第9話 気の利く者達。
清洲の用事を終えて沓掛に向かう。
もうお昼過ぎだ。
到着した頃には夕方になっている。
途中の茶店で団子などを買って、そのまま移動しながら昼食にする。
武士が馬上で食するなど格好の良い行為ではない。
だが、それを咎める者はもういない。
商人らが時間を惜しみ歩きながら食事をするのを見て、兄上(信長)が真似をしたからだ。
行軍の途中で食事休憩を入れずに食べながら歩けば、その分は距離を稼げるのではないか?
兄上(信長)はそう考えたのだ。
しかし、それをどうしても自分で確かめないと気が済まない性格なのだから、『うつけ』(馬鹿者)と呼ばれる。
家臣に確かめさせろよ。
それを公表してから実践すれば、『うつけ』(馬鹿者)と呼ばれることはなかっただろう。
今では周知されて、馬上で食事をしても『うつけ』(馬鹿者)と呼ぶ者はない。
先進的な兄上(信長)のお蔭だ。
「あの十兵衛のような者がいれば、兄上(信長)も『うつけ』(馬鹿者)と呼ばれずに済んだかもしれないな?」
「頭がキレて、根回しが得意そうなお方でした」
「兄上(信長)の奇行を周りの者に説明してくれただろうな」
今日も会談で兄上(信長)は「その方がそなたによいと思ったからだ!」と言ったが、俺には何の事が判らなかった。
帰蝶義姉上の補足がなければ、光秀が出てくる前に怒って席を立っていたかもしれない。
自分が判っていると、どうして相手も判ってくれると思うのだろうか?
「信長様は頭が回り過ぎるのです」
「それでは俺も『うつけ』みたいではないか?」
「(若様も非常に優れておりますが、)信長様と違って説明上手でございます」
「千代は煽て上手だ」
千代女が笑みを零す。
若き頃の兄上(信長)には、俺にとっての千代女のような者がいなかったのが不幸なのだろう。
俺もはじめから説明上手だった訳ではない。
千代女に説明している間に説明するコツが掴めた。
兄上(信長)は口下手な上に自分を理解してくれる者がいなかった。
否、話では祖父の
おそらく、信定が父上(信秀)に申し伝えていたので、兄上(信長)の行動を奇行と父上(信秀)も思っていなかったのだろう。
父上(故信秀)が悪い。
父上(故信秀)は自分から子育てを放棄している。
付けた傅役が面倒を見れば良いと考え、そして、三男以下は無事のみ考えて従者と女中を付けただけだ。
7歳くらいになると小姓や侍女を付けてやる。
それで父としての義務を果たしていると思っている。
子育てにやる気が感じられない。
子供を作るのだけは好きな癖に…………。
俺の場合も信光叔父上に押し付け終わりだった。
そのお蔭で色々やれた。
だが、父親失格だ。
兄上(信長)には理解者が必要だったのだ。
「十兵衛のような者が兄上(信長)の家臣になると色々と前に進みそうだな」
「そうでしょうか? 若様の仕事が益々増えるような気が致しました」
「それは否定しない。すでに事実だ」
放置しておけば、美濃はあと4~5年くらい煮詰まらずにやっていけたのに、光秀は時計の針を一気に進めた。
美濃の斎藤家は織田家を倒すか、従属するかの選択を迫られる。
光秀は従属するなら早い方がいいと割り切った。
普通の武将は割り切れない。
あの蝮の利政ですらできない。
だから、利政は織田家から技術を盗んで、いずれは織田家を見返すつもりでいる。
現実には差が開くばかりだけどね。
「若様、『蝮土』で権力基盤を安定させた利政様が、何故、再び不安定になってゆくのですか?」
「それは欲だ。織田家がドンドンと栄えていく。その差が広がり、自分達が損をしているように勘違いをする。浅井家や六角家と比べれば、むしろ栄えている事に気が付かない。否、戦をしていないので余力があり過ぎて力を持て余している」
「つまり、不満を持った諸将が高政様に集まるのですね」
「そう言うことだ。先月まではあの十兵衛もその中にいたのだろう」
光が強くなれば、影が増してしまう。
これは仕方ないことだ。
「なるほど、若様が三好や今川を倒したことでその
「俺が妬まれているのか? 忙しさで殺されそうになっている俺が?」
「はい、天下の二家を手玉に取った名将として褒め称えられております。天下に名を轟かせたことを羨んでおります」
「俺は損害を受けただけで利益もないのだぞ」
「皆は若様のことを知らないのです。皆様は武将の誉れと褒め称えられたいのです」
あっ…………その発想はなかった。
そんなに価値のないものを欲しがるのか?
そういうことか、信勝兄ぃの機嫌が悪いのはそう言う理由か。
俺はそれよりごろごろしたいよ。
その邪魔をされない為にちょっと準備していただけだ。
「あれがちょっとですか? 若様以外は誰もそう思わないでしょう」
儘ならんな~。
俺が残っている団子を一気に口に放り込んだ。
微かに甘い風味が口に広がった。
「十兵衛は織田家へ従属を希望しているみたいですが、十兵衛を手勢に加えますか? おそらく手伝って頂くと仕事が一気に片付きそうですが…………?」
「それは否定しないが遠慮する」
「どうしてでしょうか?」
「俺が会いたくない客が来たら、俺に面会予約を入れる前に暗殺でもしそうではないか?」
ふふふ、千代女は吹き出した。
光秀が暗躍する様が目に映ったのだろう。
あれは勝手に動く奴だ。
「失礼しました。ですが、暗殺は行き過ぎと思います。ただ、他の方法で遠ざけるのはやりかねない御仁と思われます」
「愛情が重い家臣は桜達だけで十分だ」
ふふふ、千代女がもう一度笑った。
桜達は忠誠心が重い。
美味しい食事と比例しているからだ。
好き放題やってくれる困った連中だ。
「若様がお許しになるからです」
「あれは俺のおもちゃだ。見過ごしてやってくれ」
「それはよろしいのですが、以前から申し上げております。彼女らを侍女長から下げることを進言致します」
「俺の不満のはけ口を取らないでくれよ」
「若様の笑わせ役と承知しておりますが、余り贔屓が過ぎると周りへの示しが付きません」
「仕方ない。侍女長を二人増員しよう」
「承知致しました。二人を侍女長に上げておきます」
なんだかんだと言いながら、あいつらは俺の欲しい言葉をくれるのだよな。
馬が進んで行く。
熱田から中根南城に戻って来たのに城に戻らず、舟に乗って沓掛城に向かう。
ゴー、マイ、ホーム。
家(城)に帰りたいよ。
本気で蒸気機関車を開発するか。
そうすれば、汽車の中で移動中にごろごろできる。
うん、今晩にでも設計図を書いてみよう。
◇◇◇
鎌倉街道を東に進むと沓掛に入る。
やっと到着した。
部屋に入って、ごろごろするぞ。
「はい、すぐにお茶を用意しますね」
だから、お湯が沸くまでがごろごろタイムは止めようよ。
休んだ気がしない。
俺はカップラーメンを待っている訳じゃないぞ。
責任者出て来い!
俺、でした。
そんな空しい声を上げていると、信広兄ぃがやって来た。
「殿、お帰りお待ちしておりました」
「魯坊丸で結構です」
「他に示しが付きません」
「で、何ですか?」
「仕官させたい者が一人おり、その者を見て頂きたいのです」
俺は首を捻った。
単純な仕官なら信広兄ぃの権限で土方として雇えばいい。
100人以上を一度に雇うのでなければ問題ない。
武家としての仕官なら熱田神社に回して貰うことになっていた。
「土方ではなく、小者として雇って欲しいと言うのだ」
「そんな無茶は聞けませんよ」
「俺もそう言ったのだが、一月ほど試しに使って欲しいと言われた。 役に立たないと思えば、その場で放り出して貰っても良いと土下座されてな」
「頼まれたので試しに雇ってみた訳ですね」
「そう言うことだ」
「また、変な温情を掛けて」
「身元は那古野の中村郷中中村で間違いないようだ」
中中村?
馬小屋で馬の世話をする小ぶりな者がいた。
馬に何かを話し掛け、
馬も気持ち良さそうだ。
「すぐに追い出すつもりだったが、中々に気が利いて便利な奴だ」
「雇いたくなったと言うことですか?」
「まぁ、そういうことだ」
信広兄ぃが頬を掻いた。
働き者で、朝早くから様々な方面の手伝いをして評判がいいらしい。
煽て上手で喧嘩の仲裁も巧くやった。
最初は追い出すつもりだったらしいが欲しくなった典型だ。
「
へい、小気味の良い返事をすると馬小屋から出て来て膝を付いた。
「こちらが沓掛城主の魯坊丸様だ」
「へい、木之下藤吉郎と申します。しがない針売りの行商人をしておりましたが、織田様の噂を聞き付け、何としても仕官したくなり、お願いした次第でございます」
「藤吉郎と申すのか? 以前はどこに居た?」
「生まれは中村郷中中村でございます。母の名は『なか』と申しまして、村で聞いて貰えれば判ると思います。色々と仕事を致しましたが、最終的に針売りをして東に西に、仕官すべき殿を求めて歩き回った次第でございます」
「信広兄ぃ! この者は松下家の感状を持っておりましたか?」
「何のことだ?」
藤吉郎が一瞬だけ驚いた顔をした。
だが、すぐに表情を隠して土下座をして申し開きをする。
切り替えが早い。
「申し訳ございません。隠すつもりはございませんでしたが、卑怯にも逃げ出して来た家の事ゆえに言い出すことができませんでした」
「言い出せないとはどういう事だ?」
「おらは松下様から可愛がられており、それを妬んだ家臣から疎まれ、虐められておりました。遂に我慢ができず、出奔した次第にございます」
「どんな虐めを受けたのだ?」
「見えぬ所で殴る蹴る。おらの飯をワザと溢したり、冬の寒い日に風呂を勧められ、入れば水風呂でありました。遂に家臣の財布を盗み、おらの箱の中に隠しました。おらが盗んだ訳ではございませんが、証拠が出ては申し開きもできません。殿に謝罪をしてお暇を頂きました」
「そうか、苦労したのだな」
信広兄ぃが同情して言うと藤吉郎がもう一度低く頭を下げた。
やれやれだ。
「丁稚の鑑だな! 相判った。召し抱えよう。励め」
「ありがとうごぜいますだ」
そう言うと藤吉郎は再び馬小屋に戻っていった。
信広兄ぃが少し目を潤ませている。
おい、三文芝居で泣くなよ。
「信広兄ぃはお優しい」
「よく雇ってくれた。感謝する。藤吉郎は可哀想な奴だな!」
「慶次、今の話をどう思った」
「どうでしょうか? ただ、冬の寒い日に水風呂で歓迎するのは面白いと思いました」
「確かに最高の嫌がらせだな!」
「風邪を引くではないか?」
慶次は胡散臭いと思っているようだ。
風呂は主人が入る。
家来から入ってどうする?
俺は敢えて武家の奉公人と言わず、商家の丁稚と言った。
商家ならあり得るが、武家ではあり得ない。
むしろ、真実を証明する為に「切腹しろ!」と言われて逃げて来たと言えば、信じたかもしれない。
武家ならばやっていないのなら堂々と反論し、『感状』を貰って家を去るべきだ。
武家は面子を重んじる。
藤吉郎は「やってません」と言っても、そのままで家を出れば自分がやった事にされる。
武家の常識が判っていない。
「今の話は嘘ですよ」
「何だと!」
「
「よくそんなことを知っているな?」
「偶々、報告にあっただけです」
一番に考えられるのは、
土地を持っていない他国の家臣を解雇するように書かれている。
時期的に他国の者である藤吉郎は解雇された可能性が高い。
しかし、その事を藤吉郎自身が言っていないことが不自然だ!
むしろ、その逆ではないだろうか?
今川義元が間者を送るように言い付け、今川家臣の
藤吉郎は今川の間者と考えると筋が通る。
「間者だと?」
「待って下さい。今川の間者とは限りません」
「では、どこだ?」
「今言ったでしょう。今川家臣の飯尾連龍が義元を見限って、こちらと繋ぎを持とうと送って来た可能性もあります」
「むむむ、難しいな」
「肝心の今川家が無くなれば、藤吉郎は気が利く者のようです。いずれは信広兄ぃに忠義を尽くしてくれるので、貴重な人材と思って置いておきましょう」
「そうなのか?」
「この魯坊丸が太鼓判を押します」
「判った」
きつねか、たぬきに化かされたように首を捻って信広兄ぃが去っていった。
慶次がにやにやと俺をじっと見ていた。
何だ?
「答え合わせを聞かせて頂けませんか?」
「聞きたいか?」
「はい」
答えは簡単だ。
藤吉郎は人柄が良く、誰からも好かれる性格をしている。
それが藤吉郎の技術だ。
殿から重宝されて誰からも妬まれるほど出世したならともかく、殿から可愛がられた程度で周りから妬まれる訳がない。
その
気配りが利く藤吉郎ではあり得ないのだ。
「なるほど! その話そのものが嘘だったのですか?」
「他人の下男の話を自分の話と入れ替えたのだろう。名を貰えるほど、好かれていたなら10石ほどの所領を頂いて家臣になっていてもおかしくない」
「家臣なら諜報を命じ易いですな!」
「そう言うことだ。他国の者でありながら雇って貰えたのだ。有能なのは間違いない。今川家が無くなれば、信広兄ぃに忠義を厚くする」
「なるほど、納得できました」
慶次が納得してくれた。
千代女はいつものように微笑んで頷いている。
そうだ、アユの友釣りだ。
藤吉郎を生かして、他の間者を釣る。
いつもの手法だ。
繋ぎを取ってくれば、そこから追い駆けて元から絶てばいい。
それに秀吉は元農民の間者であって忍びではない。
寝首を掻かれる心配もない。
また、本当に貴重な人材である。
藤吉郎は光秀と違う意味で気が利く男だ。
殺すには勿体ない。
「千代、藤吉郎は字と算盤が少しできるが俺の家臣では物足りぬ。午前は寺子屋に通わせて字と算盤を徹底的に覚えさせろ」
「承知しました」
千代女に見張り付きで藤吉郎に男の世話人をあてがうように言っておいた。
若い頃から女癖が悪いかな?
どういう理由であれ、俺の侍女に手を出したら殺してやる。
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