閑話.藤吉郎の家来。
(天文22年 (1553年)6月22日)
魯坊丸が熱田の大喜の本家に足を運んでいる頃だ。
「かっちゃ、今帰った」
「
「織田に仕官してきた」
「本当か?」
「本当だ」
「それはよかった」
藤吉郎は中村郷の中中村の実家に戻っていた。
なかは真面目に働く気になった藤吉郎を見て喜んだ。
家を出ていった不良息子を心配していたのだ。
さて、
一度、捨ててから拾ってきた幼児は元気に育つと言う意味か、
親指が2本もある多指症だったので捨ててしまえと言う意味だったのか、
それは藤吉郎の母である『なか』に聞かなければ判らない。
いずれにしろ、藤吉郎にとってもどうでもよいことだった。
「聞いて驚け、なんと武士になった」
「また、そんな法螺を言って。ご主人に放り出されるぞ」
「嘘じゃねい。本当だ」
「お前は昔からそんな法螺ばかり言うから法螺吹きと呼ばれるのだ」
「嘘じゃねえ!」
藤吉郎は信広に150貫として正式に召し抱えられた。
600石の領地を与えられた家臣並に扱われ、兵ではなく武士として扱われる。
領地を充てられた者とくらべると一段劣るが、武士としてスタートラインに立った事になる。
また、武士となったので家来を召し抱えることが許される。
信広から支度金などとして200貫文が別途に支給され、その銭で屋敷を構えたり家来の武具や食費等々の初期経費に充てることになる。
この度の戦で手伝ってくれた人の一部を足軽として召し抱えるので意外と出費が苦しい。
家来や兵に手当をいくら払うのかは藤吉郎に委ねられていた。
「家来がいるので、
「小竹まで悪の道に引き込むな」
「本当だ。末森の殿様から200貫文の褒美も貰った。これは感状だ」
そう言うと感状と一緒に背中に背負っていた荷物箱から10貫文の入った袋をいくつか取り出して置いた。
そして、母のなかに感状を見せたが字が読めないのでさっぱりだった。
だが、それよりドカっと置かれた10貫文の袋の山にびっくりしている。
袋を開けると一文100枚が紐で括られた束がたくさん出てきた。
「これをどうした? どこで盗んできた?」
「だから、殿様に貰っただ」
「嘘こくでない。働き始めた者が貰える訳ないだろう。盗んで来たんだろう」
「違う」
なかは
流石に泥棒は許す訳にいかない。
振り降ろされる竹箒を避けて藤吉郎は逃げるしかない。
「嘘でねい」
「まだ言うか?」
「本当だ。信じてくれ!」
「このロクでなし」
そこに小竹が
「変な人だ」
「旭、変な人ではなく、兄者だ」
「兄者? うちの兄者は小竹じゃないのか?」
「小竹と呼び捨てにするな。俺も兄者だが、あれも兄者だ」
「知らない」
「俺もよく覚えていない」
藤吉郎は小竹と旭を覚えていたが、小竹でもうっすらと覚えている程度、旭に至ってまったく覚えていなかった。
「小竹、助けてくれ」
「兄者、何をしたのです」
「織田に仕官したと言ったら嘘だと疑われている」
「小竹どきな。こいつは銭を盗んで来た大悪党だ」
「嘘じゃねい。これがその感状だ」
小竹がそれ受け取って、それを読んだ。
旭も読みたそうにしているので小竹は見せてやる。
10歳の旭には読めない字もある。
「かん、じょ、きのした、とう、きち、ろう…………」
「これは
「じょ、りょくに、かんしゃして…………」
どうやら200貫文の褒美を殿様から貰ったのは本当らしい。
母のなかがやっと納得した。
「兄者、凄いな。城取りを手伝ったのか?」
「命懸けだった」
「それは凄い」
「いいや、おらが命懸けでやっている間に信光様は尾張の品野城の
「俺にはできそうもない」
「何を言うか。おらは手伝って貰おうと思って帰ってきたのだ」
小竹は凄い。
寺子屋から推薦を貰って神学校に行けるくらい優秀だった。
しかし、一番でなかった。
正確には推薦を受けた中で身分一番でなかった。
一番なら村主から奨励金が貰え、その銭を家に入れることができる。
藤吉郎の家は貧乏であり、小竹が学校に入ると人手が足りなくなる。
せめて学校に行く前に奨励金が欲しかった。
「小竹、一年も待つ必要はない。おらの家来になれ。おらの主人は信広様とおっしゃって、魯坊丸様の兄上だ。おらの相談役になった正辰様と一緒に神学校に通えるようにしてやる」
「その正辰様とはどなただ?」
「魯坊丸様の右筆で、とても偉いお方だ」
「熱田明神様の右筆」
「おらがお前を20貫文で召し抱えてやる。家にそれだけ入れられれば、問題あるまい」
「神学校にも通えるのか?」
「魯坊丸様に頼んでやる」
「兄者、よろしく頼みます」
「よし、ならば、今日からお前は
「判った。兄者、本当にこれからよろしく頼みます」
妹の旭は何が何やら判らずにぼっ~と見ていた。
◇◇◇
翌日、藤吉郎と小一郎は熱田の町に繰り出した。
目的は2つだ。
1つは小一郎の服や小刀など揃えること。
家来は家来でも小者扱いなので仰々しい服はいらないが、城の中でも目立たないこざっぱりとした服が必要だった。
そして、イザという時の為の護身用の小刀が必須である。
「兄者、流石に刀は扱ったことはない」
「安心しろ。織田家は朝に集まって体を動かす。兵の者に頼めば、喜んで鍛えてくれる」
「兄者の家来は他におらんのか?」
「おらん。だが、腕の立つ者を雇わねばならん」
もう1つの用事が腕っぷしの良い家来を得ることだ。
熱田には浪人のたまり場があるので、そこで探してみるつもりだった。
駄目ならば、姉の嫁ぎ先でも当たるしかない。
「村では兄者を信用する者はおらんからな」
「それを言うな」
中村郷の中中村でも腕が立つ者はいる。
だが、肝心の藤吉郎に信用がない。
同い年に近い者に法螺吹きや嘘付きと罵られた。
藤吉郎は仕返しをする。
だが、腕っぷしはカラッキシなので知恵を回す。
こっそり背中に回って馬糞を入れたり、牛に変な餌を与えて暴れさせたり、笑いが止まらないキノコを料理にこっそり混ぜるなどの報復に余念がなかった。
ヤリ過ぎた藤吉郎は中中村でつま弾き者だ。
噂は中村郷にまで広まっており、藤吉郎の家来になってくれる者はいなかった。
『頼む。今回だけで良い。15文を出してくれ』
雑貨屋の軒先から大きな声が聞こえてきた。
『この通りだ!』
張り裂けんばかりの声を上げて、大きな男が店の中で土下座をして、頭を地面に付けていた。
それなりの身なりは侍のようであった。
「そんなことをされても困ります。決まりは決まりでございます」
「そこを何とか? 15文を持って帰らねば、怒られるのだ」
「そう言われましても」
「この前は一傘3文、5本で15文であったではないか?」
「ですから、一傘2文半に下がったと申したではありませんか」
「一傘3文の約束だ」
どうやら侍は傘張りの仕事をしているらしい。
雑貨屋で預かった竹の張りに油紙を一枚ずつ張ってゆく仕事だ。
地味だが、誰でもできる仕事だった。
「儂を誰だと思っておる」
「それは何度もお聞きしました」
「頼む。今回だけでも15文を払ってくれ」
「それはできません」
大きな体を揺らし、額を地面に付ける。
恥も外聞もない。
『お松が怒ると怖いのだ』
店主も呆れるような顔をする。
「とにかく、12文半です」
「これだけ言っても判らんのか? 儂はお市様の警護もしてことがある国士無双の
「はい、はい、何度も聞いております」
主人が立ち上がろうとすると、利家が主人の足を掴んで懇願した。
逃がす訳にいなかい。
15文を持って帰らねばならない。
「頼む。今回だけ、松を怒らせたくない。口を聞いて貰えなくなるのだ。その辛さは判るであろう」
「判りません」
「お前は妻を愛すると言う気持ちはないのか?」
「妻を慕う気持ちはございますが、銭をまける義理はございません。口を聞いて貰えず、家から放り出されるだけでございましょう。甘んじてお受け下さい」
「それが耐えられんから頼んでおるのだ」
主人も流石に困り顔だ。
犬千代は遠い親戚で神官の星野家の世話になっており、一軒屋を借りて松と暮らしていた。
松は犬千代が問題を起こす度に頬を膨らませて、「もう口も聞きません」と言って家から犬千代を放り出す。
犬千代が一晩夜露に当たると家に入れて貰える。
6歳と言う余りの幼い幼妻で、この界隈では有名な話になっていた。
「その15文、おらが出しましょう」
「お主は?」
「織田信広様の家臣で木ノ下藤吉郎と申します」
「おぉ、信広様のご家臣か」
「はい」
「儂は前田又左衞門…………」
「先程、後ろから聞かせて頂きました」
「そうか、犬千代と呼んでくれ。皆、そう呼ぶ」
藤吉郎が15文を出すと、それをありがたそうに受け取り、その15文をぎゅっと握りしめる。
これで松に叱られないで済む。
「犬千代でよろしいですか?」
「構わん。今は一介の浪人だ」
「浪人ですか? 腕の方がご自信はございますか?」
「槍ならば、国士無双と自負しておる」
体が大きいので槍を振り回せば、それなりに強そうであった。
藤吉郎はにたりと口が割けるほどの笑みを浮かべる。
「どうですか、おらの家来になりませんか。年20貫文をお出ししましょう」
「儂を雇ってくれるのか?」
「そうです」
「感謝致す」
うおぉっと立ち上がると利家が両手を上げて喜んだ。
本当に大きい。
余りの勢いで拳が天井を殴り突き破るかと思えた。
立ち上がると藤吉郎が子供のようだ。
「さぁ、さぁ、何もないが家に寄って頂きたい。松に知らせねばならん」
藤吉郎は利家に背中を押されて利家の家に案内されると、犬千代が松にあいさつさせると言う。
家来にして貰ったことを自慢するそうだ。
「利家様、お帰りなさいませ」
「見て下さい。この愛らしさ。この声で出迎えられるだけ幸せになれます」
「利家様、どなた様でございます」
「このように少し怒った顔を可愛いらしくてのぉ」
「利家様、お答え下さい」
怒られていても利家は幸せそうだ。
藤吉郎の目が残念な者を見る目になっていた。
こいつ、駄目だ。
『お松、聞いてくれ! 仕官できた』
話を聞けて、小さな子供が喜んでいる。
この小さな子供を「儂の嫁だ」と恥ずかしげもなく言う。
藤吉郎は点になる。
これで嫁ですか?
安いには安い理由があったようだ。
傭兵のたまり場でそれなりの武芸家を雇えば、最低で20貫文はする。
そこそこの腕に自慢がある者ならば50貫文を要求する。
武士として働くならば兵を雇う必要がある以上、どうしても高くなるのだ。
それがこの立派な体格の侍がたったの20貫文で手に入ったのだ。
しかもかなり立派な鎧兜を持参してくれると言う。
これはお安い。
体の大きい犬千代に合う鎧兜は高く付きそうだと思っていたので嬉しい誤算だった。
ははは、藤吉郎の笑みが止まらない。
今回は見た目だけの家来で良い。
いずれ手柄をまた立てて、今度はまともな者達を家来にすればいい。
小一郎も安く済んだが、犬千代も安く済んだ。
それで十分に満足だった。
ただ、その日より幼な妻の良さを毎日のように説かれて、藤吉郎も頭を抱える日が来るとは思ってもいなかった。
「藤吉郎、幼な妻は良いですぞ」
犬千代に自重と羞恥心と言う文字はなかった。
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