第23話 職人大国、日の本よ。万歳(3)

話も尽きたか?

そう思ったのだが、大湊の商人である小木曽こいそ-六兵衛ろくべいの挙動がおかしい。

何か言いたいが、言い出し難いという顔だ。

まったく何だ、今年は厄年か?


「六兵衛、言いたいことがあるならば言ってしまえ」

「誠に勿体ないお言葉でございます」


そう言ってから指図すると、今度は真新しい布を出してきた。

これは『伊勢布いせふ』か?

伊勢布は伊勢の木綿のことであり、柔らかい手触りが特徴の布だ。

織田布団の布地に使っている。

残念ながら織田で造る木綿ではこの肌触りを再現できない。

中の綿は織田の物を使っているが、布地は『伊勢布いせふ』を採用していた。


「見事だ。ここまで来たか?」

「これは伊勢布ではございません」

「どこの布だ?」

「駿河の布でございます」


今川義元が何やら織田家の特産物を真似て作らせているらしい。

簡単なモノはすでも真似られているが、簡単に模造できる物では他国も同じなので外貨を得るには繋がらない。

これは想定内なので焦ることもない。


六兵衛の話によると、今川家の商人頭を務める友野-宗善ともの-そうぜんは『友野座』と呼ばれる木綿の独占販売が認められている。

六兵衛は駿河で布団が納められたと聞いて友野屋の布を取り寄せた。


「これは拙いな」

「織田布団より駿河布団の方が良い出来になると思われます」

「偽物に凌駕されるのは面白くない」

「どうすれば良いか、特に良案もなく、お尋ねに参りました」


六兵衛の本命はこちららしい。

常陸の国で酒が造られているからと言って伊勢が困る訳ではない。

この『伊勢布』で大儲けを企む伊勢商人にとって駿河の木綿は無視できない。

六兵衛も布を織る職人を育てている最中である。

一朝一夕で技術力が跳ね上がる訳じゃない。

綿の生産拠点を造らないと安定した供給ができない…………あっ、そういうことか。


三河に綿の栽培を教えたのは今川だ。

なぜ、三河で綿の栽培がはじまったのか不思議に思っていたが、これで納得できる。

駿河の生産拠点として三河で栽培させていた。

友野座は駿河で栽培する量で足りないほどの布の生産力を持っている。

つまり、相当数の職人がいる。

東国の京と呼ばれ、公家も多くいるので目も肥えている。

盲点だった。

織田布団より質がよく、生産力も向こうの方が上とは厄介を通り越して手が付けられない。


「なぁ、魯坊丸。全部、焼き払うのはどうだ?」

「悪くない案ですね」

「だろ!」

「しかし、同じことをされるとこちらも困るので止めておきましょう」


慶次が物騒なことを言ったので商人が肝を冷やした。

この発想は武将なら普通だ。

ただ、そんなことをされた日には今川家を滅ぼす為に戦争も辞さない。

それくらいの気迫で外交をする必要が出てくる。

そして、国なんて奪っても旨みが少ない。

俺は銭もないのに国を奪う脳筋の戦国武将になりたくない。

赤字経営で再建に翻弄される人生なんてごめんだ。


「六兵衛、友野宗善に連絡を入れて、駿河の布をすべて伊勢で買い上げろ」

「伊勢がすべて買い上げるのでございますか?」

「織田家が直接買ったのでは向こうも困るであろう」

「確かにそうでございます」

「買い取り価格は仕入れ値と同じなのが条件だ」

「差額は伊勢で貰っても構わないのですか?」

「当然だろ」

「ありがとうございます」


伊勢布の仕入れ値は高い。

育成を兼ねているので高目に設定している。

輸送費分が赤字になるが、布なら一度に大量に輸送できるので採算に乗るだろう。

織田家は直接に買いに行くつもりはない。

通商条約は結んだが、まだ停戦中だ。

向こうを刺激しない為に織田の船も伊勢の旗を張っている。

寄港しても取引しない船は織田の船であり、取引するのが伊勢の船だ。

北条に向かうのに今川領に寄港しない訳にいかない。

今川を飛ばして北条と取引をするには遠洋航海できる外航船が必要になる。

それが中々に難しい。

試作船が成功するといいね。


「友野宗善に言っておけ、他国に布団を売れば、それは織田家に喧嘩を売ったと思えと」

「宗善は肝を冷やすでしょうな」

「千代、北条を始め、近隣の諸国に通達を出しておけ。今川から布団を買った家は織田家と敵対する意志ありと見なす」

「布団でそれをなさいますか?」

「俺は冗談で言っているのはない。丁度よい見せしめと思っている。駿河の布団を買った家は10年後に家が無くなっている。そういう恐怖を与えるのもよいであろう」

「今川が納得しますか?」

「させる必要もない。俺が納得して貰うのは今川以外の家だ」


今川家が売るのを邪魔するつもりはない。

ただ、窓口を伊勢に限る。

だから、今川家から直接に買った家は容赦しないと脅しておく。

これは完全に脅迫だ。


「駿河の商人らを取り込む」


条約破棄と取られても仕方ないギリギリのラインだ。

だが、抜け道も残してある。

駿河の物をすべて伊勢が買い取り、伊勢商人が売る。

友野座に回避する道を残している。

高値で売れる商品を安値で売る悔しさは残るだろうが十分に儲かるハズだ。


「若様、それでは今川家の財力を削ぐのに支障がでるのではありませんか?」

「仕方あるまい。今川家が織田家に従順であるならば、存続を認めるしかない」

「よろしいので?」

「ふふふ、あの義元が大人しく従ってくれるか?」


領地拡大で勢力が伸ばせなくなったと知ると、今度は経済力で勢力を伸ばしに来た。

織田家を模倣して越えるつもりだ。

どんなに嫌っていても織田家の船に乗らないと助からないと思うならば、義元は躊躇することなく乗ってくる。

だから、はっきりと判る。

義元は耐えているだけで、逆撃の一撃を狙っている。


「復讐を果たすために、今は苦労に耐えると言うことですか」

「死んだ振りをしている」

「だから、その話に応じるのですね?」

「おそらくな。こちらが油断するのを待っているのだろう」


もしかすると、義元の敵は織田家ではなく、武田家に変わっているかもしれない。

川中島に躓いている武田家を背後から襲う時期を待っているかもしれない。

もちろん、義元だけが悪い訳ではない。

武田家の晴信も俺と婚姻して、今川包囲網を作ろうと裏で画策している。


俺に押し付けた真理姫まりひめとの連絡網を絶たれて、巧く行っていないので、再び『川中島の戦い』に戻っている。

信濃統一を狙いながら長尾景虎の本気度を確かめているのだろう。

晴信は強かだ。

そして、義元も抜け目ない。

もし、晴信が死ぬような事があれば、武田家の嫡男である義信よしのぶを助けるという名目で義元は甲斐を攻めるかもしれない。

狐と狸の化かし合いだ。

義元も晴信も胡散臭くって仲良くしたくない。

だが、今川家と武田家には金山があり、財力がすぐに枯渇することはない。

ゆっくり削って行こう。


「六兵衛、友野座の件は任せた」

「承知致しました」

「5年以内に追い付けるように職人に発破はっぱをかけておけ、今川とはいつ切れるか判らんからな」

「努力致します」


これで話も終わりらしい。

天王寺屋に手形を書いて貰い、博多で売れた酒の現金が手に入った。

酒蔵を増設するつもりだった予算が少し浮いた。

やっほぉ!

これで少し余裕が出てきたぞ。


「魯坊丸様、お借り頂いています300石船をこのままお貸し頂けませんでしょうか?」

「今回は特別だった」


買い占めた米がまだ残っている。

倉庫代も馬鹿にならん。

毛利家が動き、尼子が美作東部から引き返した。

戦は佳境に入っている。

ここで売り切らないと米が残ってしまう。

そう思って船を貸し出したが間に合わないようだ。


「織田の300石船は普通の100石船より小回りの利く良い船だと村上水軍の者も褒めておりました」

「褒めても駄目だ」

「何とか購入を検討できませんか?」


天王寺屋が食い下がった。

駄目なモノは駄目だ。

すでに他の買い手が決まっている。

しばらくは堺に回す余裕はない。

そこで大喜爺ぃが口を開いた。


「どうでしょうか? 酒蔵を造る銭が余っております。以前、加藤様が新しい造船所を造りたいと懇願しておりましたが、そのときは余裕がございませんでした」

「何がいいたい」

「足りない分はそちらの方にお願いすれば、目途が立つと思います」


熱田と津島の商人らがそちらに投資を回したならば足りないのは少しだろう。

天王寺屋と魚屋なら出せる額だ。


「残念だが、造船所を造る大工も、船を造る船大工も足りない。銭があるだけでは何ともならない」

「その手配は私が致しましょう」

「天王寺屋、どこから手配するつもりだ」

「魯坊丸様ならば、ご存知と思います」

「本願寺か?」


天王寺屋が頷いた。

天王寺屋は本願寺の門徒と仲がいい。


「織田の御用商人を願い出たのは貴様だ。今更、本願寺に戻ることは許さんぞ」

「そのつもりは毛頭ございません」

「信徒の職人を入れるつもりもない。織田の造船技術は門外不出だ。尾張に来た限りは、尾張から出すつもりはない」

「職人らは信徒ではございますが便宜上に過ぎません。一生、尾張の職人として終わる者しか連れて来ぬ所存でございます」

「判った。もし揃うならば、造船所を造り、そこで出来た船は優先的に堺に売ろう」

「ありがとうございます」


天王寺屋が満面の笑みを零した。

堺の衆から突き上げられて来たのであろうか?

今日はヤラレっぱなしだ。

だが、そのままいい気分で帰すつもりはない。


「天王寺屋、松永久秀に伝言を頼む」

「何でしょうか?」

「お市の上洛で三好の鎧代金のお礼も貰っていない。公方様を招いた宴の返礼と合わせて、いずれ頂きに参りますと申し伝えておいてくれ」

「私ですか? 魚屋ではなく?」

「魚屋は中立だ。双方に武器も兵糧も売る。魚屋ではただの伝言になってしまうであろう。織田家の御用商人でなければ、できない仕事だ」


天王寺屋が渋い顔をした。

織田家の名代として行って来いと頼んだ。

つまり、三好は次にどこを攻めるつもりか?

それくらいは利子だ。

天王寺屋に利子を回収して来いと言う意味だ。

織田家の酒の市場を荒らすのだ。

いずれは織田家と一戦するつもりなのか?

最終的にどこを見定めているのか?

その本音を聞き出して貰いたい。


まぁ、できるかどうかは判らない。

どこまで懐に入れるのかも天王寺屋の才覚に掛かっている。

松永久秀と会って冷や汗を流して来い。

意趣返しいしゅがえしだ。


折角、酒蔵を中止して予算が少し戻ってきたと思ったのにさ。

天王寺屋が余計なことを言ったから、造船所に投資する羽目になった。

他の商品を売った代金は博多で仕入れた商品に変わっている。

それを売っても決算日まで現金は手に入らない。

まだ、かなり先だ。

今回、俺が手に入れたのは博多で売った酒の現金(手形)のみだ。

懐が寂しいよ。

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