第15話 藤吉郎の下剋上。(3)
父の弥右衛門は『郷のあやしの民』であり、取るに足らない貧民であったが槍1つで名を上げて、なかを娶った。
しかし、弥右衛門は足を負傷して戦えなくなると、なかの実家に戻ることになった。そして、その負傷が元で亡くなった。
なかは中々の器量持ちだったらしく、郷士の息子の
竹阿弥は
そこでなかを見初め、入り婿となったのだ。
「おらが
藤吉郎は一年ほど我慢したが、やはり寺は性に合わなかった。
寺を抜け出して家に戻り、戦場から鎧や槍などの鉄を拾って来ては針に直して貰って、それを売って家に入れた。
養父である竹阿弥と折りが合わない。
家に銭を入れているのだから文句を言われる筋合いはない。
だが、殴る蹴るが日常になっていた。
それでも子供が世を渡ってゆくのは難しく、
「おらはかっちゃ(母親)から餞別の一貫文(6万円)を貰って家を出ただ」
織田家は栄えはじめていた。
しかし、那古野の殿様は『うつけ』と呼ばれる馬鹿者らしい。
大殿もボケたのか、川を埋めるなどして銭を捨てていた。
働くのには困らないが、織田家は危ない。
「竹阿弥はなんだかんだと言っても織田家に顔が利いた。尾張にいるとうるさいと思っただ。それに針売りのコツも掴んだ。どこに行っても何とかなる。だから、栄えていると言う駿河に行くことにしただ」
藤吉郎は行商人となり、駿河や遠江を歩き、どこかで仕官できる所を探した。
だが、現実はそんなに甘くない。
針売りの日々の暮らしで精一杯であり、誰も紹介もなく、雇ってくれる所はない。
自分より年下の者に混じって、商人の丁稚奉公からやり直す気にもならない。
実父のように槍でも扱えれば、仕官もできたかもしれない。
だが、その腕に自慢がある者でも戦場で手柄を立てないと中々に仕官できないのが実情であった。
世知辛い世の中であった。
「やはり、紹介がないと中々に召し抱えてくれん。おらは諦めて尾張に帰ろうかと思っておっただ」
街道を少し逸れた所の藤の木の下で腰を落とし、そこで一夜を明かしていると、がざがざと物音がした。
すぐ側の河原に十数人の男らがくすぶっていた。
その男達の棟梁は三河国碧海郡松下郷からやって来た
天竜川を根城にする河賊だった。
何でも槍の名手で今川家に仕官しようとしたが、中々巧く行かず、気が付くと子分が沢山になって河賊になっていたらしい。
河賊と言うと聞こえが悪いが河の護衛を職業にする傭兵だ。
但し、護衛を頼まない連中を襲ってくる。
仕官しようと思っても中々為れないものだが、河賊になると逆に今川氏の家臣で遠江国曳馬城主である
「偶々、集合場所に居合わせた為におらは逃げ出すこともできず、そのまま仲間にされただ」
「偶然とは言え、今川家に仕官できただ」
藤吉郎は同い年の長則の息子、
長則の家臣は荒くれ者の元河賊ばかりで帳簿ができない。
長則にとっても行商人であった藤吉郎を得たのは正に渡りに舟であり、台所兼勘定奉行方という感じに役職に付いた。
「偉そうな名前ですが、おらは之綱の従者に過ぎず、家来もおりません」
「藤吉郎は何をしていたの?」
「何をしていたと思いますか?」
飯尾連龍は遠津淡海の東を治める今川の家臣であり、遠津淡海を中継地として、駿河・遠江から三河へ、三河から駿河へと物流を取り仕切っていた。
鳴海・大高へ送られる兵糧は各領主から送られてくる。
そして、三河の領主が代行して、その荷物を運んでいった。
輸送は負担が大きいようで領主も順番に代わってゆく。
「元河賊なら手慣れているだろうと、乗連様は厄介な仕事を全部、こちらに回してくれました。そのお蔭で三河の領主ら、その家臣の名前を覚えておりますだ」
「藤吉郎は三河の領主にあったことがあるのですか?」
「まさか!?」
藤吉郎があった事があるのは、領主の家臣の家臣のそのまた家臣だ。
商人が代理をすることもあった。
だが、帳簿には誰から誰に送るかが書かれている。
海岸に近い一部であるが、藤吉郎の頭の中で今川家臣の相関図が描けていた。
「多少ですが、どんな人柄かも商人らから聞いておりますだ。
「そうなのですか?」
「今日、お越しになった
藤吉郎は甚二郎が松井忠次の元主人であることを利用するつもりだ。
後々、松井忠次も甚二郎を頼って織田方に寝返り易くなる。
織田家に恩を1つ売っておくのは悪くないと唆すつもりだった。
「藤吉郎が利用すると言ったのは、このことだったのですね」
「それもありますが、松下家の家臣同士がいがみ合って内乱が起きそうな時に、他家で反乱があり、飯尾様の命で鎮圧に出陣し、帰って来ると仲が戻っておりました。魯坊丸様と信勝様が争っているならば、外に敵を作れば、丸く収まるかもしれないと思っただ」
藤吉郎は腹黒い策を考えていた訳ではなかった。
安祥城の攻略を利用して、魯坊丸と信勝の仲を修復すると言うものだった。
そして、自分なら岡田元近を説得できると根拠のない自信を持っていた。
「それでいいのですか?」
「何がですか?」
「今川家、いいえ、松下家を裏切る事になります。その之綱殿に仕えていたのでしょう」
主人を裏切る。
命の恩人であり、魯坊丸に仕え、魯坊丸の尽くす知朱にとって主人を裏切るのは考えられない。
「今川家の殿は、おらが尾張の出身だからと言う理由で間者になることを命じられました。(飯尾)乗連様の命ですが、断ることはできません。その代わりに戻ったら士分に取り上げてくれると言っております」
「士分ですか」
「おらはこれでも狡い人間ですだ。下っ端から抜け出せると言うならば、どんなことでもします。もしも先の戦で今川が勝っていたなら、寝返ろうなどと思いません。しかしだ。織田が勝った。魯坊丸様が勝っただ」
「織田が勝ったので寝返ったのですか?」
「そんな単純ではありません。おらは魯坊丸様を見てみたくなった。それが正直な気持ちです。そして、魯坊丸様の話を今川に持って帰れば、士分も無理でも褒美くらいは貰えると考えただ」
何のツテもなく、召し抱えて貰えるなど思ってもいない。
それは経験済であった。
だが、無償ならば、少しの間くらいは側に居られる。
そして、余所者はどこかで見限られて放り出される。
世の中とはそんなモノだ。
できるだけの土産を持って今川に戻るつもりだった。
そして、待望の魯坊丸に会った。
会ったその場で
『お前は今川の間者であろう』
そう言われた気がした。
取り繕ったが、バレていると思った。
処分される前に逃げなければ!
そう思った矢先に可憐な姿をした知朱を紹介された。
「おらは裏切るとかよりも、これほど期待されたことはなかっただ。魯坊丸様の期待に応えたい」
「魯坊丸様の期待ですか? 魯坊丸様を裏切らないと言えますか?」
「言える。おらは魯坊丸様の期待に応えて、魯坊丸様に認めて貰いたい」
「本気ですか?」
「本気だ。これほど、願った事は今までにない。魯坊丸様を裏切ったりせん。知朱殿、おれをずっと見守ってほしいだ」
「ボクは魯坊丸様から藤吉郎を監視するように言われています。見守るつもりです」
「おらを見ててくれ!」
「はい」
ごつん、知朱の頭に大きな拳骨が落ちた。
「
「馬鹿野郎、間者に心を開くな」
「嘘に聞こえないよ」
「まぁいい。信広様がお呼びだ」
控えの間で随分と長く話し込んでいたようであった。
末森に行った者が帰ってきたらしい。
先程の部屋に戻ると甚二郎が退出し、代わりに右筆の
為俊は甲賀郡の出で山中氏の庶流であり、筆が達者という理由で右筆の助手にされた。
もちろん、戦うこともできるので右筆助手として京に付いて連れて行かれた。
この度、目出度く右筆に昇格していた。
「諦めろ」
「おかしいでしょう。魯坊丸様を拘束するような案が通る訳がございません」
「俺はむしろ、通ると思ったぞ」
「どうしてですか?」
「お前は勘違いをしている。魯坊丸様は7歳の子供だ。後先を考えずに、目の前の利益に飛び付くのはよくあることだ」
「有りません。あり得ません。目の前の利益って、何なのです?」
「末森城で何もせずにサボれる」
少年の面影を残す13歳の
(山中)為俊は言う。
魯坊丸は7歳の子供らしく遊ぶ事と寝る事が好きだ。
ただ、遊ぶ道具が『飛び魚(ハンググライダー)』とか、図り知れないモノを作るので何と評価すればいいか判らないらしいが遊ぶのが好きだ。
次に寝る事が好きだ。
魯坊丸は清洲会議を欠席した事を謝るお詫び状を前日に作らせていた。
書かされた本人が言うのだから間違いがない。
守護様の復帰を祝う大事な祭典であって、お客に元関白など公家様、諸大名が参列する。
そんな大事な席をサボりたい為に欠席しようとしていた。
サボれる理由を見つければ、サボるのが魯坊丸だ。
信長が連れ出しに来なければ、実行されていた。
「魯坊丸様は時々、後先を考えずに行動される。よくあることだ。覚えておけ」
「あり得ません。今川を謀略に掛ける案ですよ」
「困るのは今川家であって、魯坊丸様ではない」
「しかし、今川家から報復があります」
「どんな報復だ?」
「判りません」
「判らないことは考慮されない」
「しかし、朝廷や公方様にも知れることになり、影響は計り知れません」
「魯坊丸様は計り知れないことは考慮されない」
為俊の言い様に正辰が呆れた。
正気の沙汰ではない。
「魯坊丸様は至って正気だ。しかし、早目に安祥城を片づけろ。魯坊丸様は長引くと喜ばれるだろうが周りが怒り出す」
「怒り出すって?」
「そうだな、死ぬほど怖い『飛び魚』に乗せて貰えるかもしれん」
「それは乗ってみたいですが、怖いのですか?」
「死んでも構わないと思えるようにならないと乗れないらしい。俺は乗りたくない」
「どんな乗り物ですか?」
「とにかく、怖い乗り物だ。その生贄になりたくないならば、安祥城の攻略は2、3日で片付けた方がいいぞ」
「また、そんな無茶を言う。準備時間くらい下さい」
「ないぞ。魯坊丸様の家来で居続けたいならば、3つくらいの仕事は同時に熟せ」
「無茶です」
「お前は右筆の助手だが、今、いくつの仕事を持たされている?」
そう言われて、正辰が指を折って数えた。
少なくとも1つではない。
そして、正辰は「はぁ」っと溜息を付く。
安祥城を2、3日で落とさないといけないのか?
藤吉郎も他人事ではない内容だった。
部屋に入ってきた藤吉郎達が座るのも忘れて、二人の会話を聞いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます