第14話 藤吉郎の下剋上。(2)
廊下をばたばたと足音を立てて沓掛城の家老が戻って来た。
「信広様、一大事でございます」
「何があった?」
「魯坊丸様が信勝様に足蹴にされてお倒れになりました」
「何だと!」
信広は怒りの声を上げて立ち上がると「信勝の阿呆め、何をやっておる」と嘆いて、家老に詳しく話せと命じた。
魯坊丸は評定のはじめから不機嫌さを隠さず、評定がはじまると事ある毎に不満そうな顔をしていた。
どうやらその態度に信勝も腹を立てて信勝と魯坊丸の言い合いが所々にあった。
それでも無事に評定が終わったと思うと、信勝が秋に起こる浅井討伐の援軍を承知したと言った。
流石に怒った魯坊丸が信勝を罵倒し、信勝が魯坊丸を足蹴にして、その蹴りを顔面に食らって魯坊丸が倒れた。
それを聞いた信広は「う~ん」と唸り、もう一度席に付いた。
「信勝も信勝だが、蹴られたくらいで気を失うなどひ弱過ぎるのではないか?」
信広が一人事のように呟いた。
だが、話はそれで終わっていなかった。
信勝が動こうすると、小刀を持った者が天井から降りて来て、その刀で威嚇して信勝の動きを封じた。
魯坊丸の危機に末森城の護衛が一斉に魯坊丸を匿ったのだ。
評定の間が流血沙汰になりかねない緊張に包まれ、信光が魯坊丸を外に連れ出し、信勝に蟄居を言い渡したと言う。
「我々はどうすればよろしいのでしょうか?」
沓掛城の代表として出席していた家老二人は今後の指示を信広に仰いだ。
信広が腕を組んで唸った。
「どうしろと言われてもな?」
「このまま何もせずに傍観して、あとで魯坊丸様に罰せられないのでしょうか?」
「判らん」
「信広様、我らは兵をすぐに動かせるようにしておくべきでは?」
「そうかもしれんが、そうでないかもしれん」
信勝と魯坊丸が対立した。
家臣としてどう動くべきか?
悩み所であった。
「この状況を巧く利用できないだか、できないでしょうか」
「藤吉郎、余計なことをしゃべるな!」
「申し訳ございません」
藤吉郎が伏して謝る。
考えの邪魔をされた信広が怒りの声を上げた。
家老らは困り顔のままだ。
「信広様?」
「信広様?」
「う~ん、どうすれば」
信広は信広なりに考えているのだが、出るのは「う~ん」と言う唸り声だけである。
「沓掛城の城代も家老も無能ばかりですね」
その声に信広が怖い顔で睨み付け、物言いは静かだが怒気が含めて「言いたいことがあるならば、言ってみよ」と言う。
その声は
会談の内容はすべて魯坊丸に報告する為に記録させていた。
「無能だから無能と罵っただけでございます。若様も苦労される訳です」
「殿の右筆だからと言って図に乗るな」
「では、まず判るように説明しましょう。まずは家老様。信光様は『他言無用』と命じられたのに、私や客人、家来のいる場所で話をされました」
そう言われて家老の二人が自らの失態に気が付いた。
「次に、若様は足蹴にされて気を失っただけでございましょう。今頃、気が付かれているに違いありません。城代様は若様の指示を待つだけで良いのです。何故、そこで悩むのか、私には理解できません」
「だが、魯坊丸と信勝が対立したのだぞ」
「正にそこです。他言無用と厳戒令を発したに関わらず、家が二つに割れかねません。末森の領主らは上を下への大騒ぎをしているでしょう。私が察するに、気が付かれた若様はこれをどう収拾するかで悩まれているでしょう」
「そうなのか?」
「蹴られて気を失っただけでしょう。それが生死に関わると思いますか?」
「思わん」
「そうでしょう」
蹴られたくらいで死ぬとは思わない。
それには信広も同意であった。
「若様は信勝様を廃して、自ら弾正忠家の当主になることを望まれておりません。沓掛城が騒ぎを大きくすれば、この事は
うむむむ、正論を言われて信広が難しそうな顔をした。
言い返したいが口では叶いそうもない。
家老らもが納得する。
「流石、魯坊丸様の右筆だ」
「魯坊丸様の側近に無能者はおらんと言う噂は誠であるな」
「つまり」
「そうです」
家老の二人が目を輝かせて右筆助手の正辰を見た。
「正辰殿、何か名案がございますか?」
「魯坊丸様にお叱りを受けぬ方法はございますか?」
「お主ら、このような子供に頭を下げて恥ずかしくないのか」
「我らが主人も子供でございます」
「そうです」
「信広様、背に腹は変えられません」
沓掛城の家老は逞しい。
土着した豪族から選ばれており、以前の城主である
織田家、松平家、織田家、今川家と主人をコロコロと変えて生き延びてきた一族だ。
生き残るしぶとさに長けていた。
「まず、何もしなくとも、お叱りを受けることはございません」
家老らに希望の光が見えた。
「しかし、何もしなければ、無能と若様に思われるかもしれません」
「それは困る」
「如何にも、如何にも」
「ですから、
「正辰殿、それはどういう意味ですか?」
「つまり、若様と信勝様が不穏な空気を作ったのは、すべて安祥城を攻略する為の虚偽であったとするのです」
信広も家老らも誰も判らない。
正辰は説明を続ける。
「信勝様は今川の手の者に襲われ、それを若様がお助けになった。しかし、使っていた小刀には毒が塗られており、すぐに解毒の薬を飲まれたが意識を失ってしまった。命は別状ありません。しかし、それを見た信勝様は激怒して、今川を攻めると申されたのです。ですが証拠がありません。信光様は証拠が出るまで動くなとお命じになられましたが、信勝様は聞き届ようとされないので、乱心したと信光様が仰って、部屋で蟄居をお命じになられました」
「正辰殿、何を言っておられるのですか? 我らはこの目で見たのですぞ?」
「その様に見たと、信光様に言われたのですな」
「いいえ、我らはこの目で」
「つまり、真実と嘘を入れ替えるのです。信勝様が部屋に閉じ込められた理由、若様が倒れた理由をでっちあげるのです。これで若様は信勝様を罰しなくて済みます。悪いのは今川であって、信勝様ではない」
家老らは嫌々と首を振る。
自分らは信勝が魯坊丸を蹴ったのを見てきたのだ。
正辰は頭を掻いた。
ここまで説明してまだ察せないのか?
「いいですか! 若様と信勝様は安祥城を攻略する為に一芝居打たれたのです。今川の刺客に襲われたと言う嘘を流す為に、この尾張中を大騒ぎにしているのです」
「あれは芝居だったのですか?」
「そうです。あれはお二人の芝居です。そして、今川に襲われたと言う嘘を尾張中に流せば、信長様や守護様もお怒りになり、三河を攻めることになるでしょう。三河の者は織田家が攻めてくると恐れます」
「確かに」
「今川の刺客が魯坊丸様を襲ったならそうなりますな」
「そこで、この藤吉郎が安祥城の
正辰の声が低くなった。
『判っただ!』
藤吉郎が大きな声を上げた。
「魯坊丸様は安祥城を攻略する為に一芝居打ってくれただ」
「その通りです」
そうだ、難しく考えることがない。
安祥城を攻略する為に、魯坊丸と信勝は喧嘩をした。
その喧嘩を見た領主達が騒ぐ。
そこに魯坊丸が倒れたのは今川の刺客の為だったと言うまったく別の嘘を流す。
蹴られたくらいなら、すぐに目を覚ますハズだ。
しかし、魯坊丸様が臥したままならば、皆は一芝居打った話の方が嘘だと思い始める。
領主達が信光からそのように嘘を言うように言われたと考える。
これで真実と嘘が真逆になる。
魯坊丸が襲われたとなれば、和議の約定を破ったのは今川になる。
織田家が三河に兵を上げることになる。
三河の今川方は蹂躙されて皆殺しになる。
藤吉郎がそう囁きながら、
少なくとも(岡田)元近は安祥城を開城する理由にはなる。
安祥城を攻略した後に魯坊丸が姿を現わし、今川の刺客は嘘だと言う。
人々には、どちらは本当で、どちらが嘘か判らなくなります。
領主は魯坊丸と信勝の芝居に騙されたことになり、魯坊丸と信勝の不仲説を否定することになります。
真実はうやむやとなり、魯坊丸は信勝を処分する必要がなくなるのです。
正辰は説明を終えると、天井に向けて声を上げた。
「そういう筋書きです。実行するかどうか、若様に確認して来て下さい」
そう言うと、天井から声が返ってきた。
「承知致しました。すぐに確認に向かわせます」
沓掛城を警護する者の一人が魯坊丸のいる末森城へ急いだ。
「信広様。これで沓掛城はできる事を提案しました。無能と罵られて処分を受ける心配はございません」
「むむむ、そう、そうなのか?」
「ご家老も安心して下さい。但し、本当に他言無用にお願い致します」
「判った」
「承知した」
信広が渋い顔をする。
「しかし、何故、お前が指示を出すのだ?」
「これも内政とお考え下さい。それともすべて信広様にお返ししますか?」
魯坊丸が常務とか言って茶化したが、取次役のような右筆に奉行達が自主的に相談に来るので、断ったハズの内政に深く関わることになっていた。
信広が軍事調練や土木作業だけに従事できるのは、家老衆、奉行衆、その要の右筆(取次役)のお蔭であった。
右筆を排除すれば、相談、調整、経理の仕事が信広を襲う。
軍事以外は苦手な信広にとって大問題だ。
また、元家臣だった者が奉行などの役職に召し抱えられており、元側近からの苦情が上がるのは目に見えていた。
「しかし、よくそんな陰湿な策を咄嗟に考えられるものだな」
「慣れですよ。京ではなかった事をあった事にされるのは日常茶飯事です。ですから、『信勝様が刺客に襲われた』、『魯坊丸様は信勝様をお助けしたい』、『魯坊丸様は避け損ねて、倒れられた』、『刺客は今川という証拠はない』、『信勝様は激怒して兵を上げると申された』、『信勝様を諌めた信光様は信勝様を蟄居させた』と申しました。順番を入れ替えただけで嘘はございません。しかし、無かった事があったように聞こえたハズです。これはすべて事実でございます」
「その信勝を襲った刺客は魯坊丸の忍びであろう」
「その通りでございますが、それを教える必要はございません。彼らが今川の刺客と言う証拠がないのも事実でございます。信広様も聞かれた時は、真実だと申さず、嘘偽りないと答えて下さい。それで向こうは誤解してくれます」
「出来るか!」
怒鳴った後に「はぁっ」と信広が大きなため息を付いた。
さらりと嘘を付ける訳がない。
「この程度で驚いていたのでは京で暮らせません。私は毎日のように父上の愚痴を聞かされておりました」
「京とは恐ろしい所だな」
「尾張ほど、素朴な方はおられません」
「もう良い。任せた」
「承知致しました」
城代より右筆助手の子供が偉そうにしている。
そして、そこから出てくる知恵の数々にも目を白黒させていた。
「甚二郎様、魯坊丸様の許可が下りれば、安祥城の攻略を行うことになります。よろしいでしょうか?」
「あぁ、助かる。大歓迎だ」
「では、お返事は明日でも致します。お部屋を用意しますのでお寛ぎ下さい」
「忝い」
最後に正辰は藤吉郎を見た。
「勝手に決めてしまいましたが、よろしかったでしょうか?」
「おらに異存はございません」
「細かい話は若様の許可が下りてからに致しましょう。控えの間で休んでいて下さい」
「畏まりました」
藤吉郎は部屋から出て行く。
知朱が黙ったままで怖い顔で藤吉郎を睨んでいた。
部屋に入ると口を開いた。
「ボクが監視役といつから気が付いていたのですか?」
「いつからと思いますだ?」
「判りません」
「知朱殿はそんな素振りはなかっただ」
「では、いつですか?」
「魯坊丸様が来られる前に侍女様らが来られただ。皆、美しい姿をしておられ、おらは心を奪われた。魯坊丸様とは気が合うと思っただ」
「関係ありません」
「関係ありますだ」
そう言って藤吉郎は振り返って、知朱をまっすぐに見た。
「魯坊丸様はおらが松下様に仕えていた事を知っておった。かっちゃ(母親)にも言っておらず、尾張で知る者はおらんハズだった。だが、魯坊丸様は知っておった。恐ろしかった。心の底まで覗かれておるようだった」
「魯坊丸様は凄い方です」
「凄い方だ。その凄い方がおらを処分せずに、知朱殿を紹介してくれた。おらと一緒に寺に通えと言っただ。知朱殿と一緒にだ。一緒にだ」
「嫌でしたか?」
「その逆だや。魯坊丸様はおらを認めてくれただ。おらを取り込みにきただ。本気で魯坊丸様に仕えてもええと思っただ」
「本気ですか?」
「おらは本気だ」
藤吉郎は知朱を真っ直ぐに見たまま宣言する。
とても嘘を言っている目に見えない。
「知朱殿、おらの昔話を聞いてくれるだか?」
藤吉郎は自分がどうしてここに来たかを語りはじめた。
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