閑話.早川日記(3) 小姑はお市様。
夜を“パ~ン”こめて
よに
よに
50枚もあったお市の陣地の最後の札を幸菊側に渡して、お市が勝利宣言をする。
「かかか、情けないのじゃ! 和歌が得意じゃと言うから百人一首にしてやったと言うのに、一枚も取れないではないか? お里やお栄でも一枚くらいは取ってみせるぞ!」
腕を組み、少しのけぞってお市が幸菊を見下した。
もちろん、一枚も取れないのはなまじっか和歌を知っている為である。
お里やお栄は数枚しか覚えておらず、知っている札が出ると飛び付くのでお市も間に合わない。
全部、取ろうとするから一枚も取れなくなる。
貶しているが、お市も
似た歌を一箇所に集め、束で取る。
自陣に定位置を作る。
逆さの札でも読み慣れる。
そして、起き手と払い手の違いなどだ。
特にお市は体に勢いを付けて、相手が見つけた札を追い越して払うのが得意であった。
始めから一枚も取らせずに2連勝を飾った。
「100枚すべて使う源平合戦の方がお手付きもなく簡単なのじゃ! 魯兄じゃはわらわより強いぞ。その程度の教養で魯兄じゃの横に並ぼうとは驕り高ぶっているのではないのじゃ!」
「それは…………」
「わらわは手加減してやろうかと言ったのじゃ。いらんと言ったのはそなたであろう」
「その通りです」
幸菊はお市の戦術に嵌っていた。
得意な物は何かと聞かれ、『和歌』と言った瞬間、お市が『百人一首』を取り出した。
最初は10枚で練習をする。
ルールはすぐに判った。
京で流行りはじめている遊びだと言われれば、そうなのかと思うしかない。
『手加減はいるかや?』
お市にそう挑発されて、ハンディーが欲しいと言うのは北条ではない。
況して、お市は6歳であり、幸菊は16歳だ。
幸菊の方が逆にハンディーを出すのが普通の年の差であった。
そして、100枚を半分にして配られた。
上の句を読んで、下の句の札を取る。
慣れないとすぐに反応できない。
幸菊はすべてを覚えようとするので頭が混乱する。
混乱している間にお市がドンドンと取っていった。
そして、札が減る度にお市の速度が上がって行き、幸菊の手を追い越すようになった。
幸菊の完敗であった。
「大したことないのじゃ!」
「お市様、お昼ができました」
「義母じゃ、すぐに行くのじゃ!」
幸菊は自分でも気が付かない内に悔しくて泣いていた。
情けなくて泣いていた。
残った50枚の札を見つめた。
「何をやっているのじゃ! 義母じゃを待たせる気か、躾けもなっておらんのかや。片付けて食事に行くのじゃ!」
「すみません」
「ふん、教養は駄目々々じゃが、実戦は得意かや?」
「薙刀を大叔父上に鍛えて貰っております」
「ならば、昼を食べて模擬戦をやるのじゃ!」
「それは流石に…………」
「気にするな! わらわも模擬戦は得意なのじゃ」
お市がにっこりと笑った。
◇◇◇
昼食を終えて休憩が終わると中庭に出た。
幸菊は練習用の木の薙刀を持ち、お市も木の小刀を手にした。
「お市様、流石に薙刀を相手に小刀は無理です」
「気にするな! 当たらなければ、どうと言うことはない」
「しかし」
「諄いのじゃ!」
お市が間合いを一瞬で詰めて、喉元に小刀の先を置いた。
『これで一本なのじゃ!』
えっ、ええええええぇ!
今、何をされたのか、まったく判らなかった。
「では、始めるのじゃ!
「判りました」
幸菊とお市の模擬戦がはじまった。
流石に最初の一撃のように不用意な接近はしない。
お市がすっと近づくと、幸菊が薙刀を降ろして攻撃をする。
それをさっと避ける。
避けた後に、また近づく。
振った薙刀が軌道を変えて戻って来た。
お市はバックステップで間合いを取り直した。
えっ、当たらない!
幸菊の間合いにいたお市が一瞬で間合いの外に逃げた。
受けるのではなく、お市は間合いを外した。
受けられたときの対処は色々あったが、逃げる敵は珍しい。
リーチの長い薙刀から逃げるのは難しい。
逃がさない!
幸菊がお市を追って前に飛び出した。
『はい、一本なのじゃ!』
え…………えっぇぇぇぇぇ!
何が起こったの?
薙刀は長く、一歩では懐に入れない。
お市は何度も間合いを計ったが、一歩で届かないことを確認した。
何度も確認した。
お市は最初の一撃を躱さないと懐に入れないと悟った。
そのとき幸菊の方から一歩、踏み出してくれたので小刀を合わせた。
一歩で距離をゼロにする。
幸菊はお市の
もちろん、お市の一歩では幸菊に届かない。
だから、お市も前に出られなかった。
その足りない一歩を幸菊が補ってくれた瞬間を見逃さなかった。
「薙刀は長いが遅いのじゃ! 無防備に飛び込んでくれば、こうなるのは当然じゃ」
幸菊は何も言い返せなかった。
練習でやっている遠間の一撃を出すと、お市の餌食になる。
それをまざまざと教えられた。
『二戦目じゃ!』
幸菊は不用意に飛び込まなくなったので仕合は長期戦になった。
振っても振っても当たらない。
お市は近づくのと遠ざかるのを繰り返した。
必殺の足払いを打ち出すと、ひょいとお市が飛んで軽く躱される。
幸菊はもう一つの必殺の袈裟切りを繰り出した。
突然に返す薙刀が小さく回って斜めからお市を襲う。
薙刀が振り降ろされた!
お市は半身ですっと避けると、そのまま懐に入って喉元に刃の先を突き付けた。
「またまた、わらわの勝ちじゃ!」
幸菊のショックは大きかった。
「これならば、里と栄でも何とかなるのじゃ」
冗談ではない。
5歳の里が相手に変わった。
流石に勝たねば情けない。
「里はまだ攻撃ができんから、千雨が100を数える間、逃げ切れたら勝ちとするのじゃ」
不本意な変更だが、5歳の稚児相手に文句もない。
幸菊は合図と同時に襲い掛かった。
ひやぁ、ふにゃ、あひぃと奇妙な声を出しながら里が何とか避けていた。
お市がにたりと笑っていた。
幸菊のように汗だくになっていないが、お市も消耗していた。
幸菊も肩で息をするくらい疲れている。
だが、お市に負けたショックで疲れを忘れていた。
最初のような薙刀のキレもない。
二撃目で懐に入れたのは幸菊も疲れてきたからだ!
「嘘、嘘、嘘でしょう?」
「そこまで!」
「負けた」
幸菊の自信が崩落してゆく。
次のお栄では、さらにキレがなくなって余裕で負けた。
「お市様は策士ですな!」
「源五郎とか言ったか?」
「はい、
「わらわのどこが策士なのじゃ?」
「お市様と
「源五郎か、名を覚えておくのじゃ」
「ありがたき幸せ!」
幸菊は完全に自信を失った。
大叔父上からも筋が良いと褒められていたのに…………5歳の子にまったく歯が立たない。
童に勝てない。
「今日の練習は終わりなのじゃ! 皆、風呂に入るのじゃ!」
「わらわの家来になるならば、許してやるのじゃ」
羨望がお市に集まった。
一方、幸菊は誇りと自信のすべてを失った。
私はここでやっていけるのでしょうか?
織田家の姫は凄すぎます。
その夜、幸菊は涙を流しながら日記をつづった。
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