閑話.早川日記(4) 早川殿、織田家を勘違いする。

うひゃぁぁぁぁ、勢いよく『飛び魚』(ハンググライダー)の練習用の骨組に縛られた源五郎が天高く飛んだ。

源五郎の声が段々と遠くなり、海に着水する。

あぁ、痛そうだ。

そして、白目をむいた源五郎が陸地に戻されて来た。

いつか通った道、侍女たちがそう言いながら楽しそうである。

目が覚めたらもう一度撃ち出すと口々に言うのが少し怖い。

可哀想に。

源五郎も変なことを口走るからだ。

そう思いながらも幸菊は自信を失ったままで、ぼっと精気のない目で見つめていた。

これも織田家流なのですね!

童でも強くなるハズです。

大叔父上様、母上様にお知らせせねばなりません。

自分の焦燥感を少しでも共有できる者も探していたのだ。


 ◇◇◇


翌朝、百人一首と模擬戦でズタぼろに心を折られ、泣き崩れて夜を明かした幸菊をお市は容赦なく叩き起こしにきた。


「いつまで寝ているつもりなのじゃ。もう体操の時間なのじゃ!」


中根南城の朝は早い。

魯坊丸は刻の鳥の声で起き出すが、他の者は鳥が鳴き出す前に起き上がる。

(魯坊丸の朝練の時間って、他の者の半分だったのですね!)


「その箪笥たんすの一番下の服を着るのじゃ」


中には『もんぺ』と言う感じの体操着が用意されており、着替えるとお市に連れられて移動する。

そこは禁止と言われている隣の曲輪だ。


「あの本丸以外に行ってはならないのでは?」

「こちらの曲輪は渡り廊下で団欒の間に行けるので、本丸と同じ扱いじゃ」

「そうなのですか?」

「わらわ達の遊び場じゃぞ」

「そうなのですか?」


外に出ると魯坊丸の母も参加していた。

体操をすると軽い運動(ランニング)をしてから朝食になる。

こ、これが軽いのですか?

幸菊は奇妙な踊りを踊った後に、かなり長い小走りを続け、息が枯れてくる前に細目に水を口に含みながら汗だくになった。

朝練が終わると水浴びが待っていた。


「これを動かすと水が出てくるのだ」


お市が井戸の上に乗っている物の取っ手を前後に動かすと、天井から小さな水の粒が降って来た。

ぽつぽつと当たった水粒が火照った体を一気に冷やしてくれる。

気持ちいい。


「冬は手早く終わらせないと風邪を引くのよね」

「里様、そうなのですか?」

「うん」

「わらわは平気じゃぞ」

「その後の甘い甘酒がおいしいものね」

「そうなのじゃ、格別なのじゃ」


夏には夏の、冬には冬の特別があるらしい。

とても興味深い。

着物に着替えると朝食が用意されていた。

今朝はトーストという奇妙な物だ。

皆が箸を使わず、手で取って食べている。


「苺ジャムを付けると滅茶うまなのじゃ」


お市が勝手に赤い物を塗り、幸菊に渡してくる。

幸菊は警戒しながら目をつぶって言われるままにがぶりとトーストを齧った。

何ぃ、甘い。

あまりの甘さに幸せを感じた。

本当に織田家のご飯は美味しいです。

この美味しさがなければ、すでに逃げ出していたかもしれない。


「次にこの味噌汁を飲むのじゃ」

「お市様、お味噌汁は邪道です」

「そんなことはないのじゃ」


言われるままにしょっぱいお味噌汁を飲む。

おぉ、甘さが一気に流されて、味噌汁が一段とおいしく感じる。


「次にこのホットミルクを飲むと良いのじゃ」

「味噌汁の次にミルクは変ですよ」

「そんなことはないのじゃ」


今度はほのかな甘みが感じられた。

次にお市が指差したのは白い物だった。


「目玉焼きには醤油を掛けて食べるのが一番じゃ」

「そこは同意致します」

「そうであろう」


幸菊は箸で切ると黄色い物が垂れてきた。

それを付けて口に入れろと言われた。

これも美味しい。

そして、最初の苺ジャムのトーストに戻る。


甘い、しょっぱい、甘い、しょっぱいと違う甘味としょっぱさがエンドレスで幸菊を襲った。

手が止まりません。

また、食べ過ぎてしまいました。

お腹が苦しい。

さて、食事が終わるとお市は立ち上がると宣言します。


「次は『遊戯道』(アスレティック)で遊ぶのじゃ」

「お待ち下さい。尾大納言びだいなごん様」

熱田局あつたのつぼね、お勉強が先でございます」


幸菊は凄い発見をした。

なんと、あのお市がしおしおになっているのだ。

お市に苦手なモノがあったのでほっとしてしまった。


「仕方ないのじゃ。勝負は後にする」


団欒の間の隣には勉強の間が用意されていた。

子供の為に色々な教材が置かれている。

今日はそこで礼儀作法の復習となった。

幸菊をはじめ、お栄や里の手引きをしてくれる。

女官達は京の出であり、その洗練された動きが大変に雅であった。

素敵です。

幸菊は心を奪われた。


そこで幸菊は新しい真実を知らされることになる。

あのじゃじゃ馬が。

粗暴で、ぞんざいな、あのお転婆が?

まるで別人のように豹変した。


なんと、お市は飛鳥井-雅綱あすかい-まさつなの猶子だった。

そして、公家のお姫様だと聞かされてもおかしくない雅で洗練された動きを披露する。

幸菊は頬を抓った。

夢だ、誰か嘘だと言って!


女官は田舎育ちで手前しかしたことのない幸菊の礼儀作法を幾度となく指摘する。

一方、お市の動きは完璧であった。

じゃじゃ馬のお市に礼儀作法でも負けた。

昨日以上のショックを受けた。

武、教養、礼儀作法のすべてに劣っている。

もう立ち直れない。

そう思っていたのだが、幸菊のショックはさらに続く。


お昼からは『遊戯道』(アスレティック)で遊んだ。

飛んで、跳ねて、走る。

風魔忍の得丸が忍術の訓練のようだと言うくらい過激な動きを要求される。

とても危険なので、真理姫は初心者の道を使っている。

幸菊は何度も落ちて死に掛けた。


「落ちてもネットを張ってあるから大丈夫なのじゃ」


忍術を極めるような道を何周も周回する。

慣れた所で競争だ。

お市に負けるのは仕方ないと思えてきた。

だが、5歳の里とお栄に負けたくない。

幸菊はがんばった。


「なんじゃ、もうバテたのかや?」

「お栄様、今度は私と競争しましょう」

「里に負けん」


里とお栄はまだ元気だった。

これも地味にショックが大きかった。

体力でも里とお栄に劣るの?

正確に言うならば、『遊戯道』(アスレティック)に慣れていない幸菊は無駄に体力を消耗しており、里とお栄に劣っている訳ではない。

だが、そんなことに気付く訳もなく、幸菊は落ち込んだ。

私は虫並です。

自信を喪失した。


翌日の昼は侍女達が『風がいい』と言って、皆でお出掛けになった。

あぁ、人が空を飛んでいます。

これが噂の『天駆ける船』ですね!

幸菊も直に見るのははじめてだ。

噂は真実であった。


大弐だいに、人は空を飛べるのですね?」

「おひいさま、しっかりなさいませ。目の焦点が合っておりませんよ」

「だ、だって! 人が空を飛んでいるのですよ」

「落ち着いて下さいませ!」


そこで真理姫まりひめの付き人である源五郎が騒いだ。


「是非、私にも乗せて下さい」


土下座です。

恥も外聞もなく、侍女達に土下座をして頼み込んだ。

侍女達がにたぁと悪い顔をすると、倉庫から骨組みだけの『飛び魚』を取り出して来た。


「これは練習用の機体です。これで飛べるようなら乗せて上げます」

「ありがとうございます」


うひゃぁぁぁぁ、大きな声を上げて源五郎が飛んで行きました。


「昔の桜みたい」

「私はあんな大きな声を出していません」

「出していたって!」

「そんなことないもん」


白目をむいて倒れている源五郎を無視して、侍女たちは遊んでいます。


「わらわも早く大きくなって飛びたいのじゃ」

「私も!」

「一緒に飛ぶのじゃ」


織田の姫は飛ぶのが怖くないようです。

気が付いた源五郎が再び撃ち出されます。

まったく容赦ありません。


「早川殿も練習しますか?」


ぶんぶんぶん、絶対にお断りです。

戦に強い訳がよく判りました。

大叔父に知らせておきましょう。

(驚きを共感している人を求めてます)

織田家は恐ろしい、でも、今日もご飯は美味しいです。

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