第8話 カミソリ光秀。

にやり、明智-光秀あけち-みつひでが俺を見る目が変わった。

怪しく妖光を放って目を細めて細く微笑んだ。

ぞわぞわっと毛穴が一気に開いて鳥肌が立つ。

きつねがうさぎを見つけたように。

獲物を見る目だ。

例えるならば、何としてでも捕えようと画策している近衛-稙家このえ-たねいえ様のような目だ。


ノォー、この手のタイプは嫌いだ!

もしかして好かれました?

どこに気に入られる要素がありましたけぇ?

俺、もう帰っていいですか?


「早く本題に入れ!」


空気を読まない兄上(信長)が急かした。

俺は心のどこかで首を横に振った。

聞きたくない。

悪い予感がする。

光秀が「そうでございますね」と頷いた。


「魯坊丸様は武田家を関東大連合に引き入れるおつもりでしょうか?」

「公方様の手前もあり、反対はしない」

「やはり、反対でございましたか」


流石、光秀だ。

翻訳すると、「公方様の言うことですから反対ですが反対できる訳がないでしょう」と言っている。

死ぬかもしれない旅を幼女に押し付けてくるような奴だぞ。

晴信は目的の為なら手段を選ばない。

俺は反対だ。

兄上(信長)なら言葉通りに反対しないのなら積極的でない賛成と考える所を、はっきりと反対と汲んでくれた。

俺の意図を正しく理解できている。


「では、何故、武田の付き人に飛び魚の秘伝を教えておられるのですか?」

「何の事だ?」

「武田の付き人が飛び魚に乗ったとの報告がされております。それを聞いた利政様は武田家を取り込むつもりがあるかと聞いて来るように言われました」

「儂もそれを聞いて驚いた。本当か?」


俺ははっとして後を見る。

千代女も首を横に振り、「すぐに確かめます」と小さく呟いた。

誰だ!

そんな馬鹿なことをする奴は?

俺の脳裏に三人の馬鹿な侍女の顔が浮かぶ。

あり得る。


「なるほど、なるほど、心当たりがございましたか! しかも魯坊丸様の意志ではなかったと言うことですな!」


光秀が俺の心を読むように俺の表情からすべて察したような答えが返ってきた。

こりゃ、優秀過ぎるわ。


「では、意図せず、情報が漏えいしたことになります。このことははじめから懸念されておりました。利政様はそれを踏まえて、魯坊丸様に婚儀をお望みでしたが拒絶され、斎藤家は魯坊丸様から情報を得る機会を失っております」

「斎藤家には優先的にお渡ししている」

「蝮土、農機具、土木技術のことですな」

「その通りだ」

「如何にも、如何にも、その通りでございます」


光秀は納得できていませんと言わんばかりに何度も頷く。

ちぃっと舌を打つ。

飛び魚の情報は頂いておりませんと言う意味だろう。

武田家の付き人がいたと言うことが武田家の姫がおり、おそらく、六角家と北条家の姫もその場にいただろう。

そこに斎藤家の者はいない。


「いずれは武田家、北条家、六角家も斎藤家と同じ情報を手に入れます。武田家が知っており、斎藤家が知らぬと言う事態を避けたいのでございます」

「言いたい事は判った。はっきりと申せ」

「では、利政の末っ子である新五郎様を近習に加えて頂きたく存じ上げます。一人預かるも、二人預かるも同じと存じ上げます」


バレていたか。

兄上(信長)の側室の一人に木造-具政こづくり-ともまさの養女を貰うことになっている。

どこから養女を貰うかと言えば、稙家様の縁戚に当たる近衛家の姫だ。

格式も高くないので兄上(信長)の側室でも問題ない。

木造家は北畠家の家臣であり、具政は伊勢国国司北畠家の第7代当主の北畠-晴具きたばたけ-はるともの3男で、木造-具康こづくり-ともやすの養子に出された。

具政は木造家の次期当主として京に在中し、3月に左近衛中将に昇進した。

つまり、我が義理兄である忠貞たださだの上司となった。


兄上(信長)の側室は、

中根忠貞の上司である左近衛中将の木造具政の養女であり、

伊勢国国司北畠家の第7代当主の北畠晴具の3男の養女であり、

近衛家の縁戚の近衛の姫である。


あぁ、蜘蛛の巣のように絡み合っているよ。


この木造姫の付き人に北畠家から7歳の加木屋-正次かぎや-まさつぐが付き人としてやって来る。

正次の父は斎藤-正義さいとう-まさよしと言い、正義は(近衛)稙家様の庶子であった為に比叡山横川恵心院に出家させられていた。

しかし、武を好んだ彼は勝手に還俗し、姉が利政の愛妾となっていた縁で養子に入っていた。

利政にとって近衛家の息子を養子に迎えるのが悪くなったのだろう。


しかし、あまりにも有能であった為に利政より身分が上になり、少々煙たくなってきた。また、守護土岐頼芸とき-よりあきにも疎まれるようになった。

細かいことはよく判らない。

天文17年(1548年)2月に配下であった久々利城主の久々利頼興に館へ酒宴に招かれて、正義は謀殺された。

利政は土岐頼芸の謀略であったことを知っていた為に久々利頼興へ報復はしなかった。


事情はどうあれ、

利政が正義を見捨てたのは明らかであり、稙家様が利政を嫌う原因の1つである。

こうして、正義の子である正次は頼りにならない養祖父の利政を離れ、北畠家を頼って名を加木屋に変えた。


稙家様にとって孫に当たるので、俺の近習として迎えて鍛えて欲しいと頼まれた。

木造姫の付き人として尾張に入り、俺の近習として召し出されることになっている。

北畠家の家臣だった者が俺の近習になる。

北畠晴具は俺と兄上(信長)と縁ができるので大喜びだ。


縁が半分切れているが、正次は利政の義理の孫になる。

実子の利治と義理孫の正次を一緒に近習にするくらいは良いだろうと言っている。

光秀の話は続く。


「利治様の付き人として、明智-秀満あけち-ひでみつ光忠みつただ斎藤-利三さいとう-としみつの三人が従います。また、正次様には不破-直光ふわ-なおみつ竹腰-尚光たけごし-なおみつ竹中-重虎たけなか-しげとらが従います。すべて、魯坊丸様に信頼を厚くする城主の息子達でございます」


明智家が俺を信頼しているかどうか知らないが、美濃の西を預かる竹中家、不破の関を守る不破家は牛屋城(大垣城)から近江に入る街道にあるので物流で潤っている。

当然、織田家の恩恵を受けている城主らだ。

そこにさり気なく、美濃の麒麟児の重虎が混ざっているのが気になった。

美濃の蝮だ!

利政は本気で織田家の技術を取りに来ている。


「ふふふ、ご安心下さい。魯坊丸様の素晴らしさを実感し、必ずや臣従することになるでしょう」

「それこそ、美濃を乗っ取ろうしているとか言われかねない」

「ははは、尾張の国主でない魯坊丸様が美濃の国主になるハズもありません。この十兵衛、皆に正しく伝えておきましょう」


兄上(信長)より頭の回転が速く、俺の意図を正確に見抜いてくれる。

でも、何だろう?

この気持ち悪さは?


「では、ご承知頂けたようで何よりでございます」

「俺はまだ返事をしていないぞ!」

「皆まで言わずとも判っております。派手な諜報はさせませんし、家臣と同様に扱って貰って結構です。気に入らねば、手討ちにされても文句も言いません。領主の方々にはその旨を伝えてからお出し頂きます」


あぁ、判った。

俺が脅し文句に言おうと思っていることを先に言われているのだ。

察しが良過ぎて気持ち悪いのだ。


「これで胸のつかえが下りました。これからもよろしくお引き回し頂けますように」

「兄上(信長)共々よろしく頼む」

「最後でございますが、信勝様が兵3,000人を引き連れて、近江攻めに参戦するつもりでいるようです」

「聞いてはいないが、何となく察せられる」

「高政様も信勝様も武功が欲しいらしく、高政様は協議が終わる前に動く気配がございます」

「それは知らんな。どこで手に入れた?」

「高政様ご本人でございます。某に近江について詳しく聞かせろと言われました。知らぬとしらを切る訳にもいきませんので、知る限りの事をお教え致しました」


おまえ、光秀が元凶か!


「おそらく、誰かを造反させ、その援軍という形で雪崩れ込むつもりと察せられます」

「それに信勝兄ぃは参戦しておれば、仕掛けたのは二人だとバレるだろうが?」

「そのような細かい事を気にされるお二人と思われません」


だよね。

浅井家から嫁を貰った信勝兄ぃに浅井攻めに参戦しないかと誘う高政も大概だが、それを受ける信勝兄ぃも大概だ。

浅井久政は「卑怯だ!」と二人を詰るだろうが、「それがどうした」と返して終わる。

ザ、戦国時代の二人だ。


「で、どういたしましょうか?」

「何故、俺に聞く?」

「利政にお知らせして止めさせるべきか、どうせ協議が不調に終わるのは判っておりますので、二人の評価を下げさせる方がよいのか? どちらがお望みかと言う意味でございます」

「俺の意志に従うと言うのか?」

「はい、従わせて頂きます。積極的に高政様を排除されますか、もうしばらく放置されますか?」

「十兵衛、言い過ぎてあろう」

「いいえ、孫四郎様。高政様では美濃が持ちません。孫四郎様が次期当主に成られるべきでございます。しかし、それは魯坊丸様の協力なしでは為し得ません」

「兄上(高政)も美濃を案じておられるのだ」

「それは私も理解しております。しかし、山城衆の存在をお伝えしても魯坊丸様の凄さを理解できませんでした」


高政に山城衆(美濃黒鍬衆)の事を教えてしまったのか?

近江攻めの後に、山城衆の扱いを巡って利政と高政が対立する。

何て事をするのだ。

乾いた枯れ木に火をくべるようなものだ。

美濃を1つにするには手っ取り早いかもしれないがやり方が過激だよ。

しかも、すでに実行しているので賽は投げられている。

知らん!

胸糞が悪いが、俺が決めることではない。


「放置する」

「承知しました」

「但し、高政殿に山城衆の存在をお伝えした事のみ伝えておけ」

「なるほど、魯坊丸様は意地がお悪うございます」

「お前ほどではない。これは美濃の問題だ。山城衆を引き上げろと言うならば、引き上げさせる」

「できないことを言って頂いては困ります」

「困るのは美濃であって俺ではない」

「その通りでございます。山城衆を排除すれば、美濃が衰退するのは必定です」

「お前の『新蝮土』で補えばよいではないか?」

「1つや2つを作るのではございません。一度に抜けられてはこちらも困るのです。彼らは忠義者が多く、利政様が命じても山城衆を取り入れることもできません。ならば、利政様が高政様を自ら排除せよと言っているに等しい行為でございます」


お前が作った状況だろう。

俺に振るなよ。


「申し訳ございません。すべては私が至らぬばかりに起こした事でございます」


また、俺の腹の底を読まれた。

糞ぉ、光秀の判断は間違っていない。

織田家を妬む造反組が高政に付く前に終わらせた方が美濃にとって良い結果になる。

暴発させて処分する方が簡単なのだ。

だが、それを俺が決めることではない。


「では、孫四郎様。どう致すのが良いと思われますか?」


あぁ、聞くと思ったね。

兄上(信長)も帰蝶義姉上も黙ったままで口を挟まない。

孫四郎が悩む。

蝮(利政)ですら悩むだろう。

自分の息子をどう処分するかと言う話だ。

俺を見極めろと言う課題が美濃の行く末を決める課題にすり替えられた。

光秀はカミソリのような切れ味のある怖い斎藤家の家臣だった。

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