と存じ上げます」

「余はお主に楽をさせるつもりはない」

「私(俺)が得意な事は内政で御座います。戦は苦手ゆえにご遠慮させて頂きます」


あははは、公方様が膝を叩いて大笑いをする。

そして、俺をぎろりと睨み付けた。

公方様だけではない。

他の者も「こいつ、何言っているのだ?」と怪しむ目で疑われた。

ホントですよ。


「公方様、最初に会った時の事を覚えておられますか?」

「当然だ」

「私(俺)は言いました。敵より多くの兵を集めるのが私(俺)の戦い方で御座います。兵を集める余裕がないので奇策を用いて凌ぎましたが、内政で国力を整え、敵より圧倒的な兵力を以て叩き潰すのが、本来の戦い方で御座います」

「そんな事を言っておったな」

「私(俺)の戦いの片鱗をご覧になられたいならば、堺に足をお運び下さい。船の上で御見せ致しております」

「大砲とか言う奴か」

「いずれは100、200と揃えて、戦う前に完勝して見せましょう」


あははは、公方様が「そういう奴であったな」と言いながら、もう一度大笑いをした。

ふざけた物言いを止めて、俺は1歩前に出て公方様の方を向いて頭を下げた。


「公方様、天に二つの太陽は要りません。私(俺)は月で十分で御座います。公方様がご自身で天下を平らげて下さい。そして、足利家100年の礎となって頂きたいのです」

「100年とは短いな」

「1,000年の策など持ち合わせておりません。100年後の公方様が、さらに100年の策を考え、10人も続けば1,000年となりましょう」

「おまえは何をするつもりだ」

「後方でお支え致します」

「裏切るなよ」

「天下が平になってからは堂々と内政でお手伝いさせて頂きます」

「ぬかせ」


公方様の目が笑った。

何とか承知して貰えたようだ。


「信長、お前の弟は世を騒がした。しばらくの間、織田領内で蟄居を命ずる。弟の分までお前が働け」

「承知致しました」

「一人だけ楽はさせんぞ」

「出来る限り、楽な道をお進み下さい」


俺は『織田幕府』なんてモノは目指さない。

面倒臭いだけでメリットなんて感じない。

そんな事ない。

しがらみだらけでもう古くなった『足利幕府』を潰して、真新しい『織田幕府』を造ってやり直した方が楽だろうと言う人もいるだろう。

でも、そんなのは錯覚さっかくだ。


例えるならば、

風邪の特効薬を作るようなモノだ。

新薬には副作用がある。

使用して、はじめて副作用が解かる。

そこから副作用の駄目な部分を小さくする努力がはじまるのだ。

対処が判るまで大変な苦労が付きまとう。


つまり、好きなようにできるのは錯覚さっかくなのだ。


逆に、

既存の薬で代用品を探す。

こちらは副作用が解かっているので、どう対処するかで悩まない。

その風邪に効く薬を数多の薬の中から探すのが大変なだけだ。

運が良ければ、1つ目で見つかるかもしれない。

一生、見つからないかもしれない。

とにかく数多の経験と歴史が味方になる。

普通は見つかるけどね。


そのどちらを選ぶ。

難題に何の手助けもなく挑むのか?

多くの参考書を助けて貰って挑むのか?

正解などない。

俺ならば後者を選ぶというだけだ。


詩経に「周は舊邦くほうなりといえどめいあらたなり」という言葉が残っている。

(周という古い国があるが、その命は常に新しくなっている)


革命かくめいがすべてを壊して国を新しくするのならば、維新いしんは古くなった所を修繕しゅうぜんして国を新しくする意味だ。


どちらが正しいとか、間違っているのではない。


維新いしんは修繕する為には、古いモノを大切に残しておく。

経験と歴史が参考書だ。

試験を受ける生徒が堂々とカンニングペーパーを見ながら解答欄を埋めてゆくようなものだ。

狡い訳ではない。

参考書の持ち込みありの試験だ。

少なくとも昔の回答を参考に回答欄を埋めてゆける。

それだけでも楽だろう。


一方、国を新しくするには人一生分の努力と忍耐力があっても足りない。

箱を造るだけでも大変であり、中身を整えるだけで100年は掛かる。

もちろん、成功すれば、偉大な建国の父に成れる名誉が与えられる。

後世の歴史家から絶賛の評価が貰えるだろう。

だが、俺はそんな努力は願い下げだ。

まだ見ぬ後世の歴史家の賞賛なんて欲しくない。

見知らぬ者らの賞賛も必要ない。

俺は自分の手が届く範囲の人々の歓喜と賞賛だけで満足なのだ。


確かに幕府はボロボロだ。

公方様の命令には誰も従わないし、その権威も地に落ちている。

だが、公方様の名を欲しがる者は多く、守護などの役職を貰って喜ぶ馬鹿も多い。

まだ死んでいない。

ならば、織田家の武力という支え棒を付ければ権威が蘇る。

権威が蘇った所で法を整えれば、国が立ち直る。

10年もあれば、一先ず整うだろう。

無駄に『織田幕府』などを造って一生を費やす努力などしなくても、『足利幕府』を修繕して新しくする方が楽に済む。


さっきに言ったが、新しいキャンパスに思い通りの絵が描けるなんてまやかしだ。

自由には苦労という副産物が付いてくる。

苦労を厭わない者だけが手を出せる領域だ。

だが、そこに目を瞑って騙す奴がいる。


討幕なんて、ただの怨念・・だ。


虐げられた者がその不満の捌け口として討幕に動く。

そういう扇動家は佞言ねいげんや誘惑で思い通りに動かそうとする。

そんな阿呆な奴らに付き合うつもりはない。


それに新しくとも、古くとも中身を変える事はできる。

足利幕府のままでも国軍を立ち上げれば、国民国家への道が開け、議会を作る事ができる。

その先には民主主義の国家にする事もできる。

できない事なんて何もない。

箱の中に何を詰めるかは自由なのだ。


つまり、何が言いたいかと言えば、

俺が公方様を支えて、ただらくをしたい。

大切な事だからもう一度だけ言おう。

俺はらくをしたいのだ。


こうして、『今川仕置』が終わった。

その夜、織田の宿営地になっている知恩院に公方様の使者が来た。


魯坊丸ろぼうまる様は公方様を貶めるおつもりでしたか?」


はぁ!?

突然の使者に俺も驚いた。

俺が蟄居ちっきょさせられたと聞いた帝が激怒して、将軍を罷免して他の者に変えると言い出したのだ。

寝耳ねみみみずだよ。

その知らせを聞いた花の御所は大慌てだ。

俺は明日一番で近衛-晴嗣このえ-はるつぐと相談するつもりだったが、その日のうちに帝に耳は入ったって?

あり得ない。

牛車の公家様と思えない余りの早い対応にびっくりだ。


公方様の使者に少し遅れて晴嗣はるつぐも来た。

こちらも取り乱していた。

とにかく、落ち着いて。

二人で花の御所に上がって公方様に説明した。

烈火の如く、怒っていた。

その後、御所に回って近衛-稙家このえ-たねいえらを説得し、最後に帝にお願いして事なきを得た。


「麿の寿命が縮んだわ」

「俺もです」

「先に相談しろ」

「無理ですよ」


俺と晴嗣はるつぐは二人でトボトボと知恩院に戻って行く。

まだ、兄上(信長)らの説明が残っている。

もう朝日が昇りはじめていた。

疲れた。

もう寝たい、バタぁ!

知恩院に着いたら起こされました。

はい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る