第86話 今川仕置 前編 〔生きる為なら何だってする〕

(天文22年 (1553年)12月28日)

花の御所の離れに今川-氏真いまがわ-うじざねをはじめ、今川家の関係者が呼ばれた。

他に斯波-統雅しば-むねまさ北条-氏康ほうじょう-うじやす武田-晴信たけだ-はるのぶら守護と兄上(信長)、信勝兄ぃ、俺などの各守護の付き添い達であった。

使者の責任者であった細川-藤孝ほそかわ-ふじたかは病気の為に欠席し、代わりに連れの者が証言する。

公方様が上座に座り、その横に議長という感じで幕府政所執事の伊勢-貞孝いせ-さだたかが座っていた

裁判事や訴訟の裁定は基本的に公方様の仕事ではなく、幕府政所の仕事であって公方様も口を出さないのは慣例だ。

しかし、国主同士の争いや幕府の威信に関わる事には公方様の裁量を仰ぐ。

逆に言うと、それ以外は口出ししない。


そもそも斯波-義統しば-よしむねの暗殺の容疑が今川-義元いまがわ-よしもとに掛かり、釈明の為に上洛する所を名代のみで済ませた。

尾張の斯波家(織田家)はその態度に不審を持って討伐を決めた事になっている。

実際、こんな大掛かりな手筈ができるのが、義元よしもとしかいないという状況証拠で討伐を決めた。

今川が討たれては困る幕府の思惑で使者が出された。

織田家と今川家の仲裁と釈明を聞く為の使者だ。

然るに、義元よしもとはその使者を兵で囲むという反逆に転じた。


「以上を以て、今川-義元いまがわ-よしもと斯波-義統しば-よしむねの暗殺の主犯と致します」

氏真うじざね、何か申したい事はあるか」

「公方様に逆らったのは明らか。何も申し上げるべき事などございません。ただ、本当に申し訳ございません」


もう暗殺の主犯かどうかなど関係ない。

公方様に逆らったのだ。

それ以上の罪はない。


だが、ただ勝てば官軍だ。

この戦に勝っていたならば、義元よしもとは公方様と真っ向から対立したかもしれない。


手段として、鎌倉公方(古河公方)に訴えて許して貰うなどの裏技がある。

この鎌倉公方(古河公方)というのは公方様の右腕であり、関東と奥州を公方様の変わりに治めるのが仕事だ。

しかし、公方様と鎌倉公方(古河公方)は仲が悪い。

味方を増やす為ならば、公方様の裁定を平気で覆す事などやってしまう。

そうなると公方様は力ずくで言う事を聞かせねばならない。

非常に面倒な存在だ。

織田家と今川家の対立を、公方様と鎌倉公方(古河公方)の対立にすり替える。

義元よしもとはおそらくそんな事を考えていたに違いない。

だが、あくまで戦に勝った場合の話だ。

敗者に手を差し伸べる親切な『足長おじさん』はいない。

氏真うじざねは許してくれとか、命乞いの言葉を吐かず、ただ公方様に頭を下げた。


「今川家から駿河・遠江守護を取り上げ、今川家は断絶と致す」


氏真うじざねはもう一度頭を下げた。

義元よしもとはすでに死んでいる。

ゆえに、それ以上の罪は問えない。

守護職を取り上げ、今川家は足利一門ではないとした。

連座で死罪か、流罪を覚悟していた氏真うじざねにとって涙が出るほどの優しい判決であった。

同じ足利家一門への温情だろう…………か?


不思議に思って俺は公方様の顔を見る。

目をギラっとさせながら頬が少し上がっている。

あっ、この甘い査定は誘いだ。

この所、戦が空振りになって鬱憤うっぷんを貯めている。

ここで厳しい沙汰さたを出せば、面従腹背めんじゅうふくはいの輩が頭を下げてくる。

しかし、負けても許して貰えると思えば。

このやたらと甘い査定は内心で反発している奴らを炙り出す罠だ。

つまり、鎌倉公方(古河公方)らに謀反を起こさせる。

公方様は関東征伐をする気満々だ。

誰だ、変な入れ知恵をした奴は?

氏真うじざねは公方様の思惑もあって助けられたようだ。


「さて、空いた駿河と遠江の守護だが、魯坊丸、おまえがやるか?」

「ご遠慮申し上げます」

「やはり要らんか」


山城も断ったので、今回も断ると思っていたのだろう。

判っているなら口に出すな。

俺は心の中で舌を打った。

公方様は俺をこの場にいる守護らと同格に見ていると宣言したようなモノだ。

高度な駆け引きだ。


「公方様、子供に飴を与えるのと訳が違います」

伊勢いせよ。何を慌てている」

「長尾家もそうでございましたが、序列を考えずに守護を許すのは如何な物でしょうか。増長した輩が生まれ、いずれは足利家になり代わろうとする者が現れますぞ」

「無用な心配だ。増長して逆らうならば、斬り捨てるまで。そもそも、この魯坊丸ろぼうまるが望むならば、この天下さえ取るのも容易い。そうであろう」

「取る気もない者に聞かないで下さい」

「ふふふ、そう怒るな。で、誰が良いと思う」


だから、俺に決めさせるなよ。

帝と公方様の信任が厚い事を見せ付ける。

今回の仕置だが、誰がどんな裁定を下しても不満が残る。

そこで俺だ。

真の勝者である俺が決めても可笑しくない。

可笑しくないが、その反発もすべて俺に向く。

不満を俺に押し付けた。

これで公方様への不信が軽減される。

これほどの駆け引きができるなら、公方様の天下は決まったようなものだ。

公方様も成長した。

そう思いたいが、本人にその自覚がない。

顔を見れば判る。

面白そうだから俺に振っただけだ。

本能でやっている所が怖いよ。


「誰を次の守護にしても結構です。幕臣の誰かが言った若狭の武田家でもよろしいですが、次の守護になった方は今まで以上に困る事になると思います」

「駿河は豊かな所だと聞いたが違うのか?」

「それは先日までの事。織田家に連敗して国力はガタガタになっており、残っていた財も武田家が略奪の限りを尽くしておりますのでほとんど残っておりません。そんな土地を貰って喜ぶ者がいるのでしょうか?」


武田軍が略奪をはじめたのは、講和の使者である義堯ぎぎょう座主が帰ってからだ。

それまでは大人しかった。

紳士的な態度で『逆賊、義元よしもとに従って討伐されたいか』、『幕府の命に従って武田に任せよ』と恩を売って開城させていた。

長く同盟国であった武田家を信じて、領主や城主、国人らはその身を任せた。

しかし、講和が終わると『武田家に従うか、逆賊として討たれたいか』と問われた。

いきなり家臣になれだ。


武田家の家臣になるか、逆賊で討たれるか?


無茶な問いに領主や国人らも困っただろう。

武田家は黙っていても逆賊扱いで討伐の対象にした。

比較的、平和裏に駿河と東遠江を奪った武田軍であったが、ここに来て略奪の限りを行い出した。

無茶をして徴兵した者への褒美だろう。

奪わないと与える土地もない。

ついでに、織田家に寝返りそうな者らを根絶やしにするつもりだ。


さらに駿河の町でも同じ事を行っている。

武田軍が攻めて来て、大店の店はすべて船で伊豆に逃げた。

残っているのは逃げられない中小の商家であり、武田家に降った。

武田家は駿河の町を支配した。

そこで武田家は多額の矢銭を要求したのだ。

川中島の戦いから駿河侵攻までの費用のすべてを回収するつもりだ。

大きな額に商人らが拒絶すると強制的回収に走った。

無法者が町に進入して乱暴・狼藉の限りを尽くし、すべての財貨を没収してゆく。

野盗とやっている事が変わらない。


晴信はるのぶ、どういう事だ?」


俺が報告した今の駿河の様子を聞いた公方様が晴信はるのぶに問い質した。

知らなかったのか?

目を一瞬びくつかせ、その後で姿勢を正し直した。


「恐れながら申し上げます」


典厩てんきゅうが割って入って来た。


「織田家の言い分は一方的でございます。おそらく叛乱を企てた者の言い分なのでしょうが、武田家は幕府に代わって平穏を維持する義務がございます。叛乱を企てている輩を排除するのは当然の事ではないでしょうか。また、駿河で暴れているのは戦で敗れた兵が雪崩込んでいるのでございます。武田家はそれを取り締まっているだけであり、暴れている残兵の野盗と武田の兵と混同されるのははなはだ迷惑でございます」


典厩てんきゅうが言い切った。

織田家に助けを求めている領主らは叛乱を企んでいる者であり、主張そのものが嘘だ。

また、駿河の町で暴れているのは敗残兵の野盗であって武田の兵ではない。

織田家の話を一方的に信じるのは迷惑だと言う。

斯波-統雅しば-むねまさは呆れ、北条-氏康ほうじょう-うじやすは河東の引き渡しを要求し、兄上(信長)は横暴な行為を止めるように忠告した。

典厩てんきゅうは柳に風だ。

一番、怒ったのは信勝兄ぃだ。


魯坊丸ろぼうまる、俺に駿河と東遠江を寄越せ。俺が武田に天誅を下してやる」


それはないな。

信勝兄ぃに預けるくらいなら俺が先に占領して管理している。

信勝兄ぃに任せれば、武田家の扇動された国人や領民に翻弄される姿が目に浮かぶ。

銭を相当入れないと回避できない。

そして、武田が奪った後なので得るモノが少ない。

織田が大損じゃないか。

無視だ、無視だ。

俺がもう一度典厩てんきゅうに問うたが、答えは同じだった。


「なるほど、すべて嘘と言われるのですね」

「すべてが嘘とは申しませんが、軍律を守らぬ兵もいるでしょう。ですが、武田家として命じた訳ではございません」

「なるほど、よ~く判りました。残兵の中に織田家を頼って助けを求めた者もおります。その中には、何故か、甲斐や信濃から来た者もいたのです。何でも武田に命じられて、山越えして遠江まで連れて来られたとか」

「知りませんな」

「なるほど、なるほど、よ~く判りました。織田家の同情を買いたい為に、その者らは嘘の証言をしているのですな」

「かもしれせん」


俺と典厩てんきゅうは睨み合う。

実にふてぶてしい。

つまり、俺が遠回しに「武田家が今川家を助けていた事などお見通しだ」と言うと、「知りませんな」と典厩てんきゅうが白を切り通す。

武田家らしいと言った方がいい。


甲斐の自然は厳しい。

洪水や日照り、寒波などで生死を分ける事が多い。

生きる為ならば、身内の隣村を襲って食糧を奪う事も厭わない。

そんな残酷な世界を生きて来た。

武田家にとって生きる為の嘘は許されるのだろう。

ここでいくら追及して所で武田家は認める事はない。


「公方様、今の駿河と東遠江を貰っても誰も喜びません。武田家が申す事が真実であれば、公方様の親征にも参加する事でしょう。尾張・三河・西遠江の二国半の織田家より、甲斐・下信濃・駿河・東遠江の三国半の武田家の方がより大きな負担をしてくれるに違いありません。典厩てんきゅう殿、間違いありませんな」

「当然でございます」

「公方様が臣下と認められるならば、交易と通行の自由が認められますが、それでよろしいですか?」

「はじめて聞きましたが、問題ございません」


典厩てんきゅうはさらりと嘘を言う。

農民が土地を捨てて逃げられて困るのは甲斐のような国だ。

しかし、天災が起こる度に流民が発生する。

甲斐の国力が伸びない原因だ。


一方、駿河は経済が発展していた。

そこでその流民を受け入れて、石高以上の国力を生み出していた。

実の石高は甲斐が20万石とすれば、駿河は15万石でしかない。

だが、動員できる兵の数は駿河の方が多い。

金山を含めて、駿河の国力は50万石くらいに相当する。

遠江と三河を含めると100万石に近かった。


下信濃を含めても50万石程度の武田家とは国力に差があった。

そこで武田家も金山の開発を進めて、その差を縮めたのだ。

今の武田家の国力も60万石を越えてきた。

それでも足りない。

今回、駿河と東遠江を手に入れると国力は100万石を越えるハズだ。


おぉ、織田家の石高を越えるよ。

あくまで織田家の米の石高を越えるって意味だけどね。

海を持てば、駿河を手に入れれば、国力が単純に上がるなって思ってないかい?

義元よしもとだから、その国力を生み出した。

織田家と北条家を敵にしたままで、その経済効果を生み出す事ができるのか?

身を以て体験させてやるよ。

俺が不敵な笑みを浮かべると、典厩てんきゅうも不遜な笑みを浮かべる。


「公方様、駿河・東遠江を幕府の直轄領として、しばらく武田家に預けておいては如何ですか? 武田家の忠義が間違いなければ、改めて駿河・東遠江をお与えになればよろしいかと思います」

「それでよいのだな」


俺が首を縦に振ると公方様も認めた。

信勝兄ぃだけが反対しているが、これは無視だ。

他の者は最初から打ち合わせしているので、不満はあっても口に出す事はない。

えっ、何故、信勝兄ぃに事前に話さないのかって?

俺が駆け引きしている時に余計な事をぽろりと言われて困るからだ。

たとえば、

織田家と北条家を敵にした事を後悔させてやる。

心の中で思っていても発言されては困る。

だから、はじめから教えない。


晴信はるのぶ様もそれで問題ございませんか?」

「問題ない」

「では、こちらに問題はありません」


晴信はるのぶ威風堂々いふうどうどうと穏やかに答えた。

見る者が見れば、貫録があるように見える。

だがしかし、俺は確信した。

晴信はるのぶに意見をうかがいもせずに、これだけ横暴な対応をする典厩てんきゅうに対して、後ろの家臣らは誰一人も否という声を上げない。

ここにいる晴信はるのぶは偽物だ。

そうでなければ、晴信はるのぶ典厩てんきゅう傀儡かいらいだ。

いずれにしろ、この晴信はるのぶに決定権はない。

そう言えば、武田と言えば、『影武者』だったな。


まぁ、いいか。

本物でも偽物でも盟約に署名させれば、効力は発揮する。

後で後悔するがいいさ。

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