閑話.朝倉家の岐路。

敦賀郡司、金ヶ崎城主である朝倉-宗滴あさくら-そうてきは76歳となり、寄る年波には勝てず、戦場に出る機会もめっきりと減ってきた。

朝倉家は斯波家から独立して以来、100年近くも国内でいくさをしていない。

朝倉家の努力の賜物であり、治世が良かった証拠であった。

もちろん、宗滴が加賀一向一揆で30万人の門徒を九頭竜川くずりゅうがわで止めていなければ、その記録も破られていた。

宗滴が当主以上に尊敬される一因であった。


越前朝倉家第11代当主である朝倉-義景あさくら-よしかげは父である孝景たかかげを天文17年に失い、当時16歳で当主になった。

義景から見て宗滴は四代前の高祖父こうそふに当たる7代当主の子であり、雲の上のような存在でしかない。

尊敬に値する。

しかし、周りの家臣らが当主を蔑ろにする事に不満を覚えていた。

戦は国外で行うもの。

平和呆けの当主。

いくさを知らない朝倉当主だった。

宗滴が活躍し過ぎたせいか、越前朝倉家にはその後継者と呼べる者が育っていなかったのだ。


「尾張はどうであった?」

「那古野、熱田、津島の栄え振りは京を凌駕しておりました」

「そうであろう。尾張に流れる品物は京に負けん」

「少し前まで尾張の一介の奉行でしかなかったと言うのが嘘のようでございました」

「爪を隠しておったのだ」

「爪ですか?」

「能ある鷹は爪を隠すと言う。三好、今川に追い立てられなければ、もうしばらくは隠しておきたかったのであろう」

「敢えて、尾張守護代になっていなかったと?」

「おそらく、そうであろう」


敦賀郡司でしか過ぎない宗滴であったが尾張の織田家の戦勝祝いを告げる為に朝倉家の当主名代として、養子の景紀かげとしと、その子である景垙かげみつを送った。

もちろん、義景よしかげは反対していた。

朝倉家は未だに斯波家を信奉する家臣がおり、斯波家の家臣である織田家を祝う気にならないのだ。

朝倉家は斯波家から越前を奪ったという負い目を抱えており、心情的には理解できる宗滴であったが、そんな事を言っている状況ではなくなっていた。


天下の情勢はまず三好-長慶みよし-ながよしに傾き、公方様も和解して京に戻った。

だが、公方様と三好長慶との仲は悪く、朝倉に上洛して「三好を討て!」と命じられるが、背後に敵対する加賀一向一揆衆を持っており、朝倉家にもそんな余力はなかった。

そこに織田家のわらべが上洛した。

公方様と三好長慶との間を取り持った。


ここ数年の尾張織田家の物流の勢いは凄まじい。

尾張から流れてくる敦賀の物流を見れば、一目瞭然である。

織田弾正忠家は信秀になってから急速に力を付けてきた家であったが、信秀は『あづき坂の戦い』、『加納口の戦い』と続けて負けた。

そのまま、その勢いを失うように思えたが、宿敵の斎藤-利政さいとう-としまさと和睦して延命する。

そこから美濃斎藤家と一緒に息を吹き返したのだ。

中々にしぶとい。

流石、信秀は『器用の仁、尾張の虎』の異名を持つ。

美濃の攻略でお互いに手を取り合った宗滴は悪い印象を持っていない。


「宗滴様ははじめからこうなると思っていたのでしょうか?」

「まさか! タダでは終わらんと思っておったが、途轍もないものを息子らに残したな」


信秀は利政から伝授された『蝮土』を使って農地改革などを行った。

織田弾正忠家と斎藤家の力が増していった。

まさか、誰もここまで復活するなど思いもしない。


間者を送れば、熱田、那古野、津島、牛屋(大垣)と栄えており、尾張の北側に当たる清洲や岩倉は寂れていた。

つまり、信秀に味方する熱田や津島は栄え、敵対する清洲や岩倉は貧していた。

それは信秀が亡くなっても同じだ。

一族で分裂していたが、繁栄は享受していた。


彗星のように現れた信長も面白かった。

信長は『うつけ』(馬鹿者)と呼ばれていたが、詳しく調べると信長の姿はまったく違う。

宗滴も考えていたことを実際に試している。

面白い小僧が現れたと思った。

その小僧が治める那古野が一気に花開いた。


敦賀に持ち込まれた織田の酒は飛ぶように売れ、越後の長尾家も気に入ったらしい。

一方、越後は青苧あおそと呼ばれる反物を作り、京で売り始めている。

越前の朝倉家の商人らも負けずに頑張っているが、織田家と長尾家の勢いに負けている。

敦賀は物流の中継地として栄えていたので、より実感できたのだ。


景垙かげみつ、父に同行した感想は何かあるか?」

「珍しい食べ物が多くありました。庶民の暮らしが越前と比べものになりません」

「民も富んでいたのか?」

「はい、富んでおりました」

景紀かげとしも同じか?」

「同じでございます。熱田には(近衛) 稙家たねいえ様もご逗留されており、織田家に期待されておられました」

「であろうな!帝のお気に入りと聞く」

「皇女様を嫁がせると聞いたときは耳を疑いました」

「さもありなん」


信長も麒麟児であったが、尾張にはもう一人の麒麟児が育っていた。

名を魯坊丸と言う奇妙なわらべだ。

そして、その童が上洛し、情勢が一気に変わってくる。

三好と組んだ上洛は見事である。

たちまち、帝、公家、公方様の心を鷲掴みにした。


「ただ、三好と繋がるのではなく、渋る公方様を説得して交渉の席に付かせる手腕も見事だ」

三好-長逸みよし-ながやすが暴発してくれて、助かったと言うべきでしょうか?」

「さぁ、どうかな?」

「宗滴様はどう思われておられるのでしょうか?」

「天下の太平を望むならば、悪くはない。三好の暴走を六角と織田で抑えてくれる。だが、(朝倉)義景よしかげ様にとっては、織田家の風下になるのは嬉しくないだろう」

「使者を出すのも反対されておりましたからな」

「宗滴様に逆らえる者は、この越前におりません」

「それでは困るのだ。義景にはもう少し大局を見られるようになって貰わねば、朝倉家が危うい」

「ともかく、六角家、織田家に与すると言うことですな」

「この波が去るまでは乗っておかねばならん」


長逸の暴走で三好家と織田家が争ったのは、朝倉家にとって悪い話ではなかった。

だが、最後はいけない。

織田の童と公方様で三好2万5千兵を壊滅させてしまった。

後続の相手はできないと朽木に引いたが、公方様は稀に見る大勝利だ。

織田の童へ募る期待が大きくなるのも頷ける。


さらに、今川軍が一方的に破れたのは想定外であった。

宗滴も一目置く今川義元が念入りに準備し、二重三重の罠を仕掛け、万を期して太原-崇孚たいげん-そうふ(雪斎)が出陣して、一方的に敗れるなど誰が考えるだろう。

織田家は勝てないまでも善戦すると宗滴は予想していたが、見事に裏切られた。

織田家が為したことは誰も真似できない。

宗滴は三好家と今川家との戦いの報告を聞いて自分の時代が去ったことを知った。


「少数で大軍に挑むのは邪道だが、二度も続けば疑いようもない」

「宗滴様でも無理でしょうか?」

「勝てん。相手が何をしてくるのかが読めんのでは勝てん」

「それほど織田家は恐ろしいのでしょうか?」

「恐ろしい。だから、お主らに戦勝祝いに赴いて貰った」

「義景がお怒りでしょう」

「怒っておったが説得しておいた。織田家の陣営に入っておらねば、朝倉家が潰れるぞ」

「まさか?」


織田家を見てきた景紀でもそこまで思わない。

平和呆けだ!

宗滴は心の中で嘆く。

戦を経験している景紀ですら危機感が足りない。

況して、戦に出たことがない義景よしかげは緊張すらしていなかった。


義景は公方様から『義』の字を頂いて幕府の御供衆・相伴衆に列しており、朝廷からも従四位下左衛門督の官位を頂いている。

正室に細川晴元の娘、側室に近衛稙家の娘を貰って、名家として地位を確立した。

名門の朝倉家が負けるなど考えもしない。


「景紀、景垙、そのような甘い考えは捨てておけ」

「甘いでしょうか?」

「織田家に集まった顔ぶれを見たであろう。公方様は大連合を作って上洛する気になってしまわれた。それに従わぬ者は賊軍として討たれることになるぞ」

「朝倉家が賊軍ですか?」

「そのくらいの勢いがあると言うことだ」

「では、賊軍になった京極家と浅井家も滅びると言うことでしょうか?」

「降らなければ、滅びる」


景紀が尾張に行っている間に浅井家の姫が尾張に嫁いで来た。

同時に六角家と浅井家で和議の協議が朽木谷で始まった。


そもそも浅井家は宗滴が救った。

滅び掛けた浅井家を六角家と相談し、朝倉家と六角家の緩衝地帯として宗滴が残したのだ。

大国同士が直接接するのはよろしくない。

浅井家は六角家と朝倉家に両属する形で存続できたのだ。

しかし、そこに三好家が同盟を話を持ち掛け、京極-高延きょうごく-たかのぶとの和議がなって、六角家を挟撃する形を取った。


六角-義賢ろっかく-よしかたは父の定頼さだよりが亡くなって、家臣の不安を取り除く為にも浅井家を討伐せねばならない。

そこで美濃の蝮との和議を結び、浅井家を逆に挟撃する体制を整えた。


「朝倉家にとって緩衝地帯がなくなるのは問題ではございませんか?」

「問題であるが口出しできん。してはならん」

「公方様に逆らわないことですね」

「その通りだ。朝倉家も浅井家と同じと思われては堪らん。織田家と好を結び、六角家を挟む形で三国同盟を結ぶのが良いであろう」

「なるほど、三すくみでございますな」

「そうだ。敦賀は織田家にとっても重要な湊の1つだ。交易が滞るのは織田家としても本意ではあるまい」


宗滴にも1つの考えはあった。

先陣を務めるのもキツくなったが、宗滴の戦歴は輝かしいモノを持っている。

本願寺を抑えて加賀の動きを止めれば、朝倉家は一番に上洛を為すことができる。

いくら名将の卵と言え、魯坊丸はまだ童だ。

先頭を切れば、大連合の総大将を宗滴が受けることは十分に可能だと考えていた。

それで朝倉家の面目は保てる。

その為に景紀と景垙を朝倉家の名代として送ったのだ。


「宗滴様、一大事でございます」


金ヶ崎城に早馬が到着して、一乗谷いちじょうだにに配していた宗滴の家臣が慌てて戻って来た。


「如何した」

「義景様、浅井支持の使者を出された由でございます」

「何だと?」


宗滴が義景に相談もなく、尾張に使者を立てた。

その意趣返しだろうか?

ぬかった。

使者はすでに近江の浅井家の居城である小谷城に到着していると言う。


義景が送った書状は浅井家から六角家に渡る。


『浅井家が三好家との同盟を破棄して六角家に従うと言っている。

これ以上の要求は無用。

不当な要求を止めよ。

両属している浅井家を襲うならば、六角家は朝倉家との約定を違えたとして浅井家に助力する』


義景は正当な主張を行っただけである。

もちろん、浅井家が再び三好家と同盟を結ぶようならば、六角家と共同して浅井家を滅ぼすとも書いてあった。


朝倉家としては浅井家に降るように背中を押しただけである。

これで浅井家が降れば、何の問題もない。

しかし、もしも浅井家が意地になって交渉が決裂すれば、朝倉家の立場が無くなってしまう。


いかん!

義景は公方様の気性を判っていない。

あの方は感情の起伏が激しいお方だ。

一度、敵と思われれば、徹底的に潰しに来るぞ。

宗滴は焦った。

そして、知恵を巡らした。


時期が最悪であった。

公方様が大連合を模索しており、気持ちが絶頂まで高ぶっている。

冷や水を掛けられたと怒るに違いない。


三好家に負け続けていた3ヶ月前ならば、朝倉家の対応は冷静だと褒められたかもしれない。

六角家と浅井家が争って兵力を割くより、力を合わせて三好家に当たれと逆に怒ったかもしれない。

もう状況が違っている。


最早、浅井家程度の小者を相手にしていない。

織田、六角、斎藤、北条、長尾の大連合を見据えているのだ。

武田と長尾の調停が巧く進めば、障害がなくなる。

武田も加えて、上洛させようと躍起になる。

公方様が夢に見ていた大連合が夢でなくなりつつある。

それがまだ夢であることは宗滴も承知している。


100歩の道のりで99歩から残り最後の1歩が大変なのだ。


公方様はそれが判っていない。

だが、遥か彼方に見えた蜃気楼が、手に掴める所に近づいたことで浮かれている。

その浮かれている公方様に冷や水を掛けた。

先代公方様の義晴よしはる様ならば、「浮かれるな、馬鹿者!」と叱ったことになるが、同じことを朝倉家の当主がすれば、敵対行為だ。

拙い!

浅井家と同様に朝倉家も三好陣営に組みしたように見られかねない。

非常に拙い!!


「一乗谷に行く。用意しろ」


宗滴がすぐに一乗谷へ向かった。

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