第27話 藤吉郎、交渉に成功する? (本證寺9代玄海の野望です)
(天文22年(1553年)6月27日)
三河三ヶ寺の1つと呼ばれ、三河における本願寺教団の拠点に
三河一向宗は多くの門徒を抱えており、岡崎の松平家家臣の
他にも吉良氏・荒川氏・桜井松平氏・大草松平氏などの領主も帰依していた。
ここを織田家が抑えると、形勢が一気に織田家に傾く。
もしも本證寺へ乗り込んだのが、右筆の
「
「
「東海に魚あり。尾も無く頭も無く、中の支骨を絶つ。この義や如何に!」
なんて、事を言い出していたかもしれない。
もうご存知なので説明もいらないと思うが、知らない人の為に一応説明しておく。
まず、“魚という漢字から尾と頭を取り除くと、『田』という漢字になる。この『田』から中の支骨を取り除くと、『日』になる”と言う訳だ。
つまり、「東海の日はどなたですか?」と聞くだろう。
なぞなぞだ。
宗教的には日蓮を意味する。
本證寺の9代玄海は浄土宗なので『
素直に『
だが、海千山千の玄海が大人しく答える訳もなく、長々と問答が続くことになったであろう。
だが、やって来たのは藤吉郎であった。
護衛に犬千代(
多くの衆門徒に囲まれて藤吉郎は中に通される。
犬千代の両脇には僧兵が槍や薙刀を持ってずらりと並んでいた。
「織田信勝様の命により、織田魯坊丸様の名代としてやって参りました。木之下藤吉郎と申します」
大きく元気な声で藤吉郎が声を上げて玄海に頭を下げた。
武士らしさの欠片もないが、にたりと頬を緩ます顔は妙に愛嬌がある。
顔を上げた藤吉郎は用件を述べた。
「織田魯坊丸様は阿弥陀如来様でございます。魯坊丸様は困窮に喘ぐ三河の民を助けて来いとご命令になり、本證寺の門前にて『炊き出し』を行いたい。どうかご許可を頂きたい」
余りのど直球に玄海も言葉を失った。
周りの僧侶達も同じだった。
し~んと沈黙が訪れる。
昨晩、前触れがやって来た。
悪知恵が働く僧侶達は訪れた織田家の使者にどれだけ高く自分らを売り付けるかと、一晩中も議論していた。
とにかく、矢作川が氾濫して多くの門徒が路頭に迷っていた。
いっその事、「米をくれ」と大暴動を起こすかと言う者もいた。
「数で押せば、何とかなるかもしれませんぞ」
「馬鹿を言うな!」
「織田は地から火がでる武器を持っておる」
「織田家は空も飛ぶ」
「神通力を使われては勝ち目もないぞ」
「鉄砲の数も多い」
議論すると、やはり織田家は恐ろしい家だと皆が思う。
抵抗すれば、それこそ三河を根絶やしにされるかもしれない。
また、先の戦を見れば、織田家が今川家に勝つのが必定である。
織田家の要望を飲む。
恩を売る事で大勢が占めた。
願わくは、(松平)広忠から貰った『不入の特権』(検断権の拒否である年貢・諸役の免税)を引き出せば、上々と考えていた。
「だが、何を差し出せと言ってくるか?」
「岡崎程度ならば助かるが、三河そのものと言われると困るぞ」
「織田次第か?」
「織田次第ですな」
織田家はまず脅してくると思っていた。
恐喝し、恫喝し、意のままに動かそうとしてくる。
それをどう躱すか?
本證寺の僧達は悩んだ。
だが、藤吉郎の要望はまったく違った。
「おい、今何といった?」
「門前で炊き出しとか言ったぞ」
「聞き間違いではないのか?」
「それより、自ら阿弥陀如来だとかほざいたぞ」
「確かに」
「由々しきことだ」
周りにひそひそ声が段々を大きくなる。
玄海も一瞬だけびっくりした顔をすると、すぐに平静さを取戻し、目を細めて藤吉郎を見聞する。
藤吉郎は笑みを浮かべるだけだ。
「藤吉郎殿にお聞きしたい」
横に座っていた僧侶が声を上げた。
「何でもお聞き下さい」
「織田魯坊丸様が阿弥陀如来様とは如何なることか?」
「おらが思っているだけだ。魯坊丸様はおらに言った。『敵味方に区別なく三河の民を救って来い』と申された。普通はありえねい。敵に施せなどありねい。だが、阿弥陀如来様ならば、敵も味方もなく、同じ民だ。それに熱田をはじめとして魯坊丸様の治める地はどこも極楽浄土のようにいい土地になってみんな笑顔だ。おらは魯坊丸様が阿弥陀如来様だと思った」
「自ら言われたのだな!」
「言ってねい。おらがそう思っただけだ」
僧侶はしつこく拘ったが、藤吉郎は小難しい事を一切言わない。
単純過ぎて議論にならない。
また、藤吉郎も正辰に言われた通りに余計な事は言わない。
・自分がそう思っている。
・炊き出しを許せ。
その二点を繰り返す。
僧侶との不毛な議論が落ち着いた頃、玄海が問う。
「門徒の数は万を超える。それを救って頂けるのか?」
「約束はできね……ない。だが、魯坊丸様はできる限りの事はすると申された。許可が貰えるならば、熱田より刈谷に舟で荷を運び、水野の兵が運んでくれる手筈になっておる」
「判りました。よろしく、お願い致します」
「任せるだ。ただ、おら達では手が足りない。人手も貸して欲しい」
「承知しました」
藤吉郎は拳を小さくぎゅっと握り絞めて、小さくガッツポーズを取った。
魯坊丸が阿弥陀如来だと玄海の口から言わせるのが最高なのだが、藤吉郎の話術で成功させるのは難しい。
だから、正辰は黙認させることで妥協した。
織田の兵が口々に言う。
「織田魯坊丸様は阿弥陀如来様だ。これは阿弥陀如来様からの施しである」
門徒の噂を広げるだけで良いと判断した。
『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』
そう言われる策だ。
藤吉郎は寺を出ると町の外で炊き出しの準備を始めた。
◇◇◇
藤吉郎がその場を後にすると、僧侶達が一斉に玄海に集まって問い質した。
「玄海様、こちらの要求を何故、申し上げなかったのですか?」
「織田家が何ら要求をしていないのに、何故、こちらから要求が出せるのか」
「しかし!?」
「判っておる。後ろに策士がおるな」
本證寺が要求する隙を与えない。
玄海は悟った。
すでに織田家の救援が門徒に知れていると。
「われら本證寺が断れば、他の寺に行く。すべての寺が断れば、領主の元に行く」
「しかし、我らを敵に回したいとは思っていないハズです」
「敵にしたくはないが、味方である必要もない。織田家は必ずしも三河を助ける義理はないのだ」
「門徒が怒ります」
「どちらに対してだ」
織田家の救済を断るのは寺であり、領主となる。
門徒の怒りがどちらに向くのかは明らかだ。
中々強かな策を弄している。
「尾張には同胞も多くおります」
「ふふふ、長島の願証寺が助けてくれると思っておるのか?」
「当然ではございませんか?」
「大坂御坊(大坂の本願寺)を頼めば、助けてくれるだろう。しかし、いつだ? 一ヶ月後か、二ヶ月後か、三ヶ月後になるかもしれんぞ」
遅過ぎては意味がない。
織田家の救済を断れば、多くの門徒が離反する。
多くを要求しない事で逆に本證寺の要求が封じられている。
実に巧妙だ。
だが、玄海は喜んでいた。
「時に聞くが、親鸞様の教えを守り、こうして生きている三河では、巷で多くの民が飢えて亡くなり、産後の肥立ちが悪く母も幼子も亡くなってゆく。隣の尾張では飢える者はおらず、亡くなる母子も少ない。何故だ?」
「……………」
僧侶達も判っている。
三河と尾張は歩いて半日の所にある。
荷を持って行けば、買ってくれる。
尾張が栄える余波で三河も少し豊かになってきた。
だが、織田領と今川領の間には天地ほどの落差があった。
三河の民も馬鹿ではない。
「織田領となった鳴海、大高、沓掛を見れば、三河の将来も見えて来よう」
「玄海様のおっしゃる通りでございます」
「儂は近い内に尾張に赴き、魯坊丸様にお会いしようと思っておった。向こうから声を掛けて来たのだ。よい機会ではないか」
「織田家に協力されるのですか?」
「
「聖人様が…………」
「聖人様」
「聖人様」
「では、玄海様も魯坊丸様を阿弥陀如来様とお考えなのですか?」
「それは判らん。判らんから見定めに行かねばならん」
一同が頷いた。
玄海は常々に言っていた。
(故)
親鸞は一同が弟子と説いていたが、蓮淳はその結束を乱した。
三河一向宗が長島の願証寺の傘下にあるような振る舞いも鼻に付いた。
「魯坊丸様が阿弥陀如来様か、あるいは菩薩様の生まれ代わりならば、その御心によって本願寺を本来あるべき姿に戻せるかもしれない」
「あるべき姿でございますか」
「あるべき姿だ」
「あるべき姿…………三河一向宗の悲願でございます」
「そうだ」
おううううぉ、玄海の慧眼に思わず、僧侶達が一段と深い声を増した。
三河には親鸞の直系の子孫がない。
その為に発言力が弱い。
魯坊丸を神輿に乗せれば、本願寺と対抗できる。
三河一向衆の発言力が増す。
熱田明神を名乗る敵と思っていた魯坊丸が味方に変わる。
目からウロコだ。
幸いなことに長島の願証寺は積極的に魯坊丸を取り込もうとする様子はない。
「河野九門徒(尾張国葉栗郡にある、親鸞・蓮如にゆかりのある9つの寺院の総称)と結べば、願証寺を抑えることができますな」
「その通りだ。こちらも幸いなことに彼らも織田家に降ったばかり、我らと条件は同じ」
「長島願証寺の横暴もこれまでだ」
「その通りだ」
「あるべき姿を取り戻すぞ」
「あるべき姿を」
「あるべき姿を」
「取り戻すぞ!」
おううううぉ、僧侶達の心に火が付いた。
織田家、否、魯坊丸に可能な限り恩を売って、その恩の代償に返す刀で長島願証寺を乗っ取る。
そんな野望が三河一向宗で起こっているなど、魯坊丸は知る由もなかった。
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