閑話.早川日記(5) 早川殿、魯坊丸に惚れた? 呆れた?

毎日がおどろくことで一杯であり、幸菊も驚くことに慣れてきた。

今日も里に連れられて熱田の町に遊びに行った。

そこに売られている商品の多さに驚いた。

豊良方とよらのかた真理姫まりひめも一緒で大所帯であったが、熱田の民も慣れているのか、幸菊の一行に驚いていない。

お市は3日ほど居ると末森に戻っていった。

うるさいお市がいないとのんびりと買い物もできた。

そして、炉辺の店で買い食いをした。


「ここのお饅頭は最高に美味しいです」

「そうなのですか?」

「さぁ、さぁ、食べて、食べて」


侍女の桜は無造作に饅頭を里に渡し、里がぱくりと頬張った。

毒見役もなく、食す。

びっくりだ。

そんなことを織田家が許しているのだろうか?


「食べて、食べて!」

「姫様、私が毒見を」

「付き人さんも欲しいならどうぞ」

「そういう意味ではなく…………」

「どうぞ!」


大弐だいにが『姫様!?』と声を上げるが、織田の侍女達が気にしない。

幸菊は真新しい饅頭を口に入れた。

甘くて美味しい。

立って食べるのもはじめてなら、毒見もなく食べたのもはじめてであった。

ホント、驚くことばかりだ。


お市がいなくなると中根南城は平和になる。

朝、突然に障子が開くこともなく、食事の食べ方を強制する人もいない。

お市なりの気づかいなのかと幸菊は考えた。


「う~ん、どうかな? たぶん、何も考えていないと思う」

「そうなのですか?」

「お市様の行動の半分は考えなしですから?」

「はぁ?」

「悪気がないので気にしないことです」


里はお市のことをよく理解していた。


数日するとお市が戻ってきた。

今度は女官と一緒に公方様に仕えている方がお市の護衛の朽木-輝孝くつき-てるたか和田-惟政わだ-これまさを連れ添って来た。

公方様が直々に護衛を付けるなんて信じられない。

びっくりだ。

二人は数日だけ一緒にいると帰っていった。

幸菊には理解できない。


それに比べると魯坊丸の兄弟達は判り易かった。

幸菊とあいさつを交わすと北条家のことを聞いてきた。

特に大叔父上の宗哲の武勇を聞かせると喜んだ。


「また聞かせて下さい」


兄弟達は中根南城に泊まることはなく、食事を終えるとおかずを見繕って土産にして帰ってゆく。

魯坊丸が在宅の時は泊まってゆくこともあるそうだ。


「兄上らがそんなに気にいったかや?」

「皆、良い方だと思いました。弟の方も可愛らしかったです」

「う~ん、ならば、神学校に案内してやるのじゃ!」


どうして当然に魯坊丸が作った神学校が出てくるのか判らなかった。

翌日、お市がお昼から強引に案内してくれた。


「お初にお目に掛かります。又十郎と申します」

「わらわの弟じゃ!」


どうやら他にも姉弟がいたらしい。

又十郎は神学校で勉強しているらしい。


「お市姉上、あまりご迷惑を掛けないようにして下さい」

「迷惑など掛けておらん。そうであるな! 幸菊」

「はい、大変にお世話になっております」

「大変な姉で申し訳ありません」


又十郎は大変に行儀の良い子であった。

母方は岩室殿だ。

信長様の筆頭側近である長門守を叔父に持っており、魯坊丸の側近になる為に神学校で鍛えられていると言う。


「弟なのに側近を目指しているのですか?」

「大叔父上様が言うには、魯坊丸兄上はいずれ日の本を背負う者になるので、その側近となれば、大大名より偉くなると言っております」


魯坊丸に期待しているのがよく判った。


「まずは、左腕の千代女様を助け、右腕になれるように精進しております」


また、千代女の名が出てきた。

何日も居れば、幸菊も中根南城のことが少し判って来た。

中根南城の奥を取り仕切っているのが千代女であり、奥の女中らはもちろん、城代から城兵まで千代女のことを信頼していた。

その千代女の実家は望月家であり、六角家に仕えている。

あの六角家だ。

豊良方とよらのかたは六角家の養女である。

道理で丁寧に接していると思えた。

さて、又十郎とあいさつが終わると城に戻る。

これで悪気がないと言うが、せめて神学校の中を案内して欲しかった。


どたどたどた、その日も幸菊が団欒の間で里らと遊んでいると姫らしくない足音を立ててお市が戻って来た。


「今日、魯兄じゃが戻ってくるのじゃ!」

「やっとお戻りですか?」

「では、魯兄じゃの隣を誰が座るかの戦いをするのじゃ」

「順番では駄目なのですか?」

「魯兄じゃはまた沓掛に戻るのじゃ。数少ない機会を順番などで待っておられん」

「百人一首と模擬戦は嫌ですよ」


幸菊にとって完全なトラウマになっていた。

真剣にやり合うのはこりごりだ。

さて、全員参加となると真理姫が参加できる競技は限られている。


「ジェンガではどうでしょうか?」

「うむ、総当たり戦で決めるのじゃ」

「今度は負けません」

「返り討ちじゃ」


お市はジェンガも得意だ。

でも、運がよければ、真理姫も勝つこともある。

真理姫には強力な助っ人もいる。


「若様がお帰りになられました」


その勝負の途中で魯坊丸が城に戻って来たので幸菊は慌てて立ち上がった。

お出迎えせねば!

幸菊が移動を始めると、豊良方と真理姫の付きの人らが負けぬように背中を押した。

そして、三人でお出迎えだ。


「おかえりなさいませ」

「た、ただいま…………」


慌てる魯坊丸はとても可愛い。

急にやる気が沸いてくる。

何としても食事の隣の席を手にいれなければと燃えてきた。

でも、やっぱり負けました。

順当にお市が魯坊丸の隣に座り、その反対側は次席の里が、そして、ご飯をそそぐ役が三番手のお栄です。

織田家の姫は勝負になると強かった。


 ◇◇◇


さて、食事までの間、お市は魯坊丸が連れてきた殿方を捕まえて百人一首をはじめます。

何と!

お市が圧倒される姿をはじめて見ました。

派手な着流しを着ている殿方は非常に百人一首がお強い。


「糞ぉ、負けたのじゃ。もう一回勝負じゃ」

「いいぜ、何度でも受けて立とう」


お市が悔しそうにする姿はとても溜飲が下がった。

いい気味です。

でも、食事の時はお市らに話を独占されました。

ちらちらっと目線を送るのですが、魯坊丸は気が付きません。

むむむ、幸菊は話ができない。


意に沿わない婚約者かもしれませんが、婚約は婚約です。

気づかいがあって当然だと幸菊は思った。


『少しくらい回してくれもいいじゃない』


幸菊は恨めしそうにお市を睨みながら心の声で叫びます。

お市に聞こえる訳がありません。

食事が終わると魯坊丸は忙しなく席を立ち上がり、豊良方、真理姫に一言だけ声を掛けます。

そして、幸菊にも一言だけ声を掛けたのです。


「何か不満はございませんか?」


ふん、不満だらけです。

食事が美味しいのでお箸が動いてしまうが、本当なら途中で席を立って出て行きたかった。

そうすれば、不満があると気づかせたかもしれない。

でも、お箸が止まらなかったのだ。

自分の意地汚さにも不満を覚えた。

私の馬鹿、馬鹿、馬鹿。


「知りません」


文句を言いたいが出てくる言葉は横を向いて不満そうにするだけであった。


「そうでございますか。気が付いたら何でも言って下さい」


それだけ?

魯坊丸は頭を1つ下げると去っていった。

婚約者として、無視されるのは不愉快極まりなかった。

やっぱりと言うか、日が暮れても会いに来てくれない。

意を決して、幸菊は部屋を出ていった。

会いに来てくれないならば、自分から魯坊丸様の部屋を訪ねればよい。

気が付けば、何を言ってもいいのよね!

そう思いながら渡り廊下を渡って、魯坊丸の部屋に向かった。


「若様」


魯坊丸の部屋から女の声がした。

誰?

そう思って近づくと、その声の主がと千代女とすぐに判った。

幸菊の眉に自然とシワが寄る。

やはり、タダの側近じゃなかったのね。

判っています。判っていますとも…………。

そう思いながらも部屋に近づいてゆく。


「この処理は千代に頼む」

「承知しました」

「大喜でよいか?」

「問題ございません」


部屋に近づくと、声がはっきりとしてきた。

色ごととまったく関係ない。

お仕事でした。

ちょっと安心した気分になり、同時に残念にも思えた。


「早川殿」

「義母上様」

「お茶を持って行って頂けますか?」

「あのぉ、よろしいので?」

「お仕事が沢山溜まっているので、今日は遅くなると思います」

「遅くですか?」

「ええ、遅くです。普通の子ならば、よかったのでしょうけどね」


魯坊丸の母はとても困ったような顔をします。

言われた通りに幸菊はお茶を届けました。


「見ていてもよろしいでしょうか?」

「好きにしろ! 相手はできんぞ」


仕事中の魯坊丸は少し怖い。

でも、許可を貰ったので見学します。

色々な人の名前が飛び交います。

難しい言葉が出て来て、何を言っているのか判りません。

判るのは山積みになった手紙が沢山あることだけです。

よく見れば、背中が小さい。

やはり魯坊丸は子供です。


いつまで続くのだろうと思っていると、こっくりこっくりと幸菊に睡魔が襲って来て、そのまま寝息を立てて寝てしまった。

次に幸菊は気が付くと自分の部屋の布団の上でした。

そして、お市に叩き起こされます。

やはりと言うか、体操には魯坊丸の姿はありません。

まだ、寝ているそうです。


お市が来ると貴重な京の女官に教えて貰えます。

飛鳥井家の女官に手解きをして貰える機会はほとんどありません。

大変贅沢なことですが、お市の女官と言われると癪な気がするのが何故でしょうか?

そして、今日もお市が一番に課題を終えて部屋から出ていった。

競争している訳ではないが凄く悔しかった。

しばらくすると、お市が残念そうに戻って来た。


「あのぉ、魯坊丸様は?」

「今日は忙しく、相手をしてくれん」

「ですが?」

「見に行けば判る」


お市にそう言われて、本丸の大広間の間に向かった。

襖を少し開けた。

覗いて見ると確かに忙しそうだ。


「馬鹿もん。そんなことも判らんのか? 何年やって来た!」

「申し訳ございません」

「頭を回せ。 待て、少し見せてみろ」


魯坊丸は部屋中を駆け回り、沢山の大人を相手に怒鳴り付けている。

よく見れば、那古野城の城主の信光、勝幡城の信実、清洲城の信長の側近の長門守もいた。

そのキリっとした顔は格好よかった。

幸菊の顔が綻んだ。

しばらく、幸菊は魯坊丸の顔を追い続けた。

部屋に戻ると、お市は浮かれている。


「ピザじゃ、ピザ祭りじゃ!」

「ピザとは何ですか?」

「魯兄じゃが、食べたいと言い続けた幻の食べ物じゃ」


お市の興奮が冷めない。

日が暮れると仕事が終わったらしく、幸菊らも大広間の間に呼ばれた。


「では、最初の一枚は紅葉に取って貰う」

「わぁ、やった」

「皆、食べてくれ!」


沢山の皿に並べられたピザを皆が手に取った。

侍女が一番先に食べるのはよく判らないが、これも織田家流なのだろう。

幸菊も一枚を渡された。

ばくっと口にする。

信じられないほどの旨みと芳醇さが口に広がった。

至高の味だ!


「おかわり!」


幸菊がもう一枚を取ろうとしたがもう皿には何も残ってない。

侍女が魯坊丸に怒りの声を上げていた。


「若様、食べ放題と言ったじゃないですか?」

「あぁ言った。から揚げでも、焼き肉でも好きなだけ食べろ!」

「ピザは?」

「チーズがまだないのだ。お代わりがある訳ないだろう」


が~~~ん、侍女の顔が固まった。

まるで心の声が幸菊にも聞こえるような表情だ。

一斉に膝が崩れた。

魯坊丸付きの侍女達がその場に崩れて溶けてゆく。

幸菊もその気持ちが判る。

ピザのお代わりが欲しいです。


「若様の嘘付き」

「俺はピザを食べ放題とは言ってないぞ」

「馬鹿、馬鹿、馬鹿」

「その内に牛を増やして、本当の食べ放題をやってやる」

「いつですか?」

「千代、いつぐらいになる?」

「3年くらいです」

「待てません」

「1ヶ月ほど待て! 少しは出来てくる」

「絶対ですよ」


魯坊丸と侍女の距離は近いと思った。


 ◇◇◇


翌朝、体操を終えると魯坊丸が朝食を食べに来た。

はじめて魯坊丸と一緒の食事だ。

幸菊はちょっと嬉しかった。


「千代、俺は行きたくないぞ」

「無理です。諦めて下さい」

「行きたくない。千代、一人で行ってくれ!」

「私も隣の教室で授業をします。同時に2つは無理です」

「千代の薄情者!」


えっ、魯坊丸が弱音を吐いている。

何でも今日は神学校で教鞭きょうべんを取るらしい。

魯坊丸はそれを嫌がっていた。

子供のようなことを言っている。

駄々っ子だ。

この子、誰?

幸菊の箸が止まっていた。


「あまり気にするでないのじゃ。魯兄じゃの駄々っ子ぶりはいつもの事じゃ」

「いつもですか?」

「魯兄じゃは一日中ごろごろしたいのじゃ」

「ごろごろ?」

「寝て暮らしたいということじゃ」

「まさか?」


昨日の凛々しさが嘘のようであった。

姿勢も酷い。

机に寝そべって、駄々を捏ねながら食事をしている。


「千代、何とかならんのか?」

「流石に無理です」


魯坊丸が千代女に甘える。

酷過ぎた。

三人も婚約者が目の前にいるのに完全に無視ですか?


「あの!? 千代女殿とはどういう関係なのですか?」

「関係?」

「タダの秘書です」

「魯兄じゃの半身じゃな」

「兄上の大切な方です」


幸菊の顔が少し強張った。

この際、魯坊丸の意見は無視しよう。

本人は否定するが、お市と里ははっきりと言う。

幸菊にもそう見える。

嫉妬と困惑が混じった複雑な感情であった。

凛々しい魯坊丸と駄々っ子の魯坊丸。

どっちが本物なの?

結局、正直に答えて貰えず、玄関で見送ることになった。


「魯兄じゃの横に立ちたいのならば、千代姉じゃと同じくらい賢くならねばならんのじゃ」

「あの千代女殿は本当に賢いのですか?」

「強くて、賢いのじゃ」

「そうは見えません」

「今川家の雪斎を討ったのは千代姉じゃじゃ」

「まさか?」

「わらわも千代姉じゃに助けて貰ったのじゃ。嘘など言わぬ」


今川家の黒衣の軍師と同等ってこと?

幸菊は信じられない。


「わらわの目標じゃ! まだまだ強くならねばならん。賢くならねばならん」


お市は真っ直ぐな目で千代女の背中を眺めて言っていた。

嘘には見えない。


「私も負けません」

「早川も千代姉じゃを追い駆けるのかや?」

「はい」

「千代姉じゃは強いのじゃ」

「でも、負けません」

「まずは、わらわに勝ってから言うのじゃな」


う~ん、それは難しそうだ。

でも、負けたくないと本気で思った。

幸菊は軍事や雑務に詳しい方を寄越して欲しいとお叔父上の宗哲に頼む手紙を書いた。

そして、今日の事を忘れないように日記に残した。


「大弐、私がお市様に勝てる日が来るのかしら?」


大弐は答えてくれなかった。

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