第10話 信勝、魯坊丸を御成敗する。(前編)

天文22年 (1553年)6月15日、末森の評定。


俺は面倒だからと言って信勝兄ぃを放置した。

そのうち自分で気づくだろうと父上(故信秀)と同じ間違いを犯してた。

でも言い訳するよ。

7歳の俺が18歳の信勝兄ぃとお手々繋いで野道を行く必要ないよね。

俺、悪くないよね。

真実を知った信勝兄ぃが怒っていた。


「いい加減にしろ。お前は何様のつもりだ」

「何ですか、意味不明です。質問の意味が分かる様に言って下さい」

「黙れ!」

「俺は当然の事を言っているだけです」

「当然だと? すべて決めておいて当然と申すのか?」

「決めたくて決めている訳ではありません。少しは頭を使って下さい。俺の手を煩わせないで頂きたい」

「黙れ。黙れ。あれもこれも指図しおって。俺を傀儡くぐつにでもしたいのか?」

「傀儡? 傀儡なら役に立ちますね。俺の邪魔にしかならない信勝兄ぃは傀儡以下、ただの木偶でくの棒です」

「俺を木偶の棒呼ばわりするか」


溜まりに溜まった不満で、俺も立ち上がっていた。

信光叔父上は首を横に振りながら「止めよ」と言っているが、信勝兄ぃは止まる気配もない。

体の華奢な兄上(信長)と違って、信勝兄ぃは育ちがよく、父上(故信秀)譲りの良い体格をしている。

正に大人と子供の喧嘩だった。


だが、何の工夫もなく無造作に蹴り上げた足が俺の前に飛んでくる。

遅い。

まるでスローモーションだ。

日々、訓練の賜物だね。

直線的な攻撃ならば、簡単に避けることができる。

俺はひょいと避けるように重心を移動する。

移動する。

移動する?

あれ?

重心を移動したつもりなのに体が逸れていかない。

おかしい?

信勝兄ぃの足が近づいて来た。

ごつん、俺の顔面に見事に入った。

俺の世界は暗転した。


 ◇◇◇


この喧嘩の原因は言うまでもなく、15日の末森の評定である。

こんな評定ひょうじょうは時間の無駄使いだ。

社長と重役が一堂に会して、ガス料金や水道代を検討しているように思えた。

各奉行が事業の報告をする。

他には視察の予定や城の補修や訓練課程の変更など細々として事まで報告している。

公報だけ開示して、問題点だけ議論しろよ。


それが終わると裁定が行われる。

領主間で起こっている問題を議論する。

力の弱い領主は後ろ盾を頼るので、結局はただの派閥争いだ。

下らん。

俺はぶすっとした顔をして見ていた。


どう聞いても不当な判決と思えることが起こっている。

慣例かもしれないが下らない。

裁判は公平であるべきだ。

舌を打って貧乏揺すりをすると会場がざわついた。

何で俺が舌を打つ度にざわつくのだ?


少し正確に言うと、ここに上がってくる案件は特殊な例だ。

例えば、少し前に俺のところに上がって来た水争いをしていた村は隣の領地だったらしく、俺の添え状を見た隣の折戸城主の丹羽四朗左衛門が慌てて謝罪に来た。

村1つの為に自分の首が飛ぶと焦った訳だ。

四朗左衛門に含む所がないことを告げて、村人同士の話し合いで解決するように申し付けた。

こちらが一方的に有利な条件で解決せず、慣例や知恵を出し合って、どちらも納得できるようにお願いした。

間違っても刃傷沙汰にならないように念を押した。

四朗左衛門が非常に感動していた。

こんな感じで、力関係が極端に違う場合は訴状に上がらない。

つまり、取るに足らない下らない訴状か、派閥争いの延長戦を見せられている。


旧岩崎丹羽領や鳴海方面では土地や水の訴状が多く、那古野や末森では商人を介した金銭トラブルが多い。

大抵が商人側からの訴状だ。

武将の意識改革はまだまだ遠い。

なるほど、年金利を10%に下げたら商人らは泣き寝入りさせられて店が潰れる。

取れる所から取っておこうと年金利100%にも意味があった。

これはどこから手を付ければいいのだ?


さらに、俺は眉を吊り上げてぶすっとする。

整った綺麗な顔がさらに崩れる。

今日はここの所の寝不足で目の下に隈を作っていたので、末森に来たときから眼つきが悪く見える。

その上でぶすっと口をへの字にして、眉を吊り上げているのでブサイク顔だ。

あぁ、やっと半分が終わった。

次は外交問題だ。

その前に昼飯が出される。

もう、俺は帰りたいよ。


 ◇◇◇


料理が四角いおぜんに乗せられて運ばれてきた。

武将達はそのお膳を持って、各々の好きな場所に移動する。

何故か、家老達が俺を輪の一角にしてお膳を囲んだ。

城主らはその後ろにお零れを貰おうと囲んでいる。

一人でゆっくりと食べさせてくれよ。


「このうなぎのかば焼きは最高ですな」

「最高ですな」

「魯坊丸様が考案された鰻飯で夏を乗り切れそうです」

「そうか、それはよかった」

「雨の日も減ってきました」

「代わりに、さらに暑くなってきた」

「まったくです。ですが。魯坊丸様のお蔭で無事に過ごしております」

「油断するな。まだ、先は長い」


何で俺が接待しているのだ?

信光叔父上は当然のように横に座っている。

俺を嫌っていた佐久間も来ている。

今日ばかりは質素倹約を旨とする末森も贅沢な食事が用意される。

見栄は大切だ。


皆は口々に三河の様子が語られ、巧く進まないことに苛立ちを覚えている。

三河の織田方はまとまりがないが、末森もまとまりがない。

俺と信光叔父上は三河放置派だ。

三河まで手を広げる余裕がないので三河の事は三河で決めればいいと思っている。

生活苦や戦いに負けた一族は尾張に来れば良い。

土地か、仕事を与えてやる。

労働力はいくらあって困らない。


一方、信勝兄ぃは三河を攻略したいと考えている。

そして、家老らを含めて、末森の武将の多くは楽観主義だった。

どうやら織田家の力に恐れを為してドミノ倒しのように織田方になると思っていたのだ。

思った以上に今川方が粘っており、思惑と違って対処に困っている。


「魯坊丸様、何か良い知恵はないですか?」

「ない訳ではないが慌てる必要もない。もっと煮詰まってからの方が効果的だ」

「なるほど」

「すべては魯坊丸様の手の内と言うことですな」

「流石、魯坊丸様」

「感服、感服」


俺は何も言ってないぞ。

俺頼りで何も考えていない脳筋な武将が多すぎる。

父上(故信秀)の頃はこれが便利だったが、調略や外交戦が不得手な者が多すぎて役に立たない。

俺は三河を取るなど言っていない。

勝手に良い様に解釈してくれている。


俺の方に大集団が生まれ、信勝兄ぃの周りが少ない。

怖い顔で俺を睨んでも知らないよ。

俺のせいじゃない。


「若様、もうよろしいので?」

「後で食べる」


昨日辺りからどうも食が進まん。

恐らく、夏バテだ。

千代女が心配そうにしている。

大丈夫さ。

これが終われば、明日から3日くらいは中根南城で楽に過ごせる。

さっさと終わらせて城に戻ろうよ。

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