第26話 この藤吉郎にお任せあれ
(天文22年(1553年)6月24日)
魯坊丸より命令を受けた藤吉郎は離れの間から裏の勝手口に戻って来ると、そこには
「今から沓掛城に戻る。急ぐのであれば付いて来ても良い」
三郎左衛門は仲間に仕事を分担すると藤吉郎を沓掛まで送る為に残っていた。
三領への城主代への指示と視察、さらに、三河への偵察を一人で行える訳ではない。
三郎左衛門が沓掛に到着しても状況も判らずにすぐに兵を出せる訳もない。
どうせ沓掛城で待たされるならば、魯坊丸から指示を受けたもう一人を沓掛まで送るくらいの手間を掛けても良いと考えたのだ。
「お願いします」
藤吉郎は迷わずにお願いした。
外は暴風が荒れており、中村郷の自宅から中根南城に来るだけでも大変だったのだ。
三郎左衛門は城を出ると、天白川の架け橋を渡って平針街道を進んだ。
「常滑街道から鳴海には向かわないのですか?」
「ふふふ、高波と戦いたいのならば、止めはせぬぞ」
常滑街道は海岸沿いに道が通っており、高波が街道の頭上から押し寄せてくる。
引き波に攫われて海に引き込まれるのがオチであった。
三郎左衛門は慈眼寺から山道に入って、秋葉山麓にある針名神社を通って大根ケ越を行う。
こちらの関所は雨が降っても完全に閉じる訳ではない。
「兄者、あちらに大きな池が見える」
頂上付近で左手の木々が少し開いており、そこから赤池が見えていた。
雨の為にはっきりと見えないが、家々が池の中に浮かんでいる。
大雨で川が氾濫したのか池のようになっている。
さて、山道を下ると谷間では所々が川のようになっていた。
三郎左衛門がひょいと川を飛び越えて、綱を木と木を川の間に結んでくれる。
それを命綱と手に取って川を渡った。
わぁ、手が滑って川に流されそうな
「利家様、ありがとうございます」
「あぁ、気をつけろ」
渡り切ると街道を外れて北に向かう。
次の難所は扇川だ。
河川は増水か、氾濫していると三郎左衛門が言った。
そこで上流を迂回し、熊野山を登る。
この辺りを熊野の神様の前と言う意味で『
祭礼で花扇を水面に浮かべる儀式があることから扇川と名付けられた。
上流の小さな川を渡ると、今度は来た道を戻るような感覚で下山してゆく。
もう東は東郷だ。
このまま山を下って街道に戻れば、道沿いに沓掛に行けるのだが、所々の川が増水しており、渡河が難しいそうだ。
「念の為に言うが、我々ならばそれほど苦ではない」
三郎左衛門らは川を渡る手段がいくつか持っていた。
「どういう風に渡るのですか?」
「別に難しいことではない。先ほどと同じ、木と木の間に綱を張って渡る」
「なるほど」
「強風に揺られながら、雨で濡れた綱のみを頼りに渡るのは訓練がいる。お前らには無理だ」
「はい、自信がございません。それだけですか?」
「一番確実な方法は丸太を川に流して、その上に乗って川を渡河する。丸太は舟と違って沈むことはない。ゆっくりと反対岸に渡ることができる」
「丸太に乗る自信がございません」
「そうであろう。だから、山裾を迂回しておる」
いつの間にか、小一郎が三郎左衛門と普通に話すようになっていた。
藤吉郎はあの鋭い眼光に睨まれると身が竦んでしまう。
小一郎はそれを気にすることもなく、判らないことを訪ね続けた。
熊野山を下る頃には普通に話していた。
世渡りだけならば、小一郎の方が優秀なのかもしれない。
勅使池が見えて来たので、あと少しだと言う。
勅使池とは、大永8年 (1528年)東郷町の祐福寺に後奈良天皇の勅使(帝の使者)として左中条経広卿という人が来て、池の改修工事に関わった為にそう呼ばれるようになったそうだ。
そんな話を聞いている内に沓掛城に到着できた。
◇◇◇
三郎左衛門は信広と一緒に兵を連れて出て行った。
黒鍬衆は事前の指示で兵の半数を連れて境川の支流が合流している上流に移動して、未完成な土手の一部の突貫工事を続けている。
そして、藤吉郎は部屋の一角で
「おらは学がないのでよく判りませんが、川賊から弱っている相手は徹底的に叩くと教えられました」
「兄者、そうなのですか?」
「小一郎、勝てる時に勝っておくそうだ。立ち上がれないほど痛め付けて反抗の意志をなくさせるか、皆殺しにせねば、次は自分がヤラれると教えられた」
人の弱みに付け込む。
これが藤吉郎の基本的な考え方だ。
「守勢のときはじっと鳴りをひそめ、攻勢のときは一気にたたみかけろと言う奴ですね」
「何だ、それは?」
「孫子の兵法です。寺小屋で覚えました」
「おらは難しいことは判らん」
魯坊丸の言っている事は真逆だ。
なんと『敵味方に関係なく救済しろ』と言う一文に、むむむと唸った。
皆で腕を組んで悩んだ。
織田方の味方を救済するのは当然であり、敵方の救済を餌に籠絡する。そして、藤吉郎が言っているように弱っている敵を叩いて、大勢を決める。
これが普通だ。
「正辰様、これが武家の作法なのですか?」
「知らん。私も聞いたこともない。為俊様はどうですか?」
「魯坊丸様が言われることは深い意味がある。千代女様ならば、すぐに理解できるだろうが、私程度では判らない。判らないが、意味があるのだ」
完全な勘違いである。
魯坊丸は感覚的に言ってしまった訳で意味などない。
だが、奇想天外な事を言い出すのはいつもの事であり、それには色々な意味があった。
これは魯坊丸からの問いだと考えるのも無理はない。
皆、深読みをしていた。
「藤吉郎、お前なら何か思い付かない事はないか? 何でもよい。何かないか?」
「ううう、おらは学がなく、和尚様が小難しいことを言って、『
「それだ!」
為俊が膝を叩いて、藤吉郎を指差した。
「諸行無常だ」
「為俊様?」
「よいか、正辰。三河は一向宗が非常に多い土地柄だ。それこそ敵味方に関係なく、一向宗が蔓延っている。どうだ、何か思い付かないか?」
「…………」
正辰は考える。
魯坊丸が言った事と一向衆を結びつける。
「敵味方の関係なくとは一向宗を助けろと言う事でしたか。それならば、判ります」
「どう判る」
「この熱田に来て思いましたが、この熱田こそ、地上の『
「そうだ。生きて目指すも、死んで目指すも変わりはない。魯坊丸様は改宗を強要されるお方ではない」
「その通りでございます」
「ご神体であられる『
為俊と正辰がにやりと頬を緩めて悪い顔をした。
藤吉郎が首を捻った。
「小一郎、お前は判るか?」
「一向宗は
「おぉ、なんと。魯坊丸様は阿弥陀如来様であったか!」
藤吉郎が感動した。
情け深いと思っていたが、阿弥陀如来ならば納得もいく。
「正辰様、具体的にどうすればよいのですか?」
「矢作川は暴れ川です。橋を掛けても洪水の度に流され、川の道のよく変わります。此度の大雨で矢作川は氾濫して大きな被害を出しているハズです」
「なるほど、なるほど、それで?」
「田畑は言うに及ばず、家屋を流されて、多くの民が路頭に迷っているでしょう」
「そうなりますな」
「藤吉郎は阿弥陀如来様の使いとして炊き出しを行い。阿弥陀如来様の慈悲を伝えてくるのが仕事です」
「なるほど、よく判りました」
言うほど簡単な仕事ではない。
一向宗の本拠地でもある
本證寺からすれば、魯坊丸を本尊である阿弥陀如来だと言うのは不敬であり、そんな事を言う不埒者を生きて返すとは思えない。
だが、言葉を濁して交渉すれば、無償で兵糧を配る馬鹿者になる。
玄海に魯坊丸が『阿弥陀如来だ』と言わせて成功だ。
これは割と危険な仕事であった。
藤吉郎しか、引き受け手はいないだろう。
「矢作川の由来は日本武尊が東夷征伐の際、川の中州にあった竹を切って矢を作り勝利したことで名付けられました。日本武尊の草薙剣を祀った熱田神社とは縁が深い。決して悪い印象は持たれておりません」
「そうですか、良い事を聞きました」
「藤吉郎、玄海様に魯坊丸が『阿弥陀如来だ』と認めさせ、三河の国を『極楽-浄土』にするのを手伝わせるのです」
「承知致しました」
三郎左衛門が三河の情報を集めた後に、必要な物資は為俊が一覧表にまとめて熱田に送る事になった。
正辰は藤吉郎と一緒に
藤吉郎は本證寺に向かって交渉する。
「安心しなさい。先代様(故信秀)の頃より、本證寺とは付き合っております。魯坊丸様に代わっても、あいさつ状や御布施を送っております。信勝様より命じられ、魯坊丸様の名代として行く藤吉郎に会ってくれないという事はありません」
「そうでございますか」
「今回持って行く御布施も用意しておきましょう」
「よろしくお願います」
翌朝には雨が止み、昼頃には三河の惨状が少し伝わって来た。
夕方には舟が出せるようになったので、300人の兵が荷物を背負って舟で刈谷の東の対岸まで渡った。
そこから徒歩で安祥城に向かう。
夜半には到着した。
到着すると同時に正辰は安祥城で炊き出しを開始する。
民が安祥城に避難していたからだ。
だが、安祥城にはそれほどの蓄えがない。
皆、腹を空かせていたからだ。
27日早朝、藤吉郎が本證寺に向かって出発した。
「藤吉郎、気を付けてゆけ」
「この藤吉郎にお任せあれ」
正辰は藤吉郎が串刺しになって返って来ない事だけを祈った。
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