第25話 魯坊丸、講釈を垂れる。

(天文22年(1553年)6月30日)


「わぁ、やってられるか!」


突然、キレて叫んだ俺の手から筆が飛び出し、ふわりと滞空して佐久間-信盛さくま-のぶもりの頭に落ちた。

しまった。

筆はポトリと落ち、筆に付いていた墨が信盛の額にだらりと流れてゆく。


「この信盛めに何か落ち度がございましたでしょうか?」

「悪い」

「いいえ、承知しております。某は魯坊丸様が言われる通りの『抜け作』でございます。魯坊丸様のお怒りはもっともでございますが、どうか信長様の為にお知恵をお貸し下さい」

「そのつもりだ」

「この信盛、気が済むのでしたら、いくらでも墨を塗って下さいませ」


兄上(信長)の腰ぎんちゃく、太鼓持ち。

手の平を返したように卑屈になった。

覚えている人は覚えているかもしれないが、土岐川(庄内川)の護岸工事を後回しにして新田の作付けを優先した張本人だ。

それを聞いた俺は熱田の水路の作業員を護岸工事に勝手に回した。

それを評定軽視だと散々に俺を批難した。

怒った俺はその場で増水による被害額を提示して、『お前こそ、抜け作だ』と反論した。

そのときの事を覚えていたのか、自分で自分のことを『抜け作』と言った。

その卑屈な作り笑いに鳥肌が立つ。


被害が大きかった落合辺りは信盛が新たに頂いた土地だ。

五条川の土手修復を手早く終えた信盛は可能な限り、清洲の工事に村人を使役した。

つまり、村の補修より清洲の復興を優先した。

その結果、川の土手は決壊し、信盛の新領地の作物は全滅した。

正に『抜け作』であった。

兄上(信長)への忠誠心だけ高い信盛だ。

兄上(信長)の為に俺の手伝いを名乗り出た。

うん、迷惑だ。


さて、那古野は無事だった。

護岸工事で生まれた新田はすべて織田家の直轄地となっている。

兄上(信長)は早々と被害にあった領地の税を免除し、米の配布を宣言した。

税を免除する国主は多いが、救済米を配る国主は少ない。

決壊した土手の復旧作業の逸話と共に、兄上(信長)の国主として評判はうなぎ上りだ。

少し嘲笑が混じっている。

しかし、しかしだ。

評定前の俺の休暇はどこに消えた。

清洲の評定前の1日でいいと言う約束はどこに行った?


「阿呆、野分の被害で大変な時に復興作業で最大戦力のお前を遊ばせてどうするか」


上座で筆を走らせ、印を押す兄上(信長)が怒鳴る。

判っていますよ。

でも、俺は言わずにおられない。

俺の休暇を返せ!


兄上の大言壮語で作る事になった新清州城の工事は完全中断です。

俺は知らない。

下に武衛御殿は作るから問題ないね。

野分の復旧が終るまで中断だ。

武衛様にはちゃんと謝っておいてくださいね。

俺のせいじゃない! 俺のせいじゃない!

大切な事なので二度言いました。


 ◇◇◇


(天文22年 (1553年)6月24日)

藤吉郎をはじめ、皆に指示を行った俺は宣言した。


「俺はこれから大事な用事がある。決して俺の部屋に入ってくるな」


俺は部屋に戻ると布団に入った。


「何故、寝ているのじゃ」

「お市、入ってくるなと言ってであろう」

「仕事をするかと思えば、何故、寝ているのじゃ」

「いいか、末森から呼び出されれば、夜も寝ずに仕事をするかもしれない。寝られる間に寝るのが仕事なのだ」

「千代姉じゃ、魯兄じゃがこんな事を言っているが、本当なのかや?」

「何があろうと、魯坊丸様の睡眠時間は作らせて頂きます」

「千代!?」

「若様、偶にはご兄妹とお遊び下さい」

「と言う訳じゃ。わらわと遊ぶのじゃ」

「千代の裏切り者」


あの頃のほのぼのとした言い合いが懐かしい。

散々、兄妹のおもちゃにされて夜もぐっすりと寝てから末森に呼び出された。

雨も上がって被害状況も聞くと被害の多くは新領地と知多半島のみであった。

末森から1,000人、那古野から1,500人、熱田から500人の兵が用意され、そんな名称はないが敢えて『災害救助隊』と呼んだ。

その最大の派遣隊数が沓掛2,000人とは納得いかん。

しかも、三河に300人を派遣したので、沓掛には700人しか残らないぞ。

沓掛だって被災地ですよ。

確かに沓掛には3,000人の兵を抱えているが、俺の銭で食わしている兵だよね。


沓掛の村々の曲輪のみは早々と完成させたので最低限の収穫は守りました。

他より被害が小さかったのは事実だ。

だが、それだけ手間と銭を掛けたからだ。

俺の銭だぞ。

赤池など水の水位が上がって城ごと冠水した。

畑は当然のように全滅だ。

作物がすべてヘドロの下に埋まった。

堆肥としては最高級なのだが、小石や木片が混じっているので整地しないと畑として使えない。

えっ、農地として十分だって?

嘘でしょう。

あんな荒地に作物を植えても収穫は期待できないでしょう。

十分だそうだ。

納得できないけど、それでいいならしばらく放置で後回しだな。

それでいいならいいのです。

しかし、災害救助隊に手当は付かない。

食糧まで手持ち弁当だ。


『感謝は要らない、銭をくれ!』


文句を言っても仕方ない。

こうなったら災い転じて福と成す。

小さく不定形の田んぼを大きく長方形の基盤整備された水田に作り替える。

そう言いたいが中々難しい。

凸凹が多く、邪魔な石も多いし、決壊しない土手の建設にも時間が掛かる。

できる範囲で無理やり基盤整備だ。

まぁ、同時に検地もしよう。

うん、それで納得しよう。


一緒に寺社絡みの土地も整理だ。

年貢を納めさせていた領主の査定もこっそりとやっておこう。

秋までにできるか?

無理だな。

重要な場所を優先し、簡単な所から先に片づける。

後でもめないように債権も確認させよう。


旧岩崎丹羽領が川の氾濫で被害を大きくしたが、知多半島の被害は土砂崩れだ。

道が分断され、村ごと埋まった地域もある。

領主が笑いながら被害を報告した。

慣れているのか、あまり悲壮感はなかった。


むしろ、大柑子の木が3割全滅したのを聞いた俺の方が絶望した。

うん、個人的に。

しくしくしく、俺の取り分が…………減った。


被害総額で一番大きかったのは椎茸畑が1割の損壊だ。

去年からやっと量産体制に入ったばかりだ。

その干し椎茸は10貫(40キロ)で城一つ買えるのに…………勿体ない。勿体ない。勿体ない。

もっと大切な事なので3回いいます。

(酒に次ぐ、大型の収入源です。いずれは砂糖と順位を入れ代わる予定)


造船所が無事でよかった。

船の貸し賃も馬鹿にできないほどの額になって来た。

投資額が大きいので回収できていないが、将来的に造船は5本柱の1つになる予定だ。

うん、被害がなかったのはいい事だ。


刻々と送られてくる状況を聞きながら、復旧作業の手順を決めてゆく。

忍衆には周辺を探らせた。

矢作川が氾濫し、大きな被害を出した三河には水野経由で熱田から救援物資を送らせた。

紀伊の倉庫代も馬鹿にならない。

毛利に売れる見込みもなくなってきたので三河に回す。

取り敢えず、熱田の米を三河に回して、後から紀伊からの米を熱田に戻す。

損切だ。

三河の者よ、織田家に感謝せよ。


(水野)信元に運ぶくらいは無償で手伝え。

こんな感じの手紙を出した。

恐喝?

いいのだよ。

尾張と三河の交易で儲けている。

少しくらい返せ!


何故か、舟が一艘?

東三河から西遠江に向かった。

(100石船一隻に1俵30kgの俵を500俵)

何、考えているのだ?

忙しいので追求は後にする。

ともかく他家から侵攻はないことが判った。


末森の復興計画を完成させた所で28日に清洲に登城するようにと赤紙の召集令状しょうしゅうれいじょうが届いた。

この絶妙なタイミング?

信光叔父上だろう。

何が休暇だ、頑張ったのにあの嘘付きめ!


 ◇◇◇


末森領と比較すると、清洲領の悲惨さは絶望的だった。

帰っていいですか?

俺は溜息を付いた。

千代女のお蔭で寝る時間だけは削るのを阻止してくれました。


「魯坊丸様、これをどうすれば?」

「慌てるな。被害額は大きいが石高では那古野の新田で補える。総額の石高は去年と同じだけある。冬の裏作を考えれば増収だ。何の問題もない。5年計画が6年計画になったと思えばよい」

「おぉ、なるほど」

「そう考えれば、気が楽になりました」

「やる事は一緒だ。村を高い場所に移し、そこを中心に曲輪を作って安全な農作地帯を広げる。それが終わり次第、島を土手で覆って、島の中の開拓を進める。次に道を整備して島と島に橋を掛けてゆく」


物流は舟でもいいのだ。

橋を後回しにしても支障はない。

だが、銭の掛かる木曽川の大規模な護岸工事なんてやってられない。

何年掛かる?

20年か、50年か?

犬山の支配権を奪って水路の整備を行ってからでないとすべてが水泡に帰す。

曲輪は石垣で作るが、土手は今まで通りだ。

水路に水門を忘れずに付けさせる。

島全体を下手にローマンコンクリートで整備すると河川整備の時に邪魔になる。

当分は本気でやらないが、水路の整備はやった方がいいか?

今の河川護岸工事を行うのが清州周辺の五条川のみだ。


小牧が酷いな。

どこから本当に手をつければいい?

優先順位は?

領地が減った岩倉城の織田伊勢守家が無傷と言う。

皮肉だ。


清洲には常備兵が1,000人の他に、帰蝶義姉上の黒鍬衆と土方、津島の土木が得意な常備兵と土方が動かせる事になっている。

農繁期に関係なく数千人が動員できるのは凄いことだ。

清洲と津島に数百人ずつ残して、他を『災害救助隊』として派遣する。


「待て、こっちも人手はいる」


津島の信実叔父上が反対したが容赦しない。

その台詞は俺の台詞だ。

俺が一番に言いたい。

無償の奉仕を強制する。

とにかく道連れだ。


因みに那古野も土木作業員が多いので末森領でも同じくらいの動員が掛けられる。

どちらも常備数千人を動員できるって凄いな。

陣触れを出せば、総勢ならどれだけになるのかな? 

常備に力を振っている分、家臣が戦時動員する兵力はどう影響されているんだろう?

それにウチの実質の石高はいくらだ?

80万石を越えてないか?

他国から知ったら脅威でしかないな。

うん、土木作業員を戦闘に使う気はないぞ。

念の為に言っておく。


それもこれも尾張の人口が増え過ぎた為だ。

産業が発展するのがいい事だ。

しかし、産業と交易が止まったら増えすぎた人口で頓死するぞ。

ヤバい!

それに見合った収穫量も生産できるようにならないと拙い。

ということは、優先順位は生産が先か?

芋(男爵いものような芋)を植えよう。

困った時の芋頼み。

荒地でもそこそこは育つし、値段も手頃だ。

連作怖いので大豆と麻も間に挟み、時間を稼いでいる間に護岸工事を済ませて、それから農地の整備と言う所か?

意外と忙しいぞ。

ついて来れるのか?


「魯坊丸様、筆が止まっております」

「ちょっと妄想していたのだ」

「何の妄想ですか?」

「尾張の人口はまだまだ増える。その為にも食糧の増産が急務だ」

「ですから、こうして机に向かっておるのです」

「それだけでは駄目だ。銭も足らなくなるので鋳造も考えなくてはならんし、紙幣の発行も必要になる」

「紙幣とは?」

「紙の銭だ」

「無茶です」

「何を言う? 商人は手形と言う紙で取引を行っておる。紙だぞ。手形という紙幣は存在する。客と店の間も手形のようなものからはじめる」

「民の手形とは、何でございますか?」

「たとえば、家臣に米5合の手形を発行する。それを持って米屋に行かせる。その手形は米5合と交換できる価値がある。すると、その手形で他の物と交換する者が現れ、銭の替わりに手形が流通するようになる」


家老達が首を捻る。

中小姓出身の文官はうんうんと頷いて当然のような顔をする。

落差が凄い。

一合を一文と仮定すれば、5合の交換手形は5文紙幣が発行されたと同じことになる。

(町の者がついて来られず、失敗します)

人口が増えて発生する貨幣不足をこれで緩和する。

プラス、悪銭も鋳造し直すか?

だが、輸出品は何にする?

いっその事、鉄砲でも売るか?

硝酸を売らなければ、左程の脅威ではないし…………悩みどころだ。

冷害に備えて蕎麦と芋の生産も増やさないといけない。

考える事が多すぎる。


「何故、手形を増やす必要があるのですか?」

「貨幣の量が減り、物が余ると『デフレ』と言う状態になり、国が衰退する。物を作っても売れなくなる。それでは困る。だから売れるように、貨幣は常に民衆に行き渡るようにせねばならない」

「まったく判りません」

「判らずとも良い。常に新しい物を作り、貨幣が滞らなければよい。面倒だから難しい事を省くが、つまり?」

「つまり?」

「ケチケチするなと言うことだ」

「なるほど、それは判り易い」

「家臣の俸禄を惜しむな。支払う工賃を惜しむな。常に新しい物を売って行くぞ」

「承知しました」


家臣でも民でも気前よく銭を出す方が国は富む。

物が回れば回るほど税で回収できる。

民が富むと国も富むのだ。

国が富めば富むほど、俺に利益が還元される。

いい事尽くめだ。

だが、俺が働き詰めでは意味がない。

大蔵省よ、カムヒヤー!

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