第12話 魯坊丸は何も覚えていません。

天文22年 (1553年)6月18日。

評定の日から3日が過ぎた。

俺はゆっくりと目を開けた。

天井から沢山の折り紙が吊られている。

どこの天井だ?

長い長い夢を見てきた気がする。


「何じゃ、やっと目が覚めたのか?」


俺の顔を覗き込むお市がいた。

随分と久しぶりのような気分になるのは何故だろう。

そう言えば、最近は一緒に遊んでいないな。

お市はいつも元気だから大丈夫だろう。


「熱も下がってきたようじゃな」


額に当てたお市の手が冷たい。


「ここはどこだ?」

「わらわの部屋じゃ」

「お市の部屋はこのように飾り付けておったのか」

「可愛いじゃろ」


どこが可愛いのはよく判らん。

折り紙を教えてやったのは俺だが、1つ1つを天井から紐で吊るしてあった。

これも千羽鶴と言うのだろうか?

鶴じゃないが…………。


「お市、悪いが帰る。次は末森の評定の準備をせねばならない」

「末森の評定ならば、3日前に終わっているのじゃ」


俺はその話をお市から詳しく聞いた。

俺はその評定で信勝兄ぃに蹴られて気を失ったらしい。

まったく覚えていない。

光秀に会って、秀吉を召し抱えた辺りまで覚えている。

その先がまるでもやが掛かって思い出せない。


「魯兄じゃ、腹は減っておらんのかや?」

「そう言えば、減っている気がする」

「では、ごちそうを用意してくるのじゃ」

「ごちそう?」

「この末森では、勝兄じゃが質素倹約などと言うのでオカズがほとんど出て来ないのじゃ。飯が拙いのが末森じゃが、一品だけ中根南城より美味いものがある」

「それは興味深い。一体何なんだ?」

「お粥じゃ」


炊き加減、塩加減に創意工夫が施されているらしい。

末森の台所を預かっている料理人たちも熱田の料理勉強会に参加している。

宴会用の為に腕を磨いている。

しかし、普段はその腕を見せる場がない。

お粥に情熱を燃やしているのか?

ふふふ、お粥の研究していなかった。


「わらわはご飯の代わりにお粥を頼むことが多いのじゃ」


そう言って部屋から出て行くと、千代女とお粥を持って戻ってきた。

お市の部屋に移動したのは末森城の中で奥の屋敷が守り易いらしいからだ。

一応、男子御禁制の場所だしね。


お市は中根南城に行っており、留守だったのが一番の理由だ。

お市の部屋はお市が抜け出さないように一番厳重な部屋を用意していた。

それでも抜け出している。

もう手が付けられないと忍び衆も言っている。


「えへん、なのじゃ」


誰も褒めていないよ。

お粥を食べながら、千代女から沓掛から消えた記憶の部分も含めて聞いておいた。


「信勝兄ぃは『押し込め』にあって謹慎中か」

「酷く落ち込んでいるようでございます」

「悪いことをした。避けてやれば、こんなことにならなかったな」

「若様ならば、避けられたと思います」


俺に弾正忠家の家督を継がせるのが家老らの大勢であったが、信光叔父上の一言で白紙になった。

今は三十郎兄ぃが最有力に上がっている。

三十郎兄ぃは10歳であり、後見人がいる。

誰が後見人になるかで争いが起こる。

三十郎兄ぃに家督を継がせるくらいならば、やはり俺にとの声が上がる。


「いっそ、信光叔父上が引き継げばいいのに」

「それは拒否されております。織田家が二つに割れてしまうそうです」

「今更だ」

「信光様が言うには、自分に何かあった時に問題が起こるそうです」


なるほど。

市之助(織田-信成おだ-のぶなり)は小幡城を預けられて城主をしているが、信光叔父上に比べると才覚が足りない。

市之助が弾正忠家の家督を引き継げるかと言えば、確かに不安だ。


信勝兄ぃも父上(故信秀)の名代として末森城を仕切ってきた。

兄上(信長)が『うつけ』(馬鹿者)と呼ばれていたので、家督を継ぐかもしれないと思っていたから覚悟だけはあった。

市之助では小幡城主は務まっても、那古野城主が務まるかすら危ぶまれる。

次男の四郎三郎、三男の仙千代の成長に期待だな。


それに信光叔父上は信勝兄ぃと一緒に三河に入るつもりでいる。

尾張は兄上(信長)一人で十分と考えている。


「そうかや? むしろ、信兄じゃと魯兄じゃの間では息子らが可哀想と思っていると思うのじゃ」

「若様と信長様の間でやってゆけるのは、信光様しかおられません」

「俺は酷いことなどしないぞ」

「そう思っているのは、魯兄じゃだけじゃ」

「では、どう思っているのだ?」


末森の忍び衆を率いる番長が頭を下げて末森の状況を語ってくれた。

5月1日、清洲会議に参加しない領主以外の那古野の家臣団がはじめて末森の評定に参加した。

信勝兄ぃも末森の家老衆も清州に行ったので懇親会のようなものになった。

兄上(信長)が清州に移動して、多くの家臣が清州に移ったが、那古野に留まる家臣も多い。


例えば、荒子城の前田家だ。

荒子城主の前田-利昌まえだ-としまさは新たな領地を貰って移動したが、荒子城を3男の安勝やすかつに譲った。

安勝は供2人を連れて清洲会議に参加したが、残る家老らは末森城の評定に参加した。

新荒子家老は安勝の供で京に付いて来た一人ので三好家との戦いなど、俺のことを過分に褒めてくれたらしい。


「魯兄じゃが手を翳すと大地から火の柱が上がって、次々に三好の兵をなぎ倒したのじゃ」

「どこの仙人だよ?」

「火薬玉の事がよく判らん者にとって、魯兄じゃの妖術にしか見えんのじゃ」


火が立ち上がると三好の兵がりに飛び、俺が三好2万5千人の兵を翻弄したことになっている。

そこから俺一人で3万人に匹敵する力を持っているらしい。

どんな怪物だよ。


「那古野の評定の悪党ぶりも広まっておるのじゃ」


俺が脅して林-秀貞はやし-ひでさだが宥める話だ。

那古野は役方の政務を行う者が弱い。

大規模な工事も多い為もあるが、中小姓を40人も派遣することがあった。

一方、末森は常備兵として中士と平士を強化して来たので、政務ができる武将が多く。

酷い時でも中小姓を10人も派遣すれば、何とか回った。


だが、末森の方が優れているのかと言えば、そうでもない。

那古野の家老衆は秀貞や(平手)政秀まさひでらをはじめ、領主の教育に熱心であって使える領主が多い。

逆に、末森は信光や(加藤)図書助、大学允(佐久間-盛重さくま-もりしげ)らを除くと馬鹿ばっかだ。

領主の質がいいので何とか回る那古野と中士と平士が育ってきて武将の質がいいので領主が無能でも回る末森とは甲乙つけがたい。

それはともかく、問題は悪評だ。


「俺に逆らうと首が飛ぶか、お家が取り潰されると思っているのか?」

「そうなのじゃ。魯兄じゃに逆らった者は命がないのじゃ」


酷い、風評被害だよ。

俺は覚えていないが、不機嫌そうな俺を見て末森の家臣団がビビったらしい。

不評を買って打ち首になりたくない。

その一心で俺に媚びた。

それを見ていた信勝兄ぃが腹を立てたらしい。


末森の家臣団、領主たちは馬鹿が多い。

その弊害がモロに出た訳だ。


そう言えば、信光叔父上は中小姓であった者を士分に取り上げ、婚姻で領主の一族との関係を深くすると言っていたな。

さらに、那古野でも中士・平士制度を採用して内政の強化を図る。

清洲の兄上(信長)もそれを真似ると言っている。

もうしばらくは人材不足がずっと続きそうだ。


「人材不足の件ですが、5年ほどで緩和するかもしれません」

「何があった?」

「中根南城への側室の移動に伴って、自主的に那古野を含む末森家臣団から人質を差し出すことに決まりました」

「俺がいつ人質を要求した?」

「しておりませんが、自主的です」


はぁ、俺は大きなため息を付く。

俺に人質を出さないと安心できないのかよ。

面倒臭い。


「その人質のご子息ですが、すべて神学校に入学させることに致しました」

「増築中なので受け入れられるな」

「わたくしの判断で神学校の三回生の実習の1つに、『人質らの教育』を入れるように準備させております」

「生徒に生徒を教えさせるのか?」

「一回生に入学できる程度の知識があれば、普通に入学させます。それに満たない者を教えるのは生徒でも十分でしょう」


神学校は俺を神の如く祀っている。

しかも体育会系のノリであり、学年が1つ違えば、絶対服従が原則になっている。

河原者だった子供が次期領主を指導すると言う珍現象が起こる。

人質を出すのは末森に留まらないならしい。

すでに佐治家の子息を人質に出すと言っている。

他の知多の領主も準ずる。

そうなれば、それを真似て尾張中の領主から人質が集まってくる。


「卒業時には、若様に絶対服従の次期領主が大量に生まれます」

「千代、悪い顔になっているぞ」

「申し訳ございません。しかし、中小姓と同等の知識を持った領主が続々と誕生致します。尾張の水準を上げたいと言っておられた若様にとって好都合ではありませんか」


好都合だ。

説明なしで、一気に事が進められる。

木曽川の大改修が思っている以上に早く手を付けることができるかもしれない。

そこで外にいた侍女から声が掛かった。


「お目覚めと聞いて急ぎ、あいさつに来させて頂きました」


土田御前は頭を下げている。


「どうか、信勝をお助け下さい」


信勝兄ぃは押し込められ隠居寸前であったな。

俺があと一日でも目を覚まさなければ、清洲に報告に行くことになっていた。

その時点で守護斯波-義統しば-よしむね様の相談役への狼藉がおおやけになる。

正確には相談役という役職はないので側近になるが。

つまり、俺は信勝兄ぃの家臣であり、義統様の側近でもあった。

義統様の側近を足蹴にしたのは十分な処分の対象になる。


「さて、どうしたものか? 千代、俺はここ数日の事を覚えておらん。身に覚えのないことだ」

「若様は信勝様から足蹴にされました」

「それはおかしい。信勝兄上の蹴りを避けられないほど、俺は剣術などの調練をサボっておったか?」

「サボった記憶はございません」

「では、目の錯覚だ」


土田御前が涙を流していた。


「なかったことを罰することはできません。そう信勝兄上に伝えて下さい」

「ありがとうございます」

「礼を受ける謂れはございません」

「ありがとうございます。わらわも人質として中根南城に赴かせて頂きます」

「必要ございません」

「ですが、他の者に示しが付きません」

「必要ございません」

「いいえ、そこは曲げてお願い致します。そうしなければ、罪が信勝に及びます」


仕方ないと千代女も頷いた。

面倒だか受け入れることにした。

我ながら甘いと思うのだが、実の兄を処分するのは後味が悪い。

家督が降ってくるのも嫌だし、まぁいいか。


「ずっと中根南城に居られると思ったのに母上も一緒なのかや?」


お市が静かだと思うと、ぶるぶると震えながらお市が凄く嫌な顔をしていた。

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