第22話 職人大国、日の本よ。万歳(2)

天王寺屋てんのうじやの話が終わった。

次に魚屋ととやが話すようだ。

まさか、同じ内容と言うこともないだろう。


興福寺こうふくじが降伏致しました」

「承知している」

松永-久秀まつなが-ひさひで様は大仏だいぶつを燃やす。容赦なく燃やすと何度も脅し、興福寺も観念致しました」

「そのようだな」


久秀も一万人しか兵を持って行っておらず、全面対決を避けていた。

興福寺が三好家の傘下に入ることが条件であり、領地は安堵、権益も残す。

すべてを興福寺に残すと言うかなり甘い条件だ。

それ所か、大和で興福寺の傘下に入っていない者も興福寺の傘下に置くという好条件を提示した。


一方、興福寺の頼りであった筒井家などを徹底的に叩いた。

三好-長慶みよし-ながよしの命に従わなかった懲罰である。

しかし、三好-長逸みよし-ながやすに従ったのに踏んだり蹴ったりだな。

先の戦いで大きな被害を出し、筒井家などに三好家と戦える余力がなかった。

4歳の当主である筒井-順慶つつい-じゅんけいを抱いて、筒井家は遁走とんそうした。


盾を失った興福寺は降伏した。

三好家は財政的に苦しい。

興福寺が寺院じいん仏舎ぶっしゃを失っても徹底抗戦すれば、三好家に勝ち目はなかった。

もちろん、興福寺の損害も計り知れない。

降伏の条件が微妙に緩いこともあり、興福寺もそれには耐えられなかったのだろう。


「松永久秀様は興福寺にあった。財と言う財をすべて巻き上げました」

「なるほど、利権を残す代わりに現物を押収したのか」

「その通りです。それで三好家が借りていた借財がすべて返還されました」


興福寺はどれだけの財を貯め込んでいたのだ?

久秀に騙されたな。

久秀はそのまま南大和の制圧に動いている。

だが、そんな報告ならば、手紙で十分だ。


「興福寺は失った財の穴を埋める為に大量の桶を造らせております」

「桶か?」

「はい、酒蔵の桶でございます」

「どれほどの規模だ」

「今までの10倍以上」

「どこから米を仕入れるつもりだ」

「おそらく、今年取れる領地にあるすべての米をかき集めるつもりと思われます」


でました。

領民には一粒の米を与えず、稗や粟を食わして、飢えることも厭わずに営利に走る植民地経営だ。

仏教徒が率先してやるから世も末だ。

三好家に降った大和の民が可哀そうだよ。

搾取するのは興福寺。

それをさせているのは三好家。

大和の民はどちらを恨むのだろうか?


「しかも堺より買っていた桶買いの量も増やして欲しい。さらに仕入れの値下げも要求して来ました」

「織田家としては聞けない。堺の方で決めよ」

「三好家の傘下に入った興福寺への報復として、本願寺を優遇すると言う手もございます」

「争乱の種をこちらから落とすつもりはない」


魚屋がやれやれと言う顔をする。

興福寺に報復をすれば、三好家が織田家の商品の不買を命じるかもしれない。

そうなれば全面戦争だ。

喜ぶのは公方様だけだよ。


「本当に、それでよろしいので?」


魚屋ととやが武将のようなデカい体を揺らした。

目をギラギラさせている。

謀略とか、計略が好きそうだよね。

一介の茶人ちゃじんですと言っても俺は信じないぞ。


「興福寺で造られた酒は京に持ち込まれ、酒代の暴落を招きます。当然、比叡山や日蓮宗の坊主が騒ぎ出します。また、摂津の本願寺ともイザコザを起こすでしょう」

「だろうな。織田家は関与しない。堺の衆には可能な限り巧く動いてくれ」


前も言ったかもしれないが、澄み酒は織田の専売特許ではなかった。

興福寺も甘い黄金色の澄み酒が造れる。

京の町では特級酒の扱いだ。


織田の酒は甘味の少ない透明な澄み酒である。

京の評価は一級酒になる。

だがしかし、特級酒の量が少なく貴重だった。

その分、織田の酒が売れてくれた。


そこに黄金色の超辛口になる三年所蔵の焼酎が入ってくる。

少量だが、同じく黄金の火酒も加わる。

値が暴落しないように気を使って、すべての宗派に同じ割合で渡す計画になっていた。

その予定調和を興福寺自ら壊してくる。

確かにこれを使って色々と策謀を巡らせそうだが、そんな面倒なことはしない。

お断りだ。


「焼酎と火酒の畿内での販売を抑えることはできるか?」

「四国と中国を優先的に売れば可能です」

「では、そのように頼む」

「畏まりました」


のぉ~~~~、酒の販売計画が滅茶苦茶だ。

俺は心の中で叫び声を上げる。

久秀、自分が火を撒いているのに気づいているのか?

否、気づいているよな。

自分で火を付けて、自分で消すつもりだ。

そうすることで半分の勢力を味方にできる。

綱渡りの政治手腕だ。


「魯坊丸様、申し訳ないのですが、まだ報告することがございます」


まだ、あるのか?

そう言えば、大湊の商人である小木曽こいそ-六兵衛ろくべいが同行して来た理由がまだだったな。

う~ん、悪い予感しかしないぞ。

六兵衛の指示で瓢箪ひょうたんが運ばれてきた。

下女が蓋を開けて、小皿に液体を注ぐ。

匂いからして酒だ。

先程の焼酎と同じで毒見は済ませてある。

俺はそれを口に注ぐ。

先程の焼酎より、俺はさらに苦虫を噛み潰したような顔になった。

不味いのではない、拙いのだ。

味わってからぺっと吐き出した。


「慶次、呑んでみろ」

「待っていました」


大きな枡に注ぐと瓢箪の酒が底を付く。

それを一気にぐいぐいと慶次は美味そうに呑み干した。


「美味い」

「やはり、そう思うか?」

「織田のどの酒より美味い」


酒の味は判らないが、俺もそんな気がした。

これは六兵衛が持って来た酒だ。

織田の酒である訳がない。

どこだ?


常陸国ひたちのくにでございます」

「佐竹か?」

佐竹-義昭さたけ-よしあきは先頃出回ってきた澄み酒に目を付け、秘蔵であった蔵元からすべての蔵元に秘伝を授け、大量に澄み酒を造らせているとのことです」

「どれほど出回っておるのか?」

「まだ、少量でございますが、常陸の蔵元のすべてが澄み酒を造れるようになるのは、そう遠くございません」


嘘だろう。

真似られるのは覚悟していたが、すでにあったと言うのか?

嘘だと言ってくれ。

どうやら織田の澄み酒に触発されて、秘蔵する意味がなくなったようだ。

だが、これはそれだけで収まらない。

すべての蔵を管理することなど不可能だ。

つまり、漏えいする。

常陸の技法は関東、奥州に広がってゆく。

そう遠くない日、全国で清酒が造られることになる。

独占できたのは、たったの四年。

日ノ本の職人が優秀過ぎるぞ。


はぁ~、また溜息が出る。

溜息を付くほど「幸せが逃げる」と言うが、もう逃げているよ。

生産計画を変えないと大変なことになるぞ。


「千代、今期の酒造所の増設はどうなっている」

「すでに2割が完成しております」

「ならば、残りの8割から今期は手を引く」


今度は熱田と津島の商人が慌てた。

投資の半分は俺が出している。

最大の投資人が降りると言えば、慌てるのも当然だ。


「魯坊丸様、どうされるつもりですか?」

「これ以上、増産すると酒の暴落が早まるぞ」

「すでに準備がすべて終わっております」

「あぁ、だから5年掛けて、すべてを建てる。計画を延長する」

「延長するだけですか?」

「そうだ」

「まだまだ売れると言うことですか?」

「売れるさ。だが、それは遠い他国ではなく、尾張を中心として近隣諸国だ。庶民が豊かになれば、今以上に売れるようになる。減らす意味はない。だが、急いで増やすのは悪手になる」


適正価格に下がることは敢えて言わない。

量が増えるのは嘘ではない。

元々、1升を10文で売っても儲かる商品だ。

忍者などで警護しているから40文は貰わないと採算が合わないが、秘匿性がなくなれば、忍者の数を減らすことができる。

つまり、原価が下がる。


今の彼らに生産と需要のバランスなんて説明しても判らないだろう。

だが、商人ならば感性で気づくハズだ。

現に那古野などの需要は増え続けている。

他国に売る分が追い付かない状態だった。


「千代、北条に打診しろ。佐竹だけに美味い酒を独占させるのは癪だ。織田家と組んで蔵元で清酒を造る気はあるかと?」

「畏まりました」

「さて、天王寺屋、魚屋、堺の衆も一口乗るか?」


二人とも喜んで頭を下げてくれた。

堺の衆を説得して、駄目なら自分らだけでも参加してくれるらしい。

長尾家も酒好きと聞くので使者を送るか?

さて、後はどこだ?

どこまで守秘義務を守ってくれるのは怪しいが、織田家が公開せねば、常陸に行って手に入れてくるに違いない。

ならば、手綱がある方がいいに決まっている。

それに減らした忍者の再就職先も必要だ。

しかし、大損だ。

短い酒の三日天下だったな。

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