閑話.伊勢山田三方の騒動。
(天文22年 (1553年)6月23日)
熱田で会議があった翌日、
部屋の前で千代女が待っていた。
「お嬢様、お久しぶりでございます」
「久しぶり」
「御懐かしゅうございます」
「あのときは無理を言って悪かったわ」
「いいえ、やりがいのある仕事でございます」
小木曽六兵衛とは仮の名前で、望月家の分家にあたる布施家の者であった。
伊勢の外宮に位置する大湊は伊勢湾の出口であり、織田家の生命線の1つである。
いずれは伊勢を手に入れるにしても、伊勢の武将が余り力を付けて貰うのは困る。
そこで信頼できる者として、千代女が推薦したのが六兵衛であった。
千代女は襖を開けて部屋に通した。
「若様、大きくなられましたな」
「六兵衛か、久しいな」
「最後に会ってから2年になります」
「そんなになるか。手紙でいつもやりとりをしているので、そんな気がせんな」
魯坊丸が大量の忍者を雇い始めたのは4年前に遡る。
本格的に熱田商人と組んで酒造りを始めた頃だ。
同時に製鉄や鉄砲なども取り組んだので、その秘密を守る必要に駆られた。
甲賀と伊賀から大量の忍びを雇うことになった。
皆、魯坊丸の家来とした。
「加藤とやりあったのが昨日のように思える」
「魯坊丸様の側にいると、命がいくつあっても足りません」
「六兵衛も強かった」
3年前、甲賀から
最後の砦だった六兵衛は人を使うのが巧かったので、三郎左衛門の攻撃を巧く仲間と連携して躱した。
「結局、若様を危険な目に合わせて恥ずかしい限りです」
「六兵衛が時間を稼いだお蔭で、加藤の真意がなんとなく見えた」
三郎左衛門は連携の間隙をついて包囲を抜けると、魯坊丸を捕まえて刃を向けた。
だが、魯坊丸は平然としていた。
「小僧、殺されるのが怖くないのか?」
「殺す気のない刃など恐れる必要もない」
「何故、殺さないと思う」
「刃に殺気がないと言いたいが、俺はそこまで見極める技量はない。だが、戦っている時にお前は楽しそうだった。どうだ、このまま楽しみたいならば、俺の家来にならないか?」
「そうやって忍びの者を籠絡しているのか?」
「忍びだけではない。面白い奴ならば、全部、引き入れる」
「ははは、気に入った。儂を楽しませてくれるのか?」
「努力する」
三郎左衛門が魯坊丸を気にいったらしく降伏してくれた。
次に現れた時は加藤家の客将となり、加藤三郎左衛門と名を変えていた。
一年ほどで無頼漢な者を50人ほど仲間にして、魯坊丸の独立愚連隊を結成したのだ。
皆、他の家の客将となっており、魯坊丸の直臣ではない。
三郎左衛門が選んだ者は一癖も二癖もある奴ばかりだ。
ただ、強さだけは信用できるので、魯坊丸の周りは恐ろしいほど強固に変わった。
「大湊の乗っ取りはどの辺りまで進んでいるのか?」
「半数は抑えました」
「2年で大したモノだ」
「ははは、皆が腹黒過ぎるのです。容赦なく乗っ取れると言うモノです」
刃を向けてくる者は自分も斬られる覚悟がいる。
陰謀を巡らすならば、こちらも陰謀で返す。
それが魯坊丸のやり方だ。
3年前、魯坊丸は酒造りをはじめると同時に行商人を増やした。
美濃、伊勢、三河、近江に送り、次に京、堺、敦賀、小浜、船橋などに送った。
熱田商人、伊勢商人を装って、蜘蛛の巣のように網を広げた。
そして、大商人を目指す若手の商人と落ちぶれた商人に近づき、資金と人材を提供する。
一見、回り諄いように思えるが、余所者が商売を始めるより受け入れてくれる。
老齢で後継ぎが娘しかいない商家などは狙い所だ。
そのまま婿養子に収まって、商家を簡単に乗っ取ってしまえる。
他国に気付かれることなく、こうして忍びの拠点をいくつも持ってゆく。
こちらは暗部だ。
一方、これとは真逆な方法で熱田豪商と津島豪商が各地に堂々と乗り込んで商談を進める。
織田家と取引をやってくれる商家を探し、その紹介で地元の神社・仏閣・領主と縁を結ぶ。
大きな所ならば、伊勢、多賀、比叡山、日蓮宗二十一本山、興福寺、本願寺などだ。
大きな所は土倉をやっており、熱田・津島から運ばれてくる酒の入った桶を喜んで買い取ってくれた。
そして、末端の商家と仲良くしながら、婚姻や養子縁組で絡ませてゆく。
嫁いで行く者が本物の実子である必要はない。
こうして、大店に潜り込んだ者が先に忍ばせて乗っ取ってある商家を使うように勧めて、他国の暗部に食い込んでゆく。
織田家の手先になる商家が少しずつ、自然に力を増してゆく訳だ。
だが、そんなに事は巧く運ばない。
「腹黒、ドス黒は当たり前でございます」
「俺も思い知らされた」
「こちらとしては襲ってくれれば、主人ごと始末するだけです」
「派手にヤリ過ぎるなよ」
「魯坊丸様がそれを言いますか?」
大湊など典型的な例であった。
2年前。
知多半島の常滑にある廻船屋瀧田家と心根にしていた
貧乏商家の中津屋が一気に飛躍した。
周辺を追い抜いて、ごぼう抜きで中堅の商家にのし上がったのだ。
これは藤吉の才覚によるものだった。
織田家は信秀が伊勢の内宮、外宮の双方と良好な関係を結んでおり、大店である伊勢屋とも良好な関係を結んでおり、破綻する兆しなどなかった。
しかし、中津屋が|山田三方(ようださんぽう》に組みしていないことが問題だった。
伊勢屋を通じて、中津屋に寄合に入るように促すだけでよかったのだ。
だが、裏で山田三方を取り仕切っていた
伊勢外宮の
「中津屋は熱田と懇意にしており、これを取り込めば、度会様の力も何倍になります」
「巧くゆくのか?」
「湊の倉庫に火を放ちます。出火元の中津屋を詮議して頂ければ、あとはこちらで巧くやります。それと国司家の北畠様にはよろしくお伝え下さい」
「そちらは任せろ」
数日後、大湊から北に離れた所にある倉庫から出火して中津屋をはじめ、多くの商人の蔵が燃えた。
中津屋は出火の責任を問われ、『山田三方』の寄合衆に中津屋は多額の賠償金の支払いを命じられた。
さらに大湊を出て行くか、どこかの傘下に入ることを迫らせた。
魯坊丸はそれを聞いて笑った。
「ははは、織田家に喧嘩を売るか?」
「若様、小木曽屋は多くの伊賀者を抱えております」
「伊賀屋もその傘下だったか?」
「
伊勢の外宮を守る伊賀者はそれなりの者を配置している。
中津屋を襲ったのは伊賀屋の配下ではなかった。
いくつかの組があるらしい。
中津屋の倉庫を守っていた織田の二人が呆気なく敗れた。
魯坊丸はどこであろうと喧嘩を買うと言う。
1つ間違えれば、伊勢外宮と全面戦争になってしまう。
「構わん。織田家に逆らうことがどういう事が教えておこう」
「大殿に相談されないのでよろしいのでしょうか?」
「父上(信秀)に相談すれば、何もできないぞ。こんなものは先に終わらせた方が勝ちだ」
「(岩室)宗順様に連絡のみ入れておきます」
魯坊丸は三郎左衛門を呼んだ。
小木曽屋を調べるような振りをして、外宮を守る伊賀者を「俺達に関わるな」と忠告を流すように言い付けておく。
闇に身を隠しながら長野家に近い廃城を拠点とする。
全面対決を避けるように装って、圧倒的な力の差を見せつけて来いと命じた。
魯坊丸の無茶ぶりに三郎左衛門らが心から喜んだ。
「加藤、伊勢の伊賀者を懲らしめて来い。可能な限り殺すな。できれば、指揮官を生け捕りにしろ」
「ははは、無茶を申しますな」
「出来ぬか?」
「いいえ、面白そうでございます。皆の腕試しに丁度良いと思います」
「そうか、頼む」
三郎左衛門ら50人が海を渡って伊勢で暴れた。
どこが攻めて来たのか?
伊賀者を扱っている伊勢外宮の権禰宜である度会与三郎、北畠家の被官である
まさか、小木曽屋若旦那の十郎左衛門と織田家が争っているなど知る由もなく、志摩・熊野を取り仕切る熊野水軍や国人領主長野氏の関与を疑っていた。
「三郎左衛門様、どうやらこちらの狙いが小木曽屋と知れたみたいです」
「そうか、これだけ派手に動けば知れて当然だ」
「かなりの強者が小木曽屋に張っているそうです」
「ははは、頃合いだ。われらの身はすでに魯坊丸様に捧げた。我が心は空なり、何も恐れることはない。決戦だ」
うおぉぉぉぉ、三郎左衛門に付き従った50人の忍びが立ち上がって怒号を上げた。
草木も眠る、うしみつ時に選抜された独立愚連隊20人と守備を任された伊賀者50人が激突する。
戦いが始まると小木曽屋の奉公人や女中から悲鳴が上がる。
独立愚連隊20人は通りすがりの盗賊団だ。
殺さないように気を付けているが、相手の伊賀忍も中々の手練れが多い。
ツイツイやり過ぎてどばっと血が吹き飛ぶ。
但し、小木曽屋の犠牲者は若旦那の十郎左衛門に従った者のみだ。
盗賊団は一夜にして消えた。
主人の小木曽次郎左衛門の部屋に『
次郎左衛門は正気を失った。
若旦那の十郎左衛門は不利と見ると大番頭と共に小舟で逃げ出していた。
真夜中に舟で漕ぎ出せば、どこに向かっているかまったく判らない。
灯篭の灯を頼りに移動する。
「ここらでよろしいでしょう」
「何がここらだ。早く岸に付けろ」
「若旦那様が向かう岸は伊勢の岸ではございません」
「大番頭?」
「三途の川の向こうでございます」
「お前、大番頭ではないな?」
「大番頭なら昨日の内に向かわれております。いや、忠義者でしたら、若旦那をお待ちしているかもしれません」
「誰だ?」
「変装が得意な忍びでございます」
そう言うと脇差を十郎左衛門の腹に刺して海に落とした。
それから大番頭は十郎左衛門を守れなかったと言って店に戻った。
小木曽屋はもう滅茶苦茶だ。
主人の次郎左衛門には薬を盛って意識もない廃人になって貰った。
因果応報。
自分らがやって来たことを最後にまとめてやられて満足だろう。
そこからが小木曽屋の乗っ取りだ。
主人は正気を失い、寝たきりになった。
主人には妾の子がおり、若狭小浜の小野屋に預けられていたと言う。
その子は商才を発揮して、遂に小野屋の婿養子になったと言う。
「このお子様に帰って頂くのが一番だ」
大番頭が言った。
中番頭、小番頭の皆が揃っていなくなったので、大番頭に逆らう者はいない。
若狭小浜に使いを出して、小野屋六兵衛が小浜から大湊に帰ってきた。
名も小木曽に戻した。
六兵衛は小浜から連れて来た手代達を配置して、小木曽屋の立て直しを開始した。
一月もすると大番頭は隠居を申し出て店を出ていった。
六兵衛には多くの子供がおり、大湊と主だった有力者の入り婿し送り、あるいは嫁を出して大湊を掌握している。
大店の伊勢屋にも婿養子を入れた。
その若旦那が伊勢屋を掌握するのはもう少し先になる。
六兵衛は織田信秀並の子供の多さに大湊の商人らも呆れている。
だが、それを証明する為に多くの妾を抱えており、六兵衛も苦労が絶えない。
その婚姻は伊勢内宮、外宮、北畠の有力家臣に根を広げている。
「皆、実子でもないのだがな」
「よろしいではないですか。皆、魯坊丸様の忠実な家来でございます」
「助かっている。皆に礼を言っておいてくれ」
六兵衛が「はぁ」と言って頭を下げた。
「でも、実子も8人目ですって?」
「いいえ、10日前に9人目が生まれました」
「頑張り過ぎです。一人身で真面目だった六兵衛はどこに行ったのですか?」
「役儀を思えば、いくらでも頑張れます」
千代女の傅役で妻を早くに亡くした六兵衛は一人身であった。
千代女を実の娘のように可愛がってくれた。
真面目一辺倒の男が正妻を迎えずに妾を8人も抱えている。
千代女が複雑そうな顔をする。
千代女の信頼が一気に失い欠けていっていた。
「
「
「それはよかった。まだまだ助けて貰わねばならぬ」
「義兄は魯坊丸様に逆らう気などございません」
「そうか、それは助かる」
小木曽屋を襲撃していた日、三郎左衛門と六兵衛、それに残る30人は伊勢伊賀衆の拠点の1つを襲っていた。
こちらが本命だ。
圧倒的な少数。
それでいながら、ほとんど無血開城で落とした。
三郎左衛門らは個人技で無類の強さを誇るが連携に難があった。
そこに六兵衛の手腕が生かされた。
「いいえ、わたしなど、大したことはしておりません」
「謙遜するな」
「すべて若様の指示通りに行っただけです」
「あの者らを指示通りに動かすのが大変なのではないか」
三郎左衛門は『名もなく、地位無く、姿無し。一条を照らす光となる』と言う台詞に酔ってしまった。
独立愚連隊のみんなは完全に中二病だよ。
「私にも決め台詞を!」
全員の決め台詞を考えるのも疲れたよ。
もう半分は投げやりだ。
そして、「無血開城はカッコいい」を合言葉に成功させてしまった。
怪我人は続出だった。
ノリノリの皆は無血で制圧して、首領を生け捕りにして伊賀国名賀郡喰代で百地正永と対面した。
ここで初めて、伊勢伊賀衆が織田家と対峙していた事を知る。
「返答はどちらでもよい。伊勢伊賀衆の服従か、全滅か、どちらを選ぶ?」
「三郎左衛門殿、それは余りにも性急でしょう」
「馬鹿者。魯坊丸様の温情がいつまでも続くと思われては困る。我が殿に長々と心労を煩わせる訳にいかん」
「伊賀を敵に回すつもりか?」
「ははは、それも面白い」
三郎左衛門の笑い声に百地正永が怖い目を向けた。
「勘違いしては困る。伊賀を滅ぼすのではないぞ」
「では、どういう意味か?」
「伊賀がこれほど豊かになっているのは魯坊様の御心があってのことだ。伊賀でも魯坊丸様を信仰する者が増えているハズだ。俺が排除するのは、魯坊丸様に敵対する者だけだ」
「そういう意味か」
百地正永も得心した。
伊賀の中でも百地家の忍びは織田家に雇われた者が多く、名賀郡喰代では半数の民が尾張に移住したようになっていた。
そして、送られてくる銭、農具、小物、お菓子などから織田贔屓が多くなっていた。
その織田様を怒らせたと知られれば、大変なことになる。
「それでは伊勢伊賀衆の服従でよろしいな」
「承知した」
「戦にならないで助かった」
「六兵衛様は温厚で助かる」
百地正永は六兵衛と一緒に伊勢に戻り、伊勢外宮の権禰宜の度会与三郎、伊勢国司北畠家の被官である楠木六郎兵衛、度会郡山田の岩淵方商人であり、もう1つの伊賀衆と束ねる伊賀屋源七に織田家と争い、和議に至ったことを説明した。
和議と言っても百地の伊勢伊賀衆が一方的に負けた事は周知の事実だ。
また、六兵衛は顔を隠していたので知れることはない。
これで中津屋が織田家の息が掛かっていることが明らかになり、若狭小浜から帰って来た妾の息子の小木曽六兵衛が中津屋に詫びを入れて和議がなった。
小木曽屋は中津屋の後ろ盾となって大湊を導いてゆく。
小木曽屋が織田家に乗っ取られている事を知るのは百地正永のみであり、百地正永は妹を六兵衛の妾に送って義兄弟の契りを交わした。
「話は変わるが、伊賀の民はそれほど多いのか?」
「どういう意味でしょうか?」
「こちらでも忍びを育成しているが、足りない人員は伊賀や甲賀を頼っている。だが、その人材が尽きてもう無理だという声が聞こえてこない。その意味がよく判らん」
魯坊丸は足りない忍びを伊賀や甲賀に依存していたが、湯水の如く送られてくる人員の数に首を捻っていた。
まさか、村を捨てて来ているとも考えられないからだ。
「その懸念は無用でございます。2年前から村の民の枯渇が始まっており、足りない民を畿内の子供や浮浪者を呼び込むことで補っております」
「畿内から集めておったのか?」
「はい、そうです。畑は使用人に耕させ、開拓も進んでいる。伊賀では畿内より子供を仕入れて下忍に育てて尾張に売るのが最大の商売になっております」
「確かに読み書きができ、間者働きもできる者は重宝だ」
「甲賀も伊賀を見習っているようです」
「そろばんもできるようにと要望を出しておいてくれ」
「畏まりました」
甲賀と伊賀の人員が枯渇しないのには理由があった。
まるで人材派遣業だ。
忍びを売った銭で使用人を増やし、開拓を進め、より豊かな伊賀の村を作っていた。
織田家から仕入れた農機具のお蔭だ。
いずれにしろ、甲賀と伊賀は経済的に切っても切れないほど深く結び付き、一連托生の関係を築きつつあると言う。
そう言われて、魯坊丸はちょっとほっとした。
伊賀が離反しないのはありがたい。
今後の打ち合わせを終えた六兵衛が部屋を出てゆく。
「六兵衛、伊勢を頼む」
「お任せ下さい」
六兵衛が深々と頭を下げて出ていった。
伊勢の膝元では魯坊丸の根が張っていることをまだ伊勢の武将達は知らない。
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