第17話 魯坊丸、お休みを貰える。

(天文22年 (1553年)6月18日、夕刻)

やっと帰って来た。

よく寝たのでかなりすっきりした気分だが、起きると15日の評定が終わっている。

ちょっとした浦島気分だ。

城に戻ると3人の婚約者から質問責めに合って大変だった。


「わらわも末森に戻ると、今度は城から出して貰えなくなって大変だったのじゃ」

「お市様の場合はお止めする前に部屋に戻られようとするからです」

「魯兄じゃがわらわの部屋を使っていると言うならば、見舞いに行くのは当然なのじゃ」


末森の裏手で壮大な鬼ごっこがはじまったらしい。

お市を殺してもいいならば手間は掛からないが、かすり傷一つ付けられないので城を舞台に壮大な鬼ごっこになった。


千雨ちさめまで裏切りおったのじゃぞ」

「お許し下さい。番長の命を無視する訳にいきません。私が処分されます」

「まったく、飼い犬に手を噛まれるとは思ってなかったのじゃ」

「噛んでいません。私ではお市様を捕まえることができなかったではないですか?」

「当然じゃ」


お市付きの下女(下忍)は末森の忍び衆の番長の配下だ。

新たに配置されたあんず木通あけびくりの3人は末森の配下でないので協力しなかったらしいが、お市を助けることもしなかった。


「中々に楽しいものが見られました」

「お市様は凄かったです」

「私ならすぐに捕まるです」

「お主らも裏切り者じゃ」


三人はお市が助けを求めても無視したので恨んでいる。

最初は楽しんでいたお市も最後は涙目で必死に逃げていたと必死に俺に訴える。


「泣いているのは末森の忍び衆だと思われます」

「千代、それは何故だ?」

「下忍ばかりですが、裏手に6人も配置しておきながら突破されたのです。全員を鍛え直すとかなり怒っておりました」


お市は自分の部屋にいた千代女を見つけて助けを求めたらしい。

厳戒令を引いて、土田御前以外の奥の者を中根南城に避難させている最中にお市が飛び込んで来たので千代女も驚いたらしい。

末森は親衛隊のような若手の侍と常備兵らが中心に信勝兄ぃを擁護し、役方(内政)を回している侍は俺を擁護して険悪な雰囲気になった。


「信勝兄ぃも末森の侍から愛されているのだな」

「勝兄じゃは皆と一緒に調練をしているから仲良しなのじゃ」

「そうなのか」

「皆、楽しそうに稽古をしているのでわらわも混ぜてくれと頼んだのじゃが、女子おなごは要らんと追い返されたのじゃ。わらわの方が強いのじゃ」


そう自信満々そうに胸を張るお市に言葉を失う。

確認の為にお市に付けた中忍の杏の方を見ると、彼女が頷いている。

マジですか。


「恐れ多いことながら、京で公方様のお相手するようになり、メキメキと力を付けられております」


おい、原因はあいつか。

確かに風呂に入りに来て飯を食った後に腹ごなしにお市と遊んでくれていた。

俺の知らぬ間に剣の相手もしていたらしい。

お市は手も足もでなかった。

当たり前だ。

あれは人じゃない。

鬼退治の桃太郎ですよ。


「いつか、公方様にも勝ってみせるのじゃ」


おい、お市。

あれを目標にすると、いつか人間じゃなくなるぞ。

俺はそっと心の中で呟いた。


「魯坊丸様、お帰りなさいませ」


父上(故信秀)の側室方も出迎えてくれる。

一時避難で入って貰ったのだが居心地がいいので、このまま荷物を運びたいと言われた。


「お好きにして下さい」


元々、下忍用の宿舎だ。

部屋の数こそ多いが一部屋、一部屋が小さいハズである。

そんなに気にいる場所だったか?

あそこで自慢できるのは風呂だけだぞ?

俺の趣味で7つ風呂を作った。

まだ、準備もしていないので粗末な場所だったと思うのだが…………。


「壁などが粗末なのは調度品で誤魔化します」

「そうでございますか」

「それより、他のお化粧品はございませんか?」


えぇ、側室方の目が怖い。

試験品のブラシや健康器具、精油エッセンシャルオイル芳香ほうこう、口紅を見つけて悔しがったそうだ。

特に乳液だ。

これを付けて一晩寝るとお肌がぷりぷりしていたのだそうだ。


「このような素晴らしい物を下賤の者が先に使っているのですか?」


ですから試験中ですよ。

匂いを付けるとか、配合のバランスとか、確かめることが沢山ある。

それで実害がなければ売り出します。


「あの薔薇ばら風呂は何なのですか?」


万葉の時代からある花だよね。

唐土から渡来し、漢語で『薔薇』をうばら、いばら、あるいは、うらま、そうび、しょうび、さうびと呼ばれていた。

香りが鮮やかで帰蝶義姉上も好きな花の1つだ。

乾燥させて匂い袋に入れる奴だ。

その花びらを油に付けて薔薇油を作っている。

残った薔薇の花びらを乾燥させて、風呂に入れるとあら不思議、薔薇風呂が完成する。

まだ薔薇の増産が追い付かないので商品化できていない。

数が少ないのだ。

下忍達が気を利かせて最高級品でモテナシをしたようだった。


「とにかく、その試験とやらは妾たちが行います。よろしいですね」

「ご自由にどうぞ」


許可すると抱き合って喜んでいる。

もう好きにしてくれ。

側室方の目がちょっと怖いよ。


三十郎兄ぃを筆頭に俺の兄弟が遊びに来るので、九郎兄ぃ、喜蔵、彦七郎、喜六郎、半左衛門、源五郎、又十郎、お市、お栄の部屋ははじめから本丸の屋敷に用意されているので問題ない。

部屋は広くないぞ。

そして、お付きの者の部屋など三畳しかない。

引っ越すとなるとお付きの部屋が問題だ。


「妾たちは三畳で十分でございます」


そう言ってくれたのでしばらく棚上げにしよう。


まだ、来たことがなかった稚児と幼児のお幸、お犬、お乃、お奥、お徳、お色の部屋はないので、側室方と一緒に部屋を用意したらしい。


おぉ、俺の兄弟姉妹はたくさんいるのだ。


 ◇◇◇


賑やかな食事を終えて部屋に戻った。

山積みになった手紙と書状を見てぐったりとする。

やっぱりやるの?

俺がそこに座ると、使いの者が廊下の下にやって来た。


「若様、おめでとうございます。安祥城あんしょうじょうの奪取に成功致しました」


身に覚えのないことに思わず、千代女を見る。


「申し訳ございません。今から報告する予定でございました。若様と信勝様の不仲を打ち消す為に策をろうしました。その1つに安祥城の攻略があったのですが、まさか、これほど早く達成するとは思っておりませんでした」


えっ!?

たった23人、安祥城を3日で陥落させるとは神掛かっているな。

誰だよって、藤吉郎か。

然もありなん。


「墨俣の一夜城じゃないか」

「何ですか?」

「気にするな、独り言だ」


話を聞いて納得した。

俺と信勝兄ぃの争いが小芝居だったと言う案は悪くない。

確かに不仲説を否定できる。


「あとは、信勝兄ぃが納得するかどうかだな?」

「難しいかもしれません」

「だよな」


三河の調略は主要な城が攻略できずにくすぶっていた。

この功績が末森の武将だったら喜んだだろう。

だが、それをやったのは俺の家臣だ。


「いっその事、藤吉郎と正辰は信勝兄ぃの家臣としてしまうか?」


俺がそんなことを考えていると、信光叔父上がやって来た。


「がははは、やってくれたな」

「何のことですか?」

「安祥城のことだ。『織田信広が家臣木之下藤吉郎。わずか10人で安祥城を奪取』と触れ回っておるぞ」


先にヤラれた。

何でも末森麾下の領主に兵を出して貰うように頼んでおり、その必要がなくなったと触れ回っているらしい。


なるほど、末森麾下の領主に出兵をうながしておけば、三河に現れた兵を織田家の兵と勘違いする。

実際は旗だけしか持っていっていないが、三河の農民に旗を立てさせて虚兵を作り出したのか?

やるな。


「お前の指示ではなかったのか?」

「違います。信光叔父上は俺が倒れていたことは知っていたでしょう」

「それは承知しているが、お前のことだ。事前に策を授けていても不思議ではない」

「やりません」

「本当か?」

「100人程度の城に、そんな大掛かりな策は使いません。後々面倒でしょう」


信光叔父上が「そんなものか?」と首を傾げる。

俺と信光叔父上では感覚に違いがあるようだ。


「若様、策の一環で、若様には末森で臥せって頂くというものございましたが、不採用でしたか?」

「ちょっと待て、よく聞かせろ」


なんと。

安祥城が攻略されるまで、末森の一室でごろごろしていていいのか?

それは魅力的だ。

先に裏工作を行い。

兄上(信長)にも知らせておけば、完璧な策じゃないか。


「どうやら本当に知らなかったようだな」

「惜しいことをしました。どうして俺は倒れたのだ?」


本当に悔しい。

3日間もごろごろしていたのに実感がない。


「まぁ、それはよい。『尾張補完計画』は中止する」

「待って下さい。それではピザが」

「ピザよりお前に倒れられては困る。元の『5カ年計画』に戻す。評定前の登城も前日で良い、こちらで何とかする」

「まだ、無理でしょう」

「無理でもさせる。お前に倒れられるよりマシだ」


信光叔父上が困ったように頭を掻いている。

それにしても随分と優しいことを言う。


「何を企んでいるのです」

「お前に倒れられては困るのだ」

「そんなに困らないと思いますが?」

「那古野でも十分と思っておったが、もう少し欲張ってみたい」


俺が立案し、それを父上(故信秀)に代わって実行していたのは信光叔父上である。

土岐川(庄内川)の河川工事を実行し、那古野城を中心とした熱田、末森を含む巨大な城を造った。

その主になることが信光叔父上の野望だった。

言葉巧みに兄上(信長)を清洲に追いやって、ちゃっかり自分で貰っている。

後は信勝兄ぃを三河に追い出せば完璧だった。


だが、最近はちょっと行動に変化が出ていた。


「信勝兄ぃの婚儀を許しているのは、それに関連するのですか?」

「流石、魯坊丸。察しがいいな」

「筆頭家老の信光叔父上が反対すれば、どんなに信勝兄ぃが頑張っても成立しません」

「あの辺りの諸勢力と結ばせて、雁字搦がんじがらめにして置きたい。場合によっては遠江の国人衆とも結ばせる」

「何の為に?」

「ふふふ、駿河と遠江を貰いたい」


この親父、何を言い出するのだ?


「慌てるな。まだ10年くらい先の話だ」

「無茶でしょう」

「5年くらいを費やして、今川家を疲弊させるのであろう」

「まぁ、そうですけど」

「まずは斯波家の遠江半国を返して貰い。儂が入る。その後で実質的に今川家を傘下に収める」

「無茶ですよ」

「無茶ではない。儂、信実のぶざね、信長、信勝の四人で分けるには、尾張の国は小さ過ぎる。信勝を三河に入れ、信実に伊勢を取らせ、儂が駿河と遠江に入る。織田家で東海を支配する。その位はできそうではないか」

「その為に使えそうな駒と婚姻させて、今川にぶつけて疲弊させるつもりですか?」

「お前は経済的に今川を疲弊させればよい、儂は今川の家臣団の心を疲弊させる」

「今川と争わせる為に信勝兄ぃを使うのですか?」

「今川と対立する家も従う家もドンドンと婚姻させる。今川家がどう動こうと織田家と対立する構図を作り出す。すべてが終わった後は娶った親族で翻弄させるくらいが丁度良いであろう」

「余り陰謀を図ると、背中から刺されますよ」

「それは気を付けておく。ともかく、お前に死なれては予定が狂うのだ」


そんな予定が巧くゆくのか?


「ははは、巧くいかんでもいいのだ。儂が楽しんでいる」

「俺はのんびり暮らせる方がいいです」

「人それぞれだ」


信光叔父上は根っから戦が好きなのだろう。

才は父上(故信秀)よりあると言われたが、二番手に甘んじた。

それは二番手にいた方が自由に動けたからだ。

名を父上(故信秀)に取り、信光叔父上は実を取った。

俺も実(ごろごろ)を取らせてくれるなら文句はない。


「笠寺衆があれほど織田家に従順になると儂に教えたお前が悪い」


信光叔父上の野心と笠寺の従順さがどう関係するのだ?


「織田家と今川家が争えば、疲弊するのが民だ」


あっ、判った。

疲弊して逃げ出してきた遠江の民を取り込むつもりだ。

三河で安心した暮らしがあると知れれば、遠江の民が逃げて来る。そして、遠江を手に入れた後に民を元の土地に返せば、従順な遠江の民を手に入れることができる。

笠寺で起きた事を、三河と遠江に置き換えて繰り返すつもりだ。


「信勝には婚姻した親族の為に今川と戦う馬鹿殿ばかとのを演じて貰う。俺は憐れな民を救う三河の宰相だ。そして、遠江の国主となる」

「巧くいきますか?」

「判らん。だが、構わん。儂が楽しめる。とにかく、信勝を廃して三十郎に変えると、まだ10歳なので儂が後見人に入らねばならん。今川と無駄に戦をする馬鹿殿を演じたくない」

「信勝兄ぃは道化ですね」

「道化で三河の国主にしてやるのだ。よいではないか」

「本当に背中から刺されますよ」

「ははは、気を付けておく」


三十郎兄ぃを立てると、確かに信光叔父上が後見人にされる。

それを回避する為に俺を持ち上げる。

それも嫌だ。


「信勝の機嫌は儂が何とかしておく。それと安祥城を落とした23人は末森で褒美を与え、信勝の命令で三河攻略に当たらせる」

「大丈夫ですか?」

「ははは、成功しても失敗しても構わん」


大丈夫か?

嫌な予感しかしないぞ。


「とにかく、評定の準備はこちらでする。清州の3日と那古野の3日、合わせて6日は体を休めるようにする」


つまり、一カ月で6日間の休み。

やったぜ!

不安は色々とあるが、休んでいいと言ってくれた。

これからその相談に為に清洲に行ってくれるらしい。

頼りにしていますよ。

よし、全力でごろごろするぞ。

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